第10話 期限、根回しは強かに

 ヴァレリーが淹れなおしてもらったハーブティーを飲んでいると、ようやくエドアルドが戻ってきた。


「待たせたね、ひとりにさせてすまなかった」

「いいえ、新しいお茶とお菓子を頂いたのですが、それがとても美味しくて」


 どうやらベネデッタがやって来て話をしたことは察していないらしい。それどころか、エドアルドのほうが、なにかあったのかどこか落ち着かないように見える。


「エドアルド様、なにか悪い知らせでもあったのですか?」

「えっ、君からはそんなふうに見える?」

「ええと、はい」


 少し考えてから素直に頷く。エドアルドは数回だけ目を瞬かせてから、少し困ったような笑みを浮かべた。


「ねえヴァレリー、抽選の一等景品が騎士とのデート権だと知った時、なにそれって思わなかった?」

「そりゃあ当然、思いましたけど」


 素直に答えてから、しまったと慌てて口を引き結ぶ。しかしちらりと上目で向かいに座る彼を見ると、吹き出して笑っている。


「だよなあ、俺だって思った」

「でも、エドアルド様は優しくて佇まいも素敵で、さすがは一等の騎士様だなと思えます、私もとても楽しいデートが出来ました」

「つまり、俺のこと好きになってもらえたのかな」


 柔らかに目を細めたエドアルドに言われて、ついそうですねと頷きそうになる。


「どうして、そうなるんですかっ」

「うーん、なかなか手強い」


 どきどきと高鳴る心の音は外まで聞こえていないだろうか。そんな心配をしつつ、ハーブティーをひとくち飲んで落ち着くように促す。

 しかしエドアルドは、ヴァレリーの心を加減なく打ち鳴らすように告げる。


「俺は、君が一等を当てたとき、嬉しさで息が詰まりそうだった」


 やはり彼は、一等を当てる前からヴァレリーを見知っていたということだ。


「あのっ」

「ねえ、ヴァレリー、次の騎士団公開演習は、君も見に来てくれないか」

「でも次の公開演習で再抽選会が催されるって……聞き、ました」


 権利がなくなるのが嫌なのかわからない。新しい当選者の令嬢が出て、その方とエドアルドがデートをする姿を見たくないのだ。

 だからベネデッタにも、行かないし引かないと答えようとした。


「演習だけでも応援に来てくれないか、抽選会は、まあおまけだし」

「デート権だけでも返しに来いってことでしょうか?」


 喉がひりつきそうになりながら訊ねる。

 別に権利証を持っているわけではないから、なくなるなら勝手に取り上げてくれればいいのに。


「そうじゃないよ、誰がどんなに引いても結果は同じさ」

「同じってどういう?」


 エドアルドとのデート権は今回の景品にないということだろうか。しかしそれでは再抽選を求める令嬢は納得しないだろう。


「どうしたって君は俺を手に入れることになる、そういう仕組みだからね」


 とても爽やかな表情で言い切られた、満面の笑みというものだ。


「エドアルド様、もしかして抽選器になにか……」


 細工をしているんですか? という言葉が喉まで出掛かった。

 だとしても貧乏令嬢のヴァレリーを当選させる理由がわからない。もしや覚えていないことと関係があるのだろうか。

 あとデート権ならまだしも、エドアルドそのものが手に入るような口ぶりなのでどこか怖さを感じる。


「さて、どうだろうね」

「よくないですっ、そういうの!」


 ヴァレリーに一等が当たるように仕組まれていたとしたら、はなから麦袋は当たらないということだ。それは断じて許せることではない。

 混乱しきった心はごちゃごちゃしていて、そんな八つ当たりまで行き着いてしまう。


「答え合わせは公開演習の後にしよう、それまでに俺も色々と心に決めてくるから」

「それじゃあ、私の心構えはどうなるんでしょうか」

「しておいてくれるかい」


(今の意味深な説明でどうやって!)


