【SF小説】 ぷるぷるパンク 第11話 観音ゲート

●2036 /06 /19 /19:00 /


  国道134号由比ヶ浜交差点・九頭竜鳴鹿


 九頭竜くずりゅう鳴鹿なるかは、国道134号を西に向けて運転しながら双子のことを考えていた。


 手のひらに残るサウスの柔らかい髪の感触を思い出す。本当に可愛らしい子たちだ。荒鹿や芦原が、双子と一緒にいる理由を詳しく聞いたわけではない。しかし空港の事件とか、関連する何か大変なことに巻き込まれ、そのせいで彼らは世界を救う羽目になったのだろう。


 もちろん世界救うと言うのがさっちゃんのジョークだっていうのは十も承知。あの子達と一緒にいると、あの子たちなら、私たちが生きるこの痩せていく世界を変えてくれるんじゃないか、とか、そんな期待さえしてしまう。


 お姉ちゃんのノースがいてくれるから、ボケ荒鹿についても心配無用。ノースはとてもしっかりした子だ。あの子が荒鹿と同い年なんて全く信じられない。私の育て方が悪かったのだろうか、鳴鹿は思う。いやいや、そこは私じゃなくてうちの両親でしょう。自分があいつを育てた覚えはない。


 由比ヶ浜ゆいがはまの交差点を若宮大路わかみやおおじに左折し、道沿いのコンビニに車を止めた。車のシートを倒してスマートフォンでSNSをチェックする。流れてくる様々な動画をザッピングしながら、犬みたいに吠える猫の動画につまずき「ましじる」というアカウントの視聴に30分以上も費やしてしまった。


 鳴鹿は車を降りると、尻のポケットからタバコの箱を取り出し、車のボンネットのサイドに腰をかける。唇の端に細いタバコを咥えて火をつけた。


 スマートフォンで時間を確かめると、車を止めてから既に2時間近くが経っていた。ため息をつくようにして吐き出した白くて長くて薄い煙は、夏の空気に紛れて消えてしまった。タバコの先から出る濃い方の煙がゆらゆらと立ち上り、夜空に届く。


●2036 /06 /19 /19:00 /藤沢市街・芦原


 藤沢駅に程近い住宅街の中にあるジメジメとしたワイン屋で、芦原あわらはワインを選んだ。

 産地(カリフォルニア)とエチケットのデザインだけを決め手に店主のアドバイスを軒並み無視して選び続けていったから、店主の禿げた老人は芦原に聞こえるように嫌味を言い始めた。


 結局10本の支払いを済ませた芦原は、ずっと無視していた店主に頭を下げて、箱に入れたワインを車まで運んでもらうことになり、なんとも気まずい。


 芦原は特にお酒が好きな方ではなかったが、慌ただしく過ぎたこの二週間を振り返ると、そろそろお酒を飲みたい気分だった。


 いつからかずっと一人で生きてきた。週一で顔を合わせるバイトの鳴鹿だけが世の中との接点だった。それが急に賑やかになった。双子とは二週間、毎日寝食も共にしたのだ。寂しいと感じるのは人としてまったく恥ずかしいことではないはずだ。

 誰にともなく言い訳をしながら、自動運転が普及する前の古臭い車を運転し、昨日四人が曲がって消えた交差点を過ぎて自宅兼ショップの建物に近づいた。


 助手席の窓から体を乗り出して、見えなくなるまで手を振り続けていたサウスを思い出す。

 さっちゃんは、ほんと面白かった。芦原は一人にやけてしまう。


 ショップの前の人影が不意に目に入った。今日ショップは休みにしている。

 その人影は店内を覗くわけでもなく、離れようとするわけでもない。咄嗟にバックミラーとサイドミラーを確かめる。似たような背格好の男が一人道の向かい側の少し離れたガソリンスタンドの角、向かいの芦原のショップ前の男を確かめられる位置にいる。尾行されているわけではなさそうだが、経験上、嫌な感じがした。すぐに地下の研究室に向かう裏の路地から、もう一人の男が出てきた。


