Day15 岬
その岬では、時間が狂う。噂が流れ始めたのは宇宙港の射出レーンが建造されてからだった。
古く小さな灯台は時折、地元の人間が懐かしみながら手入れをする以外では立ち入る者もいなかった。それを、時間が狂うと誰かが言い出したため他所の人間が入り込むようになり、ゴミや器物の破損が目に余るようになった。フェンスを設置して南京錠で出入口を封鎖しても立ち入る者は減らず、有刺鉄線を巻き付けても尚入る者がいる。
「……で、こっちにお鉢が回って来たってわけだ」
「私たちに責任があるわけではないのに?」
鵜足の声はいくらか非難めいていた。社用車で件の岬へ向かう最中で、新入社員の鵜足へ道中ささやかなレクを行っているのは二年先輩の二葉である。
「どっかの研究者が調べたらしいんだな。うちの会社の射出レーンが光を捻じ曲げてどうのこうの……まあその辺はネットで調べりゃ有象無象の記事がぼろぼろ出る。で、その影響で岬の時間が狂ったと」
「港やその周辺には何もないじゃないですか。ほとんどオカルトですよ」
「オカルトも科学の服を着せりゃ立派なSFだし、実際に地元は困ってる。で、新入社員の華々しいデビュー戦がこれ」
日が暮れ始め、車が自動でライトをつけた。ハイビームで照らされた道は岬に続く無舗装の道である。誰もいないだろうからライトを下げる必要もなく、自動で動くハンドルを眺めながら鵜足は嘆息した。
「それで夕方から明け方まで寝ずの番って何ですかそれ。監視カメラとか警備システムとかどんどん盛ればいいじゃないんですか。会社で監視するならそれも出来るでしょう。現場仕事しなくていいと思ったから入ったのに……転職しようかな」
「俺も二年前はそう思ったしだから先輩に言われた言葉を贈ろう。何事も経験」
寝ないでくださいよと釘を刺しかけた時、車が接近の警告音を鳴らして急ブレーキをかけた。二人してつんのめった後、鵜足は恐る恐るフロントガラスを覗き込む。ライトが暗闇に区切った光の中で、少年がこちらを見つめていた。
鵜足は喉の奥で悲鳴をもらす。子供が一人で出歩くような場所でも時間でもない。これでは本物のオカルトではないか。二葉に助けを求めようとすると、彼はなぜか車を降りていた。
「先輩!?」
開けたドアの向こうで、二葉が「お前も降りろ」と言う。そして大丈夫だから、と続けて子供へ歩み寄った。鵜足は大きな溜息をついて嫌々降りる。二葉は既に子供の前でしゃがみ込んで話しており、よく見ると子供の手には朝顔の鉢植えが抱えられていた。ますますもって怖い。
「一人かい? ここには何をしに?」
少年は鉢植えと鵜足たちを見比べて、岬へ至るフェンスがある方を振り返った。
「花が枯れちゃったから、枯れる前に戻したくて」
「それはどうしてと聞いてもいいかい」
小さな声で彼は「おかあさんのため」と呟く。「見たら元気になるって言ってたから」
そっか、と二葉は立ち上がり、じゃあ行こうと少年を先導する。鵜足は慌てて駆け寄った。
「ちょっと、いいんですか。入れちゃだめだから寝ずの番するんですよね?」
「違う違う。入れちゃだめじゃなくて、本当に入れていい奴だけを入れるために寝ずの番をするの」
「は!?」
思わず声の大きくなった鵜足へ二葉が口元に指を添え、そして鵜足の後ろを示す。言い合う大人を前に少年は泣きそうな顔になっていた。あれほど怖かったものが失せ、子供を泣かせてしまったという後ろめたさが勝る。鵜足は当惑したまま少年へごめんね、と言い、彼の後ろへ下がった。
歩きながら、見れば見るほど普通の子供である。電車のイラストが描かれた青いシャツにカーキ色のハーフパンツ、抱えた鉢植えは大きくはなく、枯れた朝顔の蔓が支柱にもたれるようにしている。どこの子供もこんな感じなのだろうか、自分も似たような服を持っていた。
フェンスの鍵を開けると木立の向こうにささやかな灯台が見えてきた。建物にしておよそ二階相当の高さだが、灯台としてはこじんまりとした印象を受ける。光はなく、夜に凝った海を泰然と見つめる姿は寂しげだが、辺りの空気が変わる。海風なのは明らかだが、圧倒的に何かが異質である。
