第6話 別れ、どうか送らないでください
塔から降りたところで、そろそろ帰宅せねばならないことをエドアルドに伝える。
次の約束をしたからか、彼がすんなり頷くとヴァレリーは預けていた荷物を受け取るべく、両手を差し出した。
しかしエドアルドは目を瞬かせただけだ。
「どうしたんだい?」
「すっかり荷物を持たせてしまって、ありがとうございました、もう一人で持てます」
「いや、ええと、もしかしてヴァレリーは、俺がここで君を放り出すと思っている?」
「え? でも、もう私は帰らなければなりません」
楽しい時間だったが、さすがに家に帰らねば、家族が心配する。
それに実家のハルストン家には使用人も少ないので、ヴァレリーも出来る家事などは担っているのだ。
「屋敷までは責任持って送るに決まっているだろう、すぐに馬車を手配するから」
「必要ありません!」
ヴァレリーはぶんぶんと首を勢いよく横に振った。
エドアルドが屋敷という言葉を使ったからには、なおさら送ってもらうわけにはいかない。おそらくエドアルドが思っている伯爵家相当の屋敷と、実際のハルストン家では大きく開きがある。
「まさか、ご令嬢を一人で帰すなど出来るものか、騎士としても許せる行為ではない」
「では家のものを呼びます、迎えにきてもらいますから」
残念ながら護衛と呼べるような使用人は雇っていないが、オスカーならば呼べば来てくれるだろう。このくらいの時刻なら、おそらくまだ屋敷にいる。
「さっきジュリオに付いていたオスカーが、来てくれます、はい」
「……」
しかしエドアルドは眉を寄せて不安を示している。
オスカーについて説明したほうが安心してくれるだろうか。そう考え悩みながらも、彼の表情を窺うように見上げる。
「エドアルド様?」
「ずっと思っていたんだが、そんな堅苦しい呼びかたしなくていい」
「あの……」
一体どうしたらいいのか。不安というより不機嫌というほうが当てはまるようにも見える。彼のほうが身分も立場も上なのだから、エドアルド様と呼ぶ以外にないというのに。
なにより、買った焼き菓子を返してもらわねば、ヴァレリーは帰れない。
支払ったのがエドアルドだとしても、一応これは土産として持ち帰る気でいる。
「俺がいるのにも拘らず、他の男を呼ぶという君の意見をどうして聞き入れられる」
「オスカーですよ! うちの庭師でただの使用人です!」
「それでも、あいつは俺より君の信頼を得ているということだろう」
エドアルドは、むすっとした表情で視線を逸らした。それはまるで少年が拗ねているような態度である。
そんな彼の横顔は、どこか見覚えがあるような気がした。ずっと前からこの青い瞳を知っているような、そんな心地がする。
「うちは、伯爵という名ばかりのボロ屋敷です、送っていただいても困るだけなんです」
「そんなこと」
「デートだというのなら、私の面子も慮ってください」
そんなことない、そんなこと気にしない、そうとでも言うつもりだったのだろう。
聞きたくなくて、ヴァレリーは彼の言葉を遮った。真っ直ぐ見ていられずに徐々に下へ向かった視線は、ただつま先を見る。
すると突然に肩に手が乗るのを感じた。肩を優しく撫でられて、そして優しい手がふわりと髪に触れて、もう一度肩に置かれる。
「すまなかった、俺は自分の必死さばかりを押し付けてしまった」
ゆっくり顔を上げると端麗な顔がすぐ近くにあり、青い瞳は心まで吸い込まれそうだ。
うまく言い表せない感情がヴァレリーの中に込み上げてくる。
エドアルドはなにか言いたそうにしたまま、何度か口を開いては閉じるという仕草を繰り返した。
ヴァレリーは、そんな彼をじっと見上げたまま待つ。
「ヴァレリー、君は覚えていないかもしれないけれど、俺は……」
「……?」
首を傾げて聞き耳を立てていたときだった。
ヴァレリーの視界の本当に端に、見覚えのある姿が入り込んできた。塔の外周に設置されている低い塀の影から、そっとこちらを伺っている。
