第3話 聖女の親友は錬金術師

 西の街を通り抜け、聖ドリオル学園の門扉の前でルアナ達は馬車を降りた。

 美しい銀の門扉をくぐると、歴史を感じさせる学園の建物が目の前に立ちはだかる。


 ……まだ聖都が国家だったころの古城を改築し、王制がなくなったことで意味をなさなくなったそこは、悪魔を祓い女神への信心を高めることを志す若者たちの学び舎となった。

 そういったルーツが、この聖ドリオル学園には存在している。


「あの……休暇でお戻りになられたばかりなのに、なぜまた学園に? というかボクは生徒でもないのにご一緒して大丈夫なんですか……?」

「誰かに何か言われたら、まだかろうじて生き残っている私の次期大聖女としての権力でどうとでも言い伏せましょう。いつだったか、ホエリオも執事さんを引き連れて寮に出入りしていた場面を何度か見ましたからね。……それより今は、学園に戻った理由の方が大切なのです……」


 最低限の荷物だけをまとめたトランクを持つヤグラを引き連れ、教室や研究室のある棟ではなく、まっすぐ寮へと向かった。


 聖ドリオル学園は全寮制の寄宿学校である。学生が履修するのは共通科目の他に、神聖学科と錬金術科の2種類に分けられる。

 神聖学科は文字通り、神聖学を学び悪魔を祓う神聖魔法を身につけるための学科。

 錬金術科は聖職者が悪魔祓いに使う聖具や銀の製作・扱い、その他人の体や悪魔の存在について論理的な研究を深めるための学科だ。


 同じ科の生徒同士によるいじめやテストでの不正を避けるため、寮は二人一部屋、それぞれ神聖学科と錬金術科から一名ずつが割り振られていた。


「出戻り聖女の無様な帰還ですよー……」


 卑屈な言い方でルアナが入った部屋の中には、一人の少女がいた。


 着ていた制服は共通のものだが、ルアナとは違って上着は着ておらず堂々とジャンパースカートのまま、あぐらをかいて何らかの機械を弄っている。ブラウスの袖もまくってベルトで止め、腰には重たそうな太い革ベルトと、ウエストポーチがいくつかぶら下げられている。

 少し暗い色の金髪は二つに分けて結われており、振り返ったチェリー色のつり目をじとりとこちらに向けて、八重歯の見える口でにやりと笑った。


 初対面のヤグラが緊張した面持ちで、ルアナの後ろで頭を下げる。

 少女は気だるげな声で楽しそうに言う。


「おかえりルアナぁ。どったの、帰省早々にママと喧嘩でもしたぁ?」


 彼女こそがルアナの寮での同室相手であり、錬金術科に属する唯一無二の親友――ロトレ・ビブラートその人だった。


「あながち間違ってないんですよね、それ……」


 言ってから、ヤグラに目配せして部屋の扉を締めさせ、ルアナはロトレに経緯を説明した。


 休暇で帰省したはいいものの、自分が次期大聖女にはなれないこと、悪魔の増加により人からの信心が期待できないこと、セシューミュ聖堂のホエリオとの縁談を迫られていること――。


「ァんだそりゃ。まるで民衆の嫌われ役を全部ルアナに押し付けて、悪魔増加の問題を後回しにしてるだけじゃねーのさ。理不尽極まりねえ」


 不愉快そうにそう言ってくれる友人に勇気づけられながらも、ルアナは弱々しくかぶりを振った。


「全くもってその通り。……と言いたいところですが、一理あるとも思っているんです。わたし」


 驚いたような二人分の視線を受け取って、ルアナは話し出した。


「もしわたしが未然に悪魔からの被害を抑えていれば……聖女として、悪魔が寄り付かないよう人々からの信心を高められていれば、悪魔憑きはこんなに増えなかったかもしれない。……結局“浄化”なんて、聞こえは良いですが処刑と何ら変わりはありません。浄化などしないことが一番なんです。だから…」

