第2話 命の源の真実とは

「おかえりなさいっルアナ様!」


 ハスキーでいて明るい声が、自室に入ったルアナを出迎える。

 青みがかった髪を両耳の下で輪っか型のお団子にまとめた、可愛らしい顔立ちのメイドは、幼少からルアナ専属で世話係を務めてきた使用人だ。


「前回の休暇はお帰りにならなかったから心配してたんですが、流石に今回ばかりは帰ってきてくださいましたね。何と言ったって、来月はルアナ様の16歳のお誕生日なわけですから……」

「ただいま、ヤグラ。いきなりですが大変なことになりました……わたしは窮地です……もう銀の弾丸で自決した方がマシかも……」

「ええっ!? 本当にいきなりなんてことを仰るんです!? 何があったというんですか……?」


 慣れた手つきでルアナのトランクを受け取り、制服の上着を脱がしてハンガーにかける。ひざ下丈のスカートを翻して自分の世話に徹する、可憐なふと眉のメイド――ヤグラ・ヤエツバキを見つめながら、どっかとベッドに座ってルアナは呟いた。


「本当に最悪……何ならあなたと結婚した方がまだマシですね……」


 荷ほどきをしようとしていた手を滑らせ、ヤグラが派手にトランクの中をぶちまけた。

 上着の下に来ていた上品なジャンパースカート姿のまま、膝の上に頬杖をついてその様子を眺めるルアナに、テキパキと自分のぶちまけた荷物をまとめながらヤグラが叫ぶ。


「なっななな何を仰るんですルアナ様っ! あなたがご存じないわけがないでしょう、同性同士での婚姻は神の意思に反しますっ……」

「まだこのやりとりするんですかヤグラ? あなた男でしょう。もう何万回目ですか、この不毛で無意味なやり取りは……?」

「ううっ……」


 可愛らしいメイド姿をしているが、ヤグラは男だ。れっきとした男性なのだ。

 ルアナだけが、このベルローズ家の中でその秘密を知っている。


「た、確かにルアナ様には6歳のときいきなり一緒にお風呂に入りたいと言われ、必死の抵抗もむなしく身ぐるみを剥がされ正体がバレてしまいましたが……」

「あの小さな蛇口のことですか? あれなら別に正体っていうほど大それたものでもなかったでしょう。それにあの時わたしが面白がってあなたを最も身近な世話役に指名しなければ、お風呂もお手洗いも他の使用人さんたちと一緒で、とっくにヤグラが女装した男性であることはバレていたのだから……むしろわたし、感謝されるべきでは?」

「それは……その件につきましてはルアナ様に感謝の言葉もありませんが……っ」


 真っ赤になって取り乱しながらも、手際よくトランク内の荷物を整理しながらヤグラが言う。


「そういうことではないのですっ! 今ボクがお話ししてるのは、ボクの性別のことなんかじゃなくって、あなたが窮地に立たされたことについてですよ!」

「ああ、それの話……」


 ルアナは立ち上がり、机から一冊のポートレート台紙を指先で引き出し、ぽいと放る。キャッチしたヤグラがそれを開いて、ヒエっと声を上げた。


「これ、いえ、この方は……」

「これ、でいいですよそんな男。――そう、我がクリトヴァーナ大聖堂のライバルとも言える聖堂の次期当主候補・ホエリオ。なんとわたしさっき、そいつとの婚約をお母様直々に命じられたんです……」

「えええええ!? あのクソいけ好かな――いつも御尊大なお態度でいらっしゃるホエリオ様と!?」

「今の言い直した意味あった? ――まあ、そうです。この私ルアナ・ベルローズは、なんとあのクソいけ好かないホエリオの奴と婚約して、めでたくルアナ・ブルーカンに生まれ変わることを余儀なくされているのです」

「どうしてっ……いや……まさか……」


 ヤグラはしゅんと悲しそうにうつむいたが、その口調はおそらく、ルアナの立たされた窮地について原因を察しているのだろう。


「やっぱりわたしと同じく、ヤグラも勘付いているんですね。……ええ、そう。その通り。このところの悪魔の増大とその被害によって、聖都の民から向けられるわたしへの信心はからっきし。皆様から向けられる視線と言えばそれはもう、浄化という名の処刑を繰り返す殺人鬼への畏怖そのもの。もうこれっぽっちも、祈りも信心も残ってないのです……」

「……でも、確かに悪魔は増えてますけど、別にルアナ様のせいではありませんよね? 悪魔憑きが出た時だって、ルアナ様はいつも被害を最小限に留めて浄化に努めてらっしゃいます」

「悪魔の増加がわたしのせいではなくとも、わたしが次期大聖女になることは周知の事実。つまり悪魔が増えればその大聖女たるわたしに責任が追求され、そのヘイトが大きければ大きいほど、このベルローズ家と大聖堂クリトヴァーナの威厳が危ぶまれるというわけです。だからベルローズ家はこの一大危機に瀕した結論として、わたしを別の聖堂の夫人とすることで手を打ち、ベルローズ家にはわたしよりも相応しい新たな後継者候補の子を設けようというわけです……」

