第6話 仕事上のトラブル

 朝日が差し込むオフィスに、美咲は早々と到着していた。今日は重要なプレゼンテーションの日。机の上には整然と並べられた資料が、美咲の緊張を物語っていた。


「大丈夫、これまで何度も確認したわ」


 そう自分に言い聞かせながらも、手が小刻みに震えるのが止まらない。


「佐藤さん、おはようございます」


 振り返ると、隼人が優しく微笑んでいた。


「お、おはようございます」


 美咲は慌てて挨拶を返す。


「緊張していますね」


 隼人が美咲の横に立ち、小声で話しかけた。


「え?そんなに分かりますか?」


「ええ、でも大丈夫です。佐藤さんなら必ずうまくいきます」


 隼人の言葉に、美咲は少し落ち着きを取り戻した。


「ありがとうございます」


 プレゼンテーションが始まり、美咲は緊張しながらも堂々と説明を始めた。隼人が後ろで見守る中、美咲の声は次第に自信に満ちていく。

 しかし、プレゼンの中盤、予期せぬ質問が飛んできた。


「このデータの根拠は何だね?」


 美咲は一瞬言葉に詰まった。その質問に対する準備はしていなかったのだ。


「あ、えっと……」


 会場に沈黙が流れる。美咲は焦りを隠せず、言葉を探していた。

 そのとき、隼人が一歩前に出た。


「そのデータに関しては、私から補足説明させていただきます」


 隼人は落ち着いた口調で説明を始めた。美咲は隼人の冷静な対応に感謝しつつも、自分の不甲斐なさに胸が痛んだ。

 プレゼンが終わり、クライアントが退室した後、重苦しい空気が会議室を包んだ。


「お疲れ様」


 課長が声をかけたが、その表情は厳しかった。


「反応は芳しくなかったですね」


 隼人がつぶやいた。


「ごめんなさい、私の準備不足で……」


 美咲は俯いた。


「いえ、僕にも責任があります」


 ゆるやかに首を横に振った隼人が言った。


「もっとしっかりサポートすべきでした」


「でも、黒川さんがフォローしてくれなかったら、もっと酷いことになっていたわ」


「いや、そもそも佐藤さんがもっと細かく準備していれば…」


 二人の会話は次第に熱を帯びていった。


「私が悪いんです!」


 美咲の声が少し大きくなった。


「いや、僕にも落ち度があった」


 隼人も負けじと言い返す。


「っ……もういいです!」


 自らの不甲斐なさのあまり、美咲は涙ぐみながら会議室を出た。


◇◇◇


 重要なプレゼンテーションの日以降、美咲と隼人の間に距離が生まれた。必要最小限の会話しかせず、目も合わせない。周りのスタッフも、二人の雰囲気の変化に気づき始めていた。


「美咲、大丈夫?」


 落ち込んでいる美咲に、莉子が心配そうに声をかけた。


「うん、大丈夫」


 美咲は無理に笑顔を作った。

 しかし、本当は大丈夫ではなかった。隼人との関係が冷めてしまったこと、そして何より、自分の失敗が原因でプロジェクトが危機に瀕していることに、美咲は深く傷ついていた。


◇◇◇


 数日後、美咲は遅くまで残業していた。オフィスには彼女一人しかいない。

 デスクの引き出しを整理していると、小さな付箋が目に入った。そこには隼人の筆跡で「頑張ってください」と書かれていた。

 プレゼン前日、隼人が密かに置いていってくれたのだろう。その優しさを思い出し、美咲の目から涙がこぼれ落ちた。


「どうして、こんなことに……」


 隼人との楽しかった日々、互いを高め合った時間、そして芽生えかけた恋心。すべてが水泡に帰してしまったような気がした。

 美咲は付箋を胸に押し当てた。隼人の温もりを感じたい、そう思った瞬間、携帯が鳴った。

 電話をかけてきたのは隼人だった。


「佐藤さん、まだ会社にいますか?話がしたいのですが……」


 美咲は躊躇った。でも、このままではいけない。勇気を出して、美咲は返信を送った。


「はい、います。会議室でお待ちしています」


 送信ボタンを押した瞬間、美咲の心臓が高鳴った。この先、二人の関係はどうなるのだろう。プロジェクトは座礁してしまうのか。そして自分の気持ちがどう転んでいくのか。

 不安と期待が入り混じる中、美咲は会議室に向かった。ドアを開ける手が震える。深呼吸をして、美咲はドアノブに手をかけた。

 この瞬間が、美咲と隼人の関係の転機になるとは、本人たちですら気づいていなかった。

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