Day3 飛ぶ
街中で暖められた風が開けた川へ飛び出し、熱を川面へ落としていく。軽くなった身を翻し、夜の中へ飛び込んでいく。そのおこぼれに預かって、汗の滲んだ額がわずかに涼しくなった。手の甲で拭き取り、もう一度トランペットを構える。
大きな川の水門の側だった。川底では水門の段差で水が泡立っている。川沿いには通行量の多い道路があり、少し離れた所には川を横断して電車が走る。夏はそれに加えて淀んだ水の匂いもする。
だが、ここなら誰にも迷惑をかけずに練習が出来た。どこでもうるさいと言われる自分の音に落ち込むが、音は存分に出したい。トランペットの中でくすぶっている音を、出し惜しみしている暇はなかった。
ここなら沢山の音に紛れ込める。耳に止める人も少ない。ただ、その中の誰かでも聞いてくれたらと思ってしまう。音は飛ぶものだ。その軽やかさを疎ましく思う自分を、相棒は怒っているかもしれない。だからうるさいと言われる。
対岸で釣り人が釣り竿を振った。この時間に見かける仲間であるが、話したことはない。何が釣れるのかも知らない。けれど、釣り竿から放たれる糸の曲線は美しかった。ああいう風に音を飛ばせることが出来たら、といつの間にか体が動いていた。暑さも騒音も忘れて自分の音だけが相棒から放たれる。
軽い、川面の暑気を切り裂くには足りない。汗が思い出したように吹き出す。ちょうどいい力で飛ばしてやりたい。
ふと、釣り人が動きを止めていた。その顔がこちらを見ているような気がする。と、釣り人は両腕で大きなバツを作った。
――だめ。
どういうことだろうか。釣り人は再び釣りへ戻る。首を傾げてもう一度トランペットを吹く。またもバツ。
もしかして聞こえているのだろうか。もう一度吹くと、三回目のバツ。聞こえていると思うと、嬉しいような悔しいような気持ちになった。
それから暗くなるまで吹いた。釣り人はその間ずっと釣りをしながらバツを作り続けた。陽が落ちると釣り人は帰り支度をし始める。自分はまだまだだというのに帰るとは、と半ば怒りも交えて吹く。
川岸にいた釣り人が振り返り、首を傾げつつ小さくマルを作る。
「なんだそれ」
思わず笑い声が出て、手を振った。釣り人も手を振り返し、帰っていく。
明日は来るだろうか。いや、きっと来る。この時間の仲間なのだから。
そして大きなマルを作らせて、そこに目掛けて音を飛ばそう。
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