第8話 庭園、デート権が失効する時
約束の日は、末妹のミーシャが自分も行きたいと駄々をこね、ヴァレリーは朝から大変な目にあった。
待ち合わせに遅れてしまったのだが、エドアルドは朗らかに笑って済ませてくれたので、ありがたい。
「大事な姉上を独占するんだ、それは素直に聞けないというものだ」
「ませているから、同じことをしたがるんです」
「さてどうすれば、俺を姉上のものとして認めてくれるだろうか」
どちらかというと、自分もデートがしたいと訴えられたのだが、エドアルドの想像は違うところにあった。
楽しそうに笑う彼は、本当に休暇を取ったらしい。騎士団の制服ではなく、簡素だが品の良い仕立ての格好をしていた。それでも清廉な佇まいと、騎士らしい所作は見惚れそうになる。
彼と過ごす二度目のデートは、とても楽しかった。
末妹の話をしたり、建国祭での思い出を語らったりしていたら、あっという間に時が過ぎていく。
案内してもらった離宮の庭園は、咲きほこる様々な花が見事に調和していた。
「使われていない離宮だが、正直言ってここは実家の庭より見事だ」
「それは、返事を控えさせて頂きます」
心地良さそうに風を感じながら聞かされたエドアルドの言葉に、ヴァレリーは曖昧に首を振った。王国所有の離宮と、公爵邸の庭とを比べるような真似が出来るわけがない。それにそう言ったとて、フレーグル公爵邸ならば広大で見事な庭園だろう。
ハーブティーと菓子が用意されていたガゼボは、甘い花の香りが心地良い風に乗って流れてくる。
そこでゆっくりと花と緑を楽しんでいると、どこかの使いらしい男性が来た。
エドアルドはなにか伝言を受けると、面倒そうな表情を浮かべて立ち上がる。それからヴァレリーに、すまなそうな表情を向けた。
「すまないヴァレリー、少しだけ席を外させてもらう」
「はい、私は花を見ながら待っております」
「戻った時にいないと不安になるなら、どうかここにいてくれ」
子供ではないし、そのくらい大丈夫なのに、何かが心配らしい。笑って頷いて見せると、使いの男にさらに指示を出す。
「彼女に、追加の茶を出してやってくれ」
「承知いたしました」
男が頷いて下がると、エドアルドも足早にその場から離れた。
「休暇を取ったと言っていたけれど、なにか騎士団で急ぎの呼び出しかしら」
ヴァレリーは一人でのんびりと茶を飲み、風を感じる。
「それにしても心地良いわ、うちにいるとこうはいかないもの」
常に誰かしら家族がいるし、庭の広さだって段違いだ。ハルストン伯爵邸も庭師がいる屋敷ということにはなっているが、あくまで一応そうなっている程度である。実際、庭で重要とされているのは片隅の野菜畑だ。
「失礼、ハルストン家のヴァレリー様でいらっしゃいますか?」
「えっ、はい、そうですが」
声掛けの理由は、エドアルドが命じていた茶だと思った。
しかしヴァレリーが慌てて顔を上げると、そこには見知らぬ女性が従者を連れて立っている。
「ええと、なんの御用でしょうか」
心当たりはないが、嫌な予感はした。おそらくエドアルドが席を外した機会を狙って、声を掛けて来たのだろう。
「わたくし、ベネデッタ・オブライエンと申します、父はフレーグル公ともご縁のある侯爵をしております」
侯爵令嬢だと自分から名乗っている時点で、碌な予感がしない。座っているヴァレリーを見下ろすために、敢えてそこに立ったままでいるような様子さえ感じる。
ベネデッタと名乗った令嬢は、いきなり話を切り出した。
「ねえ、ヴァレリー様、どうかわたくしに教えてくださらない」
「そういわれても、私がベネデッタ様にお教えすることなど、ないと思います」
「あるでしょう、あの抽選から青い玉を出すためにどういった細工をなさったの?」
ヴァレリーは言われていることがいまいちわからなくて、一瞬ぽかんとした。
声を潜めているが、おそらくわざとであろう。
ベネデッタを見上げると、彼女は口元を可愛らしく持ち上げた。
「細工もなにも、一度回しただけですが」
回せば玉が出てくる、そういう仕組みだったから答えはそれしかない。
「でも噂になっているのよ、貴方しか知らない抽選器の仕掛けがあるって」
「噂になって、いる?」
そんな仕掛けあるわけない。もしそんなものがあるのなら、ヴァレリーは一等のデート権ではなく、三等の麦袋を持ち帰っていた。
「仕掛けなどありません、私は本当に回しただけです」
それにそんな技術や人脈があるのなら、慎ましい暮らしは要らず、有意義に収入を増やせる。少なくともヴァレリーならそうやって活かす。
エドアルドのことは好ましく思っているが、それとは別である。
ベネデッタはくすくすと楽しそうに笑った。
「でもまあ、そうやって偉そうにしていられるのももうすぐ終わり」
「終わりとは?」
「次の騎士団公開演習では、あの抽選会が再び行われるんですって、疑わしいのなら白紙に戻すべきだと、そういう意見があまりに多かったから」
羨む令嬢は多いとは思っていたが、どうやらかなりの異議と再度の催しの希望があったようだ。騎士団も大変だなと思ったのは、なんとなく他人事である。
「エドアルド様の優しさにつけ込んで、権利を主張し続ける貴方は終わりなの」
権利など主張した覚えはない。そもそもヴァレリーだとて、一日デート権だと思っていた。どういう絡繰になっているのか、知りたいのはこちらだ。
「わかりました、私の持っている権利は次の抽選会までということですね」
別にエドアルドがヴァレリーのものというわけではない。彼が騎士団からの命に頷いたからこそのデート権であって、彼をそんな軽々しく扱える物のように言うのは間違いだ。
なんだか腹が立ったが、ここで侯爵令嬢と諍いは起こせない。
「そうよ、もちろんその日もいらっしゃるでしょう」
ヴァレリーはエドアルドからなんの話も聞かされていなから、答えようもない。
しかしベネデッタは、わざとらしい柔らかな声で訊ねた。
「ねえ、なにを出せば、仕掛けを教えてくださる?」
「……絡繰などありません、疑わしいのであれば私は公開演習には」
行きません、抽選会にも参加しません。ヴァレリーがそうはっきりと答えようとした時だ。
ベネデッタの背後に立っていた従者の一人が、遮るように声を掛けた。
「申し訳ありませんベネデッタお嬢様、そろそろお時間かと」
「あらそう、ならば仕方がありませんわ」
ベネデッタはわずかに不満そうな表情を浮かべたが、すぐにスカートを翻した。
おそらくエドアルドが戻って来そうなのだろう。なんというか鮮やかすぎる引き際だ。
「抽選会が楽しみね、ヴァレリー様」
しっかり言い残すと、ベネデッタは従者を連れて庭の向こうへ行ってしまった。
「なんだか、とても疲れたわ」
残っているハーブティーに口をつけると、すっかり冷めてしまっている。
「あの抽選会が、再び行われる……」
それは三等の麦袋も貰えるのだろうか。ぼんやりとそう思ったが、ここでこだわって諍いを増やしたくはない。
ベネデッタの口ぶりからして、彼女は一等を狙っているのだろう。身分や振る舞いなどからして、少なくともヴァレリーよりはエドアルドとの釣り合いが取れる。
「仕掛けがあるのなら、私が知りたいわよ」
ぽつりと呟いて、庭園を眺めた。
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