「ちっ。」芦原は頭を低くして自分のショップの前を通り過ぎた。

 しばらくワインはお預けかもしれないな、と思う。遊行寺の坂を登り切った辺りで路肩に車を止める。


 芦原は助手席に無造作に置いてあったヴィジョンゴーグル、スマートフォン、スマートウォッチのそれぞれから物理SIMシムを抜き出して力を込めてそれをへし折ると、窓を開けて植え込みの茂みにそれを捨てた。


 それから車を出すと、旧東海道から国道1号線に合流し、あてもなく、そのまま横浜方面へ進み続けた。


●2036 /06 /19 /11:20 /


  管理区域西部観音ゲート付近・平泉寺茉幌


 月一回の居住許可証の更新のため、平泉寺へいせんじ茉幌まほろは自分が籍を置かせてもらっている坂井さかい市内の産業技術総合研究所を目指していた。


 観音ゲートでピックアップトラックの運転席の窓を開け、センサーにIDをかざすと車止めのバーが上がる。ゲートを抜けて開けた視界に、白い地球環が大きく輝いている。今日の地球環はその溝までくっきりと見える。

 助手席に座った八歳くらいのその少年は黙ってスマートフォンを見つめている。


「のぉマホロぉ?」視線はスマートフォンから離れない。語尾が揺らぎ、母音を置いてくるようなこの地方のアクセントで少年は平泉寺の名を呼んだ。

「今日はっ子(地球環)が、ひって白うてきれいやの。」少年は、空気を確かめるように言った。

「いっぺん、うら(ぼく)も、外にぃ連れっててくれんかの。」少年はついにスマートフォンから顔を上げて、ねだるように平泉寺を見つめた。


「だめだよ、すこやか。そんな目で見たって。」平泉寺は少年を振り返らずにそう言って、ゲートを抜けると旧幹線道路沿いのスーパーマーケット跡の駐車場に車を止めた。すこやかと呼ばれたその少年はスマートフォンに目を戻して、不服そうにシートに沈み込んだ。

「おばさまのお手伝い行くんでしょ。おばさまに約束したじゃない。」平泉寺はドアを開け、ステップから軽やかに飛び降りると、助手席側に周り、そのドアを開けた。すこやかはシートベルトを外さずにボイコットの姿勢を見せるが、平泉寺の感情に訴えかける作戦は、これまでの彼の短い人生の中でことごとく成功した事がない。諦めて車から飛び降りた。


 背伸びをした平泉寺は荷台の横から1メートルほどの長さの布の包みを引き摺り下ろし、それをすこやかに渡した。

 ふらつきながら布の包みを受け取るすこやかと、彼に構わずマーケットへと歩き出す平泉寺。すこやかはその小さな両手で包みを懸命に抱え、彼女の後ろを小さい歩幅でちょこまかと追いかける。


 午前中のマーケットは人影がまばらだった。みな、掻き入れ時の夕方以降に備えているのだ。


『無法地帯のナイトマーケット』として悪い意味で有名になった観音ゲート前の闇市は、昼間の明るい時間帯に訪れると、震災の傷跡が生々しく残っているのが分かる。

 元から住んでいた住民を強制的に移住させ、震災で壊滅したインフラを復旧しない閣議決定が下されたため、廃墟群となった地域だ。

 当時の総理大臣の「再現さいげんではなく最現さいげん」という一見耳障りが良いけれど、全く意味をなさない言葉で世の中から切り捨てられた地域なのだ。


ー2020年世界各地の発電プラントで起こったPUNK非活性化によって引き起こされた世界恐慌。石油資源を持たない日本において、貧困に直面しはじめた一般市民への経済的な影響も、そのような閣議決定への世論を後押しした。


