Day8 雷雨
これは熱烈、と仰ぎ見た先で雷が空にヒビを入れる。
ヒビというと隣の梅が「野暮」と愚痴った。
「あれはねえ、花と言うんですよ。ほら御覧なさい」
再び雷が走る。一本の枝から端々へと細かく散る稲光は、小さな花が群れ咲いているようにも見えた。
「珊瑚のようでもあるな」
池の亀がうっとりと言うので「見たことが?」と尋ねると、長い首をゆっくりと横に振る。
「昔の絵巻物で」
重い夜空に雷が花を散らすと、ほのかな灰青色の光が雲を染めた。その合間を縫うように細い稲光が走るさまは、綿の花を束にして地上へ捧げているようにも見える。
その内に、大きな雨粒が落ちてきた。
「奥方様。旦那様が泣いておいでですよ」
屋根を振り返ってもう一人の主人へ告げる。炎の衣をまとった気の強そうな顔立ちの奥方は、その通りに気が強くて、こちらの言葉になど耳も貸さずふん、と顔を背ける。それがいいのだと日々惚気てくる主は、今は雲の上で妻への謝罪に必死だった。
「で、結局今度は何なのです?」
梅が声をひそめて尋ねる。
「七夕の日に二人で地上に出ようとしたら、旦那様に天帝から急用が入っておじゃんになりまして」
「七夕など、天の川の治水で毎年お呼びがかかっているじゃないですか」
「だからですよ。奥方様が天帝にやきもちを焼かれまして」
「まあ、かわいらしい」
「でしょう」
「聞こえているわよ、下僕」
屋根の上から厳しい声が届く。雨に濡れた奥方はそれはそれは美しかった。白皙の美貌に濡れた黒髪が張り付いて、主が惚れ込むのも無理はない。だからこそこうしてご機嫌を直してもらうのに必死なわけだが、いよいよ雨が激しくなってきたので屋根へ飛び乗った。
「狛犬は大人しく門を守ってなさいな」
「奥方様、本当はもうお許しになっているんでしょ」
う、と言葉に詰まる。自分のような犬に真意を言い当てられるとは思っていなかったらしい。常日頃、数多くの生き物たちが様々な願いを持って通っていくのを見ているのだから、これくらい出来なくては狛犬は務まらない。
大きな目玉で見つめ続けると、観念したように奥方は溜息をついた。
「だって、嬉しいじゃない。私のためにこれだけの花を用意してくれるなんて」
「人は大迷惑です」
「あとちょっとだけだからいいでしょ!」
「もう、ちょっとだけですよお」
全く困った主たちである。だが、まあそうだろうなとは思っていた。わざわざ屋根の上に陣取って観る奥方の顔は嬉しそうに綻んでいた。
満開の雷雨が咲く。桜だ、と喜ぶ奥方の声は少女のようで、これはもう少しかかりそうだなと思いながら欠伸をした。
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