【SF小説】 ぷるぷるパンク 第14話 物質化
●2036/ 06/ 21/ 18:40/ 管理区域内・平泉寺邸・工場内倉庫
「え? これに入るんですか?」自分の声が高い天井にこだまする。
ぼくがそう聞くと、ヴィジョンゴーグルを被った平泉寺さんが黙って頷いた。
一年で一番日が長い夏至の日没をちゃんと見届けないまま、ぼくらは暗い地下の倉庫にいた。金木犀の香りに包まれた無機質な空間に、いくつもの立方体のカーボンボックスが並んでいた。一辺は1メートルちょっと。そして、そのうちの一つの箱の天面が自動で開いた。
「三人で?」ぼくは聞き直す。平泉寺さんが黙って頷いた。
「この箱は赤外線も通さないから、君たちのコンタクトも役に立たない。真っ暗だよ。いいでしょ。」
何がいいものか。サウスが好奇心に満ちた瞳を輝かせて箱を覗き込む。
「かなりきつそうだね。じゃんけんしよっか」
何を悠長なことを言ってはるんですか、さっちゃんさん。
「真っ暗だから口じゃんけんをしようという魂胆ですか? さっちゃん」ぼくが言うと、それを聞いていたノースがふふっと笑った。
「ちがうよ、場所決め。二人と一人が向かい合うとなんとか入れると思うけど、一人側の方が、少し楽でしょ。」
「確かに。じゃあ。」ぼくがそう言ってじゃんけんを始めようと握った拳を上げる前にノースが「じゃんけん、」と言った。
「ぽい」三人の声がずれる。ぼくはタイミングを崩されて、手がうやむやのままそのじゃんけんに臨むことになってしまった。
サウスがパー。ノースとぼくがグー。何故か参加した平泉寺さんがチョキを出していたけど、彼女の分はノーカウントになった。
「じゃあ、まず九頭竜君から。」平泉寺さんの声が背中を押す。と言ってもポジティブな意味じゃなくて、どちらかというと、尻を叩くというか、残念な方の押し。
背伸びをして、薄いカーボンの板を跨いで越える。そして箱の奥の角に体育座りをした。カーボンは金属のように冷たくて、尻に直にその温度が伝わった。次にサウスがぼくに向かい合う位置に座り、最後にぼくの真横にノースが座った。
二の腕がノースの腕に密着し、ふくらはぎはサウスの足と密着している。触れ合った身体の部分が、なんていうか、どんどん熱を帯び始める。
えも言われぬ緊張感に襲われている。心臓がきつく締まるような感覚だ。平泉寺さんが確かめるように三人を覗き込んだ。ぼくらは彼女を見上げた。
「入ったね。蓋が閉まったらすぐに下からPFC溶液が出てくるけど、口に入っても大丈夫だから落ち着いてね。心配しない。」
三人は黙って頷いた。平泉寺さんが一歩下がって視界から消えると蓋が閉まり、視界の全ての光が消えた。まさしくブラックアウトだ。
ぼくらは今夜、大野琴を、そして世界を守るためにAG-0を襲撃する。
●2036/ 06/ 21/ 08:40/ 管理区域内・平泉寺邸
これは、ぼくらがカーボンボックスに入ってAG-0へ向かった夏至の日の、朝のお話だ。前日譚みたいな感じで聞いてもらえるといいと思う。
さて、繰り返すけど、夏至は一年の中で日中の時間が一番長い日だ。
思うんだけど、夏は夏至のこの日から終わり始める。
なんていうのかな、生きて行くってことは、死んで行くってことだ。人は生まれた瞬間に死に始める。だから、大きな流れの中で生と死は別じゃない。
何が言いたいかって、今日からは冬至の日までの間、日中の時間が毎日短くなり続ける。大きな意味で冬が始まると同時に夏が終わり始める。大きな流れの中では、今日は夏の最後の日であり、冬の最初に日ってこと。
だから、何が言いたいかって言うと、小舟を挟んだ双子が、浴衣で仲良く三人並んで縁側に座っている後ろ姿に、ぼくは非常に夏を感じている。
そして、この瞬間がいつまでも続いて欲しいと思っている。
同時に、これがいつまでも続かないことも知っている。画像や動画に残しても、この空気は残らない。この空気が生まれた瞬間、この空気は死ぬ。極端に言えば、そう言う類のこと。
