【SF小説】 ぷるぷるパンク 第13話 祈る人

●2036/ 06/ 20/ 21:44/ 管理区域内・平泉寺邸


「小舟・・・。」後に続く言葉を失い、ぼくはただ、小舟を見つめた。


 がらがらと内側から曇りガラスの引き戸が開くと、そこには小舟が立っていた。当たり前のようにそこにいて、当たり前のように微笑んでいる。


 軽やかな夜の虫に時々混じるカエルの声。そしてどこからかうっすらと聞こえる小川のせせらぎ。蚊取り線香の匂いが強くする中で、時折ちかちかと点滅する青白い蛍光灯に照らされて、ばたばたと階段を降りて現れたのは小学生くらいの少年だった。


 彼は目をこすりながら独特のイントネーションで小舟の名前を呼ぶと、玄関の外に立つぼくらに気がついて急に姿勢を正した。

「クズリュウ。」ぐったりとしたサウスの頭越しにノースが戸惑いの視線をぼくに送る。

「あ、こ、小舟。小学校の同級生。」目の前にいる小舟を紹介しても、疑念の籠ったノースの視線は小舟に向かず、ぼくの目から離れない。


「中に入って。」小舟がその小さい体で、硬直するぼくとノースの間に割って入り、サウスを抱きかかえると玄関の式台に座らせた。少年がちょこまかとそれを手伝っている。


 がくりと下がったサウスの頭をノースが心配そうに撫で付ける。小舟はだらんと下がったサウスの両腕の間に、背中側から自分の両腕を入れ、サウスの胸の辺りで両手を握り「よいしょ」と言って力を込めると、サウスを引き摺りながら、ひんやりとした木の廊下を少しずつ移動した。

 ぼくとノースは狭い廊下でうまく手を出す事ができずに、一度に20センチ程度しか進まない小舟とサウスの後を、ただ付いて歩いた。


「小舟ぇ。座布団並べといたでぇ、お姉ちゃんをあっこに。」少年はその狭い廊下でぼくらの間をすり抜けてはバタバタと走り、奥にある襖の引き戸を開けた。二重になった丸い蛍光灯がちかちかと部屋を照らしていた。


 襖をくぐると、ぼくとノースでサウスを受け取り、だだっぴろい和室の奥に運び込んだ。そして少年が用意してくれていた座布団を並べた簡易ベッドに彼女を寝かせた。少年はぼくらにも座布団を用意してくれていて、「お兄ちゃんはあっこ、あっこはお姉ちゃん」と、座布団を指差しながらてきぱきとぼくらに指示を出した。

 少年の指示通り、ノースはサウスの近くに、ぼくは小舟の隣に座った。


 蛍光灯が発する細かい無機質な連続音が部屋に響いている。開け放たれた障子の外の暗い縁側には一人がけの小さなソファが向き合っていて、蚊取り線香を内包したの豚の置物が濃い煙を燻らしている。縁側の網戸越しに近くの川の流れがさっきよりもはっきりと聞こえた。


 部屋の中央の座卓には、プラスチックの容器に麦茶が入っていて、いくつかの飲みかけのグラスが鮮やかな和柄のソーサーに置いてあった。


 横になったサウスの頭から手を離さずに、ノースの視線はぼくから離れない。

「あ、ノース」ぼくが吃り気味にノースに小舟を紹介しかけると、小舟が遮った。

「嶺ノースさん。はじめまして。渡小舟です。」小舟の臆することのない黒目がちな眼差しがノースに向いた。


 その時、滑りの悪い縁側の網戸をがたがたと開けて、平泉寺さんが庭側からこの和室に上がってきた。

「君たちが来るって、小舟ちゃんから聞いてたんだ。さっき言わなかったっけ?」

「マホロぉ!」少年が嬉しそうに彼女を見上げた。ぼくは安堵のため息をついた。


 何事もなかったような表情で平泉寺さんを見上げる小舟、顔を赤らめてサウスに視線を戻すノース。それぞれの時間が流れた。


「九頭竜荒鹿君と嶺ノースちゃん。サウスちゃんはちょっとした幻覚マーヤーのショック状態だから心配しないで大丈夫。」

 平泉寺さんは座卓を囲むぼくらの後ろをゆっくりと歩いてサウスの傍らにかがみ込むと、手首や首元に触れ、サウスの瞑っている目を開いて彼女の瞳孔をチェックし、PFCスーツの首元のファスナーを胸元まで開けた。それから、少年の隣、ぼくの向かいの座布団に横座りで座った。


