第11話 瑠花視点
「じゃあ行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
お父さんがやっと仕事に行った
玄関でお父さんを見送ってからほっと息を吐く。1人の家は安心する。体と心がふっと軽くなったような気がする
お父さんが家にいるときは部屋にいることが多いけど、誰も家にいない時はリビングで生活することが多い。リビングにはソファがあるし、テレビが置いてあるから、録画しておいたアニメとかを見ることが出来る
いつも通りにそうしようとして、思いとどまる。今日は上井さんがうちに来るから、やらなければならないことがある
「はあ...」
目を逸らしていたことに、そろそろ向き合わないといけない
私はため息をつくと、重い足を引きずって部屋に戻った
「...」
うーん。結構散らかってるな
部屋のドアを開けると、上井さんの部屋とは大違いの散らかった部屋が目に飛び込んできた
昨日秋葉で買ったグッズ。寝る前に読んだ漫画。やろうと思って結局やらなかった、勉強机に広げておいた夏休みの宿題
割といつも通りの散らかり具合だ
うん。とりあえず掃除しよう
上井さんの部屋、凄く綺麗だったし、こんな散らかった部屋見せられない
掃除は苦手じゃない。ただめんどくさがりだから、やり始めるのに時間がかかる。週に一回掃除をしてはいるけど、その時は掃除機をかけるだけで、整理整頓とかはしない。私の部屋は少しくらい汚くても、お父さんは何も言わないからいつも適当だ
ぱっぱっと片付けていく、ついでに掃除機もかけて、普段やらない棚の上とかも綺麗にしておく。普段はベッドメイキングとかしないけど、今日はそこも綺麗にしておく
「よし」
30分くらいしてようやく掃除が終わった。久しぶりに私の部屋が綺麗になって、何だか他の誰かの部屋みたいだった
綺麗になった布団に飛び込みたくなるけど、せっかく綺麗にしたからぐっとこらえる
これで準備万端。いつでも上井さんを家に入れることが出来る
そう思ってからふと、まだ足りないものがありそうなことに気づく
部屋を出て、キッチンに行ってみる。冷蔵庫とか棚を開けてみると、そこの中はいつも通り、あまりものが入っていなかった。ジュースもお菓子もない。さすがにそれは良くないと思う。上井さんのお家でも出してもらったし
「コンビニ行くかー」
外は暑いから、今日は家から一歩も出ないつもりだったけど、しょうがないから出かけることにする
約束の時間まで、あと一時間くらい。そんなに余裕がないわけでもないけど、だらだらしてるような時間はない
着替えようとして、それはめんどくさいから止める。近くのコンビニに行くだけだし、部屋着のままでいいや
カバンに財布を入れてから、私は家を出た
「あっつ」
玄関を出てすぐに、家を出たことを後悔する
もうすぐお盆で、今が一番暑い時期だと思う。外は嫌になるくらい綺麗に晴れているから日差しが凄いし、セミの騒がしい鳴き声が、この暑さをさらにひどいものにしているような気がした
あまりの暑さにスマホの天気予報を見ると、最高気温35度だった。そりゃあ、暑いわけだ
部屋に戻ろうと勝手に足が動き出しそうになるけど、何とか踏みとどまってコンビニに向かう
5分くらいの道のり。普段ならあっという間に感じる道のりだけど、今日はやけに長く感じる。ちょっとしか歩いてないのに汗が噴き出てくる
そうしたことに我慢しながら歩いていると、何とかコンビニに着いた
店内は冷房が良く効いていて、汗が急激に冷えていく
きもちー
もう一生ここから出たくない
そんなことを思いながらも、足は自然にジュース売り場に向かって行く
何買おうかな
迷っていると、上井さんがどんなジュースが好きなのかあまり知らないことに気づく。いつもファミレスでドリンクバーを飲んでいるはずだけど、何を飲んでいるのかとか、全然気にしていなかった
サイダーとお茶買っとこうかな
この二つとも嫌いな人はそうそういないだろうと思って、その二つをとりあえずかごに入れておく。あとはお菓子だ
お菓子売り場に向かおうとして、体をそっちの方に向けると、見知った顔があった
やけに真剣にお菓子を睨んでいる
「上井さん?」
私がそう呼びかけると、上井さんの肩がビクッと上がったのがわかった
そんなに驚く?