そして、結局何が言いたいのかって言うと、ぼくらが大野琴を見つけ出しアートマンの秘密を暴けば、全てが終わる。ぼくが大野琴と出会った大船の観音像の前で、この話はすでに終わり始めていたということ。終わりを迎え自由になった双子は、この先どうするのだろう。ぼくは双子がぼくの人生から消え去らないと思いたい。
また、その逆もしかり。
ぼくらが大野琴と出会えないということ、それが意味するのは、きっと「死」だ。AG-0は武装したア軍によって、守られていた。あの雨の夜の浮島でニアミスした「死」がまた近づいてきているという事だ。
とりあえず、平泉寺さんとすこやか君が作った朝食を頂いた後、10時まではひとまず解散ということになった。それまでの間にごろごろと終わりゆく夏を満喫するのが、ひとまずのぼくの作戦だ。
高台の拠点に荷物を取りに行くって案もあったけど、昨日のさっちゃんのこともあったから、まずは体を休めようと三人で話し合って決めたのだ。
ノースと小舟は何を話したのだろうか。昨晩と違って三人の仲がやけにいい。逆にぼく一人がなんか気まずい。
だからこそ後ろ姿は気楽でいい。すこやか君が遊ぼうとまとわりついてくるが、適当にいなす。朝起きた時に、隣にぼくが寝ていたのを見つけて、それ以来のなつきっぷりが半端ない。調子のいい男め。
「アラシカー!」夏の空気に敷き詰めたような蝉の声の合間に、すっかり元気になったサウスの声が聞こえる。
縁側のサンダルを引っ掛けて、外に出ると流石に直射日光が暑い。夏至の日差しだ。、一番近くに太陽がいるのだ。
ぱたぱたと、団扇の風が心地よい。家屋の影になった小道の飛び石を数えながら路地を玄関側に抜ける。田舎の家は路地も広いのだ。
そんな路地を抜け、砂利が敷き詰められた駐車場に戻ったのは昨晩以来だ。まるで昨日のこととは思えない。雑に停められた平泉寺さんの黒いピックアップトラックがぎらぎらと夏至の日差しを反射している。
敷地の中には狭い畑があって、風に揺れるハーブや、支柱に絡むきゅうりの蔓、黄色いかぼちゃの花や、空へ向けて真っ直ぐに尖ったネギなんかの野菜が、整理された区画の中にミニチュアの森のように育っていた。
そしてその後ろ、ぼくらが泊まった家屋の隣には住宅部分より背の高いトタン板の建物があった。建物は2メートルほど離れた地面から斜めに突き出た4本の鉄筋に支えられている。地球環が輝く青空の土台みたいに見えるその建物の屋根には、軒先にプラスチックのパイプが渡され、それに開けられたいくつもの穴から弱いシャワーみたいに、水がぼたぼたと滴り続けている。それが足元の苔のむした石垣に跳ねて、建物の周辺はびしょびしょになっていた。
軒先の滴りと、トタンの壁の狭い空間に浴衣の三人がはしゃいでいる。
「クズリュウ、こっちこっち。」跳ねた水を浴びて髪を濡らしたノースが手招きをした。
待って、たしか、双子は全裸に浴衣・・・。ぼくと、後ろを付いて来ていたすこやか君は浴衣ではしゃぐ三人から少し離れた位置に直立し、ぽたぽたと滴る水を浴びながら空を見上げた。体に当たって跳ね返る水が気持ちいい。気持ちいいけど、なんか気まずい。絶対に、女子たちを見ることは許されない。なんで、ぼくらはここにいるのだろうか、なあ、すこやかよ。
「後で話すつもりだったけど、ここは絹を織る工場なの。今は私が回している。」いつのまにか来ていた平泉寺さんが滴る水の下でぼくらに並んで話し始めた。はたから見ると謎の光景だ。
「このシャワーみたいな水はね、工場の中の湿度を保つための古い技術なの。あなたたちが着ているPFCスーツの生地の原料となる糸と生地ははじつはここで作られて、区域内の別の工場で縫製されているんだよ。」
驚きの事実が、さらっと発表された。
PFCスーツ、まさかのメイド・イン・ジャパン。まさかのメイド・バイ・マホロ。
「続きは後で、今はちゃんと遊んで。」
平泉寺さんがそう言うならと、結局ぼくもすこやか君もきゃっきゃ、きゃっきゃと水遊びをした。女子三人の浴衣は透けているだろうから、ぼくは彼女たちを見ないように男の遊びに集中していたけど、それはそれで、楽しかった。