「アートマンは、感情をエネルギーに変えて顕在化する。その時に削られた精神をどうにか戻そうとする体の働きがマーヤー状態って言う幻覚なの。」


 突然、薬缶がぴいいいとけたたましく響き渡る。お湯が沸騰したのだ。少年がすくっと立ち上がって駆け出した。

「でもね、精神が削られるって肉体も同じくらい削られるから、お腹が空くんだよ」


 少年が大きなお盆を慎重に抱えて部屋に戻ってきた。座卓にはご飯茶碗と薬缶、そして細長い皿にたくさんの湯気をたてるおにぎりが並んだ。

「お野菜も後で。なんか作ろうかな。」平泉寺さんは茶碗に一つおにぎりを入れ、薬缶のお湯をかけた。熱湯をかけられたおにぎりは、湯気を上げながらほぐれて、中の梅干しが露わになった。それを箸でほぐしながらお粥状にすると、それを少年に渡した。

「はい、すこやか、お願いね。」

 すこやかと呼ばれた少年は、お盆から木のスプーンを取って茶碗に入れ、それを力の入った両手で持つと、サウスの横で腰をかけた。


「お姉ちゃん、ちょ起きれる?」少年は反応のないサウスを見てから、恐る恐るノースを伺う。

「お姉ちゃん、ちょ起きれる?」ノースは少年には目をやらず、しかし彼のイントネーションをそのままサウスに向けて繰り返し、彼女の頬をさすった。サウスの目が少しだけ開いてすぐに閉じた。

「ちょ、さっちゃん、お粥だよ。梅干しだよ。」サウスは目を閉じたまま頷いた。どうやら気がついたようだった。

「ノースちゃん、少しサウスちゃんの口を開けて?」平泉寺の言葉にノースが指先でサウスの下唇を引き下げると口が少し開いた。

「ちょ熱いで、ちょ待ち。」少年はそう言ってスプーンで掬ったお粥を、優しくふうと吹いて湯気を冷ます。湯気が落ち着くと少年はスプーンをサウスの口元に運び、柔らかいお粥を流し込んだ。

 サウスの口が確かめるようにもごもごと動き、少し経って喉元がごくりと動いたので、お粥を飲み込めたことがわかった。


「おいし」サウスが目を閉じたまま言った。

「ありがとう、スコヤカくん」彼に向け頭をぺこりと下げたノースは、手のひらで少年の頭に軽く触れると、サウスの元を立ち上がってぼくの隣に来て座った。ノースを見上げていた少年は頬を赤らめて、サウスに向き直り、再びお粥を彼女の口元に運んだ。


「クズリュウ。」ノースの瞳や表情に浮かび上がっているのは、珍しく不安だった。双子はこれまで、何故か当たるサウスの謎の直感だけに頼って人間関係を作ってきたのだ。サウスがダウンしたこんな場合にノースはどうしていいのか分からないのだろう。ノースはぼくを見つめたままフリーズしている。


「あ、小舟は大野琴と同級生。」小舟側の世界に暮らす小舟と、ノース側の世界に生きるノース。正反対の世界の住人たちに挟まれたぼくは、正反対の二つの世界を、どうしたら取り持てるのだろう。


「ノースさん。私、昨日、荒鹿くんのお姉さんから奥越のこと聞いて。」小舟が体を乗り出してぼくを遮り、ノースを直接見つめて言った。

「ナルカ?」ノースはついに視線をぼくから移して小舟を見た。

「そうなの、鳴鹿ちゃん。私、九頭竜家とは家が隣だったから、小ちゃい頃から鳴鹿ちゃんといっつも一緒だったんだよ。」小舟も、心なしか硬い表情を崩せずにいるようだった。

「そうなの?」ノースが少し安心した目でぼくに視線を戻したから、ぼくは頷いた。


「さあ、話を聞かせてくれる?」平泉寺さんは『場』の落ち着きを感じたのだろう。

「大野、小舟の同級生の、」ぼくが話し始めると、ノースもすでに口を開いていた。

「サマージのアートマンはATMAで、」

 二人の声が交錯した。

「あら、待ってね。順番に」平泉寺さんは困ったように目を見開いて言った。


「あ。」ノースが突然PFCスーツのファスナーをみぞおち辺りまで下げ、例の四次元ポケットから小さなチップを取り出した。ぼくは咄嗟に視線を逸らしたから、反対側にいた小舟の顔が真っ赤になったのを見てしまった。


