第6話 瑠香視点

ベットに寝っ転がりながらスマホをいじる

画面の中では、キャラクターの絵が描かれたパズルが次々とはじけ飛んでいる

上井さんからこのゲームを勧めてもらってから、そこそこの時間が経った。私もだいぶ上達して、あの日はるか遠くに見えた雫の背中に、もうすぐ追いつけそうな気がしている。パズルを消す指の動きに以前は少し迷いがあったけど、今はほとんど何も考えずに反射的に動かせている


時計の針は12時少し前を指している。日曜日にこの時間まで家にいるのは凄く珍しいことだった

いつもは9時前後に家を出て、あの図書館に行くから


何でこんな時間に家にいるのかと言えば、今日は年に2,3回ある、お母さんと会う日だから

12時に家に迎えに来てくれるって言っていたから、そろそろ来ると思う


リビングの方からは、父親の出す生活音が聞こえてくる。別に怒ってる訳じゃないと思うけど、私の心臓はきゅっとなってしまう

早く来ないかな


そう思っていると、スマホが鳴った


《着いたよ》


スマホを開くとそんなメッセージがお母さんから来ていた

ベットから体を起こして、カバンを取ってリビングに向かう


「お母さん着いたみたいだから、行って来るね」

「ああ、行ってらっしゃい。お母さんによろしく」

「うん」


何事もなくお父さんとの会話を終えて、家を出る。別にあの人も、ずっと怒っている訳ではないのだ

マンションの階段を下りて外に出ると、何回か見たことがありそうな軽自動車が見えた

恐る恐る中を確認すると、そこにはお母さんが助手席に乗っていた。そして運転席には知らない男の人が乗っている


私はほっとしながら、車の後ろのドアを開けた


「瑠香!久しぶりー」

「うん、久しぶり」


ドアを開けると、お母さんが嬉しそうに私に挨拶をした

私はいつものそこまで高くないテンションで挨拶を返すと、車に乗ってドアを閉めた


「この人は、私が今一緒に住んでいる田中さん」


お母さんが運転席に座っている男の人を紹介する。この人が今のお母さんの彼氏らしい。

そんなにカッコいいわけでもないけど、優しそうに見える人だった。少しふっくらしているけど、ニコニコしていて明るそうに見える


「田中です。こんにちは、瑠香ちゃん」

「瑠香です。初めまして」


一通り挨拶を済ませると、車が動き出した


「高校はどう?」


お母さんにそう聞かれる。そう言えば、高校生になってからお母さんに会うのはこれが初めてだった


「ぼちぼち。中学の時とそんなに変わらないよ」

「瑠香ちゃんは部活とかやってるの?」

「やってないです。家で本を読むのが好きなので」

「瑠香は本当に昔から本読むの好きよね。私とは大違い」


和やかな雰囲気で時間が流れていく

良かった。きっと私とお母さんの2人だとこういう感じにはならない

年に2,3回しか会わない人なんて、他人とほとんど変わらない

私とお母さんの間にある共通の話題なんて限られていて、2人だと会話が途切れて気まずく感じてしまうことが多かった


だから私は、お母さんの彼氏とかが一緒にいてくれると安心する

気が付いたらほとんど前に座っている2人が話してくれていて、私は時々相槌を打つだけ。それくらいの立ち位置の方が気が楽でいい


会話に頭のリソースをほとんど割かなくなったことで、私の思考は図書館に飛んでいく


上井さん、今頃1人で図書館にいるのかな?

きっとそうなのだろう。そのことが少し申し訳なく思う

そしてそう思ってから、申し訳なく思った私に苦笑する


ちょっと前まではお互い1人で過ごしていたのに

気が付いたら随分仲良くなったと思う。昨日は一緒に洋服を買いに行った。そんなことをするのは、今まで雫とくらいだった


楽しかったな


上井さんが選んでくれた服を着るのは少し恥ずかしかったけど、あんなに喜んでくれるなら着てみた甲斐があったし、私が選んでくれた服を着てくれたことも嬉しかった。一緒に食べたクレープは美味しかったし、偶にはああいうことを一緒にするのも良いと思う


次に一緒に一日過ごすのは来週の土曜日だろう。その間に、何回か一緒に帰ることが出来るだろうか

来週の土曜日がひどく遠くに感じる。そしてそう感じると、この車から降りて図書館に向かいたくなる


前はそんなこと思わなかった。お母さんと一緒にすごす日をどちらかと言えば楽しみにしていた。それはお母さんと一緒に過ごすのが楽しいからとかではなくて、土日なのにお父さんと一緒に夕飯を食べずに済むから。お母さんはお父さんとは違って暴力をふるったり、私の前で機嫌が悪くなったりはしないから