「あ、小林さん」
「奇遇だね」
そう言いながら上井さんに近づいて行く。上井さんも私と同じようにかごを持っていた。覗いてみると、その中にはお菓子が入っていた。ポテチとチョコレート
「うちにお菓子持って来ようとしてくれてる?」
「うん」
「気を使わなくていいのに。でもありがと」
上井さん、しっかりしてるな。私この前上井さんのおうちに行ったとき手ぶらだったけど、よくなかったかな
でも中学の時は、誰も友達のおうちに行くときに手土産なんて持って行ってなかった。高校生になってからは、上井さんのおうちにしか行ったことないけど、皆はどうしてるんだろう
上井さんがしっかりしすぎているだけなのか、私がだらしないのか、判断に困る
「小林さんは何か好きなお菓子ある?」
今度上井さんのおうちに行くときは、私も何か買って行こう。そんなことを決めていると、上井さんが好きなお菓子を聞いて来た
「うーん、何でも好きだよ。そのポテチもチョコレートも好きだよ」
「本当?」
「うん。というか、普段あんまりお菓子とか食べないから、お菓子に関してはあんまりこだわりがないんだよね」
うちには基本的にお菓子とか置いてないから、自分のお小遣いで買うしかない。でもお小遣いはグッズとか本を買うのに使いたい。だから私は普段あまりお菓子を食べないのだった
「ふーん。じゃあこれ買ってくね」
「うん。ありがとう。飲み物なんだけどさ、上井さんは何が好き?」
「だいたい何でも好きだよ。サイダーもお茶も好きだよ」
私のかごの中身を見て、上井さんがそう言う
「本当?」
「本当だよ」
上井さんが笑いながらそう言う。何だか数秒前とほとんど同じような会話をしてしまったような気がして、私も笑ってしまった
上井さんが先にレジに行く。その背中を追おうとしてから、止めてスイーツのコーナーに向かう。シュークリームを二個かごに放り込んだ
「シュークリーム食べれる?」
「あ、うん。好きだよ。ありがとう!」
レジですれ違う時に聞くと、上井さんが嬉しそうな顔をしてくれた
買い物を済ませて2人で並んで歩く。2人で歩くと、さっきまでより暑さがいくらかましになったような気がした
「このまま真っすぐうちに行って良いの?」
「え、うん。何で?」
「まだ8時半にもなってないし、何か他に用事があったのかな?って思ってさ」
いつも私たちは9時頃に図書館に行くから、今日は私の家に9時に集合することになっていた。まだ約束の時間まで30分以上あるから聞いてみたんだけど、上井さんの反応を見るに、用事があった訳でもなさそうだ
「ああ...何もないよ。ただ家でじっとしてられなくて、何となく出てきちゃったんだ」
「ふーん」
家でじっとしていられなかった。何だか色んな受け取り方が出来る答え方だったから、私の反応はそんな微妙な反応になってしまった
ただ家で暇だったからなのか、私の家に来ることが楽しみでしかたなかったのか、それとも上井さんの親が喧嘩をしていたのか
花火大会に行ったとき、上井さんの親の喧嘩はなかなか激しそうだった。うちの親がキレたって、お皿が割れたりはしない...まあジャガイモが飛んで来たりするから、奇跡的に割れていないだけかもしれないけど
あの時の上井さんが無理に作った笑顔を思い出すと、胸が苦しくなる。あの諦めたような笑顔と、上井さんがあまり驚いていなかったことから、あれがあの日だけの事じゃないことはわかった
きっとあれはよくあることで、上井さんはあの人たちのせいで、家に居辛くて図書館に来ているのだろうと思う
今日はどうなんだろう?
