不遇な聖女は追放&政略結婚を回避すべく、禁術で前世を思い出す~エロ知識で悪魔祓いしたら“奇跡の大聖女”になりました~

才羽しや

第1話 落ちこぼれ聖女は追放される

 西のベルリナル大陸、中央に広がる王都から細く長い橋や船で行き来される南西の小国。


 ――通称“聖都ドリオル・ガジューム”は、東西南北4つの街に分かれ、それぞれ1つずつの聖堂が悪魔と対峙すべく、人々の信心を集め、祈りを込めた銀を武器とし浄化の儀を行っていた。




 そんな聖都ドリオルの中心にそびえたつ、聖(セント)ドリオル学園からの帰り道のことだった。


「きゃーっ悪魔憑きよーーッ!」

「逃げろーー!」

「どいてどいてー!」


 つんざく悲鳴と、逃げ惑う人々の足音。そして離れ広がっていく人々の輪の中心に、正気を失った男が一人。


「××△~#×△×~×……!」


 男は聞き取れない呻き声を上げ、石灰色のうつろな瞳で体をふらつかせながら、ゆっくり歩を進めていた。その先には、腰を抜かして逃げることもままならない一人の女が、絶望の顔を浮かべている。

 

「まって、あなた……分かるでしょ? 私よ! あなたの妻の――キャアッ!」


 男は構わず女に襲い掛かろうと手を伸ばし、女――妻はそれを転がるようによけた。膝をついて見上げた先にいる、彼の夫は明らかに目の焦点が合っておらず、すでに人の様相をなしてはいなかった。

 男が再び手を振りかざそうとしたとき――


「やめっ……やめて……あなた……!」


「――離れてくださいっ!」


 一人の少女が叫んだ。

 大きなトランクを放り出し、聖堂の尼僧服を模した清楚な学生服の少女が走ってその場に割り込んだ。

 目の前を横切る、ピンクゴールドのロングストレートの髪を見て、民衆の一人が呟く。


「聖女様だ……」


 聖女――すなわち、この北の街を守る聖堂の後継者のことである。

 彼女の名前はルアナ・ベルローズ。すらりとした体躯に、優しくも強さを秘めた若草色の瞳。ベルローズ家に遺伝の髪色と瞳の色で、誰もが彼女をルアナ・ベルローズだと認めた。


 ルアナは聖(セント)ドリオル学園の生徒であり、聖都の中でも特に有力な北の大聖堂を仕切る一家・ベルローズ家の令嬢である。


 悪魔に憑りつかれ正気を失った男を見るなり、迷わずルアナは目を閉じて、首から下げたロザリオを両手で握りしめた。誰に聞かせるわけでもなく、ただ涼やかなその声で唱える。


「ああ神よ、純潔たる女神ドリオルよ……!」


 ロザリオが純銀の光の一線になり、それはやがて一丁のマスケット銃の形を成す。

 ルアナが先祖代々から聖女としての務めを果たすため、ベルローズ家から受け継いだ聖銃“ZZ=マーラ(ズィズィ=マーラ)”と呼ばれる聖具であった。


 銃口の先を見るなり、妻は膝立ちになって照準に割り込むと、両手を広げて男をかばうように叫んだ。


「やめてッ! 彼はまだ助かるわ、きっと……!」


 そう言う彼女の背後から、男が黒い唾液で糸を引きながら、すでに人のものではない尖った牙で口を開いて――妻であったはずの女の首に向かって首をもたげる。


 男は悪魔に憑かれたのだ。悪魔に憑かれた者は“悪魔憑き”と呼ばれ、正気を失い、人に害成す廃人と化す。

 ルアナは心底痛ましそうに目を細め、祈りを呟きながら引き金に指をかけた。


「我が聖都をお守りください。我が隣人を聖なる雷(いかづち)で清め、邪(よこしま)なる魔を撃ち祓いください――!」


 照準は全くブレなかった。

 ルアナは真っすぐに聖銃を構え、女の左肩の上の隙間を狙って――悪魔に取りつかれた男の胸のみを正確に撃ち抜いた。


「ガアアアアアアアッ……!!」


 銀の弾丸が男の胸を貫く様は、まるで一本のまばゆい光の線が放たれたようだった。

 断末魔を上げて男が胸をかきむしり、やがて倒れ伏す。

 周囲に静寂が訪れる。


 最初にその静寂を破ったのは、他でもない男の妻だった。


「この人殺しィ!」

「いたっ」


 手近にあった石を投げられ、それはルアナの肩を軽く掠めた。ルアナは聖銃を元あった胸元のロザリオに戻しながら、妻に駆け寄り必死に弁明した。


「違いますっ、これは浄化であって、結果的に命を終わらせることに変わりはありませんが、あのままではあなたの旦那様はあなたを食らい、あなただけではなく他の人にまで悪魔の呪いを広げ――」

「何が浄化よっ、こんなのただの処刑だわ! そもそも大聖堂がきちんと機能してたら、悪魔が増えることも、私たちが取り憑かれることも、命を絶つ必要もないんじゃないッ!」


