第7話 えむ視点
学校が終わる。美玖や志歩と話しながら学校を出て、2人と別れて駐輪場に向かう
「上井さん」
そしてしばらくすると、小林さんが私の名前を呼びながら走って来た
たぶん、私が教室を出るのを見てから急いで出てきたのだろう
振り返って足を止めて、小林さんのことを待つ
最近、小林さんは変わった
どういう心境の変化があったのかわからないけど、ここ最近は毎日一緒に帰っている。そして、毎日一緒に図書館で過ごすようになった
私と小林さんが一緒に過ごす時間が、今までよりも格段に長くなった
「一緒に帰ろう?」
「うん、いいよ」
小林さんと並んで、駐輪場までの道を歩き出す
隣を見ると、今までよりも私の近くを小林さんが歩いていた
毎日一緒に帰るようになってから徐々に、小林さんとの物理的な距離が縮まっているような気がする
不意に隣を見ると、随分近くに小林さんがいることがあって、ドキッとしたりしてしまう
懐かれたなー
そう思って、くすぐったくなって、それを誤魔化すように小さく笑う
そんな私たちだけど、相変わらず学校で話すことはない
でもその暗黙の了解も徐々に崩れていくのだろうと思う。だってこの駐輪場ではこんな風に話しているのだから
私の中でも、きっと小林さんの中でもこの駐輪場は学校ではないと認識しているから、まだぎりぎり崩れていないだけのこと
まあ私は学校で小林さんと話しても良いと思っている。そうすると、美玖や志歩からの質問がそれなりにありそうなのが面倒だけど、小林さんはどう思っているのだろうか
「えむー、進藤のこと知ってる?」
ある日の朝、美玖は教室に入るとすぐにそう聞いて来た。朝からどことなく楽しそうだった
進藤という名前には聞き覚えがあった
「うちのクラスの?」
「そうそう。あいつ昨日告白して振られたんだって」
この時期にはよくあることだと思う。夏休み前に告白して、楽しい夏休みを過ごしたいと思う人たちはそれなりにいるものだ
「可哀そう。誰に?」
「小林だって」
「え...」
小林さん?
「うちのクラスの?」
「そう。その小林」
一応確認すると、やっぱり小林さんのことだった
昨日一緒に帰ったのに、そんな話少しもしていなかった
そう言えば、一昨日は珍しく一緒に帰らなかった。その時に告られたのだろうか
「小林ってモテるらしいね」
「え、そうなの?」
そんな話聞いたことなかった
「うん。告白したって言う話は進藤のくらいしか知らないけど、小林のことが好きな人って結構いるみたいだよ。確かに可愛いもんね、小林ってさ。小さいし童顔だし、羨ましいなー」
美玖もそう思ってたんだ。学校で小林さんの話を誰かとすることってほとんどなかったから、人から見た小林さんの感想を聞くこともほとんどなかった
私だけじゃなく、美玖までそう思っているということは、多くの人がそう思っているんだと思う
確かに小林さんは可愛い。あまり社交的な性格ではないけど、その可愛い容姿と、少し気が弱そうな感じは男受けしそうな感じはある
小林さんにいつか彼氏が出来る日が来たりするのだろうか。ありえない話じゃない。可愛いし、美玖曰くモテるらしいし
そう考えた時、何故か胸の奥がもやもやしたような気がした
そんな感じになるのは、自分では結構意外だった
誰に彼氏ができたって、私にはほとんど関係ないはずなのに。今まではそう思って生きて来たはずなのに
きっとここ最近、小林さんと一緒にいる時間が長くなっているせいだと思う。土日も平日の放課後も毎日小林さんと一緒にいて、私の隣に小林さんが居ることが当たり前になっている
1人で過ごすことに何の苦痛も感じなかった私は、小林さんのせいで変わってしまった。きっと今一人になったら、私はもの凄く退屈を感じてしまうのだろう
「小林って好きな人いるのかなー」
「さあ...」
何となく興味のないふりをするけど、小林さんにそういう人がいるのか凄く気になった
帰り道、いつもの様に並んで自転車を漕ぐ
いつもと変わらない様子の小林さん。まあ一回告白されたくらいじゃ、それも断ったんだったらそんなに変わらないものだろうと思うけど、そういうことを話してくれないのは寂しいというか何と言うか。こんなにも普段と変わらないと、隠されているような気にもなって、もやもやする
「小林さんさ、進藤君に告られたって本当?」
「え...」
私がその話題を振ると、小林さんは驚いたようにこっちを向いた
「良く知ってるね」
「何か噂になってた」
「へえ」
「振ったの?」
「うん」
どうやら噂は本当だったらしい。振ったということも
そのことは私のことを少しだけ安心させた
「何で振ったの?そんなに悪くないような気がするけど」
確か進藤は、バスケ部で、それなりに身長も高くて、顔はたぶん普通で、それなりにコミュニケーションも取れる人だったと思う。あまり興味がないからそんなに知っている訳でもないけど、そこそこモテそうな雰囲気がありそうな気がする
「別に嫌だった訳でもないけど、あんまり話したことないし、今は彼氏とかいらないから」
「ふーん」
今は彼氏とかいらない。か
何でだろう?
