第6話 帰るべき場所
ハワード男爵家の人々は予想通り激怒していた。
朝方に屋敷のベルを鳴らすと、見慣れた使用人の男は強張った顔で出迎えてくれた。「奥様とマイセン坊っちゃまが心配されています」という言葉に曖昧に頷きながら、二人が待つ部屋へと通される。
大小様々なマイセンの、そして家族三人の写真が飾られた息苦しい義母の私室に入った瞬間、マリーは自分の行いがいかに悪いものであったか身をもって知った。
顔を歪めるマイセンの隣で、義母は微笑んでいた。
それは彼女が本当に怒っている証拠。
「マリー、おかえりなさい」
「………申し訳ありませんでした。お義母様」
義母は言葉を返さずに息子マイセンを見遣る。
おずおずとマイセンがマリーに近寄った。
左手が持ち上げられて、夫が三年前に贈ってくれた結婚指輪が抜き取られる。一瞬、離縁を言い渡されるのだろうかと期待に似た気持ちが浮かんだ。
「これは僕が預かっておく」
「え?」
「君はちょっと身勝手が過ぎた。ハワード男爵家の未来を担う妻として、ママも君の素質を疑ってる。君がきちんと僕の信用を取り戻して妻として認められるまでは、没収させてもらうよ」
「……承知いたしました」
マリーはそう答えるので精一杯だった。
「それと、マリー」
俯いて爪先を見ていたら、ピンク色のミュールが視界に入る。義母のお気に入りの一足だ。
「貴女には暫く西の塔で過ごしてもらいます。マイセンは傷心中なの。二人の仲が悪化しないためにも、塔の中で自分と向き合って反省なさい」
「そうですね……畏まりました」
「食事は三食運ぶから。飢え死にすることはないわ。それだけのことを貴女はしでかしたの。分かるわよね?」
マリーは小さく頷いた。
カツカツと靴の音がして、義母と夫が部屋を出て行く。
残った使用人がマリーの両脇をかためて、まるで囚人を檻に案内するみたいに歩みを進めるよう促した。
西の塔とは、ハワード家が管理する別邸だ。マイセンや義母夫婦が住む本邸の隣に立つ、小さな塔。その昔は羊や山羊を放牧していたハワード男爵家が、それらの家畜の世話役を寝泊まりさせていたと聞いたことがある。
今では使われなくなったという話だったけれど、こんな形で塔の中を見ることになるとは。
「………マリー様、」
連れ添って歩いていた使用人の男に名前を呼ばれて、マリーはそちらを向く。まだ若い男の額には冷や汗が浮かんでいた。
「どうしてお屋敷から逃げ出したのですか?マイセン坊っちゃまは貴女を愛して、奥様だってお優しいのに」
マリーは黙って立ち止まった。
いつの間にか窮屈になっていた靴を脱ぐ。
白いバレエシューズはマイセンが買い与えてくれたものだったが、もらった当初から少しサイズが小さかった。歩くたびに踵が擦れる痛みを感じていた。
脱いだ靴を手に持ってマリーは再び歩き出す。
「……上手く説明出来ないわ」
「私たちからすると、貴女は我が儘に映ります」
「そうかもしれないわね。自分を愛する夫が待つ豊かな家から逃げ出した身勝手な女に見えても仕方がない」
「…………」
「だけどね、息が苦しかったの」
「息が……?」
「ええ。あの家は私の首をじわじわと締めるみたいで、私はいつも浅い呼吸を続けているように感じていた」
使用人はポリポリと頭を掻いて「私には理解出来ません」と呟いた。マリーはそれを聞きながら微笑む。もう目前には西の塔に備え付けられた小部屋が見えていた。
外の景色を見るための申し訳程度の窓に、シャワーとトイレが一緒になったスペース。一人用のベッドは随分と使われていないのか、厚い埃を被っている。
頭を下げる使用人たちに礼を言って、マリーはベッドの上の埃を落とすと、腰を下ろしてみた。古いスプリングがギシギシと大袈裟な音を立てる。
目を閉じて、息を吸う。
今まで暮らしていた窮屈な屋敷よりは空気を美味しく感じた。
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