「でもそりゃ無理な理想論だぜ?」ロトレが呆れたように言う。「そりゃアタシは錬金術科だから神聖学は門外漢だけど……悪魔が人の目には見えない“概念的存在”だってことは、流石に知ってる。多分そこにいるおつきのメイドさんもだ。だろ?」

「ええ、流石に存じております。」ロトレの視線を受け取ってヤグラも続けた。「ボクら人間がかろうじて悪魔について得ている知識は3つ。1つ、悪魔は直接ボクらの目には見えないこと。2つ、悪魔は人の悪意や穢れを好み、それを食らった人を悪魔憑きに変えてしまうこと。悪魔憑きになった人は廃人と化し、死ぬまで人を食らう悪魔の眷族となってしまう。食われた人もまた、同じように悪魔の眷族に……。そして3つ目は…」

「人の信心に弱いこと」ルアナが先取りして答えた。「信心深い人や清らかな場所には寄り付かないこと……。女神ドリオルの涙で作られたという、大噴水を中心にこの学園が建てられたのも、それが理由だそうじゃないですか」


 そこまで言ってから、ルアナは俯き加減だった顔を上げた。


「そこで思ったのです。悪意を好み信心を嫌う悪魔を未然に防ぐには、人の命の波動───すなわち生のエネルギーが重要なのではないかと。信心───何かを信じるというのは、紛れもなくその人の生き様に値しますからね」


 ほう、とロトレが八重歯を見せて笑う。


「なるほどそこで、出戻り聖女様のご登場ってわけね。錬金術科のこのロトレ様に、人がどうやって産まれるのか、人の生の───命の根源を教えて欲しい、と」

「そういうわけです。神聖学科のわたしたちは祈りによって人の病気や怪我を治す術を学んでいますが、錬金術科ではもっとロジカルに、道具や構造の理解によって人の体を理解していると聞いています。───ご存知ならロトレさん、教えていただけませんか?」


 ニヤリ顔のロトレが口を開きかけ、次に眉根を下げ、ふう、と息をついて肩を落とした。


「先輩風ビュービュー吹かして教えてやりたいとこなんだが……残念ながら、人の命の生誕についてはアタシも知らないんだ。もちろんアタシだって、祈るだけで赤ちゃんができるなんて思っちゃないさ。でも赤ちゃん誕生の秘密については、錬金術科でさらに何年も学んで学んで学び尽くした上に研究室なんかに所属して、博士号を取得して、以降は半年に一回更新されるっていうクソめんでぇ資格を取得しないと教えて貰えんらしくてね」

「まあ、そんなことが……」


 どうやら思っていた以上に、人の誕生の秘密について知るのは難しいらしい。

 頭を悩ませるルアナをよそに、ロトレといえば機嫌よく膝に手をつき立ち上がった。


「アタシもさ、実は気になってんだよね。人の生命の出処ってやつをさ。だからもうぶっちゃけるけど───この休暇中、大多数の生徒が実家に帰るのを良いことに忍び込もうと思ってたわけ。……いやー、ルアナが共犯なら心強いや」

「共犯? 忍び込む? 一体、どこへ何をしに行こうと言うのです――」

「決まってんだろ聖女さん! ───地下実験場さ!」


***


 地下実験場───。


 聖ドリオル学園の敷地内にある一つの棟丸ごとを使った巨大な図書館。その地下書庫の、更に下にある場所だ。神聖学科のルアナは近寄ったことすらなく、錬金術科だが入学して二年未満のロトレも入ったことはない。


 教員や先輩たちが口をそろえて「危険だから入るな」と告げる場所である。


 休暇に入った学園内の図書館は人が少なく、さらに地下書庫は無人だったため、奥の扉まで忍び込むのは簡単だった。

 ロトレが錬金術で作ったという複製鍵であっさりこじ開け、暗く長い螺旋階段を降りることに成功した。


「確か錬金術科の先生方や先輩方が、かなり本格的で危険な錬金術をするための設備があるんでしたよね。まさかそんな場所に忍び込むだなんて……。見つかったら大目玉ですよロトレさん」