しばらくすると、どこからともなく白い軽トラックが現れて。白髪のベリーショートの老女がすこやか君と小舟を迎えに来たと言って、軽トラックを平泉寺さんの車の隣に停めた。
彼らは例のマーケットに行くらしい。老女のお店があるとか、どうとか。ぼくらはそれぞれ部屋に戻って濡れた服と浴衣を脱いでPFCスーツに着替えると、彼らを見送るために玄関先に戻った。蝉の声と比例して夏至の太陽は高く、地球環がぎらぎらと輝いていた。
双子のそれぞれとハグをして、耳元で何事かを囁きあった笑顔の小舟は、次にぼくの前に来ると、腕を広げた。少し
小舟がもう小学生じゃなくて、大人なんだってことに、ぼくは改めて気がついた。小舟がぼくを強く抱きしめる。ぼくも小舟を強く抱き返した。
「荒鹿くん。好きだよ。」不意に投げられた彼女の言葉は、彼女が顔を埋めたままの胸に熱く刺さった。ぼくは彼女を強く抱きしめたまま、動くことができなくなった。
なんとなく分かっていた小舟の想いだったけど、直接言語化されるとやっぱり動揺してしまう。どう答えるのが正解なのかわからない。
どうして、ぼくなんかの事が。
ぼくは、生まれてからずっと誰にも必要とされてこなかった。
姉ちゃんは一人暮らしの寂しさを紛らわせるためにぼくを必要としてくれている時もあったが、大学生になってお酒を飲み始めたり、彼氏ができたりするとそんなこともなくなった。双子にとってのぼくは、憎むべき相手だった最初の頃から考えると想像もつかないほど仲良くなりはしたけれど、この旅の間中ぼくはずっと二人の足手纏いにならないように必死だった。
双子に出会うまでの人生は、悔しいくらいに世の中から無視されて来た人生だ。ぼくは何も考えずに生きることで、それを気にしないように努めていた。そう意識をしていたわけではないけれど、今はなんとなくそう思う。
そんなぼくではあるけれど、小舟や双子みたいに、自分で決めた未来に向けて、今は、ささやかだけど、考えて行動しているつもりだ。
ささやかだけど、一生懸命生きているつもりだ。
涙が出た。自分の意思とは関係なく涙が溢れ出た。
ありがとう。
そう言いたかったが、喉が詰まって言葉にすることができなかった。小舟は離れ際にぼくの頬をさすると、隣にいた平泉寺さんと笑顔でハグをした。平泉寺さんが小舟の頭をぽんぽんと撫で付けると、小舟は嬉しそうに平泉寺さんにもう一度抱きついた。
すこやか君と小舟が重たそうな小舟のバックパックを一緒に軽トラックの荷台に投げ上げ、ベリーショートの老女がエンジンをかけると、二人も荷台によじ登ってそこに乗り込んだ。
「気をつけてね!」小舟が残されたぼくらに向かって叫ぶ。
あの告白の後も、小舟が普通に振る舞っていたので、逆に拍子抜けだった。すこやか君と小舟の笑顔を乗せた車が見えなくなってしまうと、サウスとノースがにやにやしながら黙って順番にぼくの肩をぽんぽんと叩いて家に入っていった。
●2036/ 06/ 21/ 10:00/ 管理区域内・平泉寺邸・工場
薄暗い工場にある少ない窓から差し込む日差しが暖かい照明のように、立ち並ぶ古い機械をふんわりと照らしている。自転車の車輪のような輪っかが、細長い工場の奥までまるでトンネルのように並んでいて、かしゃんかしゃんと糸を巻き上げる優しい音を響かせている。
コフネがクズリュウに告白した。あたしが思っていたより世界は変わらなかった。クズリュウは泣いていた。どんな気持ちなのか表情から読み取ることはできなかったけど、結局クズリュウはコフネのものにならなかった。
他人に気持ちを伝えること。それだけのことだけど、あたしはコフネが羨ましいと思った。それができるコフネがかっこいいと思った。
外に滴る水で、工場内は暑くなくて、といって寒くもなくちょうどいい湿度に保たれている。PFCスーツの感触に似ているような気がして妙に納得してしまう。さっちゃんとクズリュウが、マホロを連れて少し遅れて角度のきつい木の階段をギシギシと軋ませながら登ってきた。
