第4話 地下の秘密と侍女の秘密
重たい鉄扉の中に入ってすぐ、ルアナは口許に手を当てうめいた。
「なん……ですか、ここは……? それにこの、何ともいえないにおいは……?」
侵入した地下実験場は薄暗く、天井は視認できないほど高く感じられた。入ってきた入口以外、壁が見えない。
それに、妙なニオイがした。
部屋全体をもやのように漂う、発酵とも燻製とも言えない妙なニオイが鼻腔をくすぐる。
背後で扉の鍵の復元を終えたロトレがやってきて、同じように鼻をひくつかせて顔をしかめる。
「何も見えやしねぇ。とりまランタンつけるぞー」
「そうですね。わたしも灯りをつけましょう……」
ロトレが腰のベルトにぶら下げていた、小さなランタンでまばゆい灯りをともした。
それに続いて、ルアナは聖銃の銃口から棒状の光を放つ。
「ロトレさんのそれ、便利ですよね。わたしも一つ欲しいなぁ」
「こりゃ錬金術科で学んだメンテがないと使いこなせないからなぁ。ていうかアタシからすりゃ、銃口から光が飛び出す方が十分すげーんだけど」
「これは神聖学科で学ぶ初期魔法ですが……聖銃のような聖具と祈りの作法がないと使いこなせないんですよね」
「ボクからすればどっちもすごいですが……。それよりここの施設は一体……」
二人分の照明器具が用意されて、ようやく空間内の全貌が明らかになった。
天井まで届くほど高い棚が、図書室以上に多く並んでいる。本で埋まっている棚もあれば、見たこともない器具が並べられた棚など様々だ。
「燭台がありますね。ボクが火をつけて回りますので、お二人は周囲をご覧になっていてください……」
棚や机の複数個所に燭台を見つけ、ヤグラがマッチを持って灯りをつける役を勝って出てくれたので、言葉に甘えてルアナとロトレは明るくなった場所から散策をはじめた。
明るくなった室内では無用の照明器具を仕舞い込んで、両手で地下室を物色する。
部屋の中央に複数並んだ机は食堂のものよりも長く、机上には多数の“錬金術”の道具が並べられている。これも棚の中と同じく、見たことのないものばかりだった。
その中で一際目立つのが――専用器具に上から差し込むようにして保管されていたガラスの小瓶や試験管だ。
その中の一つを無遠慮に手に取ってロトレが目を細める。
「試験管に気持ちわりぃほど几帳面にラベルが貼られてる。……これは名前かね? 一体何の実験がされてるんだか……」
「――これ!」
ロトレより少し離れた台の上を見て、ルアナが声を上げた。
「お母様の……名前です……」
別の場所を物色していたロトレが駆け寄ってくる。
二人分の視線の集まる先――ルアナの手の中にある一本の試験管には、「アィギナ・ベルローズ」と書かれたラベルが貼られてあった。
試験管の中には他のものと同様、謎の液体が入っている。
少し遠くから、今度はヤグラが声を上げた。
「ルアナ様、こっちをみてください!」
アィギナの試験管を元に戻し、ルアナはロトレと一緒にヤグラの声の方へと向かった。
今度は試験管ではなく、球体の小瓶を持って、ヤグラがそこに貼られたラベルを見せてくれた。
「これは……“オーレティン・ベルローズ”……お父様の名前だわ……」
父の名が記された瓶の中には、アィギナのものより少し白みの強い液体が入っていた。軽く揺らしてみると、どうやら粘度はこちらの方が高いようだ。
「全ての試験管には厳重に封がされてある。かなり上級の錬金術か神聖魔法がなきゃ外せねえやつだな。中には謎の液体……。どいつも妙に白濁してんのが気になるが……この雰囲気から察するに、きっとラベルに書かれた人に由来する何らかが入ってんだろーな。そしてルアナの両親のものがあるんなら、こいつらが“夫婦の子をなす”ことに関わってるのは間違いなさそうだ……」
考察を立てぶつぶつとロトレは呟いた。
