第7話 帰宅、庭師はなにかを知っている

 焼き菓子の袋からジュリオが顔を上げたときには、既にエドアルドはヴァレリーから離れ、馬車の誘導に向かっていた。


「姉様、どうかしたの?」

「なんでもないわ!」


 声が裏返りそうになりながらも、ヴァレリーはなんとか誤魔化しきった。


(確かに一等を当てたのは私だけど、なんなのよもう……)


 別に当てたのはデート権であって、エドアルドそのものではない。それなのに、まるで全てがヴァレリーのものであるような言いかただった。

 むしろ彼の表情は、逆として考えているようにも感じる。

 ヴァレリーがエドアルドのものであるかのような。


(そんなことってないわ、きっと揶揄われているだけよ)


 心の中で言い聞かせていると、迎えの馬車が到着した。公爵家のものなのかはわからないが、とても仕立てのいい馬車である。


「屋敷の近くまで送らせる、オスカーが分かっているから乗っているだけでいい、君の心配も配慮されている」

「はい、ありがとうございます」


 どうやら本当にエドアルドが見送るのは、ここまでのようだ。もしかしたらさりげなく理由をつけてついてくるかもしれない。そう考えていたヴァレリーの予想は外れた。


 ジュリオとヴァレリーが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出す。

 それを小走りに追ってきたエドアルドは、中のヴァレリーに声を掛けた。


「ではヴァレリー、また今度、デートの約束を楽しみにしているよ」


 聞こえるようにそう告げると、エドアルドは整った表情に綺麗な笑みを乗せて、片目を瞑ってみせた。

 思わず腰が浮きそうになったヴァレリーが言葉を返す前に、馬車がその場から離れ始める。


「なんなのよ、もう……」


 ヴァレリーは頬を紅く染めて、思わず小さな声で呟く。

 隣に座っていたジュリオも、驚きに目を瞬かせていた。


「姉様、デートって今日じゃなかったの?」

「そうなんだけど、そうじゃないみたい」


 首を傾げたジュリオに訊ねられたって、ヴァレリーも分からない。

 なにしろ良い雰囲気だったから、またデートの約束をしたわけではないのだ。デート権だろうと訊ねたヴァレリーに、エドアルドはそうだと答えた。


「変な誤解しないでね、別に良い関係になったからってわけじゃないわ」

「そうなのかなあ、僕にはすっごくお似合いに見えたよ」

「どう見えたって、相手は公爵家なのよ!」

「尚更じゃないか、良いと思うよ、うん」


 ジュリオはなんだか、年の割に大人びた様子で頷いている。


「エドアルド様が、自分は公爵家だとか言ったの?」

「そんなこと言うかたじゃないわ、とてもお優しくて、感じの良い人よ」

「なら、ひょっとするかもしれないよ、ねえ」


 にこにこと笑ったジュリオに肘で突かれると、ヴァレリーはなにも言い返せない。


 確かにエドアルドの態度は、ヴァレリーなど相手にしていないという風でもなかった。かといって、今日会ったばかりで好かれる理由も見つからない。


「姉様は、色々諦めすぎなんだよ」

「そんなことないわ」


 ふいと横を向いて会話を区切ると、ヴァレリーは今日エドアルドが買って渡してくれた二つの小袋を出した。ブローチのほうを出してみると、それはやはり綺麗な青色に輝いている。


(好きになってはいけないわ……、そうでしょうヴァレリー)


 わずかな間それを眺めて暖かい気持ちになると、ヴァレリーはまたそっとブローチを小袋に入れた。


 ハルストン姉弟を乗せた馬車は、屋敷に程近い場所に停められた。


「ねえ、オスカー、エドアルド様とは知り合いだったの?」


 門まで歩きながら、ヴァレリーは焼き菓子の袋を持って側を歩いていたオスカーに声を掛ける。どうしても気になったのだ。


「なぜ、そう思われるんですか?」

「さっき、貴方たちがなんだか親しげにしていたように見えたの」


 オスカーはハルストン家の庭師、ということになっている。庭師とはなんとなくの肩書きで、今日のように護衛のようなことから、屋敷の雑用まで広く担ってくれている使用人だ。