 時を前後して国立公園化を名目に、この奥越地域に管理区域が設定された。


 内側に残された人々や移住を拒否して残った外側の人々が、密かに推し進めた復興計画の中核事業であり、内外の交易の要として栄えるようになったのがこのマーケットである。


 いまでは県内外から人々が集まる自由市場のようになっていて、区域内で手に入らない食品や趣向品など内側の住民へ向けた物品、逆に内側から外向けに生産された反物なんかの伝統工芸品が取り扱われていた。同時に無法地帯と化したこの地域ならではの、薬物、横流しの武器やコピー商品なんかの違法な物資もどこからともなく流入し、さらなる治安の悪化が懸念されているところだ。


 闇市の空を覆って風に揺れる涼しげな短冊は、震災以降廃止された区域内の奇祭「勝山左義長まつり」の飾りつけで、この地域で古くから信仰されてきたトゥルク教と、輪廻の象徴である地球環を祀ったものだ。今ではこのマーケットのシンボルとなっている。


 希望として、祈りとして、この地に残された人々が、誰からともなく飾りつけ始めたそうだ。


 マーケットの半分くらいまで来たところで、すこやかが駆け足で平泉寺を追い越し、露店の屋台の裏手にある廃墟のドアをノックした。

「おばさまぁ。」彼はドアの前に直立し大きな声を出すと、追いついた平泉寺に振り向いて笑った。それと同時に銀髪のベリーショートがよく似合う70代くらいの老女がドアを開けた。

「あらぁ、多々川たたがわすこやか君。よう来たのぉ。マホロも。」玄関ドアを開けた彼女はエプロンを外しながら歩いて、通りで待つ平泉寺に並んだ。すこやかはすぐにおばさまを追って通りに戻った。


「天気がええで、椅子出そっさね。」

「これ、どうぞ。」すこやかが布の包みを老女に手渡すと、老女はそれを露店のコの字型の屋台のカウンターに置いた。それから老女はゆっくりとカウンターの後ろに周り、パイプ椅子を三脚抱えて持ってきた。「ほうれ。」と言ってそれを露店の軒先に置くと、すこやかが慌てて椅子を広げるのを手伝った。


「私はすぐに行かなきゃいけないから」平泉寺はそう言って勧められた椅子を断り、椅子に座って彼女を見上げるすこやかの頭を撫でた。

 老女はゆっくりと椅子に腰掛け後ろに手を伸ばすと、布の包みを手元に引き寄せた。


 平泉寺は、膝に包みを置いた老女を確かめるように見つめながら、老女が落ち着くタイミングを探していた。

「絹の生産量あげられなくて。」そう言いながら、すこやかの長めにもつれた髪を掬い上げて梳かす。

「ほやでのぉ。」老女は何度も頷きながら包みを開けると、てらてらと日差しを白く反射させる絹の反物が顔を出した。皺だらけの指先でそれをそっと撫でると、満面の笑みを浮かべて平泉寺を見上げた。

「ひってぇ、かわらしのぉ。ねんねのほっぺのようやってんの。」方言をなんとなく理解して、平泉寺はにこりとして少しの笑顔を返す。

「最近はポリイミドとかの生体材料の製糸ばっかりなんです。PFCの、」平泉寺の言葉を遮るように老女はすっと立ち上がり、すばやく歩いて屋台の裏にまわった。カウンターの内側にかがみ込み、台の下から何やら探し当てると文庫本のようなサイズの紙の包みを取り出した。


「マホロぉ、これ、ちょ開けぇ。」

 カウンター越しに包みを受け取った平泉寺は、慎重な手つきでそれを開けた。

「あぁ! マホロの絵ぇや!」

 平泉寺が畳んである絹のスカーフの一角をそっと持ち上げると、すこやかは驚きと喜びで立ち上がった。

「近頃は、曼荼羅描ける人もぉ、ようけえんくなってのぉ、ありがとぉな。」老女はカウンターの裏から戻り、再び同じ椅子に座った。


 すこやかは平泉寺の手から絹の曼荼羅を慎重に、しかし素早く取りあげると、二人が見えるようにそれを広げた。漆黒の背景に鮮やかなミントブルーと優しいサーモンピンク、曼荼羅としては珍しい配色のデザインで、描かれているトゥルクの高僧たちはタコをモチーフにデフォルメされている。