「やり方はね、鉢植えを持って戻してくださいと念じながら、岬へ後ろ向きに歩くんだよ」
二葉の声は優しかった。普段はめんどくさがりで鵜足の教育も大雑把な男が、子供相手には変わるらしい。
「後ろ向き? 落ちない?」
「俺が岬の先端に立って受け止めるよ。鵜足は危なくなりそうになったら声かけ。ただし手は出すなよ」
鵜足が口を挟む余地はなかった。今、この場を動かしているのは彼らではない。岬に満ちる空気である。それに逆らうことは出来ないような気がしていた。
「それじゃ、よーいドン」
岬の先端で鵜足が立ち、灯台の袂から少年が後ろ向きに恐る恐る歩いていく。鵜足はそれを灯台側から見つめていた。
暗がりであるというのに、少年の顔には緊張と恐れとそれらを上回る期待が満ちているのがわかる。そんな彼を見つめる二葉の表情は父親のようでもあった。そういえば、二葉はかつて光速航行船の船員だったが家族を乗せて航行中に事故に合い、家族は今も行方不明だと聞く。普段はそんな素振りを全く見せない彼の父親としての表情があれなのか、と妙に納得がいった。
二葉はあと少し、と少年へ声をかける。その言葉が彼を勇気づけていた。足取りから恐れが消え、そして手元の鉢植えに変化が見え始める。
まるで逆再生の映像を見ているようだった。枯れてねじれた葉や茎が瑞々しく膨らみ、もたれていた支柱からは体を離して自立する。絡んだ蔓の先にまで色が満ちて、茶色く萎んだ花がドレスを拡げるように青色の花弁を拡げたところで、二葉が少年の肩を抱きとめた。
「お帰り。よく出来たね」
少年は目をきらきらとさせて朝顔を見つめ、それから二葉を見上げて「うん」と頷いた。その嬉しそうな顔に鵜足もつられて笑顔になっていると、少年の体から光の粒子が流れ出る。
「え、先輩、それ」
「大丈夫」
少年は朝顔を大事そうに抱きしめて「おとうさんありがとう」と言うと、体の全てが粒子となって風に流れ出て消えた。
その岬では、時間が狂う──存在の時間そのものも狂うということなのか。
「今の子は……」
「いつかの、どこかでの俺の子供」
二葉は寂しそうに笑う。
「かわいいだろ。俺に似なくて」
上手く言葉を返せずに「ええまあ」と言うと、このやろう、と二葉は頭を小突く。
「ここって何なんですか?」
「存在や空間の時間がごっそり狂うんだ。どういう条件下で発動するのかもわからない。だからああして過去や未来の誰かがやって来ることもあるし、立ち入ったものの時間を狂わせることもある。要は何でもありだ。だから、お前のなくした記憶も少しは刺激されたんじゃないかと思うがどうだ」
「ええ……?」
確かに、鵜足には六歳以前の記憶がない。ある日、街中でふらふらと歩いていたところを保護された。けれど養子先に恵まれ、人にも恵まれて育ったためにそれで苦労したことはなく、記憶がないということ自体忘れがちではあった。二葉に言われて唸ってみるが、期待に添えるようなものは何もない。
「……無理みたいですね」
「そうか。まあその内ひょっと出てくるかもしれないしな」
「そんな芽が出るみたいに……」
言いかけてふと鉢植えから芽の出るイメージが過る。最近ではない。養子先の家でもない。どこかの家で、誰かと一緒に見守った。
「……ああいや、ちょっと思い出したかもしれないです。私もあの子と同じような鉢植え持っていたかも。あれって、どの時代でも共通なんですかね? 教材的な?」
先を歩く二葉は振り向かずに「そうかもな」と答えた。その声があの少年に向けた時と同じような響きを持っていたため、鵜足は思わず「お父さん」と呼んでみる。間もなく振り返った二葉は苦笑した。
「あほか。そら、まだ夜明けまで時間はある。眠気覚ましに何か面白い話でも頼んだ」
「そんな無茶苦茶な……」
華々しいデビュー戦だったかはさて置いて、とりあえず転職活動はもう少し様子を見てからでもいいだろうと思う。
微かに蘇った記憶の鉢植えがどんな花を咲かせたのかがわかるまでは、この先輩についていくのも、この岬へ通うのも。
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