「だーいじょぶだって! そのために入念に計画してきたんだ。錬金術の応用自主練ってことで、こうして地下への鍵の複製にも成功したしね。アタシはちょーっと中に入ってパパっと設備とか書類とか見て、先輩方が何やってんのか見られりゃそれで満足なのよ。───にしてもアタシだってビックリだよ。まさか学園始まって以来の才女、揺るがぬ成績トップの次期大聖女ルアナ嬢が、一緒に地下に侵入だなんてね。それもかわいーボクっ娘メイドを連れてさ……」


 ニヤニヤ顔でヤグラに目を向けられ、ロトレは恥ずかしそうにルアナの後ろに続いていた。


「ボクはルアナ様に連れてこられただけで───ルアナ様、どうしてボクをお連れになったんです? もちろんあなたの荷物持ちになることにも共犯になることにも抵抗はありませんが……こんな大切な秘密に、それもバレてはいけない重要な場面に……」

「ロトレさん、ヤグラは東方の島から海を渡って、奉公先に我がクリトヴァーナ大聖堂を選んでくれた侍女です。つまり少なくとも、聖都の外の常識を知っているということになります」


 ヤグラに答えるのと一緒に、ルアナはロトレに説明する。


「……この学園で学ぶ人の誕生――そこに何か秘密がある。わたしたちだけでは理解できないものがあった場合、きっとヤグラがヒントをくれると思ったのです」

「へえ、外の国の人か。そりゃ心強いアドバイザーだねぇ」

「……ボ、ボクがそんな大それたお役目を果たせるとは思いませんが……」


 長い階段を三人で降り続け、やっと地下実験場の入口まで辿り着いた。

 照明はなく、明らかに異様な雰囲気を纏う大きな鉄の扉が立ちはだかっている。


「さーてこの頑丈かつどデカい扉の向こうに、聖都の秘密が隠されてる。諸君、準備はいいかね?」


 楽し気なロトレの声に、ルアナとヤグラは神妙にうなずいた。


「ほんじゃま、ロトレちゃんの手作り合鍵をば───」


 ウエストポーチから取り出した彼女自作の鍵を取り出し、ロトレは迷いなく鉄扉の鍵穴へと差し込んだ。カチリ、と小気味良い音が響き、開錠を悟らせる。

 機嫌よく門に手を押し当てたロトレだったが、足元からガチンッ! という鈍い音を聞いて顔をしかめた。下にもう一つ、内側から施錠された鍵があるようだった。


「二重鍵かよッ!」

「ものすごく頑丈ですね……。ロトレさん、仮にこの鍵を壊しちゃった場合、復元は可能ですか?」

「壊す? まあ、錬金術の基礎で作らされた“不可逆(ふかぎゃく)の流転軸(るてんじく)”を使えば、5分以内の物質に限り、例え粉々に砕け散っても元の状態まで復元は可能だが」


 そう言ってロトレは、ルアナが目にしたこともない錬金術の偉業である、特殊な造りの砂時計を取り出した。薄く曇ったガラスの中で、砂が渦を巻いているのが見える。これが彼女の言う“不可逆の流転軸”という道具なのだろう。


 神聖学でいうところの、聖具のようなものか――。


 ルアナは頷いた。


「それを聞いて安心しました。───神よ、聖なる女神ドリオルよ!」


 ルアナはロザリオを握り聖銃を出すと、躊躇無く足元の鍵を撃ち抜いた。

 銃声と共に、ガギンッ! と暴力的な音を立て、二重鍵の二つ目が破壊された。ロトレが目を見開いて口をあんぐり開ける。


「ビビビビックリしたぁ……! ぶっぱなすなら先に言えよおい!」

「残念ですがロトレ様、ボクの主人は昔からこういう方なんです……」


 呆れたヤグラの声にはすでに慣れている。

 ルアナは何事もなかったように聖銃を元のロザリオへと形を戻し、二人を振り返って爽やかに笑って見せた。


「さ、これで完全に“開かずの扉”が開きましたよ。――ロトレさん。全員が中に入ってから、壊した鍵を復元してくださいね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る