「ありがとうおばさま。」そう言って平泉寺はすこやかの前にしゃがみ込んだ。それから「巻いてみて」とすこやかを振り返ると、すこやかは器用にスカーフを平泉寺の頭に巻いた。


「かわらしのぉ。」老女は目が見えなくなるほど顔をくしゃくしゃにして笑う。

 平泉寺は立ち上がると合掌して頭を下げた。「では、また後で」と言って歩き出そうとした平泉寺を、老女が突然小声で呼んで引き留めた。座ったまま平泉寺を指差し、自分の耳と口元を指差し、手招きをした。


「マホロ。」老女が囁き声で話し出すと、平泉寺は腰を曲げ、スカーフを巻いた頭を低くして耳を老女の顔に近づける。


「ようけ分からんけどのぉ、昨日ぉPFC着た人らが、ここいらのマーケットにおったんを、見た人がおるてゆうてのぉ。」平泉寺は目を見開き、口を開きかけるが老女が話を続けた。

「あまり、大声で中の話はせんほうがええて。」平泉寺は視線を動かさずに口を閉じ、そのまま黙って頷いた。まっすぐに立ち直って老女の目を見つめると、今度は老女が頷いた。


「お御環みわ(地球環)がようけくっきり見えとるでぇ、明日も晴れるでの。」突然老女は声のトーンを変え、話題を変え、空気を元に戻した。


「ほならね、マホロ」すこやかは老女と一緒に手を振って平泉寺を見送った。


 ピックアップトラックのギアをドライブに入れて、アクセルを踏み込んだ。スピードがあがるごとに、ディーゼルエンジンの音は落ち着き、平泉寺の後ろには土埃が舞い上がる。

 なんだろう。この嫌な感じは。


●2036 /06 /19 /11:53 /福井北ターミナル・渡小舟


 新横浜から新幹線に乗り、米原まいばら経由で福井駅まではどうにかたどり着いた。


 2024年に地殻変動が起こらなかったら、本当は福井にも金沢回りの新幹線が東京から直で通っていたらしい。

 福井市は地殻変動の大震災の後、政府が研究施設やテクノロジーのスタートアップ企業を盛んに誘致して、福井大学を中心に学園都市として成長させた新しい復興モデルの都市だから、駅から見えた限りでは、おしゃれなカフェなんかもいっぱいありそうな雰囲気だった。


 ただ、私は駅構内のターミナルからバスに乗ったから、学園都市の観光はできなかった。そして駅から目的地までのバスは値段がめちゃくちゃ高い。新幹線代と同じくらいする上に、よくわからないけど、軍用車? みたいな感じで、実際にマシンガンみたいなものを持っている人たちがうろうろと警護しているから私はかなりドキドキした。

 私はバスの後ろの方の席の窓側に座り、大きめのバックパックを隣の席に置いた。バスは時間通りに出発すると、工事車両のような聞き慣れない低いエンジン音で、復興が進んだ市内を走り始めた。

 でも、豊かな植栽と低層の建物がきれいに整備された街の中心部を抜けると、景色がすぐに変わった。まるで先週地震がありましたみたいな感じで、十数年前の震災の傷跡がそのまま残っていた。


 ドライバーとマシンガンのような銃を持った警護の人たちを除くと、バスには私を含めて5人くらいの人がいて、みんな年配の方だった。なんで私がこんなところにいるのかと言えば、それは私が昨日、鳴鹿ちゃんに電話をしたからだ。


 荒鹿君にあった日はとにかく何もできなかった。次の日はずっと冷たい雨が降っていた。目がすごい腫れていたし、私は学校を休んだ。夜遅くに雨が上がると、月と地球ちきゅうが明るすぎて、私は眠ることができなかった。

