Day2 喫茶店
「平行世界を見かけたら通報のご協力を」「平行世界への安易な立ち入りはキケン」――街の端々で目にする見出しに、ここ十年で随分と日常へ浸透したものだなと感心する。通り過ぎるタクシーには「平行世界は神の世界」と謳った本の広告がでかでかと掲示されていて苦笑した。センセーショナルなものは大体神の道へと通じてしまうのだから、神様の道路事情は適当である。
十年前、突然現れた平行世界への「窓」。ゴミ箱の中、電柱と壁の間、冷蔵庫の中と出現箇所に一貫性はなく、ただ平行世界を覗くだけの場、だから窓と形容するのだが、中には門のように向こう側へ行けてしまうものもある。それも通り抜けなければわからないため、行方不明者や事件事故が相次いだ。国も未だに全てを網羅出来ておらず、見かけたら近づかない、それが平和に生きるルールである。
「こんにちは」
「いらっしゃい。待ってたよ」
行きつけの喫茶店のマスターがホッとしたような顔になる。中心街から離れた店は静かで、骨董品の蓄音機から流れるジャズが程よく静寂をかき回す。
「またかい?」
「そうだよ」
「だから言ったじゃないか。さっさと壊すべきだって」
それが出来たら苦労しないよ、とマスターは嘆息した。
「この辺りを仕切ってる連中が向こうの世界と取引するのに、あの席がちょうどいいんだってさ。壊したら承知しねえぞ、って凄まれちゃ、おれには無理だよ」
マスターはしょんぼりと肩を落とす。ころんとした体つきの彼が肩を落とすとより小さく見えて、不謹慎ながら笑ってしまう。
「で、今度は何を?」
「取引の金額が足りないんだとさ」
いつものでいいかい、と聞かれて頷く。手際よく出されたブレンドを一口含んだ。
「連中も懲りないねえ。いい加減、馬鹿にされているって気づくべきだ」
「そんなことを言えるのはあんたくらいだよ。悪いね、いつもいつも」
「いいよ。僕も楽しいから」
「いつもの通り、終わったら店のおごりで何でも好きなものを出すからね」
「それも楽しみなんだ」
コーヒーを手に席を立つ。
喫茶店の一番奥には、建物同士の隙間で出来た中庭のような場所に面して大きな窓がある。二人席が窓に沿って三つ、向かって一番左が「門」だった。それも面白い門で、二人で使うと発動せず、一人が片側に座ればもう片側の席が自動的に門となる。
互いの上半身くらいの大きさしかなく、その発動の稀少性からマフィアが平行世界との取引口にと目をつけた。平行世界はこちらとは異なる発展を遂げていることが多く、その品物はコレクターや金持ちの間では高値で取引されるため、いい資金源になっていた。
「抜け目がないと言うか、抜けていると言うか……」
『……それはそっちの話かい?』
座りながら思わず呟くと、向かいの席も同じように座るところだった。
同じ場所にコーヒーを置き、携帯のチェス盤を開く。そうして向かい合わせになったのは、自分だった。
「いやあ、何度見てもぎょっとする。それに気持ち悪い」
『こっちの台詞だよ。自分がこんな顔をしているとはね』
「鏡は?」
見ない主義、と声が揃った。二人で笑ってチェスの駒を配置していく。先週の続きがまだ終わっていなかった。
「で、そっちは何て言われてる?」
『取引の品物が足りないって』
「うちは金額」
二人して駒を置く手を止める。そして顔を見合わせて大きな溜息をついた。
「またか……」
『最終的には正しく取引はされているんだ。だが、取り分を多くしたいからこうして因縁をつける』
「メンツを保ちたいというのもあるだろうね。どうしてそういう方にばかり労力を割くかなあ。いっそのこと滅んでほしい」
『まあそうしてくれた方が世のため人のためだけど、そうすると僕らがチェスをする機会もなくなる』
「こんな奇跡はそう続かないよ」
『同感だ。だからこの一時は大事にしないとね。それで、今回の落としどころはどうする?』
「互いの帳票と隠しカメラの映像提出。どうせどっちも撮ってるはずだ」
『オーケー。よし、今日は簡単に済んだな。じゃあ本番といこう。勝ったら僕にそっちの店のピザトースト』
「僕が勝ったらそっちの店の焼きカレー」
取引で揉めるのは毎度のことで、話をつけるよう言われるのも毎度のこと、それは平行世界の自分も同じ状況のようだった。平行世界へ行って帰ってこれてしまったことで、普通の人よりも平行世界への耐性というか免疫のようなついているらしい。向こうの自分へそれを言ったらうんざりした顔で「同じ」と言った。
初めて会って以来、話をつけるのはそこそこに趣味のチェスの相手をしてもらっている。なまじ強いため、対戦出来る人を見つけるのに苦労していた矢先の掘り出し物だった。そうして勝った方が負けた方に食事をおごる。
「平行世界ならではの小さな差異が成せる技だな。同じ店でまた違った味のメニューが楽しめる」
『奇跡は続かないなんて、かっこつけるなよ。少なくともメニューを制覇するまでは続いてもらわないと困る』
「揉め事もな」
『確かに』
平行世界との付き合い方としては悪くない方だ。そうして、向こうの自分とチェスを始める。
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