零れ桜

気が付けば季節は移ろい、山は冬化粧を落としていた。雪間草が顔を出したかと思えば、月が二十と登らないうちに春星が空を飾る。


「花筏あ!これまた天晴れな花月夜だなあ!どうだ、今宵も一席、宴を張ろうではないか!」


既に出来上がった様子の七宝柑が、逆様に浮きながら宴の挙行を願い出てきた。いつもならば甘んじて受け入れるところだが、今の俺から快諾の二文字は出るはずもない。


「断る。」


「わっはっは!即答かあ!何故だあ!?」


「……貴様、先日の宴席で何をしたか覚えておらんのか。」


「先日……確か、三日前かあ!応、一体なんの事かさっぱりだな!」


その小憎たらしい顔と図々しさに虫唾が走る。

久しぶりにきつく締めてやろうとした時、七宝柑の後ろから ぬうっと大きな影が現れた。


「よお、花筏、七宝柑。何をそう揉めている。」


「応、五色米。良いところに来た。俺が先日の宴席で何か気に障ることをしたらしいんだが、全く覚えていなくてなぁ!わっはっは!!」


「……嗚呼、そりゃあお前、花筏のことを茶化したからだろう。」


「茶化す……?」


「本当に覚えてねえのか、仕方の無い奴だなあ……。ほら、余興とか言って九重と花筏の再会をお前が大袈裟に演じただろう、一人二役で。」


五色米が言い難そうに心当たりを伝えると、七宝柑は疑問が晴れたというような顔で言葉を続けた。


「……ああ!何だ、あれか!誤解だぞ、花筏あ!俺は茶化す気など微塵も…くくっ…あれは二人の感動の再会を祝してだなあ、ぐっ………今思い出しても涙がッ…どわぁっはっはっはあ!!!」


「そうか七宝柑。それは悪かった。


今すぐその涙、息の根と共に止めてやろう。」


「まあまあ、落ち着け花筏。」


七宝柑に掴みかかる俺を馬鹿力で止める五色米。

俺が何にここまで憤っているのか、それはあの日の夕方に遡る。


*


九重が失踪してからというもの、俺は満身創痍になりながらも一季を捜索に費やしていた。

そんな中、突然が訪れ、九重と再会することができた俺は、安堵すると同時に、胸の中の九重がまた何処かへ行ってしまわないか、不安で堪らなかった。

それ故、泡沫のようなその存在を未だに信じきれず、随分と長い間黙って抱いていたように思う。


その沈黙を破ったのが九重のある一言だった。


「あっ、そうだ花筏!ほら、土産!」


………………土産?


こいつ、今土産と言ったか?


俺があれだけ心身をすり減らしながら捜している間、此奴は土産を調達していたのか……?


──────すぱぁんっ


次の瞬間、気付けば俺の右手は九重の頭をはたいていた。乾いた音が山彦を呼ぶ。


「いってえ!何すんだ、この鬼畜爺!?」


「黙れ小童!貴様は忖度というものを知れ!」


「誰が小童だ!俺は大人だって言ってるだろうがあ!!」


*


こうして久々の再会は喧嘩に終わることとなった。

そしてそれを馬鹿にするかのように巫山戯た余興を行ったのがこの七宝柑である。


「貴様は金輪際この山での宴を禁じる!」


「いだだだ!珍しい術を使うな!五色米、早くその癇癪爺をどうにかしてくれ!」


「はっはっは、先ずは謝ることだな、七宝柑!」


───後に、五色米の協力による七宝柑の土下座でその場は丸く収まった。


「……いやあ、しかし、何だ。その後は九重とはどうなんだ、花筏。」


額に大きなこぶを作り、幾分か汐らしくなった七宝柑が恐る恐る問うてくる。


「どう、とはなんだ。」


「その、……会ってはいるのか?」


「……屡々顔を見せにやって来る。術に乗せて、向こうに文を送ることもある。」


「……。」


「……。」


「……。」


ずずっ…。


茶を啜る音だけが響くような暫しの沈黙の後、天井から声が降ってきた。


「告白はまだか。」


全員が茶を吹き出す。

声の主は三番弟子の苺雲だった。


「…………驚いたな。よお、苺雲。」


「あまりにも張り詰めた空気だったから気付かなかったぞお!わっはっは!」


「……苺雲、言うに事欠いて貴様……。」


苺雲の突拍子もない質問で、糸が切れたようにその場の空気が緩んだ。ここぞとばかりに五色米が続く。


「まあ、苺雲の言わんとすることも分からんでもない。花筏、お前は以前、あの小僧に特別な感情は無いと言っていたな。しかし、あれだけの力行、もう言い逃れはできまい。そろそろこの弟子共を頼ってはくれないか。」