彼女はいつも考え事をする時、それを小声でも声に出さずにはいられない性質なのだ。そして、その声に返事をしても無駄である。ロトレは自分だけに向けて情報を整理するために口を動かしているに過ぎない。
同室としてロトレのその独り言のせいで、何度も勉強の集中力を削がれたから、いやでもルアナは知っていた。
ただ、ロトレは錬金術科でも抜きん出た才能の持ち主だ。その独り言によって、今この瞬間にも彼女の頭の中では、ルアナの想像し得ないロジックが組み上げられているに違いない。
こういうときのロトレは邪魔しないのが一番だ。
黙ってロトレの出す結論を待っていると、ルアナの隣でずっとモゾモゾしていたヤグラが、意を決したように口を開いた。
「あの……もしかしたらボク、その試験管の意味――そして人の命の誕生について、心当たりがあるかもしれません」
ルアナはもちろん、ロトレも思考をやめて顔を上げた。
一気に四つの瞳に見つめられ、ヤグラは照れるように両手をばたばたと振りながら、弁明でもするように語り出した。
「ででででもその前にあのっ───まず前置きとしてお伝えしたいんです! あのですね、ボクがこうして聖都にご奉公のため滞在できているのは、とても厳しい制約を守っているからであって……」
***
それはまだ、ヤグラ・ヤエツバキが五歳の頃の話だ。
――聖都ドリオルの遥か東に存在する、大陸の南東に位置する小さな島国がヤグラの故郷だった。
「西の国はお給金こそ高いものの、何やら妖魔が出没するらしくてね。その妖魔に取り憑かれる割合は男の方が高いらしい……」
長男のヤグラに父がそう説明する中、一人の乳飲み子を抱いた母が顎で示し、彼に一着の服を持ってこさせた。
地味な色合いだがふんわりとしたシルエットが可愛らしい、少女用のワンピースだった。父の持つワンピースを見つめていると、次に母が口を開いた。
「で、アンタ用に夜なべして拵えたのがこいつだ。幸いアンタは顔もあどけないし声も高い。女のフリして、ピュアッピュアな口調で───そうだな、ボクっ娘敬語キャラなんかいいだろ。キャラ作りして西で奉公に励んでおくれ」
「マジかよそれ……マジに言ってんのかよお袋……」
呆れた声を出すヤグラに、母は真面目な顔付きで言って聞かせた。
「大マジだよあたしゃ。なんたってこの国はもう終わりだ、オワコンってやつだ。税は高い給金は安い、そして物価は右肩上がり――。だから何がなんでも長子のアンタに出稼ぎに行ってもらって、食い扶持稼いで仕送りしてもらわにゃならんわけだ」
「子どもをなんだと思ってんだよ……」
「その子どもが“きょうだいがほしい”って喚いた結果、まさかの四つ子の妹が生まれたんだからしょうがねえだろ? いいかヤグラ、冷たいこと言うようだが母親として、早いうちから学ばせておきたい。結果ってのはそいつの責任に基づく。アンタが願ったからアタシらは子作りにはげみ、そして予想以上の子宝に恵まれちまった。つまりあんたにゃ可愛い妹たちの食い扶持を稼ぐ義務が生じてるってわけだ」
母が話す間にも、泣き出した妹の中の一人に父が駆け寄り、抱き上げて優しく背中を叩いている。
ヤグラはため息をつくしかなかった。
「……で、女装してご奉公ってわけか。どうせここで俺が嫌がったって、既に船の手はずも、何ならご奉公先の目星もついてんだろ? ならお兄ちゃんに拒否権はないぜ」
「そういうこった。全く飲み込みの速い子で助かるねぇ」
快活に笑う母の奥で、妹をあやしながら父が口を開いた。
「そこで、だ。運良く聖都でも折り紙付きの、大聖堂のご令嬢の世話係として、同い年のお前が働けることになった。大聖堂クリトヴァーナは聖都の中でも特に給金が高い。是が非でもお前には上手くやってもらいたいんだ。───いいか、よく聞いてくれヤグラ。他国の者が聖都に移り住むにあたって、重要な約束事がある。それは……」
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