あまり周りにそういう人がいないからよくわからない。美玖も志歩も彼氏いるし
私の場合は、両親があんなんなせいで、男女の仲に理想が持てなくなって彼氏とかいらないと思っているけど、小林さんはそんなことないと思うし
恋愛に興味ない感じでもない気がする。小林さんが貸してくれる本の中には恋愛小説もそれなりにあったし
「そんなことよりさ、上井さん勉強してるの?」
「勉強?」
急に小林さんが話題を変えてくる
何で急に勉強?
そう思っていると、小林さんにため息を吐かれた
「あと2週間で期末テストだよ。その調子だとまだ勉強してないでしょ?」
「うっ」
え、もう中間テスト終わってからそんなに経った?
あと1か月くらいある気がしていた
「まあでも、まだあと2週間あるし」
「中間テストの時もそんなこと言って、赤点取りまくったんでしょ?」
「うっ...はい、そうです」
小林さんの言い方に容赦がない
「今日から一緒に勉強しよっか」
「え、小林さんと?」
「うん」
小林さんの突然の提案に驚く
「どうしたの?急に」
「上井さん勉強苦手みたいだし、今から一緒にやっといた方がいいかなって。留年されても困るし。ノートも取ってないでしょ?」
「はい。取ってないです」
きっちり私が授業中ボーっとしていることもバレている
勉強かー
小林さんとするのは良いけど、今日からしないとダメかな?
勉強したくない。でも前回赤点取りまくってるから、しないとまずい
「明日からじゃだめ?」
「ダメ。今からハンバーガー屋さんで勉強しよう?」
「うう...わかった」
2人でハンバーガー屋さんに向かう
向かう先が図書館じゃないのは、あそこの自習室は席が少なくて基本空いてないから
それに静かすぎるから、勉強を教えることもしにくい
目的地に着くと、ポテトとジュースを頼んで、2階の一番隅の席に向かう
私が奥の席に腰を下すと、後から小林さんが私の隣に腰を下した
「何で隣?」
「こっちの方が教えやすいじゃん」
まあ確かに
そう納得はするけど、いつも向かい合って座っているから、違和感が凄い
勉強を始める。とりあえず、数学の問題集を開いてみる。だけどしょっぱなから全然わからない。こういう問題に見覚えはある。高校受験の時には出来ていたような問題で、まだまだ基礎って感じの問題なのに全然わからない
高校受験の時にあんなにやった勉強は、ここまでの高校生活の間に全部抜け落ちてしまったらしい
「はあ...」
ため息を吐くと、自分の勉強をしていた小林さんがこっちを向いた
「何かわからないの?」
「うん、ちょっとここがわからなくて」
そう言いながら問題集を小林さんのほうに寄せようとしたとき、それより先に小林さんの体が私の方に寄せられた
小林さんの腕と私の腕が完全に密着する
ドキッと心臓が跳ね上がったような気がした
私より少し小さい小林さんの頭が私の肩くらいにあって、シャンプーの柔らかい匂いがする。首に当たる小林さんの髪の毛が少しくすぐったかった
「因数分解苦手なの?」
「中学の時は苦手じゃなかったはずだけど、全部忘れた」
問題集からは完全に意識が逸れて、小林さんに全部の神経が集中していた。気のせいかと思っていたけど、やっぱり私の心臓はいつもよりも少し早く脈打っている
「この問題だったら公式を使うまでもないよ。Xの前の数字、この場合は6だけど、答えが6になる掛け算の組み合わせをまず考えるの。それで...」
おかしいと思う。女の子が相手なら、こんな距離で話すことだって偶にはあった
まあそこまでたくさんある訳でもないけど
小林さんって仲良くなると、距離感バグるのかな。ちょっと近すぎない?
