第9話 思い出、かつて遊んだ小さな騎士


 エドアルドははっきりと言い切った。


「前にも答えた通り、俺の中でヴァレリー以外は全て畑のカボチャです」


 カボチャと決められた場所を半日ぶらぶら歩くくらい造作もないこと。そう思ったから前回は引き受けたのだ。しかし今は、あの時と状況が違う。


「それが命令だとしても、今回はお断りします」

「さすがにそう答えると思っていたよ」

「分かっていらっしゃるのなら、わざわざ休暇中に呼び出さないで下さい、ルード団長」


 露骨に迷惑だと示してみせると、直属の上司である騎士団長ルード・オブライエンは苦笑を浮かべた。

 他の誰かでは手に負えないと分かっていたから、直接打診に来たのだろう。だからこそエドアルドも、はっきりと拒否を示す。


「まさか、お前が好いているお嬢さんが、一等を当ててくるとは」

「俺と彼女を結びつける力は、それくらい強いんです」


 ヴァレリーを裏切ってカボチャとデートしようとしていたエドアルドに、しっかりと想いを分からせてくれたのだ。

 それに感謝があるからこそ、こうして義理立てして急な呼び出しにも応じた。


「エドアルド、あのなあ」

「なんと言われても、もうデート権に応じる気はありません」


 次の騎士団の公開演習では、評判だった抽選会が再度行われる。それに対して、エドアルドとのデート権はあるのかという、令嬢からの問い合わせが絶えないとか。

 だが今のエドアルドとしては、そんなこと知ったことではない。


 ルードは深く息を吐くと、腰に手を当てた姿勢のままエドアルドを見た。


「ならば、有耶無耶にしたデート権を利用するのはやめろ」

「っ!」

「あのお嬢さんに対して、不満が上がっているのも知らないとは言わせない、好きな女を矢面に立たせるなど、俺は許せん」


 すべての騎士を統べるルードの視線と言葉が、エドアルドに鋭く向けられる。


「彼女が覚えていないことが不安か? そんな甘ったれた理由で愛も伝えられないのか」


 なにも言い返せないし、真っ直ぐな視線は逸らすことも出来ない。

 突き刺さる言葉を受けて黙っていると、ルードが肩を軽く叩いた。


「振られてくるなら、酒くらいは奢ってやる」

「勝手に結果を決めないでください」


 些か腹が立って言い返す。ルードはひらりと手を振ってから、仕事に戻っていった。

 ようやく諦めてくれたと思っていいだろう。

 エドアルドも踵を返すと歩き始める。


「思ったよりも話に時間が掛かってしまったな」


 早足でヴァレリーの待つガゼボに戻る。離れないように伝えたが、それでも一人で待たせているので不安だ。


「たとえヴァレリーが覚えていなくても、俺は彼女が好きだ」


 小さな声に出してみると、その想いは違和感もなく心の中に広がる。


 歩きながら、エドアルドはかつてヴァレリーに出会った頃のことを思い出していた。覚えていないなら、話すべきなのか。それを決める覚悟がまだ持てない。




 幼い頃のエドアルドは、遊び相手もいなく体調も崩しがちだったため、いつだって部屋に閉じこもっていた。

 ヴァレリーと初めて会ったのは、そんなエドアルドが珍しく庭に出た時だった。


「オスカーときしごっこをしているの、あなたもあそびましょう」


 そう言いながらエドアルドの手を引いたのは、屈託のない晴れやかな笑顔をしたすこし年下の少女だった。陽だまりのような笑顔に思わず頷き、それからヴァレリーと彼女の従者らしきオスカーと三人で遊んだ。