なのに今は帰りたくて仕方ない。そのことは、いつの間にか私の中で上井さんの存在が凄く大きくなっていたことを実感させた


「瑠香ー、お昼は美味しいパンケーキ食べに行こうね」

「うん、楽しみ」


帰りたいという感情を塗りつぶすように笑顔を浮かべて、私はそう答えるのだった



月曜日がやって来る

変わり映えしない学校生活だった。長い授業を5つ何とか耐えると、やっと放課後になる

ホームルームが早めに終わったから、雫の部活が始まるまで少し時間があった


「雫―、瑠香ー」


詩乃が、私たちの席に近づいて来た

学校ではこの3人で話すことが多いけど、詩乃だけは席が離れているから、いつも寂しそうにしている。詩乃も雫と同じテニス部だ


「部活サボってファミレスでだべろうよ」


私たちの席に着くや否やいきなりそう言う詩乃

詩乃はいつもそんなことを言っている


「ダメに決まってるでしょ」


雫がそう言って詩乃を窘める。いつも詩乃は雫に首根っこを掴まれて、ずるずると部活に連れて行かれるのだ


「だってー、今日筋トレの日だよ?」

「まあそれは怠いけどさ。頑張ろうよ」


詩乃を励ます雫もだるそうにしてる


「そんなに大変なの?」

「そりゃあもう。2時間くらいずっと筋トレしてるんだよ?」

「うわぁ」


そんなの絶対にやりたくない。筋トレなんてちょっと太ったときに、腹筋を10回やるくらいだ。そんなの5分も経たずに終わるけど、2時間もどこ鍛えるんだろう?


そんな話をしていると、視界の端に上井さんが映った

遠藤さんと菊池さんと3人で教室を出ていく


もう帰るんだ


部活が始まるまでもう少し時間があるみたいで、このまま2人と話していたら上井さんと帰ることはできないと思う


いつもだったら、そのことに何も思わないだろう

だけど今日は、昨日上井さんと一緒に過ごせなかったせいか、一緒に帰りたいと思う


「どうしたの?瑠香」


上井さんが出て行ったドアをじっと見ていたから、雫にそう聞かれる


ううん、何でもない


いつもの私ならそう答えるはずで、今もそう答えようとするけどできない

私は席を立った

2人が驚いたような顔で私のことを見上げる


「ごめん、用事あるから帰るね」

「え、急にどうしたの?」

「お父さんに買い物頼まれてたの忘れてた」

「ふーん...まあいいや。また明日ね」


雫が怪しんでいる気がする。咄嗟に吐いた嘘も信じてはいないと思う

でも雫は優しいから、そこを突っ込んだりはしてこない


「うん、また明日」


私はその雫の優しさに甘えて、教室から飛び出した

早足で廊下を歩いて、外に出る


すると、校舎から少し離れた駐輪場から上井さんが出てくるところがちょうど見えた。自転車に跨って、今にも漕ぎ始めて、私の視界から消えそうになる


「上井さん!」


この声は何とか上井さんに届いたみたいだ。漕ぎだそうとしていた足は地面に着いていて、驚いたような顔で私のことを見ている。その顔とこの状況は、初めて上井さんに話しかけた時のことを思い出させた


こんな風に上井さんを呼び止めるのは二度目で、あの時ぶりだと思う。そりゃあ驚くと思う。学校ではあまり話さないようにしているのに、こんな大きな声で私に呼ばれるんだから


私は駆け足で上井さんに駆け寄った


「どうしたの?」

「一緒に帰ろう?」


不思議そうな顔をして聞く上井さんに私がそう答えると、一層驚いたような顔をした


「え、それだけ?」

「うん、ダメ?」

「ダメじゃないけど...」

「自転車取って来るから待ってて」


戸惑っている上井さんに、わざと何でもないことの様に答えて、私は自転車を取りに駐輪場の奥に進んだ


上井さんと並んで、自転車を漕ぐ

最近ではこれも割とよくあることで慣れてきていたけど、今日はいつもと少し違って感じる


たまたま会って、何となく一緒に帰っていた今までとは違う。私が上井さんを呼び止めて、私の意思で一緒に帰ろうと言った

そのことが私の心をむずむずさせて、少しふわふわしてしまう


「小林さんてさ、斎藤さんとか結城さんといるときどういうこと話すの?」


さっきまで戸惑っていたように見えた上井さんだけど、いつの間にかいつもの上井さんに戻っていた。いつもと変わらず色々な話題を振ってくれて、段々私もいつも通りに戻って行く


「2人の部活の話を聞いたり、2人とも私と同じような趣味を持ってるから、アニメとかラノベとかそういうのの話をするよ」


何でもないような話をして、家までの道を進んで行く

自転車を降りて坂道を登って、後はこの坂を下ればあっという間に家に着く


「上井さんは今日も図書館に行くの?」

「うん。行くよ」

「そっか。じゃあ私も今日は図書館に寄ろうかな」

「え?」


今日二度目の、上井さんの驚いたような顔

いつも通りの私に戻ったと思っていたけど、そんなことなかった。気が付いたら、今までならたぶん言わなかったであろうことを口にしていた


上井さんの驚いたような視線から目を逸らすように、私は顔を前に向けた


「どうしたの?急に」


本当に、どうしたんだろう、私は


「んー。昨日図書館に行けなかったから、今日は行こうかなって」


これは嘘じゃない

だけど、これが理由のすべてという訳でもない。と思う

自分でもよくわからないけど、今日はもうちょっとだけ上井さんと一緒にいたかった


平日はお父さんが家にいないから、図書館に行く必要がなかった

あそこはお父さんから逃げる場所であって、誰かと会う場所じゃなかった


「そうなんだ」

「うん。この前上井さんに貸した本、今日も持ってるよ」

「本当?じゃあ今日はそれ読もうかな」


でも今は、図書館に行けば上井さんがいる

1人で家にいたって、どうせ本を読んだりゲームをしているだけ

だから上井さんと一緒にいることを選ぶ方が、そっちの方がいいと思う


その方がきっと、私は楽しい時間を過ごせるはずだから

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