 一方的かもしれないけど約束もしたし、結局、私は荒鹿君に電話をかけた。予想通り彼は電話を取らなかった。

 私の中には、荒鹿君がサマージだっていう確信があったから、私の心配は極限まで募ってしまった。何度電話をかけても荒鹿くんは反応しない。昨日の夜ついに、私は鳴鹿ちゃんに電話をかけた。


 ヴィジョンゴーグルの電話口で泣いてしまった私に、鳴鹿ちゃんはいろいろなことを話してくれた。画像や動画やちょっとした弟ディスを交えながら、可愛い双子の人たちのことや、荒鹿くんが関わっている「冒険」のことを話してくれた。

 彼女も深くは知らないそうだけど、荒鹿君は本当にサマージではなかった。ただ元サマージの人たちと、サマージを相手に冒険しているみたい。そして彼らは何故だか大野さんと、もう一人の大人の女の人(ーとっても綺麗な方!)を探すために奥越に向かったのだ。


 確かに彼はサマージではなかったのだけど、私が言いたいのはそういうことではないんだよ荒鹿くん。あなたにはいつも無事で平和で安全でいて欲しかったんだよ、荒鹿くん。


 鳴鹿ちゃんの話を聞いた後、私は今朝1番の新幹線に乗って、結局福井までやってきてしまったというわけ。何故か元サマージのお綺麗なお二人とご一緒して、何故かお綺麗な女の人たちを探しながら、ぼうっとしてるはずの荒鹿君を探すために。


 本当は今夜、鳴鹿ちゃんとご飯を食べに行く約束をしていた。

 私はそれがとても嬉しくて楽しみにしていたんだけど、やっぱり、居てもたってもいられなかった。ごめんなさい。鳴鹿ちゃん。

 そしてこの辺りは衛星の電波すら遮断されているみたいで、鳴鹿ちゃんにそれを伝えることもできない。


 ターミナルにバスが止まると警護の人が先に降りた。その人の制服には福井県警という文字が入っていた。警察もこんな軍隊みたいな武器を持ってるんだ、なんて思いながら、私は他のお客さんについて最後に降りると、その後からもう一人、同じマシンガンを持った警察の人がついてきた。


 福井の空は広くて、地平線に横たわる近くて低い山々から聞こえるにぎやかな蝉の鳴き声は、夏の匂いを運んできた。その匂いが胸に詰まって、私はまた泣いてしまいそうになる。


 なんだかこの季節が嫌いになってしまいそう。振り向くとはっきりと見えている地球の環をゆっくりと飛行機雲が通り過ぎる。福井の雲はあまり見慣れないバランスで透明な空に散らばっていた。


 ここからゲートまでは徒歩。雑草が生え散らかった農道も、そこに沿って打ち捨てられたようなトラックの列も、どっちも穴だらけ、そこら中が穴だらけで、真っ直ぐになんか歩けない。震災というよりは戦禍の跡みたいだった。

 透き通った夏の青空と被災地との対比に全然現実感がなくて、なんていうか悲惨な感じは全くしなかった。そして、その事実が改めて重く胸にのしかかる。

 直射日光が、肌をジリジリと焼きつけていた。


 私たち(年配の方々と私)は近くに固まって、その前後を警察の人に挟まれて、地面に開いた大小の穴につまづかないようにゆっくりと歩いた。倒れた鉄塔の下を抜け幹線道路に入ると、農道沿いにずっと続いていた穴と錆だらけの不気味なトラックの列が終わっていたから少しだけ気が楽になった。警察の人はここまでだった。彼らは敬礼をすると、再び鉄塔を潜り抜けて戻って行った。


 幹線道路をしばらく歩くとフェンスと有刺鉄線で道が塞がれていた。ここから先が奥越の管理地域だ。その突き当たりを左に曲がるとゲートまで続く道があった。見捨てられた廃墟にある無法地帯のマーケットだ。

 ここはナイトマーケットとして有名らしいんだけど、昼間だからか、すこし閑散としていた。それでも、ちょうど昼時の真上からの太陽で、とても明るかったから、廃墟の悲しさや無法地帯の恐怖感は感じなかった。