「これ、アワラから。」ノースが小指の爪くらいの小さなチップを差し出すと、平泉寺さんの顔に笑みがこぼれた。


「アワラさん!」立ち上がって入り口の襖近くの和箪笥からヴィジョンゴーグルをとりだし、チップを差し込む。「一緒に見よっか。」


 白い漆喰の壁に四角い縦長の映像が映った。

「映ってるかな。」芦原さんがぎこちなく喋り始めた。映像の中で芦原さんがちょっと緊張しているのがわかる。彼女の声を聞いたサウスが少年に手伝ってもらいながら上体を起こした。


「アワラ」そう言うとサウスは泣き出してしまった。ーアワラがママだったらいいなって思ったのー ぼくは、出発前にサウスが言った台詞を思い出してしまった。

 平泉寺さんは立ち上がって一度映像を止めた。サウスが一人で立ち上がってゆっくりと歩いてノースのそばまで来ると、ノースに体重を預けるようにへたり込んだ。ノースはサウスの肩を抱いてさっきの歌を口ずさんだ。


 意識をして二人を見ないようにしていたけれど、みな黙ってその歌声を聴いていた。蛍光灯が照らす夏の夜に、お日様の匂いのする歌声が静かに響いた。


 サウスは泣きながら、座卓の上のおにぎりを手に取って、泣きながら、むしゃむしゃと食べた。

「えらいね。」平泉寺さんが座卓に両肘をついて、手のひらに顔をのせてサウスを見つめ、サウスは泣きながらおにぎりを食べた。


 結局サウスはおにぎりを三つ食べ、喉に詰まらないように茶碗に入れてもらった薬缶のだし汁を2杯飲み、麦茶を3回おかわりして、ようやく泣き止んだ。

「ありがと・・・。」

 涙を拭いながらもぞもぞと横になったサウスは、ノースの膝に頭を乗せ、隣であぐらをかいているぼくの膝の上に足を投げ出した。

 小舟の表情が一瞬引きつったような・・・、気のせいかな・・・、だといいんだけど。


 平泉寺さんが仕切り直して、映像を最初から再生すると、漆喰の壁に映る芦原さんに部屋中の目が集まった。


「映ってるかな。」芦原邸の2階の部屋だ。珍しくカーテンを空けている。白檀のお香の匂いがする。そうじゃないと分かっていても、ここで確かに香った。


「平泉寺、みんなとちゃんと会えたんだね。」少しもじもじとしている芦原さんが、なんだか新鮮だ。

「いま、三人はうちの研究室でトレーニング中。ここは、藤沢って街だよ。平泉寺も一度来てみるといいよ。あれから・・・。私はあれからしばらく中央アジアをうろついて、そうだ、チベットにも行ったよ。ZENの採掘地を観光したりね。平泉寺のこと、最初はずっと探してたんだけどね。あなたはきっと、自分のやりたいことをやってるって信じて、帰ってきたよ。日本にはもう5年くらいになるね。」


 芦原さんは窓の外に目線をやる。何を思い出しているのだろう。平泉寺さんの目にそっと涙が浮かんだ。

「この子達がうちに来た時は、ほんとにもう、何言ってるかわからなくて大変だったんだよ。そうそう。だからこれを撮っています。」


 ぴんぽーん。突然の来客に、ぼくとノースはびくっとして玄関の方向に目をやった。

「うちじゃないよ」平泉寺さんが笑った。「うち、ぴんぽんないから」

「あ、荷物かな、止めるとデータ別れちゃうから、面倒だな。あとで頑張って編集するか。ちょっと待ってて」


 芦原さんが画面から消えると、藤沢の外れのあのショップ前の通りを車が行き交う音、烏の鳴き声、救急車のサイレン、エアコンの室外機の音、信号機の短音のメロディ。そんな生活の音が混じり合って、ひどく懐かしい音に感じた。とても数日前までのこととは思えない。


「編集してないよアワラさん。もう。」平泉寺さんの少し柔らかくなった口調に、二人の会話をなんとなく想像できる。芦原さんが画面にいない間に、平泉寺さんは部屋の奥を振り返った。看病中のサウスに置いてけぼりを喰らって、一人部屋の端で体育座りをしているすこやか少年を手招きした。


「すこやか君はもう寝るかな?」少年は黙って首を横に強く振った。そんな彼をみて、サウスみたいだなと思った。あ、芦原さんが戻ってきた。


「荷物じゃなかった、いたずらかな。えーと、平泉寺。みんなに会えたんだね。で、本題か。」映像に目を戻した平泉寺さんは、食い入るようにそれを見つめている。

「平泉寺は驚くと思う。こないだの羽田空港のテロ事件は知ってるかな。実はその事件自体が大きな陽動で、あれはRTAとサマージのZEN強奪事件だった。」平泉寺さんが目を見開いた。