マホロを先頭に、あたしたちは薄っすらと油の匂いのする古い機械の間を歩いた。
間近に見ると、構成する部品の数はものすごい多いけど、アナログというか、大きな金属の歯車や木のハンドルなど意外とシンプルな構成をしている。
「ここのマシーンはね100年以上も前のもので、電子機器が一切使われていない。複雑な自転車みたいなものね。ペダルを漕げば力が伝わって前に進む。要するにスチームパンク。」
マホロが立ち止まったのは、工場の雰囲気とかけ離れた近代的な平らな金属の壁の前だった。彼女が指先で触れると、アワラの研究室の隠し扉のように上下に開いて、壁の中に空間が現れた。
「やっぱりアワラの弟子だね〜。」さっちゃんが突然失礼なことをいうから、あたしは彼女のお尻を引っ叩いた。さっちゃんがびっくりしてあたしを見る。
「そうね、師匠みたいな人かもね。」マホロは振り向いて、少し寂しそうに微笑んだ。
「だったらマホロは、さっちゃんの姉弟子だね。」マホロの表情を察知したさっちゃんは彼女の肩にそっと手を置いたのだけれど、その大人びた行動にマホロはふふっと笑みを吹き出した。
壁の中の狭い空間はやっぱりエレベーターで、地下と思われる深さで再び壁が開くと、サイズこそ半分くらいだけどアワラの研究室と似たようなSFチックな部屋が現れた。マホロが奥の壁の裏側に入るとぶうんという低い振動音がして、スクリーンモニターが光った。あたしたち三人は見慣れないマシーンの前にセットされた椅子に、それぞれ腰を下ろした。
PFCスーツに着替えたマホロがモニターの前に戻ってくる。モニターにはAG-0を中心とした管理区域のマップが表示された。
そして、見慣れないマシーンの上に音もなくAG-0が現れた。直径1メートルほどのワイヤーフレームのホログラムだ。
「お、銀の卵。ひさしぶり。」さっちゃんが声に出したが、あたしもそう思ったし、クズリュウも絶対思ったはずだ。
「集まってるねみんな。ついにブリーフィングの時間ね。」
エレベーターに入る前の少し寂しそうな表情に比べると、今のマホロは少し楽しそうだった。きっとアワラと過ごしたATMA時代は、毎日こんな感じだったのだろう。
まず最初に、彼女はホログラムのAG-0を指でポイントアウトしながらAG-0の説明を始めた。連動するモニターには彼女が撮ったという内部の画像が映し出される。
自信に満ちた瞳のマホロの話をこうして聞いていると、あんなに大きくて何物も寄せ付けなさそうな銀の卵が、私たちの手に追える大きさに見えてくる。
と思ったのも束の間、AG-0の地下深くに何十キロもの長さの巨大なトンネル状のタンクが岐阜県の神岡? って言うところまで繋がっていて、もともとそれはニューなんとかという素粒子? みたいな物理の実験をする場所だったらしい。今はそれが採掘地から運ばれたZENを含む溶液をPFC溶液に変換し保管する施設になっているのだけれど、その実験が行われていた当時、その上につくられたのがAG-0とのこと。
そしてマホロの工場から運ばれたプローブという糸をPFC溶液に浸す浸透プールがそのトンネルに繋がっていて、AG-0の最下層になっている。そこから階層を積み上げるように謎のPFCカプセル群がある空間や、脳にプローブを挿入するというクリーンルーム、そして何ヶ所もある研究室や何本もあるエレベーターやエスカレーターを一通り辿って見た。なんと言っても、その中にはコンビニやいくつものレストランや宿泊施設さえもあるらしい。それはまるで一つの都市のよう。想像するとワクワクした。
一通り施設の説明を終えると、マホロはモニターの前で大きく一呼吸してゆっくりと口を開いた。
「荒鹿君のプロトタイプの話を聞いて私は確信した。ぶっちゃけると、RTAはおそらくぷるぷるパンクの調和が実現したことを隠している。そして、私たちはそれを暴く。調和の証拠を手にいれる。」
さっちゃんの目が輝く。あたしだって同じ気持ちだよ。さっちゃん。いいよ、行ってみよう、どこにだって。