上井さんの顔を覗いてみる。凄く楽しそうに見える。その笑顔に暗い感じは一切ない
「どうしたの?」
上井さんの顔を見ていると、それに気づいた上井さんがこっちを向いた
「ううん。何でもない」
上井さんから目を逸らして前を向く
「冷房つけっぱなしで来たから、私の部屋は涼しいと思うよ」
「あ、それ助かる。すっごく暑いもんね、今日」
上井さんと出会って、私の日常は変わった。つまらないと思っていた土日や放課後が楽しいと思えるようになった。そういう日々のおかげで、家でお父さんと2人でいることは辛いけど、前ほど傷つかなくなった
私も、上井さんにとってそういう人でいたいと思う
ずっと上井さんには笑顔でいて欲しいし、あんな苦しそうな笑顔はして欲しくない
特別なことは何もできないけど、今日を楽しく過ごすことが、それに繋がると思いたい
「今日は私の秘蔵のコレクションいっぱい見せてあげるね」
「あはは。うん、楽しみにしてる」
「立派なマンションだね」
うちを見上げて上井さんがそう言った
そうだろうか。マンションなんてどこもこんな感じな気がするけど
少なくともうちはタワマンではないし、そこまで高級なマンションじゃない気がする。うちの値段なんて調べたことないからわからないけど
「普通じゃない?」
そう言いながら、鍵を回してオートロックを解除した
歩きなれたマンションの共有部を並んで歩く。隣に上井さんがいるのが変な感じがして、いつもと違う道を歩いているみたいだった
エレベーターに乗って8階に上がる
エレベーターから出てすぐの部屋が私の家だった
上井さんはマンションに入ってからずっと、珍しいものを見るように辺りをキョロキョロと見回している
可愛らしい。なんて思ってから、まあ私も上井さんの家に行ったときはこんな感じだったのかもしれないと思い直す
「お邪魔します」
「うん。いらっしゃい」
私の家に友達を呼ぶのは小学生以来かもしれない。お父さんに友達を会わせたくないから、家に呼べるのは夏休みくらいのもので、中学生以降ではそういう機会がなかった
「ここが小林さんの部屋なんだ」
「うん」
「可愛い部屋だね」
「そう?普通の部屋だと思うけど」
上井さんが目を輝かせながら私の部屋の中をキョロキョロ見ている
見られてもいいように出かける前に綺麗にしたけど、結構恥ずかしい
何か変なところないよね。なんて思いながら、私も一緒になって部屋の中を見回した
「ちょっとコップ取って来るね」
「うん。ありがとう」
まだ心配だったけど、いつまでも自分の部屋を眺めている訳にもいかないから、私はそう言って、キッチンに向かった
シュークリームは一旦冷蔵庫にしまってから、棚からコップを取り出す
お客さんなんて滅多にこないし、お父さんが誰かにお茶を出しているところなんて見たことがないけど、何故か棚にはたくさんのコップがある
その1つを取り出して、たぶん随分使ってないコップだから、一応洗ってから、また自分の部屋に向かった
部屋に入ると、上井さんはまだ立っていた
座ったら?なんて言おうとしてから、そう言えば、座るようなところがないことに気づく
上井さんの部屋みたいにカーペットなんて敷いてないし、椅子も、勉強机にあるやつしかない。床に座らせるのも、申し訳ないような気がする
そしてコップを持ってきたはいいものの、そのコップを置くような場所がないことにも今更気が付いた
上井さんの部屋には、ちゃぶ台くらいの高さの机があったけど、私の部屋にはそんなものない
困ったことになったな。そう思いながら少しの間考えて、それから、これしかないかなというものを思いつく
「上井さんはここに座って」
そう言いながら、私はベットをペシぺシと叩いた
「え」と上井さんが驚いたような声を上げる
「ごめん。椅子もカーペットもないから、ここくらいしか座るところないんだ」
私がそう言うと、上井さんは何回か頷いて、「じゃあ座るね」と小さな声で言って、静かに私の布団に腰を下した
その声も動きも、何だかぎこちないような気がした。人の布団の上に座ることなんてあまりないからかもしれない
上井さんにはベットの枕側に座ってもらって、コップをベットの頭の方についている微妙に狭いスペースに置く
普段は漫画がびっしり乗っているけど、片付けておいて良かった。私のコップはタンスの上に置く。私の胸くらいの高さがあるタンスの上に置くと、座ったときに取るのが若干めんどくさいけど、それは我慢することにする
「あ、そうだ」
ベットから立ち上がって本棚に向かう。一番下の段から画集を引っ張り出して、上井さんに渡した
「はい、これ」
「あ、ありがとう」
そう言えば、私最近この画集見てなかったな。私も一緒に見よう
そう思った私は、上井さんのすぐ隣に腰を下した
画集は一番最初のページが開かれている。砂浜を女の子が歩いている絵。背景がリアルだし、白いワンピースを着た清楚な雰囲気の女の子が可愛い。私が好きな絵の1つ
久しぶりに見ると、やっぱりこの人の絵良いなと思う。しばらくその絵を見ていると、上井さんがページをめくらないことに気が付いた
私に気を使ってくれているのか、それともこの絵がそんなに気に入ったのか。それを確認するために上井さんの方を向くと、上井さんは絵じゃなくて、私を見ていた
目が合うと思わなかったから、少し驚いてしまう
「え、どうしたの?」
私がそう聞くと、上井さんの目が泳ぎだした
「ううん、何でもない」
そう言って、慌てたような感じで上井さんが視線を画集の方に戻す
全然何でもない感じじゃない
何か嫌なことでもあったのかな
そう思うともやもやして、このまま画集を見る気にはなれなかった
ちゃんと話して欲しくて、上井さんの手を握ると、慌てたように上井さんが私の方を向いた
「何かあったらちゃんと言って?」
上井さんの目を真っすぐに見つめてそう言うと、上井さんは俯いてしまった
しばらく無言の時間が流れる
私は急かそうとはせず、上井さんが顔を上げるのをただ待った
そうしていると、上井さんがまた顔を上げた。その顔はいつもよりも赤いような気がする
「その...」
「うん」
やっと口を開いた上井さんの声は少し震えていて、何を言われるんだろうと、少し緊張してくる
「ハグしてもいい?」
「え、ハグ?」
なんで?