「そう、私の双子ちゃんは、元サマージ。」映像の芦原さんから目を離さずにゆっくりと頷く平泉寺さん。何かに合点が行ったような、そんな表情。

「サマージは、これについて、独自の動きをみせたから、RTAの作戦は失敗。だけど、それが日本のZEN保有声明に繋がった。頑張ったね、さっちゃん。」

 ぼくの膝の上にあるサウスの足に少し力が入ったから、振り返ると、双子は見つめ合って微笑んでいた。ノースが優しくサウスを撫でている。サウスがどうにか回復してきたようで安心した。


 芦原さんは、それから時系列でいろいろなことを話した。時間にして30分くらい。例えば、ぼくと大野琴の邂逅、腰越漁港の戦い、サウスの必殺技、プロトタイプのアートマン、RTAによるサマージ・スケープゴート、ネットワーク上での平泉寺探し、ZENのこと。そして最後にこの旅の目的について。


「どうだろう、平泉寺。平泉寺ならこの子達の力になれるんじゃないかな。RTAが隠すプロトタイプ、アートマンの開発初期の情報と、大野ちゃんの正体は、この三人だけじゃなく、私やあなたも救うことになるかもしれない。あなたがいつか見せてくれたあの式がヒントになると思ってる。」


 平泉寺さんは深くため息をついた後、三人を順番にゆっくりと、確かめるように見つめていく。小舟もすこやか少年もぼくらを見ている。なんだか、話題の中心にいるようで恥ずかしい。


「そうね・・・。」ため息をついて平泉寺さんはヴィジョンゴーグルを手繰り寄せた。チップを抜こうとした時、映像の芦原さんが口を開いた。


「そこに、みんないるかな。もしいなかったら後で見せてやって欲しいんだけど」芦原さんは、映像の最初の頃みたいに少し緊張して改まった。


「九頭竜君。」ぼくは突然名前を呼ばれて身が引き締まる。

「君は、強くなってきたんだから。」カメラから視線を外してため息をつく芦原さん。

「双子ちゃんが楽できるように、頑張りなさい。クズじゃないって見せてやんなさい。」ぐぬぬ。言われたくないことを。図星だから心が痛い。ノースが笑った声が聞こえた。


「ノース。」サウスを撫でる彼女の手が止まった。

「あなたがいるから私は何の心配もしてないよ。」頷くノース。

「だけど、時々は甘えること。甘えられるのが大人の女だよ。鳴鹿を見てみなさい。ふふ」

 映像の芦原さんにつられてノースも笑った。芦原さんのとこで何やってんだよ、姉ちゃん。ぼくが恥ずかしいわ。


「さっちゃん。」サウスが上体を起こす。「アワラ!」

「さっちゃんはね、全部を一人で受け止めたらだめだよ。そのためにノースも九頭竜君もいるんだから。」芦原さんの笑顔に呼応して、サウスはこぼれる微笑みをどうにも止められずに、ひどく嬉しそうだ。

「さっちゃんは、ちゃんとみんなで世界を救うこと。わかった?」サウスは体をくねくねさせて感情を表現している。


「あとみんな、大野ちゃんにもよろしくね。」ぼくらは、芦原さんが見ていないと知っていても、強く頷いた。


「それから、平泉寺。死ぬ時は一緒だと思ってたけど、こんなにずっと離れ離れになると思わなかったよ。」

 芦原さんは、照れながら涙を拭った。

「最近の若い子たちは、ほっとくとすぐ湿っぽくなっちゃうから、気をつけてね、平泉寺。またね。」


 芦原さんが少しだけ笑って映像は終わった。




●2036/ 06/ 20/ 22:34/ 管理区域内・平泉寺邸


 いっぱい泣いていっぱい食べたさっちゃんは、マホロの話を聞く前に眠ってしまった。スコヤカくんとコフネちゃんがテーブルの片付けをしてキッチンとこの部屋行ったり来たりしている間、あたしとクズリュウでマホロにエッセルの話をした。透明の波動とか、幻覚中に見えた映像のこととか。

「アワラさんったら、10年経って突然戻ってきたと思ったら、この情報量。」

 マホロはちょっと考えるのに時間が必要だからって、明日ちゃんと話しをしようということになった。「あの映像、あと何回か見ないと、ちょっと理解が追いつかないな。」


 コフネちゃんが持ってきてくれた布団にさっちゃんを寝かせると、あたしもその布団の隙間に横になった。体はすごく疲れているけどうまく眠ることができない。神経が開いているというのか、過敏になってしまっているというか・・・。視界の中で天井の木目がもぞもぞワームのように動いているような錯覚が続いていた。


 幻覚の中でさっちゃんがママになっていた。「これはぼくの夢?」あのときクズリュウが言った言葉。でもあれはあたしの夢だった。


 感情をエネルギーにする? 精神を削る?