 生まれ年も近く、オスカーの母親がヴァレリーの乳母だったので、昔からよく知っている。

 彼は否定するだろうが、気心の知れた仲は兄妹のようにも感じていた。


「うーん、俺としては答えにくいですね」

「どうしてよ」

「そりゃ、余計なこと言って彼の方を敵にしたくないし」


 どういうことなのかさっぱりわからない。

 馬車の中でジュリオから今日の思い出を聞きながらも、どこかでエドアルドと会ったことがあるか思い出そうとしていた。なにせ社交界に行くことさえ憚っている身なので、一方的に知られているということは考えにくい。


「心当たりあるでしょう、俺とお嬢様っていったら、ほら」

「それがないから聞いているんじゃない」


 この口調は絶対になにか知っている。そう確信を持ったが、オスカーという男はすんなり言わないだろう。彼はいつだってこんな調子で、飄々とヴァレリーをあしらうのだ。


 現に歩きながら両肩を僅かに持ち上げると、わざとらしく首をすくめた。


「お嬢様も罪な女ですね、まったく」

「煽って誤魔化さないでちょうだい」


 その手には乗らないと思ったのだが、そこでちょうど屋敷に到着してしまった。

 オスカーが荷物を持ったまま器用に門を開けると、ジュリオは緩慢な動きで中に入る。


「若様はもうすっかりお疲れですね、もう少し歩けますか?」

「そんなことない、ちゃんと歩けるよ」


 オスカーに声を掛けられると、ぶんぶんと首を振った。否定はするが、見るからに遊び疲れている。


「お嬢様、俺はこの菓子を届けて、それから報告がありますので」

「ええわかったわ、今日もご苦労さま」


 菓子の袋は受け取ろうと思ったのだが、オスカーは抱えたまま軽快な足取りで裏口へと向かう。声が聞こえるうちに、ヴァレリーは彼に声を掛けた。


「オスカー」

「なんでしょうか?」

「……お父様に余計なこと、伝えなくていいから」


 万が一、ヴァレリーが覚えていない事情があるのだとしても。

 オスカーは此方の言いたいことが分かっているだろう。それなのに、軽やかな笑みを返しただけだった。





 それから数日経って、オスカーがヴァレリー宛ての手紙を持ってきた。

 綺麗に封が施された手紙は、男性らしい整った字でエドアルド・フレーグルと記名がしてあり、ふんわりと良い香りさえする。


 内容は、塔で約束した通り、一緒に庭園を見て回ろうという誘いだった。


「どうしよう、まさかこんなに堂々と手紙が来るなんて」


 声に出してみても、書いてあることは変わらない。会えるのを楽しみにしている、そう添えられている文章は、まるで慕っている相手に送った恋文のようだ。


「いったいなんなの、デート権って」


 あれから抽選について調べてみたが、結局のところ詳細はわからない。期間も回数もはっきりとしないし、なにより当選しているといっても拒否権がないのかおかしなところだ。


 フレーグルと署名がある以上、父にはきちんと報告をしなければならない。

 だが、ヴァレリーはそれをのらりくらりと誤魔化している。


 それに、両親への報告よりもっとずっと、大きな問題もあった。


「どうしよう、着ていくドレスがないわ」


 それなりのドレスでなくては、エドアルドに恥をかかせることになる。しかし夜会や社交界ではないので、煌びやか過ぎる必要もないだろう。庭園ということは、多少は歩くだろうが、あまりにも軽装ではまずい。


「そもそも、迷うほど服を持っていないのに」


 どんなに探しても、すっかり着古した上に流行から遅れたドレスしか持っていない。その中でも比較的新しくまともなものは、もう既に建国祭で着た。

 まさか同じ服というわけにはいかないだろう。


 クローゼットを開け放ったまま、ヴァレリーは頭を抱えた。


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