思わずヴァレリーは首を動かして、声を出した。
「……そこにいるのはジュリオではなくて?」
「え?」
エドアルドも目を瞬かせてから、身体を捻ってヴァレリーの視線を追う。
そこにいたのはやはり弟のジュリオと、護衛代わりのオスカーだった。
一体いつから覗いていたのだろう。
「しまった、見つかった!」
「ジュリオあなた、いつからそこにいたの?」
「い、いま偶然ここを通っただけだよ、ねえ、オスカー?」
「まあ、お嬢様が塔から出てきた時なので、今さっきだいぶ前ですけど」
飄々とした口調でオスカーが答えた。ジュリオはオスカーの目の前でぶんぶんと手を振って、余計なことを言うなと訴えている。
「姉様たちを邪魔するつもりはなかったんだ、でも見かけたら気になってさ」
「もうジュリオったら……」
デート権が当たったことを知られているとはいえ、ヴァレリーとしてはなんだかきまりが悪い。
かといってこの場で怒ることもできず、火照る頬を誤魔化すように会話を続ける。
「でも、てっきり屋敷に帰ったものと思っていたわ」
「聞いてよ姉様、僕とてもいい場所で建国祭の祭事を見せてもらったんだ!」
どうやらヴァレリーが一等当選したということで、ジュリオも騎士から祭事がよく見える場所を計らってもらったらしい。
おそらくエドアルドが大変だと言っていたあの祭事だろう。あの時の会話と彼の表情を思い出すと、思わず笑みが浮かぶ。
「正装の騎士が、すっごくかっこよかったよ!」
「とても楽しかったのね、帰ったら姉様に詳しく聞かせてくれる?」
「もちろんだよ!」
目を輝かせているジュリオは、本当に楽しかったらしい。
結果として放り出してしまった弟のことまで計らってもらっていたなんて、感謝せねばならない。
礼を伝えようと、エドアルドの姿を探すと、少し離れたところでオスカーと会話をしているのが見えた。おそらくヴァレリーとジュリオの帰路について、心配してくれているのだろう。
「オスカーが、笑っている?」
「ひょっとして知り合い、なの?」
「さあ、そんな話は聞かなかったわ」
普段は飄々としているオスカーは、笑顔でエドアルドと話していた。目上のものに気を遣っているようにも見えるし、どこか親しげにも見える。
もしかして忘れているだけで、彼らは交流があったのだろうか。
しかしそれならば、ヴァレリーだとて覚えているはずだ。
じっと見ていると、どうやら会話は終わったらしい。エドアルドが二人のところへ戻ってくる。オスカーはそのまま小走りに駆けて行った。
「ヴァレリー、君のところの護衛と話がついた、帰るための馬車を手配している」
「ご配慮、どうもありがとうございます」
丁寧に礼を述べると、エドアルドは感情を紛らわすような笑みを浮かべた。
「送って行きたいけれど、今日のところは馬車までとするよ」
「エドアルド様、弟も楽しかったようですし、改めて今日はありがとうございました」
「こちらこそ、君と過ごす時間はとても有意義で楽しかった」
そう答えると、エドアルドは持っていた焼き菓子が入った包みをジュリオへと差し出した。焼き菓子が入った袋は、小さな腕いっぱいに抱えられる。
「これが約束していた君と妹への土産だ、気を付けて持ち帰ってくれ」
「わあ! こんなに沢山ありがとうございます、妹のミーシャも喜びます!」
ジュリオが目を輝かせて袋の中を覗き込み始めると、エドアルドはさっとヴァレリーに近付いて引き寄せた。
驚いて声を出そうとするヴァレリーを制し、髪を一房掴んで囁きかける。
「次のデートでまた君に会えることを、楽しみにして過ごすよ」
「ひゃっ」
「なんといったって、俺は君のものだからね」
耳元に囁きかけられて、青い瞳に吸い込まれそうになる。
ヴァレリーがこくこくと頷くと、エドアルドはまた素早い動きで離れていった。
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