 さっちゃんは必殺技を使った。曼荼羅のキューブも必殺技? 曼荼羅の図はトゥルクに関連しているから、ミクニから話だけは聞いたことがあった。

 クズリュウは前に共有をONにしたまま躊躇とか煩悩って言っていた。

 アワラが映像の中で言っていた『式』は以前マホロがアワラに見せたというZENとパンクの式。プラークリットはぷるぷるパンクと同じ。断片が繋がらないパズルのように、ぐちゃぐちゃに混ざって溶けるチョコレートみたいなあたしの思考。


「ノースさん、寝たかな。」コフネちゃんがお風呂から戻ってきた。横になっていたあたしは、重たい体を引き起こす。彼女は浴衣姿だった。かわいいな。

「ごめんね。起こしちゃった」部屋にはいつの間にか三つの布団が敷いてあった。寝れないと思っていたけど、うとうとしていたのかも知れない。当たり前のように布団があたしたちとクズリュウのだって思っちゃったけど、ここは女子部屋なんだって気が付いた。


「大丈夫。起きてたから」疲れすぎててちょっとぶっきらぼうになってしまう。ごめんなさいコフネちゃん。

「ここに私寝るから、ノースさんは真ん中においで?」コフネちゃんは布団に座って首を傾げ髪にタオルを当てている。

「コフネちゃん。」あたしが名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうな顔をした。

「なあに?」


「コフネちゃんは、クズリュウの幼馴染みなんだよね。」あまり意味のないことを聞いてしまった。

「クズリュウはどんな子どもだったの?」コフネちゃんは、タオルを膝において蛍光灯を見上げた。


 彼女が口を開きかけたときに襖が開いて、マホロが顔を出した。

「ノースちゃん、お風呂入る? 浴衣あるよ」マホロが浴衣を真ん中の布団の枕元に置いた。さっちゃんも浴衣、着たがるだろうな。

「お風呂、気持ちいいよ。戻ってきたら荒鹿くんの子どもの頃のお話ししよう。」コフネちゃんがあたしに微笑みかけた。


「私も聞こうかな。」マホロが言うと冗談なのか本気なのかよく分からない。不思議な雰囲気を持った人だ。この人がアワラとシリアとか中央アジアで戦場を駆け回っていたんだと思うと感慨深い。


「お風呂入ってくる」枕元から浴衣を拾い上げるとマホロがお風呂場まで案内してくれた。

「後でね」と言ったコフネちゃんは立ち上がり、障子を開けて縁側の椅子に座った。


 脱衣所でピアスを外そうとして鏡を見たら、あたしはピアスをしていなかった。そうだ、釣り針にしたんだった。ねえ、さっちゃん・・・。


 ねえ。


N[クズリュウ 起きてる?]

 今日は長い1日だった。それにしてもさっちゃんが心配。ちゃんといっぱい食べてたし大丈夫だといいんだけど。あ、コンタクトにあいつの返信が来た。速い。


9[起きてる]


 髪をお団子に結えてPFCスーツを脱ぎながらクズリュウのメッセージを見る。引き戸を開けると浴室からあふれ出した湯気が肌に纏わりついていい匂い。しかも、なんと湯船が木。檜かしら。あいつ誘ったら来るかしら。

N[お風呂入るけど]

9[え?]

N[檜のお風呂]

9[いいな]

N[お風呂入る?]

9[え? 何? 一緒に?]


 ばかだなクズリュウ。檜の洗面器でお湯を掬い肩にかける。あっつい。あっつくて気持ちいい。

N[メガネ]


9[だから めがねは悪口じゃない]

 ばかを通りこして、かわいそうになってきた。あたしは体を徐々に慣らしながらゆっくりと体を湯船に沈め、熱さに体が慣れて来ると、お尻をちょっと前に滑らせて耳元までお湯に浸かった。


N[おやすみ]

9[おやすみ]


 クズリュウと会話ができたことで、何故だか少し気分が楽になった。思い返すと、朝の喧嘩から今日は始まったのだ。それからさっちゃんのナガグツ事件、金色のキューブ、それから、さっちゃんに乗り移ったママと話した・・・。

 というよりも、ママが話していたんだ。あれはママだった。

 そしてさっちゃんのダウン、からの幼馴染みのコフネちゃん、そして優しいアワラのビデオ。盛りだくさんすぎて、ぐったり。でも、嬉しかったな、ママ。さっちゃんもママと話せたんだろうか。何を話したんだろう。


9[ノース 起きてる?]