「うん」
「いいけど...」
私がそう言うと、本当に良いの?と言いたげな不安そうな目で上井さんが私のことを見る。それに答えるように手を横に広げると、上井さんがゆっくりと私に近づいて来た
「...」
「...」
上井さんの柔らかい体に、私の体が包まれる
思えば、私から抱き着いたことはあったけど、こうして抱きしめられるのは初めてのことだった
前に私から抱き着いたときも安心感を感じたけど、今はこの前以上にそういうものを感じる
お母さんとハグした記憶なんてないけど、きっと物語とかでお母さんに抱きしめられるシーンは、こんな感じがするんだろうと思う
こうして正面から抱き着くと、上井さんの胸が私に当たる。私と違って大きい上井さんの胸が当たるのは、少しドキドキする。他の人とハグをしたことないからよくわからないけど、これは普通の感情なのだろうか
安心感とドキドキを同時に感じるのは何だか不思議な感じだった
しばらくそうして抱き着いていると、上井さんの首筋が匂いが強いのを感じた。それに釣られるように、無意識に首筋に鼻を当てて、息を吸い込む
「んっ」
すると、上井さんが少し高い声を出しながら、体をよじった
「くすぐったい」
「ご、ごめん」
自分がしたことを自覚して、慌てて鼻を首筋から離す。顔と体が一気に熱くなる
「んっ」
すると急に、上井さんも私の首筋の匂いを嗅ぎ始めた。私も上井さんと同じように声が出て、体が勝手に動く
「仕返し」
小声で、だけど楽しそうに上井さんがそう言う
こっちは恥ずかしくて爆発しそうなのに、上井さんは楽しそうなのが納得いかないけど、先にやったのは私だから文句も言えない
上井さんはどうして私に抱き着きたいと思ったんだろう?
この前の私のように、私に甘えたいと思ったのだろうか
いくら考えてもそんなことわからない
この前の私は、眠いから抱き枕にさせて欲しいという言い訳を使って抱き着いた
だけど今日はそういうものはない
なんの言い訳もなく、私たちはただハグをしている
ほとんど無言で、きっともうすぐ10分くらい経つ
こんなことをしていると、まるで恋人みたいだと思う
そう思ってしまうから、私は上井さんにどうして抱き着くのか聞くことが出来ない
きっと聞いたら、この時間は終わってしまう。もしかしたら、私たちの関係が変わってしまうかもしれない
私はまだ、私が持っている気持ちがどういうものなのかわからないし、上井さんの気持ちもわからない
だから怖い
でもこういう時間を過ごすのは悪くないと思う。ずっとこうしていたい。このドキドキと安心感は、今まで感じたことがないもので、癖になってしまいそうだった
「ねえ」
「何?」
「明日もうちに来てよ」
だから私は、こういう時間を明日も過ごせるように、上井さんにそう言った。さすがに外では抱き合うのが難しいから
「いいけど、どうしたの?」
「外暑いし、上井さんがうちに来てくれると楽でいいなって」
「あはは。あんまり冷房に当たり過ぎると体に悪いよ」
私はまた言い訳を使う
上井さんを家に呼ぶ言い訳。ここでこうして過ごすための言い訳
たぶん私は、私の気持ちに半分くらい気づいているけど、それに見ないふりをするために
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