 心の中だけで怒鳴り返しておく。それでも表情から読めるのか、エドアルドは口角を引き上げてどこか満足そうに笑っている。

 うまく誤魔化されているような気はするけれど、はっきりしない状況をありがたく感じるのはヴァレリーも同じだ。


 それから二人で庭園の花をもう一度眺めて回った。

 エドアルドは土産だと言って、出してくれたものと同じ菓子とハーブティー、それから小さめの花束を用意してくれた。


「さすがにこの庭園で摘んだものではないが、気分だけでも出るだろう」

「ありがとうございます」


 手の中にすっぽり入るそれは甘い良い香りがする。花など貰ったのは初めてだが、見ているだけで思わず表情が綻ぶものだった。





 貰った花は、さっそく花瓶に活けてよく見える場所に飾った。妹のミーシャと一緒に眺めては、にこにこと笑う。

 ミーシャは置いて行かれたことはすっかり忘れて、しょっちゅう土産の菓子を摘もうとしている。

 そんな姿を気にしながらヴァレリーが花瓶の水を換えていると、ジュリオがやって来た。


「姉様はさ、エドアルド様に不満があるの?」

「不満ですって! そんなものあるわけないわ」

「だったらどうして、もっと積極的にならないのさ」


 驚きのあまり花瓶を落としそうになり、慌てて抱え直す。


「積極的にって、なってもどうにもならないでしょう」

「でも次のデートにも誘われているんだろう?」


 この弟は一体どこから情報を仕入れているのか。心当たりは先日の庭園デートの帰りに連絡を受け、停められた馬車まで迎えに来たオスカーぐらいだ。


「是非ともヴァレリーに来て欲しいんだ、俺が演習で勝つには君の応援が必要だ」


 エドアルドは去り際にもしっかりと言い残していった。確かにオスカーならば、それを聞いている。


「違うわよ、次は騎士団の公開演習があるの、デートじゃないわ」

「やっぱり誘われているんじゃないか」


 目を輝かせたジュリオを見て、ヴァレリーはしまったと思った。どうやら見当を付けていただけらしい。

 ヴァレリーは滑らせた口をすぐに閉じた。


「ねえ他には? なにか言われたの? もしかしてもう告白された?」

「されるわけないじゃない!」


 ヴァレリーはぎょっとした表情で抱えていた花瓶を揺らした。ばしゃりと中の水が音を立てる。このままでは落としそうだと思ったので、一旦近くに置く。

 それから、腰に手を当ててジュリオのほうを向く。


 するとジュリオは首をすくめるようにして、舌を出した。


「でも僕、領地にいる父様に手紙出しちゃった」

「なんですって!」


 オスカーには口止めをしていたが、ジュリオにも言い含めておくべきだった。一体なにをどこまで書いたのだろうか。

 父が大きく反対するなんてことはないとは思っている。だが期待されても困る。


 ジュリオは天井を見るように視線を上げながら、首を傾げた。


「なんかでも、返事がおかしかったんだよね」

「おかしいって、どういうこと?」

「全っ然、驚いてないんだ、なんだそのことかみたいな感じでさ」


 ヴァレリーやジュリオの父はどちらかというと気弱で争いごとも好まない。それがハルストン家がいまいち貧しいことに繋がっている。

 あいにくというか幸運にというか、ヴァレリーとジュリオ、それから末妹のミーシャはその性分を全く受け継いでいない。


「てっきり、どうしようジュリオって飛び上がると思ったから早めに連絡したんだけど、そうかいよいよかあっていう返事でさ」


 いよいよってなんだ、もしかして父もなにか噛んでいるのか。しかしあの気弱な父がこそこそ隠れてヴァレリーとエドアルドをくっつけようなど、企めるわけがない。


「あの父様を動かすには、かなり前もって根回しが必要だろ」

「そうね、それは認めるわ」

「つまり、姉様や僕じゃない誰かがそれをしているってことなんだ」

「えっ……」


 どうしたって君は俺を手に入れることになる、そういう仕組みだからね。


 ヴァレリーの脳裏に、あの庭園で告げられたエドアルドの言葉がよぎった。

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