 あいつからだ。思わず笑みが漏れてしまった。


N[起きてる、っていうかお風呂]

9[知ってる]

 クズリュウも眠れないのかな。

N[お風呂入る?]

9[一緒に?]

 こいつ、ほんとばかだな。

N[あとでコフネちゃんが、クズリュウの子どもの時の話ししてくれる]

9[それは やだな]

 クズリュウがそう言うなら逆に期待できる。あたしはコフネちゃんのお話しが楽しみになってきた。


N[コフネちゃんはどんな子?]

 幼馴染み・・・。家族じゃなくて、友達の幼馴染みなんて想像がつかない。あたしの幼馴染みはさっちゃんだけ。あたしたちに友達はいない。


9[強くて 優しい]

N[あとは?]


9[ノースたちみたいに ちゃんと生きてる]

 ちゃんと生きてる? どういうことだろう。あたしたちみたいに? あたしは、立ち上がって浴槽に腰をかける。お湯から引き上げる体が重たかった。


N[じゃあ あたしは?]


9[強くて 優しい]

N[いや コピペでしょ]

 なんなの? あたしとコフネちゃん、あいつの中で同じな訳?

 あいつが弱いから、相対的にあたしが強いのは認める。でも別にクズリュウに優しくしてるつもりはないと思うけどな。

 あいつはMか。エムリュウか。


 湯船脇の水道から冷たい水を手のひらに溜めて、顔を拭う。火照った体に冷たい水が染みる。


9[二人とも ぼくにはない目で世界を見てる]

9[だけど 二人は全く反対の世界に生きてる]

9[前にノースが言ってた裏と表]

 馬鹿なのか大人なのか、よく分からない。あいつはいつも何を考えてるんだろう。


N[クズリュウ]

9[ごめん! どっちが正しいとかそういうんじゃなくて]


わかってるよ。


N[あたしとさっちゃんが クズリュウを表に連れてってあげる]


 これって、腰越漁港であいつが言ってたこととおんなじだな、って気がついた。

 あの時はすごいむかついたけど、こんな気持ちだったのかな。わかってるよ、クズリュウ。

 わかってる。


9[それ ぼくのセリフ]


 さっちゃんとあたしたちは、世界を救う正義の味方。か。


N[うん がんばれ]

9[はい]

N[大野ちゃん、会えるといいね]

N[おやすみ]

9[おやすみ]


 正直に言うと、コフネちゃん、コフネにどう接していいか分からなかった。あたしたちが生きる裏の世界に、表の安全なところから安全なまま観光に来たお嬢様みたいな感じ。

 自分たちが見せ物にされているような気がした。そう考えると最初の頃のクズリュウに対する違和感も同じようなことだったんだって、今は分かる。


 だけどコフネは、多分、ちゃんとクズリュウのことが好き。だから、ここまで来た。

「好き」だけで、安全な暮らしを捨ててこのゲートの中に入ってくるなんて、馬鹿みたい。

 偶然マホロに会えて、ほんとよかった。心配すぎるよ、コフネ。

 もしかしたら、きっと、友達になれるのかもしれない。さっちゃんがいるからきっと大丈夫。でも、朝になってあたしとコフネがお揃いの浴衣着てたらさっちゃん怒るだろうな。



●2036/ 06/ 20/ 23:07/ 管理区域内・平泉寺邸


 火照ったままの素肌にさらさらの浴衣を着て、頭にタオルを巻いたままひんやりとした廊下を歩く。足の裏に冷たい木の感触が気持ちいい。火照った体にちょうど良い。

 和室の襖を引くと蛍光灯は消えて部屋は暗く、レトロで可愛い若草色の扇風機が一生懸命首を振りながら、蛍光灯にぶら下がる紐を揺らしていた。橙色のちいさなランプが、さっきと同じ場所に同じ姿勢で寝ているさっちゃんを闇の中にぼんやりと照らしていて、呼吸に合わせてゆっくりと動く背中の影が見えたから安心した。

 縁側の障子には、椅子に座ったコフネの影が橙色に揺れていて、とても幻想的。


「コフネちゃん」障子を開けるとコフネはすでにうとうとしていた。あたしは彼女を起こさないようにそっと網戸を開け、かがんでサンダルに足を伸ばした。慣れない浴衣でかがみ込むのはなかなか難しい。


 庭の真ん中にある平らな岩の上に、サイズ違いで並んだいくつかのランタンの炎が橙色の影を揺らしていた。せせらぎの音が絶え間なく聞こえて、奥越に来てからずっと聞いていたはずの夏の虫の声が、何故か新鮮で優しい。夜の正面には雲で欠けることなく空を渡る地球そらが、天の川みたいにきらきらしている。