興奮するあたしたちを前にして、マホロはもう一つ付け加えた。
「その『証拠』でRTAの陰謀を暴く。」
クズリュウが顔を上げて口を開いた。
「でもどうして・・・。 どうしてその証拠はRTAに都合が悪いんですか?」
「彼らの目的はおそらく世界のエネルギーの安定化。聞こえはいいけど、ようするに強引なエネルギーの独占ね。私の推測では、それを可能しているのがここにある装置、おそらく曼荼羅の本体。一辺が50センチほどの黒い金属の
彼女はAG-0の最上階をポイントアウトしながら言った。
彼女は不意に言葉を止めてAG-0を見つめた。
「RTAは地球上のエネルギー全てを、いや、宇宙のエネルギー全てを解析することで、宇宙の法則を見つけ出し、それをコントロールしようとしている。それがおそらくあの『式』の正体。」
クズリュウがごくりと唾を飲み込んだ音が聞こえた。さっちゃんも静かだった。
さっちゃんが出せるようになった金色の光、調和のエネルギー。
アートマンのプロトタイプを見て、アワラやマホロはぷるぷるパンクの調和を確信している。ミクニが言った調和が金色の光を生み出したように、調和がエネルギーの元になるということが今はなんとなくわかる。
空港襲撃事件を自ら変えてしまったことによって、用済みになったあたしたちはこの世界から抹消されるはずだった。それはRTAだけが持つ秘密である調和に関連するアートマンのエネルギーのことを知っているから。だからアワラもマホロも裏に沈んでいなければならなかった。
金色の光が、剥がせなかった遠隔起爆装置をいとも簡単に剥がして、あたしたちを自由にしてくれた。それでも、サマージやRTAがあたしたちを自由にしてくれるわけなんかない。
AG-0の最上階に、その調和の証拠がある。それを手に入れることで、RTAの違法な独占を止める。
世界が味方になってくれれば、世論やなんかが動けばきっとRTAは解体される。2020年までPUNKのエネルギーがそうだったように、ぷるぷるパンクの調和のエネルギーが、地球で生きるあたしたちみんなの共有財産になるのだ。そうなってはじめて、あたしたちは晴れて自由の身。
マホロが再び口を開いた。
「宇宙のエネルギーとかコントロールなんて言うと大袈裟に聞こえるけど、狙いは単純。エネルギー独占による、富の独占。RTAは彼らを中心とした、彼らが裏で全てをコントロールできる世界の構造を作り上げようとしているの。そして、それはもう始まっている。オイルショックや世界恐慌で世界の治安は日々悪化している。ナイトマーケットの周辺を見たでしょ? 嶺姉妹は空港の事件にも巻き込まれた。
彼らには平和が必要ないの。平和という概念だけあれば、その概念のために人々は戦い続ける。そこに兵器や技術を流し込むことで、富を自分たちの方向に流し込む。」
なんとなくでしか考えていなかった、あたしたちの住むこの痩せていく世界の構造がはっきりと暴き出された。さっちゃんがしつこく言っている「世界を救う」が現実味を帯び出している。荒鹿は歯を食いしばってマホロを見つめている。さっちゃんは・・・、ほら、やっぱりにやにやしていた。
「そのために、私たちは大野ちゃんの力を借りないといけないの。」マホロが当たり前のように言った。突然登場した大野琴の話が世界の話と繋がらず、あたしたち三人はゆっくり順ぐりに目を合わせた。二人とも、引き締まって真面目な顔をしていた。
それから彼女があたしたちにブリーフした内容を簡単に要約してしまうと、こういうことになる。
あたしたちは今夜AG-0を襲撃する。
作戦は大きく分けて二つ。まずは大野琴。彼女を
名付けるなら、『大野琴ならびに曼荼羅奪還作戦』だ。そのまんまだけど。
そしてその詳細はこうだ。
①19:00。あたしたち三人はこの工場で集荷される荷物(カーボンボックス)に紛れて、AG-0内部に直通する定期便の貨物車両に潜入。AG-0の最下層、PFC浸透プールに運ばれる。
