Day28 ヘッドフォン
外は地獄だ。家の中にいたい。けれど人として生活を営むには外へ出なければならない時がある。可能な限り家の中で全てが足りるように生きていても、どうしても。
そんな時には朝から心構えが必要である。まず、喋らない。独り言でも話さない。外へ出ればどうしたって喋る機会が生まれる。そのための声と言葉と気力を取っておく。
行動は必要最低限に。少ない動線で支度を終わらせて、やりたくない家事は後の自分に丸投げする。無論、体力を温存しておくためだ。外へ出るのは家の中にいるより体力を使う。歩かなければならないのだから当然だが、誰かと会うのにも体力を使う。
そして、音を断つ。これが一番、肝要だ。家の中にはない、慣れない外の音は最大のストレスである。そのために高品質のヘッドフォンを買った。夏は蒸れず、冬は温かい。お気に入りの音楽が我が身を守る盾となる。
そして、お気に入りの音楽に守られていざ、と飛び出した外はやっぱり地獄だった。赤い空で真っ黒な太陽が真っ白な光を放つ。どこの抽象画だとうんざりしたくなる空の彼方で黒竜たちが縄張り争いで火を吐いている。今日はゴーストたちが参戦している風ではないから、まだ静かな方だ。
通り道の池が近くなると音楽の音量を上げてヘッドフォンを強く耳へ押し当てる。セイレーンたちが美しい笑顔で歌いかけるからだ。ここを通り過ぎてもハーピーの生息地が近いのでまだ気が抜けない。
いくつかの難関を乗り越えて今日の目的地へと辿り着き、ヘッドフォンのモードを翻訳へ変えた。
『よう、待ってたよ』
「故障はどれ?」
それ、と雑貨屋の店主のリザードマンが首をしゃくる。絶対零度を誇る氷結竜の鱗で作られた冷凍庫の調子が悪いと、昨日連絡があった。見たところ魔力の循環が滞っている。詰まっている所を直せばいい、と「アイス」と唱えた。
言葉を発するだけでも膨大な体力と気力がいる。気力は魔力だ。魔力が枯渇すれば地獄では丸裸も同然である。だから言葉は慎重に選んで必要最低限に留めなければならない。
冷凍庫は調子を取り戻し、リザードマンが奥から報酬と貴重なアイスクリームをくれた。ゴースト謹製のアイスは脳天が凍り付くほど美味しい。
『お前も変な奴だな。人のくせに地獄で暮らして』
「人の世界で引きこもれないから、地獄にまで引きこもる羽目になった」
アイスの美味さにつられて過分に言葉を発してしまう。くらくらしながらヘッドフォンをつけなおし、店を出た。
外は地獄だ。家の中にいたい。
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