第2話
僕は思わず辺りを見渡す。目を瞑ったのはわずか2秒ほど。まだそこらへんにいるはず。
だが、早見さんの姿は、どこにもなかった。
おかしい。例え彼女はとてつもなく足が速かったとしても、後ろ姿ぐらいは見えるだろう。そもそも謎行動からの爆速ダッシュは流石にやばい人すぎる。
だとしたら、考えられるのは……
僕は自販機の元まで駆ける。おそらく、あの謎行動が、神隠しにつながるのではないか。安直すぎる予想だし、アニメかなんかの見過ぎだと、自分でも思う。
でも、目の前に現れたこの不可解な事件は、僕の心を過去最大級にワクワクさせるものだった。
深呼吸をし、自販機の右上のボタンに手を触れる。なにも起こらないかも知れないが、なにか起こるかも知れない。やってみる価値はあるはず。そう決心し、僕はボタンを押した。次に右下、そして左下、最後に左上のボタンを押す。そして、お釣りのレバーを押した。
お釣りのレバーは、ガチャ、と音を立てた。だがその音は、すぐに虚しく消えていく。
なにも、起こらなかった。
そう思った時だった。
急に地面の感覚が消える。下を見ると、僕が立っているところにだけ、丸く穴が空いていた。
「え」
口に出した時にはもう遅く、僕は穴の中に吸い込まれていた。
最初は、黒いトンネルのようなものの中を落ちていた。これはあれだ、市民プールで滑ったスライダーみたいだ。そんな呑気なことを考えていたのも束の間、足元に光が見えた。落ちるにつれどんどんと大きくなっていき、出口だと思ったのだが、いざ光に包まれると、そこは突き刺すように眩しくて、思わず僕は目を瞑った。
なにこれ! 今更ながら僕はこの状況の異常さに心の中で叫んだ。早見さんを見て、自販機のボタンを押して、お釣りレバーを押したらこんなことに。この行動に因果関係がないわけがない。誰か、説明を!!
気がつくと、平衡感覚が戻っていた。足が地面についている。それだけで少し安心した。だけど僕の視界は未だ暗黒に包まれていたので、恐る恐る目をあけた。
久々に目をあけると眩しく、僕は思わず目を細めた。だんだんと光に慣れていく中で、僕の視界が捉えたのは、自販機だった。
「うん?」
僕の口から言葉がこぼれた。目の前にある自販機。姿、形は先ほどのと全く同じだったが、色が違った。淡いピンク色。こんな色の自販機は見たことがない。
辺りを見渡すと、そこはやはり僕の学校の中庭だった。だけど僕は息を呑んだ。やっぱりまるっきり色が違う。まるで絵の具をぶちまけたようにカラフルだ。深紫色の葉をつけた木々。黄金色のベンチ。1本ずつ色が違うチューリップ。
僕は、ここが"異空間"だと身をもって感じた。今更ながら来てはいけない場所なのでは……と、少し後悔する。
「な、な、なんでいるの!!!」
いきなり、右側から大きな声が聞こえた。僕は反射的に顔を向ける。そこにいたのは……
「早見さん……! なっ」
僕の方こそ、なんでいるのと言いそうになったが、元々僕が早見さんの後を追ってきたのだ。なんとかその言葉を飲み込むことができた。危ない危ない、場違いな発言をするところだった……
「どうやって来たの? なんで来たの? ああ私もしかしてやらかした!?」
早見さんは早足で駆け寄ってきて僕に質問を浴びせてきた。現在混乱状態のようだ。何かずっとぶつぶつ言っている。こんな、わなわなした彼女は初めて見た。いやその状態をつくったのは僕か。
「あの、早見さん。ここ、どこ?」
「生田くん! なんで来たの!?」
状況説明ぐらいは欲しいと思ったのだが、彼女から返ってきたのはお叱りだった。
「ここは普通の人には危ないの! 今すぐ帰ったほうがいいわ!」
「こんなファンシーなのに?」
「ファンシーだけど!」
確かに見た目によらず恐ろしいキャラクターとかいるしな……ってそうじゃなくて。
「い、1回落ち着こうか、早見さん」
「落ち着いてられるかー!」
声を上げる早見さん。つい何時間前からは想像もできない姿である。お上品な早見さんはどこへやら。ここはもしかして、キャラ変した世界線?
「はあ、確かにちょっと荒ぶり過ぎてしまったかも。ごめんなさい」
いや、冷めるの早いな。まあその方が話しやすいから助かるけど。
「それで、ここは一体……」
「ここは……まあ、空間の狭間みたいなものね。うーん、詳しくは言えないんだけど。とにかく、今すぐここから去ったほうがいい。アレはいつ現れるか分からないから……」
「アレってなに? 空間の狭間? よく分からないんだけど」
「知らない方がいい」
そう言う早見さんの瞳は、真っ直ぐ僕を捉えていた。ここから先は聞くな、と言わんばかりに。
「さあ、戻り方を教えるから。すぐに戻って。いい? ここのことは、誰にも言っちゃダメだからね」
早見さんは人差し指を自身の口元に近づけた。少し色っぽいその仕草に、僕の鼓動が高鳴った。
その時だった。
いきなり遠くの方から耳をつんざくような轟音が聞こえた。僕と早見さんはほぼ同時に音の方へと顔を動かす。高く上がる灰色の煙。特撮アニメでしかみたことがないその光景に、僕は目を丸くした。
「ああ、どうしよう」
視界の端で、肩を落とす早見さんの姿が見えた。
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