その言葉に続けて、七宝柑も口を開く。


「そうだぞ花筏あ!俺達も何かお前の力になりたいのだ!ここまで育ててもらった恩もあることだしなあ!あの小僧に会ってからのお前は、何処か思い詰めた顔をしていて見てられん!悩むなら堂々と悩め!わっはっは!」


───そろそろ潮時か。今更隠したところで醜い悪足掻きを見せるだけだろう。

それに、此奴らは此奴らなりに俺のことを思ってくれているのが伝わってくる。

応えてやるのも師の勤めだろう。


「はぁ……今夜は長くなるぞ。いいのか。」


『応。』


俺は徐ろに薪をくべ、九重への想いをぽつぽつと話し始めた。


奴の決して濁らぬ純真さに惹かれたこと。

しかし、寿命差や年齢差を考えると、叶わぬ恋だということ。

それ故、奴を遠ざけようとしていたこと。

それでも、いざ手放さなければならない状況に陥ると、手放せなかったこと。


「……まあ、そういうことだ。貴様らに相談したところで気を遣わせるだけで解決などしない。それ故、敢えて話さなかった。年寄りの愚痴と思って聞き流せ。」


空気を湿らせてしまったか。まあ、年寄りの話などそれを覚悟で聞くものだ、此奴らも分かってくれるだろう。そんなことを考えながら、すっかり冷めてしまった茶を啜っていると、五色米が語り出した。


「いや、話してくれたことが嬉しいぞ、花筏。そしてその気持ち、ただ胸の内にしまっておくのは勿体ない。やはり思い切って九重に伝えるのも手なんじゃあねえか。」


「そうだぞ花筏あ!年齢差がどうした!寿命差がなんだあ!なに、お前が九重と契り、魔力を注ぎ続けてやれば幾らでも延ばせるだろう!」


その言葉に、又しても茶を吹き出す。


「ちっ……契り、だと…ッ!?」


「応!まさか花筏ともあろう者が、契りを知らんとは言わんだろう。」


「…………馬鹿にするな、契りが何たるかくらう知っている。」


「……花筏、」


「しかしな、契りというのは貴様らが思っているよりも重い桎梏しっこくが課せられるものだ。安易に行うものでは無い。特に寿命差の大きい相手だからこそ、慎重にならなければならないものだ。」


妙なことを聞かれる前に「契り」への考え方を改めさせる。


「だが、互いが望めばそれも悪くないだろう。」


「そうだそうだ!素直になれ!」


「俺も、もう少し柔軟に考えてもいいのではないかと思う。」


「そうだそうだ!頑固爺は嫌われるぞ!わっはっは!」


七宝柑の頭には瘤が増えた。

しかし、此奴らの言い分も一理ある。


「───はぁ、……分かった。ただ、奴の気持ちも確認せねばなるまい。どうしたものか……。」


「嗚呼、そうだな。直接聞くのもいいが、花筏のことだ、話が長くなるだろう。いっそ文にしたためたらどうだ。」


「文か……。」


こうして俺は九重への想いを伝えるため、また、九重の意思を確かめるために、筆を執ることとなった。



九重 宛


拝啓 寒春の侯


忘れ雪を差し置いて、花の便りを出す季節となった。毎度のように気海を晒して臥せる貴様のことだ。腹を下さぬよう、戒心せよ。


さて、此度は貴様に所懐を告げるべく、おろしたての筆を染めた。

先ずは、今までこの懐に秘めていた想いを認めるべきだろう。この花筏、貴様に出会い、幾宵を共にする中で、数多の愛染を飲み込み続けてきた。斯様な念いは空前絶後と言っても過言では無い。その音吐が、その瞳が、醇乎たる存在の全てが眩しく見えた。否、今も尚その煌は強くなっているように思う。

然し、八千代を生きる己にとって、貴様と共に在る星霜はほんの刹那。一夜にして枯れてしまう花ならば、咲く前に手折るが吉と、この心に日を当てようとはしなかった。

これ迄の譴責や辛辣な振る舞いも、敢えて貴様を突き放すためのもの。それを明かし、詫びたところで赦されるとは思っていない。

だが、二月前に一度貴様を失った時、俺はこの情に逆らえぬことを悟った。このまま黙して永訣するより、貴様と契り一縷の望みに賭けてみるのも悪くない。

実意を尽くして綴らせて貰った。もしこの文を一読し、吝かでは無いのならば、次にまみえた時分に貴様の答えを聞かせてほしい。

心して来い。


敬具


花筏

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仇桜 王水 @pinnsetto87653

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