②浸透プールの底で、あたしたちが入ったボックスが開く。あたしたちはプールを上昇し、ポイントP3でマホロと合流。最上階の曼荼羅へ向かう。
③まず最上階で、さっちゃんが立方体の黒い曼荼羅を使ってクズリュウに
④彼女を連れて地下6階カプセル群へ。マホロの予想だとそのカプセルで意識を失っている抜け殻の大野琴、彼女の実体が入っている。そして彼女はPFCスーツを着ているはず。
⑤二人の大野琴とともに地下3階のクリーンルームへ。まずはBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)を介してセーラー服大野の意識をプローブに移す。意識を抜かれたセーラー服の彼女は光の粉になって消えてしまうだろう。それからその意識をPFCスーツの大野琴の脳細胞に挿入する。意識が戻るはずの大野琴と共に再び最上階へ。
⑥④で実体が存在しなかった場合は、最下層より下にある地下のタンクに移動し、セーラー服の大野琴を直接ZEN溶液に浸け、無理矢理実体化。成功するかどうかは未知数。マホロも試したことがないと言う。
⑦最上階で大野琴による禅の
⑧その後のことは、その後のこと。
●2036/ 06/ 21/ 11:44/ 管理区域内・平泉寺邸・工場
ブリーフィングが終わると、その空間であたしたちはアートマンに変身した。
マホロのアートマンのアーマーは周りを写し込むように透き通って輝く金色で、あまりにもかっこいいその存在感に三人は言葉を失ってしまった。
特にさっちゃんとクズリュウはあたしが肩を揺らさないと気が付かないくらいに、マホロのアートマンに見惚れていた。
「曼荼羅に辿り着いたからこうなったの。スリランカでいっぱい修行したから。今度詳しく教えてあげる。まずは、今日の作戦に集中しよう。」
マホロはそう言って、あたしたちのアートマンを確認した。やっぱりクズリュウのプロトタイプは玄人の琴線にふれるみたい。マホロのテンションが上がった。
さっちゃんとマホロが必殺技の話を少しした後、クズリュウとさっちゃんは奥の空間で大野ちゃんを出す練習を始めた。
「ノース。」一人部屋に残ったあたしに振り返ってマホロがマスクを上げた。彼女は何かの
「マホロ?」あたしはびっくりして後ずさった。
「あなた、綺麗な瞳してるのね。」あたしじゃなくて、あたしの目を見ながらマホロが囁く。
「多分、いける。目を閉じて。」
あたしは、心臓のどきどきを喉辺りで感じるくらいに緊張しながら目を閉じた。
「力を抜いて、意識を集中して。」
マホロに言われるがまま目を閉じて意識を集中する。しばらくすると、視界に残っていた残像が消え、完全な闇が現れた。
弱く心地よい風のような衝撃波を感じると、真っ暗な視界の中に薄っすらと光る曼荼羅の平面が現れた。すぐにマホロの声がした。
「見える?」あたしは黙って頷く。
「近づいてごらん。真ん中に自分を持っていくような感じで。」マホロの声がママみたいに優しい。
なんていうか、体は動いてないけど、歩いているようにゆっくりとあたしはそこに近づく。真っ暗な地面に光る曼荼羅が、足元を流れるように動く。
「はい、ストップ。まだ目を開けないで。私もそこにいるよ。分かるかな?」目を開けたらそこにマホロがいるのは感じる。でも、曼荼羅の中に彼女を見つけることはできない。
「だいじょうぶ。むずかしいね。」囁くような彼女の声にあたしは黙って頷く。
「拳に光を集めてみて。いつものような感じで。」
言われるがままに、拳に力を込める。マホロはあたしに必殺技を教えようとしているのだろうか。
「いいよ。曼荼羅の中に拳の光が見えてる?」
それは見える。それはあたしの拳の光だから。あたしは再び頷いた。
「はい。では、手のひらを上に向けて開いて。」
真っ暗な視界の中、あたしの手があるところに二つの丸い光の面ができた。それをじっと見つめていると・・・。
いや、これって感じているだけ? 『見る』のとは、なんか違う感覚。
とにかく、光るそれを感じていると、光は横に伸びてお互いに触れ合って、一つの塊になった。
