第5話 約束、一体どこまでが景品?
「少し階段がきついけれど、気をつけて登って」
「は、はい、大丈夫です」
エドアルドが向かったのは、王城近くにある塔だった。時を知らせるための塔は、今日は建国祭なこともあって、騎士団によって封鎖されている。
どうやらここは景品のデート場所として押さえられているらしい。ヴァレリーを連れたエドアルドと視線を合わせると、入口で立番をしていた騎士は、意味深に笑みを浮かべただけですぐ通してくれた。
螺旋になっている階段をゆっくりと登ると、そこで見張りとして立っていたらしい騎士も、二人を見て降りていく。
塔の一番上には、鐘と大きめの窓枠だけがあり、心地よい風が吹き抜けていた。
「さあ、どうぞ」
「わあ! 凄い!」
そこにはヴァレリーが初めて見る景色が広がっていた。
「王都も王城も全て見える! ほら、そこが王城前広場でしょう」
「そうだ、ほら、あちらにほんの少し先端が見えているのが王都の門だ」
「すごいわ! ずっと過ごしてきたけれど、こんな景色があるなんて!」
塔の上は、普段でも決められた騎士か、管理を任されている限られた者しか立ち入れない。塔があるのは知っていたが、登れるという感覚ははなから持っていなかった。
「ほんの少し高いだけなのに、空が近くに見えるのね」
「高い景色や、見知らぬ光景を恐怖と感じる者もいる、ヴァレリーは大丈夫のようだね」
「それどころか、とても感激しています!」
「気に入ってもらえて、俺も嬉しいよ」
風を感じながら、広い空と並ぶ屋根を眺める。
「ここはデート権に決められていた場所なんだ、景色が良いのは分かっていたけれど」
「けれど?」
ヴァレリーは視線を、ゆっくりとエドアルドへと向けた。
なにか案内を渋る理由があったのだろうか。確かにこの場所が苦手だと感じる者もいるだろう。
「すんなり来るのは癪だった、まあ、俺は意固地になっていたのかもしれない」
「エドアルド様が意固地に? そうは見えなかったです」
ヴァレリーは正直に答える。
これはそもそも、偶然が重なったデートごっこなのに、そんなこと感じられないくらい彼は優しく、幾度も心が高鳴った。
エドアルドは気まずそうな表情で、髪の中に手を入れると軽く掻き回すように動かした。
「なにせ俺は一等景品だ、麦袋より価値があるところを見せないと、ヴァレリーに認めてもらえない」
「認めるって……」
見目も整っている彼が、身分も立場も違うヴァレリーに対して厭うこともなくデートをしてくれる。確かにそれはとても価値のあることだ。
それより、麦袋が欲しくて必死だったことを彼にまったく隠せていなかったほうが大きい。
一応隠していたつもりだったので、ヴァレリーとしてはそちらのほうが申し訳なく思う。
「エドアルド様と麦袋では、価値の置きどころが違います!」
「それは俺が麦袋に勝てないってことかい」
「そうじゃありません」
ヴァレリーは首を横に振って、はっきりと示す。
勝ち負けではない。少なくとも二人でデートをしている間、ヴァレリーは麦袋のことはすっかり忘れていた。
景品だと思い続けていたことだって、これは今日限りのことだと割り切りたかったからだ。
それくらい、エドアルドは魅力的だし、デートは楽しかった。
意地が悪いとは思ったが、ヴァレリーは彼の青い瞳を見つめながら訊ねる。
「エドアルド様は、私が麦袋に拘っていたから、それで優しくしてくださったのでしょうか」
「そうではない! 俺は君とのデートが楽しかった」
「私も同じです、とても楽しかったです」
同じなど、いい加減なことを言っているかもしれない。
エドアルドは、景品としての立場を弁えている。だからこそ彼に、今日は楽しかったという感謝を伝えたかった。
「そう? それくらい、楽しかった?」
「はい、とても素敵だと感じました」
笑顔ではっきりと伝えると、エドアルドに照れたような安堵の表情が浮かぶ。
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう、ヴァレリー」
