第3話

 空を飛んでいた。

 虚言でも、比喩でもない。

  

 僕は、空を飛んでいたのだ。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 人は、失った時初めて失ったもののありがたみを感じる、という話を何処かで聞いたことがある。それはまさに今、この時ではないだろうか。

 重力万歳!

僕は心の中でそう叫んでいた。

 


 遡ること5分前……


「ここにいて。話は全部後でするから」


 爆発音が鳴り響いた後、早見さんは初めて見る真剣な表情でそう言い放った。状況が整理しきれない僕は、駆け出そうとする早見さんの腕を無意識に掴んでいた。


「あ……」


 振り向く彼女は、眉間に皺を寄せ、迷惑そうな顔をしていた。

 どうしよう。なにを言えばいいのか。

 頭の中で考えた刹那、僕は言葉を発する。


「僕も、連れてって」


 なぜそう言ったのか、そもそもなぜ腕を掴んだのか、僕には分からなかった。僕の本能が、神経が、反射的に行動していたのだ。


「は? だめだよ。危ない」


「でも、早見さんだって」


「私は、んー、とにかく大丈夫なの! 急がなきゃ」


 この手を離さなくてはならない。そう思ったのになぜか離せなかった。さっきから僕の体は僕の意思と反する行動をするのだ。

 沈黙が流れる。僕は次に言うべき言葉を探していたが、先に沈黙を破ったのは早見さんだった。


「……っもう! 分かったから! 近くまでは連れてってあげる。でもそこからはぜっっったい動かないで!」


 呆れたような顔で早見さんは答えた。

 粘り勝ちだ。僕はニヤリと笑う。そして今日一大きい声で返事をした。

 

「約束する!」


「じゃあ、空飛ぶから」


 喜びも束の間、次に早見さんの口から出てきた言葉に僕は耳を疑った。


「え!? 空を飛ぶ!?」


「ええ、それが一番手っ取り早いからね」


 驚く僕をよそに、彼女はどんどん話を進める。


「じゃあ、手、離さないでね。死ぬから」


 そう言い、早見さんは僕の左手を取り、繋いだ。

 

「うえぇ!?」


 感情が追いつかない! 女子と手を繋ぐなんて何年ぶりだ! おそらく小学校低学年ぶり。うわぁ緊張! 手汗大丈夫かな。いや待て、死ぬ? 今死ぬって言った? ていうか空を飛ぶの時点からおかしいんですけど!


「大丈夫?」


 早見さんは僕の顔を覗き込んできた。確かに今、僕の脳みそは『強』の扇風機並みに回転していた。情報過多すぎて。

 1回落ち着こう……。


「よし。大丈夫です」


「そう。じゃあいくよ。腰、抜かさないでね?」


 早見さんは悪戯に笑った。というか……

 

「それってどういうこぉぉうぉぉー!」


 僕の言葉はすぐに叫びへと変わった。

 急に体が浮き上がったのだ。僕は地面を求めて足をバタバタさせた。が、バランスが崩れて転びそうになる。


「ちょっと! 転ぶとこだったじゃん! 動かないでよ、私に任せてくれたら大丈夫だから」

 

 左手で繋がっていた早見さんも道連れに体勢が崩れた。申し訳ない。

 

「さーせん……」


 そうしているうちに、どんどん地面は離れていく。気づけば、学校全体が見渡せるほどの高さとなった。


「うわぁ、高すぎ……」


 高所恐怖症ではない僕でも、流石にこの高さはヒヤヒヤする。


「だから言ったでしょ、腰抜かさないでねって」


 僕の左側で早見さんがくすりと笑う。その笑顔に僕の胸はまた高鳴った。


 とはいえこの状態、どういうこと? なぜ僕は空を飛べているのだろうか。ここにきて急に潜在能力が目覚めてしまった的な……? いや厨二病か!


「この世界では、魔法が使えるの」


 僕の心の中を読んだのかのように、早見さんは教えてくれた。


「まあ、生田くんみたいな普通の人は使えないんだけどね」


「……早見さんは普通じゃないの?」


「ふふ、痛いとこつくね。さあもうすぐ着くよ」


 僕の質問にははっきり答えず、話題を変えられてしまった。だが、実際に事件現場(と言っていいのか)は、すぐそこに近づいていた。

 そこに見えたのは……

 

「なにあれ! 怪獣!?」


 大きなピンク色の怪獣がいた。まるで、あの有名な映画のキャラクターのようだ。しかし、僕が目にしたのはもっと可愛らしくて、子供が持っていそうな恐竜のぬいぐるみをそのまま大きくした、みたいな感じだった。


「生田くんは……このビルの屋上で待ってて」


 早見さんと僕は、現場から100メートルほど離れたビルの上に着陸した。

 短い浮遊体験、怖かったけど意外と楽しかったな。

 なんて考えていると、早見さんは柵に手をかけ、ジャンプして再び浮き上がった。

 

「危なくなったら逃げてね。終わったらまた来る」


「どこ行くの?」


「まあ、見ててよ」


 華麗なウインクを決め、制服のスカートをふわりと揺らして身を翻し、彼女は怪獣の元へと飛んでいった。

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