 ふと香る蚊取り線香の匂いは、何故かあたしの心を落ち着かせた。


 あたしがいつか大人になって、スコヤカ君みたいな子どもがいて、毎日ごはんを作って、寝る前に一緒にお風呂に入って、お布団を敷きながら、急に明日のことが心配になったりして、でもそれって、子どもの宿題とか朝ごはんの献立とか、些細なことだけど普通みたいなことで。

 あたしがそんなことを心配していると、子どもが走り回ったり、電話がかかってきたり、なんだかばたばた暮らしているんだけど、ふと蚊取り線香の匂いがしたりなんかして、そうしたら、その時にはきっと今日のことを思い出すんだろうなって思ったよ、クズリュウ。


「ノースちゃん」サンダルをつっかけながらコフネが庭に出てきた。

地球ちきゅう、きれいだね。」そう言ってコフネは竹と和紙の団扇をあたしに手渡した。

「起こしちゃったね。」隣に並んだコフネに言った。彼女は横に首を振った。あたしが地球そらから目を逸らさず、団扇で首の辺りをあおいでいると、コフネがあたしを追い越して歩き出した。

「コフネ?」

「ちょっと先にベンチがあるの。」


 庭から少し離れた農道沿いのベンチからは、居住区を囲む低い山々の黒いシルエットが見渡せた。真正面には地球そら。SNSで見かけるような外国の絶景みたい。


「小学生の時は、荒鹿くんより私の方が背が高かったんだよ? 信じられる?」


 全く信じられない情報からクズリュウの昔話は始まった。


 運動が苦手だったから体育の授業は仮病で休みがちだったこと、それなのにサッカークラブに入って結局一度も試合に出れなくて、多分不貞腐れて、たった2ヶ月で辞めたこと。

 そのかわりヴィジョンゴーグルのゲームが上手かったあいつに友達を作るためコフネ家で開いたゲーム大会で、あいつは人見知りがすぎて一人も友達を作ってくれなかったこと。

 可愛らしい癖っ毛が同級生に馬鹿にされた時に、コフネが代わりに同級生を怒ったこと。

 いつも鳴鹿の部屋で彼女の好きなジャズのレコードを三人で聞いたこと、鎌倉のレコード屋さんであいつが6年生の時にはじめて自分で買ったレコードがNirvanaのSmells Like Teen Spritだったこと。


 コフネの想いのきっかけは中二の時。


 雨上がりの放課後。二人で歩いていた学校からの帰り道に、歳の離れた小学生のコフネの妹さんに出くわしたそう。妹さんは二人を見つけると、嬉しそうに走って近づいてきたから水たまりに足を踏み入れてしまって、水飛沫が二人にかかってしまった。二人の制服には泥が飛び散った。

 妹さんは怒られると思ったから下を向いて黙ってしまった。コフネはコフネで(もう、何やってるの!)と怒ろうとした瞬間(姉妹あるある、わかるよコフネ)、クズリュウが突然ジャンプして水たまりに飛び込んだから、姉妹は飛び散った泥で顔まで汚れて、びっくりしちゃったんだって。


「こうやって、もっとちゃんと跳ねないと。」


 怒られるとばかり思っていた妹さんは、クズリュウのその言葉を聞いて、笑いながらもっとちゃんと跳ねた。

 二人はさらに泥を浴びることになったけど、でも、みんなちゃんと笑って、ちゃんと泥々になったっていう話。

 口には出さなかったけど、あたしはその話を聞きながら「あいつらしいな」と思った。

 一方的に泥を浴びることになったコフネは(そこまでやる?)とも思ったけど、それ以降、彼を恋愛的に意識してしまうようになって、今に至る、ということだ。


 中三に上がる時にクズリュウは転校した。鳴鹿について実家を出たからだ。その喪失感も、想いに拍車をかけたんだろうって。

「まだまだいっぱいあるけど、今日はこんな感じ」並んで座るあたしを見上げるコフネの顔には、想いを吐き出した後の安堵と不安が、今まさに入り混じっているんだってことがわかった。


「コフネ。」

 この感覚ってなんだろう。


 コフネの想いが叶うと、クズリュウはコフネの物になって、でもあたしはそれを咄嗟に受け入れることはできない。でも、クズリュウにはクズリュウの未来があって、コフネとか大野ちゃんにもそれぞれの未来があって、それはあたしの未来ではない。