 騎士ごっこというから、ヴァレリーはお姫様でエドアルドとオスカーが騎士なのだろうと思っていた。


「ちょうどおひめさまがたりないところだったの」

「ええと、まさか君ではなく僕がお姫様役なの?」

「そうだけど、だめ?」


 騎士役がやりたいかと言われればそうでもない。エドアルドはヴァレリーが満足するならばと思い、姫役を引き受けた。といっても二人が駆け回っているのを眺めているだけだ。


「お嬢様、今度は俺がお姫様やりますから、エディに相手をしてもらってください」

「もうっ、オスカーったらだらしない」


 上手い具合にヴァレリーをあしらっていたオスカーが、とうとう音を上げた。

 オスカーと代わり、騎士の設定も曖昧なまま庭を駆け回る。金の髪を揺らして走るヴァレリーはとても楽しそうで、エドアルドは必死に追いかけた。

 しかし普段は部屋からあまり出ないこともあって、すぐに疲れて走れなくなった。


「だいじょうぶ? エディ」

「ああ、こ、のくらい、へい、き……」


 返事が次第に辿々しくなった理由はよくわからない。榛色の瞳が思ったよりも近くにあったからか、それとも走り疲れて息が切れていたのか。

 ただそこから、エドアルドの記憶は曖昧になっている。


 次に覚えているのは、部屋のベッドの上だった。

 彼女の母親だという伯爵夫人が何度も謝ってくれたけれど、ヴァレリーは悪いことなどなにもしていない。ただエドアルドが不甲斐ないだけだ。


「ごめんなさいエディ、ごめっ」

「ううん、僕のほうこそ上手く遊んであげられなくてごめん」


 ヴァレリーは、榛色の目を潤ませて何度もごめんなさいと繰り返す。その姿を見ている自分が、本当になさけなくて堪らない。

 彼女を守りたい、頼られたい、それはエドアルドの中で初めての想いだった。


「ねえヴァレリー」

「なあに?」

「いつか大人になって本当の騎士になれたら、僕を認めてほしい、そうしたら僕の唯一になってくれないかな」


 その言葉でどれだけ伝わるかわからない。ヴァレリーにとってのエドアルドは、出会ったばかりの情けないエディだ。


 ただ見舞いに来ていたエドアルドの父と母は目を丸くして息を飲んだし、ヴァレリーの母は驚いて固まっていた。


 ヴァレリーは目を瞬かせてこちらを見ている。

 やはり今では意味が伝わらない。そう思った時、彼女が口を開いた。


「ごめんなさい、おことわりします」


 はっきりとした返事が部屋に響き、まずヴァレリーの母が顔色を変えた。

 腰を折って可笑そうに笑いを堪えているのは、エドアルドの父だ。


「そうだよね、こんな情けない僕じゃ嫌か……」

「わたしはわたしのものなの、おとなになってからいらないっていわれたくないわ、そんなほしょうのないこといや、だからエディがすべてをちょうだい、それならもらってあげる」

「へっ?」


 言われた意味がすぐには理解できず、エドアルドはベッドの中で口を半開きにして呆けた。

 エドアルドの父は目に涙を溜めて笑っているし、母もハンカチを掴んで笑いを堪えている。とりあえずその様子からして、理解のある両親だと思っていいだろうか。


「わかった、エディ・フレーグルの全ては、ヴァレリー・ハルストンのもの、それならばいい?」

「ええ、それならいいわ」


 ヴァレリーはにっこりと笑った。やはりその笑顔は心が温かくなる。エドアルドの想定した展開とは少し違っているが、それでも彼女との関係が作れたことは嬉しい。


「騎士になったら君のところに行くから、どうか忘れないで」

「だったらしょうめいしょをかきなさい、だいじなはなしはのこしておくものよ」


 そんなヴァレリーの言い分は、確かに真っ当ではある。

 とうとうエドアルドの父は、声を上げて爆笑し始めた。



 それからエドアルドは、積極的に外に出るようになった。食事もきちんとしたし、様々なことを学び、鍛錬を繰り返す。

 それだけで、周囲はエドアルドを認めてくれ、さらに伸び代は増えた。


 ただ成長するに連れて、ヴァレリーに会える機会はどんどんと減っていく。でもまさか、すっかり忘れられているとは思わないだろう。


 今思うと、口約束で忘れないでと言ったエドアルドに対し、ならば書面を残せと答えたヴァレリーは正しかった。


 エドアルドは一旦立ち止まって大きく呼吸をすると、また足早に歩き始めた。

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