そして二人で、笑顔を突き合わせると笑い合う。
しばらくしてヴァレリーは、視線を外の景色に戻した。
陽はもうすでに傾き始めているので、ここから降りたらデートはもう終わりだ。
こんな楽しいデートは、おそらくこれが唯一だろう。
(帰ったら、どこか縁談を探してもらおう)
弟妹がまだ幼く家の状況からそんなことを考えられないというなら、それらは全て言い訳だ。
貧しい令嬢だといっても、伯爵家ならば欲してくれる者はいるだろう。
きちんと調べて、然るべき縁談を探す。
それがヴァレリーの戻るべき、現実だから。
じっと考え事をしていると、ふいにエドアルドが示すように指を持ち上げた。
「……ヴァレリー、あちらに白い壁と緑が見えるだろう?」
「はい、あそこは、どなたかのお屋敷でしょうか」
確かに遠目なのではっきりとは見えないが、広い庭園が見える。
屋敷と庭園は他にもあるが、あの辺りは王都のはずれだ。
「あそこの離宮は、今はどなたもいらっしゃらない場所なんだ」
「ここからでも見事な庭園が見えますが、空き屋敷ということですか」
「もちろん手入れはされている、認めを出せば庭園の散策が可能なんだ」
離宮など、はなから縁遠いような気がしていたし、そんな仕組みがあるとは知らなかった。誰も暮らしていないからこそ、できることだろう。
さすがは公爵令息、よく知っている。
「薔薇や草花が、とても綺麗だと聞く、興味があるなら、今度一緒に行ってみないか?」
「えっ、私とエドアルド様とで!」
「そうだよ、他にいないだろう」
ヴァレリーは驚きのあまり、目を見開いて固まった。理解がまるで追いつかない。
「それってあの、どういう……」
「どういうもなにも、君を次のデートに誘っている」
真剣な表情で言い切ったエドアルドは、とても冗談を言っているようには見えなかった。
(デート権って、一日ではないの!)
思わず、心の中で叫ぶ。
確かに、一日デート権とは言われてはいない。でもこれが建国祭の催しならば、一日で終わるものだろう。
貧しい令嬢であるヴァレリーに、本気でデートに誘いたくなるような魅力はない。
ということはやはりデート権が残っているということだ。
(さすが一等だわ、デートが一度だけじゃないなんて……)
ヴァレリーなりに理解したが、かといってはいそうですかと頷くわけにはいかない。
なんとか心を引き締めてやんわり断った。
「エドアルド様、お気持ちは有難いですが、これ以上貴方に負担を強いたくありません、抽選で当てたデート権ならば充分です」
「……デート権」
「そうでしょう?」
数回目を瞬かせて、エドアルドは青い瞳をこちらへ向けている。次に目を瞬かせた時は、目を閉じていた時間がやや長かった。なにかを考えているようにも見える。
そういえば、ヴァレリーは彼が一等景品に据えられている経緯や理由などを詳しく知らない。騎士として令息として憧れる令嬢が多いらしいが、それだけでデート権が抽選になるというのも不思議だ。
しばらくして彼は目を開けると、真っ直ぐにヴァレリーを見て柔らかに笑った。
「そうだね、今はそれでいいよ、ヴァレリーには俺とのデート権がある」
「ですから、充分楽しい思いをして、良くして頂きました」
「楽しかったのなら、ここで権利を放棄することはないね」
「え? ええ……」
困惑をあからさまに表しても、エドアルドは揺らぐことはなかった。
なにより彼に迫られて、嫌ですという断りを言い続けられるわけがない。
「離宮の庭園へ入る手続きは俺がしておくよ、では約束の日を決めよう」
「ええと、エドアルド様は騎士のお仕事があるのでは?」
「決めたからには、もちろん休暇も取る」
にっこりと笑顔を浮かべたエドアルドは、やはり有無を言わせぬ力を込めて強く押す。
ヴァレリーはその日のデートが終わらぬうちに、二度目の約束をしてしまった。
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