 だけど今は、どんな未来よりもコフネが話してくれたこと、心を開いてくれたこと、そんなことが嬉しかった。

「クズリュウは、あたしたちが守るよ」あたしは小舟の肩に腕を回してぎゅっと抱き寄せた。なんて小さい肩なんだろう。あたしはさっちゃんの体しか知らないのだ。

 とにかく、今クズリュウは関係ない。コフネとあたしの話。これってなんだか友達みたい。あたしが今抱いているのは、友達の肩なのかもしれない。

 コフネはあたしが肩に回した腕に一瞬驚いてびくっとしたけど、すぐに力を抜いてあたしに寄りかかった。


「コフネ。友達になってくれる?」あたしがそう言うと、コフネがあたしの脇腹を強く抱いた。ちょっとくすぐったくて、紅茶とバニラみが合わさったみたいな、なんだかベビーパウダーみたいな、なんていうか『大人』みたいな香水のいい匂いがした。初めての友達の匂い。

「ノースさん。」コフネがあたしに寄りかかったまま喋ったから、声が体に直接響いた。

「ノースって呼んでいい?」

「うん。」


 次の朝もちゃんと夏で、一番遅く起きたさっちゃんが、予想通りにあたしとコフネのお揃いの浴衣に憤慨した。


 平泉寺になだめられたさっちゃんは朝風呂に消えて、しばらくするとすっきりした顔で戻ってきたけど、何故か浴衣に着替えるのを忘れて、いつもどおりPFCスーツを着ていた。

 てへぺろー、みたいな感じのさっちゃんがその場で全裸になって着替え出したから、クズリュウは咄嗟に目を逸らして部屋を出ていった。スコヤカくんは硬直していて、コフネはあたふたしていた。



 

 第13・5話


●2036/ 06/ 21/ 06:00/ 管理区域内・平泉寺邸


『 Dear Mahoro


 どうせ死ぬ時は一緒だと思うけど、決まりだから書くよ。私には特にウィルを届けて知らせるような家族もいないし財産もないから、あなた宛、平泉寺。


 あなたがこれを読むのは、私だけ・・が死んだ時になるね。ごめんね、守ってあげられなくて。すぐに新しいバディがくると思うし、あなたのことは心配してない。あなたの性格を考えると、新しいバディの方が逆に心配かな。優しく接するように。

 夢を託すよ平泉寺。アートマンの技術が世界をよくするって夢。でもいい世界ってなんだろう。


 まあいいや。次の作戦はシリアだって。死なないようにほどほどに行こう。じゃあね。 


                    XX AWARA 』 


 長らく使っていなかったアカウントにeメールが届いたのは午前6時ちょうどだった。


 昨晩からずっと、アワラさんのメッセージ動画を寝れずに何度も見返していた最中だったから、アワラさんからの新情報に混乱した。リビングウィルは自分もアワラさん宛に書いて何度か更新した記憶があるが、ATMAを脱獄してからは思い出しもなかった。

 オンラインのニュースを漁る。『首都圏で同時多発爆破事件が発生、サマージ完全解体か。』『東名高速下り鮎川PA付近で走行中の車両が爆発、後続4両を巻き込んで大破。同時多発爆破事件と関連か。』


 嶺姉妹はRTAに追われている可能性を示唆していた。アワラさんはRTAに発見された?  

 その可能性は高い。多分私を探すためにATMA脱獄時に閉じたプライベート回線を開いたのではないか。

 しかも芦原邸に出入りし始めた脱サマージの嶺姉妹。可能性が高まる。ということはこの受信も感知されたか。

 若干不可解に感じていたアワラさんがあの子たちと行動を共にしなかった理由や、動画の中の不審な呼び鈴の理由がなんとなくわかった。アワラさんはRTAの感知を知っていた?

 連絡を取りたいが手段がない。あの子たちから聞き出すか。


 でもアワラさんが知っていたとすれば、どちらにせよ連絡はつかないだろう。今のこのタイミングであの子たちに不確定の情報を与えて動揺させるわけにもいかない。


 アワラさんの動画を再び再生する。温度のある彼女の姿に涙があふれヴィジョンが曇った。


 中央アジアの市街戦で私達は脱獄を決行した。落ち合う場所と日時を決めていたが、自分は結局そこに到達することができなかった。アワラさんが辿り着けたどうかもわからない。もともと合流は現実的ではなかった。それほどの混乱状態に紛れて決行する他ない計画だったのだ。


 私は流れ着いたスリランカのトゥルクの寺院に何年か潜伏した後、地元のサマージ経由でAG-0の噂を耳にして急遽帰国したのだった。


『死ぬ時は一緒だと思ってたけど、こんなにずっと離れ離れになると思わなかったよ。』


アワラさん。私もだよ。

行こう。世界を救いに。


 つづく

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