でもいくら近いからって、こんなにドキドキするのはおかしい気がするし、そうでもない気もする
わからない。でもとにかく勉強どころじゃなかった。小林さんが何か説明してくれてるけど、全然耳に入ってこない
「わかった?」
説明を終えたらしい小林さんが、教科書から目を離して私の方を向く
至近距離で小林さんと見つめ合うことになる。私の心臓の鼓動は、また激しさを増した
くりっとした目、柔らかそうな頬、ほんのり赤い唇。小林さんの顔から目を離すことが出来ない。何か言わないといけないのに、頭が真っ白でそれどころじゃない
「上井さん?」
「ごめん、聞いてなかった」
動かない頭で何とかそう答えると、小林さんの頬が少し膨らんだ
「むー」って言って、怒ってる
可愛い
そう思って、気が付いたら私の手は小林さんの頬に伸びていた
「むぐっ」
思った通りの柔らかさと温かさが、私の手のひらから伝わって来る
ムニムニとその頬を揉んでみる
「うゎにするの?」
私が頬を揉んでいるせいで、小林さんは上手く話せない。離さないとって思うけど、もう少しこうしていたい。小林さんも「何するの?」なんて言いながらも、私の手を掴んで来たりはしない
しばらくその頬を堪能する
「小林さんのほっぺ、もちもちだね」
ずっと触っていたいけど、そろそろやり過ぎかな。と思った辺りで手を放してそう言うと、小林さんが不服そうな顔をした
「太ってるってこと?」
「ふふ、そんなことないよ。しかもめっちゃすべすべだね。いい化粧水使ってる?」
「別に、普通のしか使ってないよ。安い、青いパッケージのやつ」
「ええ。それでその感じなの羨ましすぎる」
私がそう言うと、小林さんの頬が少し赤く染まったような気がした
「もう私の話は良いでしょ。勉強するよ」
小林さんの視線が私から離れて、問題集の方に向く
私もそれに合わせて、問題集を見た
鼓動はまだいつもよりは早いけど、それにも少し慣れた
今なら、この状況でも問題を解ける気がした
「小林さん、もう一回教えて?」
「ちゃんと聞いててよ?」
「うん」
小林さんの説明に集中する。小林さんは教えるのが結構上手いのかもしれない。全然わからなかった問題が次々と解けるようになる
先生の話は右から左に流れて行ってしまうけど、小林さんの説明は、ちゃんと私の中に入ってきて、私の中に刻まれていくような気がする
それに、先生の話と違って眠くなったりもしない。その鈴のような綺麗な声は、ずっと聞いていたくなる
「もう6時だね」
2人で勉強をしていたら、気が付いたらそんな時間になっていた
勉強をしていて、こんなに時間が早く流れたのは初めてのことかもしれない
「今日はもうおしまいにしよっか」
「やったー」
そう言って伸びをすると、ぽきぽきと体のどこかの関節がなった
気持ち―って思っていると、それを見た小林さんが笑っているのが見えた
「今日はありがとね」
「うん。明日も一緒にやろうね」
「うん。よろしく」
明日は平日なのに、当たり前の様に明日も会う約束をする
私の家の夕飯は6時半からだから、あまり時間の余裕はなくて、急いでお店を出る
お店の外は夕焼けでオレンジ色に色づいていた
隣を見るとすぐそこに小林さんがいて、やっぱり以前よりも近くを歩いている
でもさっき勉強していた時よりは遠くて、そのことが私を落ち着かなくさせた
私は自分から、小林さんとの距離を詰める
最初に肩が当たって、それから腕が当たって、手の甲が当たった
小林さんが不思議そうな目で私を見る
「どうしたの?」
「んー、何か寒いなって思って」
もうすぐ季節は夏になる。全然寒くなんてなかったけど、適当にそんなことを言ってみる
「ふーん...まあ確かに温かいね」
小林さんは離れていくことなく、そのまま歩いてくれる。近すぎてちょっと歩きにくいけど、ずっとこのままでいたいと思う
駐輪場はお店から少し離れているとはいえ、あと3分もかからずについてしまう
ずっと着かなければいいのに
そんなことを思いながら、私は出来るだけゆっくりと足を前に進めるのだった
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