「じゃあ、ちょっと踏ん張ってね。」さっきまで催眠術みたいに静かだったマホロの声が大きくなった。
「うわあ!」
突然現れて、手のひらにどすんと乗った細長い光の塊に驚いて、あたしはそれを落としそうになってしまった。
「いけた。」マホロの声と共に、視界の中で曼荼羅と光が消えてしまった。だけど、その重みだけはしっかりと残っている。なんだろう。暖かい。
「いいよ、目を開けてごらん。」マホロの言葉に目を開くと、あたしの手のひらの上には、アートマンのアーマーと同じ素材の、なんていうか、未来の宇宙船みたいな、真っ白くてきれいな銃があった。
長さ1メートル、直径は30センチくらい。なんと言っても、かっこいい。黒い武器は色々使ってきたけど、これって、めちゃくちゃかっこいい。さっちゃんにも見せてあげたい。
「ヴァジュラ。かっこいいね。私も初めて見たよ。」
マホロも目を輝かせている。
「
「ヴァジュラ・・・。あたしに、これを?」ずっしりと両手に重いヴァジュラ・・・。あたしは溢れ出すその存在感を一身に感じながらマホロを見つめた。
「そう、あなたが物質化させたんだから。」マホロは優しく微笑んだ。
あたしは早速、腰の前でそれを構えてみた。
「おおおお。かっこいい・・・。」なんていうか、やばい。めちゃくちゃかっこいい。にやにやが止まらない。
「変身すると、一緒に現れて、解除されると消える。アタッチメントも現れているはずだから。」そう言って彼女はあたしの後ろに回って、背中に生えたアタッチメントに触れた。
「これって・・・。」
あたしはヴァジュラを見たさっちゃんのテンションが上がることも、そのあと不機嫌になることも予測できたから、この武器を受け取っていいものかどうか迷ってしまう。
「あの子はもっとすごいと思う。」マホロはあたしの沈黙を読み取ってそう言った。
●2036/ 06/ 21/ 18:50/ 管理区域内・平泉寺邸・工場内倉庫
狭苦しい完全な闇の中、PFCスーツ越しではあるけれど、双子の身体の熱さと柔らかさを文字通り肌で感じる。平泉寺さんが言っていたようにすぐにボックスの底に生暖かい液体が広がり出した。そろそろと水位を上げる溶液が少しくすぐったい。双子が同時にびくんとする。
ノースの手ががさごそと探るようにぼくの手を探し、それが見つかると安心したように、強く握って来た。逆の手はサウスの手を探していたようで、すぐにサウスが声を出した。
「アラシカの手はどこ?」
お互いにガサゴソ探って、手をみつけると、三人は祈るように指を組んだ。両手からも双子の熱が伝わってくることになった。液体は徐々に水位を上げている。腰をすぎ、両手がPFC溶液に浸かった。PFCは生温くて、思っていたよりも粘度が高かった。
溶液がぼくらのへそをすぎ、胸の辺りをすぎると、双子が再びびくんとして、ノースはぼくの右手を強く握った。水位は上がり続け喉元へ。分かってはいても、息を止めてしまう。溶液は鼻を隠し、瞑った目を通り過ぎて、ボックスの蓋に着いている頭まで届き、全てを覆ってしまった。
ぼくは息を止めていることができなくなって、咳き込んでしまう。一瞬水を飲む感覚に溺れそうになってしまったけれど、すぐに溶液のなかでもそのまま呼吸ができることがわかった。平泉寺さんの言った通りだ。
肺の細胞があっという間にPFC溶液で満たされると、金木犀の匂い、というよりも味が強くするようになった。ぼくらはそれぞれ握っていた手を離して自分の顔や身体を確かめる。ちゃんと液体の中だ。おそるおそる目を開けてみると、暗闇に変化はないけど、ちゃんと目を開けることができている。
「すごいね。」といったぼくの声は、声帯がうまく震えないからちゃんとした音にはならなかった。
コンタクトを通せばメッセージが送れるかもしれないと考えたが、暗闇の中でどうにも操作ができなかった。
