Day26 深夜二時

 ふっと気配がして目が覚めた。枕元の時計を確認すると深夜二時。別室で寝ている両親が起きた気配はなく、外も静かである。だが、家の空気が動いている──何かが動かしている。

 上半身だけを起こして辺りを窺った。昔ながらの古い家で、自分の部屋は細い庭に面した一階の奥にある。両親は廊下を挟んで向かいの部屋、妹もそこで眠っている。中学校へあがる時に一人部屋がほしいとごねて、使われなくなった客間の一つを貰った。床の間と違い棚があり、年頃の部屋にしては古臭く、そして床の間の掛け軸が薄暗さを付け足していた。

 夜更けの川を渡る舟を、柳越しに見ている絵。絵全体を覆う柳の葉から透かし見るような舟には船頭と女の客が一人ずつ、どちらも背中を見せているので表情がわからない。暗い空に暗い川、唯一明るいのは客の持った提灯で、それによって柳の葉を影のように描いているため、絵全体が本当に薄暗い。こんなのいらないと言ったのに、両親は我儘を言わないのと相手にしてくれなかった。亡くなった祖父が大切にしていた物らしく、一人部屋を貰う為にごねた自覚はあるため、それ以上は言えなかった。

 箪笥で床の間を塞いだこともあったが、いつの間にか箪笥が動いている。それも、床の間から何かが出るように。どれだけ直しても同じように動くので箪笥はどかし、出来るだけ視界に入れたくないから、いつも掛け軸を背にしていた。

 何か、と考えて思いつくのは掛け軸しかない。嫌だが確かめるしかない。思い切って振り返ると、床の間は真っ暗だった。その暗さに違和感がある。どうしてこんなに「暗い」のだろうと目をこらして「あっ」と声をあげた。提灯の光が消えている。

 薄暗いだけの絵は本当に真っ暗になってしまった。息を止めて見つめていると、絵の中の船頭と女の絵もいつもと違っていた。それが瞬きをするごとに変化していく。二人は振り返ろうとしている。

 冷や汗が噴き出た。どうしよう、と辺りを見回して枕元のスマホを手に取り、ライトを点けて掛け軸に向かってかざしてみた。船頭と女の動きが止まったような気がする。けれど、今度は舟の動きがおかしい。まるでライトの光に向かってきているようだ。

 慌てて庭に面した窓を薄く開けて、光がそちらへ抜けるようにスマホの位置を調整した。掛け軸を振り返ると舟の舳先が光に向かっている。見つめる先で舟は掛け軸を横切り、そして絵から消えてしまった。


 翌朝、目が覚めて昨日のは夢だったのだろうかと考える。あの後は恐ろしすぎてほとんど気絶するように布団を被って眠った。恐る恐る掛け軸を確認して息を飲む。舟が戻ってきている。今度は提灯に火を灯し、そして客の女の横にもう一人、男の客を乗せて。

──恋人なのかな。逢瀬ってやつ?

 本で目にしたばかりの言葉を使ってみて力が抜けた。

「……逢瀬はもっと穏やかにやってよね。あんな真夜中じゃなくてさ」

「だって、丑三つ時でなければ会えませんもの」

 囁くような女の声に振り返る。

「また、火をよろしくお願いいたしますね」

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