「そんな、あんまりではありませんか……。だってルアナ様はずっと大聖女になるため、聖都を悪魔から守るために、幼い頃からあんなに頑張っていらしたのに……」


 ヤグラが自分以上に悲しんでいるのを見ると、何だか先程まで感じていた絶望が他人事のように思えてくるから不思議だ。

 ルアナは母に言われたことを頭で整理しながら、ぽつりと呟いた。


「わたしに16も下の妹か弟ができるんですね……。そもそも可能なのでしょうか……こんなに歳が離れていて子どもを育てるなど……」


 その言葉に、ぴくん、とヤグラが反応した。


「……そ、そそそそうですね……。少なくともボクの出身地である東の島では、そんなに歳の離れたきょうだいは珍しかったですが……」

「ヤグラ、あなた子どもがどうやってできるか知ってる?」

「えええっ!? それ、それはもう、あの、あれですよね。あのー」


 苦笑いしながら両手の指先を合わせて、ヤグラは分かりやすく視線を逸らす。


「た、たしかこの聖都ドリオルでは、女神ドリオル様に夫婦が心からの愛と祈りをささげることによって……」

「それ。それですよ。聖女としてあるまじき考えではありますが――人が産まれるという重大な過程が、祈り、ただそれだけに集約されるとは到底思えません」

「え? ええー? 何も別におかしくなんてそんなことはボク全く思いませんけど」

「冷や汗すんごい! わたしが一緒にお風呂に入ろうって誘ったあの日くらいすごい汗をかいてますけど!」

「まあ……あの……」


 言いよどむヤグラにはこれ以上の追求は無駄なようだった。


「やっぱり、人の子どもが生まれる過程に何か秘密があるんですね……」


 膝に手を付き、ルアナは再び立ち上がる。


「もう一度学園に戻ります。悪いけどヤグラ、一緒に来てくださる?」


 

 ***


 聖堂から学園へは、馬車を使って移動する。

 ベルローズ家御用達の御者ではなく、あえて街中の御者を捕まえてルアナはヤグラを伴い馬車に乗り込んだ。


 北の街から聖都中央の学園へ向かうには、どうしても西の街を通る必要があった。

 馬車の窓越しに、その街並みを眺めてルアナがこぼす。


「やっぱりセシューミュ聖堂の周りは落ち着いていますね。少なくともうちのクリトヴァーナ大聖堂がある北の街よりは、悪魔の被害が少ないと見えます」

「そりゃあ大聖堂のある街は他の街より倍は広いですから、ルアナ様のご負担に比べれば、ホエリオ様の次期聖堂主としてのお仕事もチョロいでしょう」

「チョロいってあなたね。ああ、噂をすれば……」


 馬車の中から、噂の中心人物であるホエリオ・ブルーカンの姿が見えた。


 金髪にくりんくりんの天然巻き毛が特徴的な、紫色の瞳をした長身はいやでも目立つ。

 制服を自分でカスタムしてフリルと金鎖に飾られたその姿は、いかにもナルシストといった風貌だ。顔立ちも整っていて派手な目鼻立ちをしているから、より一層、彼自身の美意識を高める一因となっている。


 その青年――ホエリオが細身の銀の剣を持って、今まさに、悪魔にとり憑かれた少女を刺し貫いている姿が見えた。

 おそらく悪魔憑きの浄化だ。


 ヤグラが小声でたずねてくる。


「ホエリオ様の聖具は剣を模しているんですね」

「ええ。セシューミュ聖堂の始祖であるブルーカン伯爵は、銀を研ぎ磨き上げた聖具で悪魔を薙ぎ祓ったという逸話の持ち主です。ちなみに南の聖堂では銀の槍を、東の聖堂では銀を放つ弩を聖具として受け継いでいるそうですよ」

「それぞれの聖堂によって受け継ぐ聖具は違えど、銀をもって悪魔に立ち向かう点は同じなんですね」

「祈りを込めた銀によって、悪魔は撃ち祓われます。ただし聖堂の出ではなく学園で神聖学を学んだ方々は、聖職者となっても銀の短剣しか聖具として扱えないようですが……」


 二人が馬車の中で喋っている間に、妙に演劇めいたホエリオの大きな声が響き渡った。


「ああっ! 全く何ということだ! このようなか弱い少女を貫かねばならないなど! こんな悲劇があっていいものか!」


 ルアナとヤグラが揃って窓から光景を覗く。

 口調と同じく演劇めいた仕草で嘆きを示し、ホエリオが膝から崩れ落ちるところだった。

 胸の穴から昇天の光を放つ少女を抱え、姉と思しき女性が涙ながらにホエリオに告げた。


「妹は……妹はもう悪魔憑きになってしまってどうしようもありませんでした……。せめて最後、ホエリオ様に浄化されたことだけが、あの子にとって幸せだったに違いありません……」

「ああ、美しいお嬢さん。かけがえのない妹さんを葬ったこの私に、なんと慈悲深いお言葉……。あなたのような人こそ聖女にふさわしい……」


 言いながら、ホエリオはさらっと姉の肩を抱いた。

 見ていたヤグラが、ルアナの隣で「ウエエ」と悪態をつく。


「それに比べて、北の大聖堂の御令嬢は。自分の生まれにあぐらをかいて、悪魔がのさばるのを黙って見ているのだからね。何ならこの小さなレディが悪魔憑きになってしまったのだって、隣の街からはみ出してきた悪魔の仕業かもしれないというのに……」


 その一言を聴き洩らさなかったヤグラが、窓から身を乗り出さんばかりに拳を振り上げて激怒する。


「アイツッあのクソ野郎ッ! うちのルアナ様がどれだけ努力なさったかッ――!」

「落ち着きなさいヤグラ。大丈夫です、あんなナルシストの言う事などこれっぽっちも心には響きませんから」


 これっぽっちも……。


 ルアナは自分に言い聞かせるようにして、口の中でもう一度呟く。その様子を心配そうに見つめるヤグラの視線には、気が付かなかった。

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