おそらく時刻通りに、貨物車両がやってきた。外の音は全く聞こえなかったけれど、底面に金属が当たるような音がボックスの中に鈍く響いて、ボックスがゆっくりと持ち上がった。音のない世界に戻った後、車の振動だけが伝わって胃のあたりが気持ち悪い。船酔いはこんな感じだろうか。
少し時間が経って、溶液に満たされた状態に慣れてくると、眠りに落ちる直前のような、体がぽかぽかするような、不思議な気持ちのよさに襲われた。眠ってしまうかと思ったけれど、何故だか頭はすっきりと冴えていた。
双子が暗闇と液体の中で身体を確かめ合っているのか、もぞもぞとうごいて、時々びくんとなっていた。何やってんだか。サウスはハヤトチリで一人の面を取ったけど、角がある方が楽だな、と思った。ぼくは角に寄りかかって、双子の動きを感じていたけど、しばらくすると双子も飽きたのか、静かになった。
「世界を救う。」
ぼくは心の中でその言葉、その響きを繰り返す。ぼくはただ、双子に遅れをとりたくないだけだった。足手纏いになりたくない。そして、ただみんなに誇れるくらい『ちゃんと』普通に生きてみたいだけだった。
ささやかに一生懸命いきることが、今や、ささやかに世界を救うことになってしまった。
たとえ、ぼくらが失敗しても、人類は滅びない。滅びないし、表面上は何も変わらない。世界はこれまで通りに痩せていくだけだ。だけど、「世界を救う」という響きの火種が、ぼくの胸の中で今は燃え上がって、ボックスの天井を焦がしてしまいそうなほどだ。
世界の中心に向かうPFCに満たされたキューブの中で叫ぶ。
「うおおおおおおおおお! やってやるよ! 『ちゃんと』世界を救ってやる! おれは、正義の味方。そう、九頭竜荒鹿だ!」
ぼくの言葉はうまく声にならずに声帯の気味の悪い振動が、もごもごとPFC溶液を揺らした。ノースの暖かい手がぼくの膝頭に触れた。
●2036/ 06/ 21/ 21:15/ AG-0 浸透プール/ポイントP3
どれくらい時間が経ったのだろう。ボックスの蓋が開くとそこはPFC溶液で満たされた大きな空間だった。銀の卵の外径にあわせた広い楕円柱で、遥か天井にゆらめく青白いの光までは何十メートルかありそうだった。
床面に一方の端を固定された真っ白なプローブの束が、海底で揺れる海藻のように揺らめいている。ぼくらが蓋の空いたボックスから浮き上がると、ボックスは分解され、6枚の正方形の板になり、床面に収納された。時刻は21:15。ポイントP3での合流まであと15分。
三人は身体をくねらせて泳いぐように上昇した。
耽美な双子の身体の曲線を露わにするPFCスーツの素材がPFC溶液に反応し、その輪郭はくしゃくしゃのホログラムペーパーのようにきらきらと柔らかく発光していた。
透明なジェル状の溶液が遠い天井の照明をまどろみのように絡ませて、その中をじゃれ合いながら泳ぐ双子は人魚の群のように神々しくて、圧倒的に美しかった。
ようやく水面に上がり、プラスチックの細かい滑り止めがついたプールサイドのような床で、平泉寺さんに言われたように鼻を摘み、耳抜きをする頬を膨らまして息を耳に送るようにしてやると、その勢いで肺から逆流した溶液が吐瀉物のよう口から飛び出した。
「あ、あ」サウスが声帯を確認した。
「気持ちよかったね。」ノースがぼくを見て言った。温泉から上がったばかりのようなつるつる肌で、どこかすっきりしたような表情だった。
「さあ、行こう」ぼくが言い終わる前にサウスが先頭を歩き出した。
壁にセンサーの出っ張りを見つけ、サウスが網膜をスキャンさせると、芦原さんや平泉寺さんの部屋のように、何もない金属の壁が音もなく上下に開いた。
ポイントP3。ドアの外に背を向けて立っていた平泉寺さんが振り向いた。
計画通りにそれぞれが左の手のひらに小さな銀河を広げる。PFC溶液に浸かっていたからなのか、それぞれの手から出た光の粒で構成される小さな銀河は金色だった。
ぼくらは静かに、しかし堂々とアートマンに変身した。
つづく
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