 女の言う通り、悪魔憑きになる人間はこのところ増加の傾向を見せていた。

 聖母・女神ドリオルを起源とするこの聖都では、人の信心の隙にある悪意や不浄をエサとする悪魔が跋扈(ばっこ)しているのだ。


 悪魔は人にとり憑き生気を奪い、取り憑かれた者は先程の男のようにして廃人となる。

 廃人となった者を救うには――祈りを込めた銀と神聖魔法で胸を穿つしかない。


 つまり浄化――殺すことしか、できないのだ。


 ルアナによる男の浄化と、妻の悲嘆の叫び。

 その周囲には大勢の人がいたが、誰も口を挟まなかった。

 女をいさめる者もいなければ、ルアナを庇おうとする者もまた、いなかった。


 そのあまりにも気まずすぎる静寂を破ったのは、一人の弱弱しい男の声だった。女の胸に抱かれた彼の夫だ。


「いや……聖女様を責めないでくれ……」


 撃ち抜かれぽっかりと空いた胸の穴から出血はなく、かわりに光が蒸発するように輝いて天へと昇っていく。

 ――昇天の光、と呼ばれる現象だ。

 死の間際、瞳に正気を取り戻した彼女の夫だった男が、震える手を伸ばして妻の頬を愛おしそうに撫でる。


「あなたっ……人の言葉を話して……」

「ああ……銀の弾丸……聖なる光の雷が、私を芯から雪(そそ)いでくれる……。あのまま廃人になって無意味な死を遂げるより……最後にこうしてお前と……」


 涙ぐむ妻に、男は震える手を伸ばす。


「お前と言葉を交わせたのは……紛れもなく聖女様の……浄化の……おかげ……」


 愛してる、と告げて、その手がぱたりと力なく地に落ちた。

 そのなきがらを抱きしめ、妻は悲しみの嗚咽を漏らした。


 ルアナは誰に声をかけて良いかもわからず、ただ立ちすくむばかりだった。


 ***


 北のクリトヴァーナ大聖堂は、奥に巨大な屋敷を持っている。大聖堂の当主や聖職者たち、その使用人たちが居住に使っている建物だ。


 きらびやかなステンドグラスの眩しい大聖堂を、大きなトランクを抱えてルアナは歩く。今日も祈りに、告解に、懺悔にやってきた信心深い人々がまばらに座っている。

 大聖堂を奥へ進み裏口を出て、庭師が丹念に手入れした中庭を歩いて、屋敷の正面玄関を入った。


 広々としたエントランスでは、ルアナの母・アィギナが待ち構えていた。

 ルアナと同じピンクゴールドの髪や若草色の瞳はまさしく遺伝だが、その顔つきはルアナの柔和なものより精悍で厳かだ。

 ルアナの通う聖ドリオル学園は寄宿学校である。休暇のために帰宅したルアナは、久々に見た母を見て顔をほころばせたが、どうやら相手の表情は暗いままだった。


「ルアナ、もうじきあなたは16歳になりますね。つまり儀式を行い――大聖女の名を冠することになるわけですが……」


 敬愛する母はルアナの期待を裏切るように、冷酷な声を発した。


「残念ながら、あなたにはその資格がないようです。あなたが大聖女の儀式を行うことはありません」


 休暇のためにと運んできた重たいトランクを取り落して、ルアナはアィギナに詰め寄った。


「そんな……お母様どうして───」

「理由は自覚しているのではなくて? ……確かにこのところ、この聖都ドリオル・ガジュームでは悪魔が跋扈し、その数は私が少女だった頃に比べれば倍以上です。その理由は未だ解明されておらず、被害は増えるばかり……。もちろんこれら全てがルアナの責任とは言いません。時代が悪かった、そういう見方もあるでしょう」


 ルアナの頬を撫でつつも、冷たく彼女は有無を言わさぬ口調で言い聞かせる。


「しかし、大聖女となるなら話は別。私たち聖堂を受け継ぐ者には、人からの信心が何よりの力となるのです。我が聖都に聖堂は4つ。中でも私たちベルローズ家が受け継いできたのは、聖都の中で最も大きく荘厳なクリトヴァーナ大聖堂。それを司る大聖女であるなら、この危機の時代を切り開く奇跡のひとつでも起こさねば示しがつきません。ただ悪魔憑きを浄化するなら、銀の弾丸と射手さえあれば良いのですから……。少なくとも、人から憎しみを買うようでは、到底“大聖女”などと名乗ることは、民が認めないでしょう……」

「でもっでもお母様、わたしはこれまで学園で常に誰よりも神聖学を学んでまいりました! 聖堂内の書庫にある聖書は全て諳(そら)んじることもできますし、浄化をもたらす銀の弾丸と、それを撃ち出す聖銃の訓練も、ただの一日だって欠かしたことはありません。このまま祈りを欠かさなければきっと皆様の信心を得られる日が――!」

「分かってちょうだい、ルアナ」


 まるで拒否権はないとでも言いたげに、抱擁というより拘束のようにルアナを抱きしめて母は言った。


「これはあなただけの問題ではなく、我が一族――聖都を代表する、大聖堂クリトヴァーナの威厳を左右する問題なのです」

「大聖堂の、威厳……?」

「このままあなたを大聖女にしたところで、きっと人々は反感の意を持ち、信心は失われます。これまで四つの聖堂の中で最も清らかだと伝えられてきた、このクリトヴァーナ大聖堂が、です。……だからあなたには大聖女の儀式は行わず、聖都の西を守っている、我が大聖堂に次いで有力なセシューミュ聖堂の次期当主───ホエリオ・ブルーカン殿と婚約してもらいます。そうなれば、少なくともあなたは大聖女になれなくても有力な聖堂の一族として生きていけるのだし、このクリトヴァーナ大聖堂は――」

「おっお待ちくださいお母様! ここっこ婚約!? 第一、わたしがベルローズ家を去ったところで、大聖堂の次期大聖女はどうなさるのです!? 我が家には私一人しか後継者がいないではないですか……」


 アィギナは不思議そうに小首をかしげ、ルアナに似た瞳で可愛らしく笑って言った。


「後継者なら、またつくればいいわ。あなたには偶然適性がなかっただけ。きょうだいをつくって贔屓(ひいき)をしないようにと私たちはあなた一人だけを育てましたが――大いなる慈母(じぼ)・女神ドリオルに心から願えば、子はまた生まれるのですよ」

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