 連なった露店の列の上には、向かい合った廃墟の屋根や電線の切れた電柱なんかが何百もの紐で繋がれていて、その紐にびっしりと吊るされたカラフル短冊が、弱い風にもひらひらと揺れてきらきらと日差しを反射するから、お花畑とそこを飛び交うきれいな蝶の群れみたいで綺麗。


 私はそのマーケットの入り口でちょこっと会釈をして、一言も喋らなかった年配の方々に別れを告げた。


 


●2036/ 06/ 19/ 10:22/ 管理区域内・嶺ノース


 昨晩、あたしたちは、せっかくだからと言ってナイトマーケットをちょっとだけ観光した。マーケットのに並ぶ露店には食べ物から武器までなんでもあった。もちろん武器は高すぎて買えないけど、もし誰かにあたしたちの荷物を疑われた時には、ナイトマーケットで買ったという言い訳ができる。


 その後、人混みに紛れて観音ゲートの通過に成功した。拍子が抜けてしまうほど簡単だった。「こんなに簡単に通れるなら、もう一度マーケットに行きたい」とさっちゃんはごねたけど、あまり危険を犯したくなかったから、あたしたちはすぐにゲートを後にし、川沿いを1時間ほど内陸に歩いた場所にテントを広げて野営をした。


 夜はかなり冷えたから、あたしたちは茂みの陰で焚き火をして、体を温めた。本当は、誰からも見つからないように焚き火は良くないってわかっていたけど、夜はあまりにも寒かった。昼間の移動でよく眠れたこともあって、この奥越の管理区域内で、あたしたちはなかなか寝付く事ができないでいた。

 時折はぜてぱちぱち鳴る濃い橙色の炎が揺れて、二人の顔に落ちる影がその表情を夜に溶かし出す。あたしは二人にこんな話をした。


 エッセルの情報を見たかぎりでは、この奥越地域を共同管理している日本政府とRTAはうまく行ってないのではないか。だから、日本政府はわざと周辺に混乱を引き起こして、RTAを困らせているんじゃないか。そうじゃないと、あんなに簡単に誰でも通過できるのはおかしい。そして、空港襲撃事件の混乱も、似たような構図でおこっているんじゃないか、ってこと。


 二人はその考えに同意をしたが、二人から新しい意見が出ることは特になかった。

 二人の反応に対して、あたしは自分が苛ついている事がわかった。万全を期すつもりなら、本当は焚き火だってしたくなかった。


 でも、人工的な灯りが全くないこの管理区域内の夜空に、地球そらと本物の天の川が交差する珍しい現象を見る事ができたから、どうにか平静を保っている事ができた。

 その現象を見つけたさっちゃんは大はしゃぎでずっと星座のことやなんかについて喋っていた。スール事件で脳が覚醒してしまって、眠れないのかもしれない。

 明け方にやっと眠くなり始めたさっちゃんとあたしがテントに戻っても、クズリュウはずっと外で火をいじっていた。


 「意外と早くキャンプができて嬉しかった」と言ったさっちゃんは、あたしに背中を向けるとすぐに眠りに落ちた。

 空港襲撃の日に、燃える上がる空港を見ながらさっちゃんとキャンプに行こうと話した事を思い出すと、涙がこぼれた。


 あの襲撃では、罪のない人々が大勢死んだ。みんな血や肉の塊になって、そこら中に飛び散った。あの襲撃に向けて、サマージも、いろんな事も全てが変わってしまった。


 ここのところ色々ありすぎて、あたしは疲れていたのかもしれない。さっちゃん、ごめんね。


 7時前に目を覚ますと、クズリュウのコットは空で、そこには彼が寝た形跡もなかった。まだ寝ているさっちゃんを残してテントをでると、クズリュウは燻り続ける焚き火の傍で小動物のように丸くなって寝ていた。

 あちこちで鳥が鳴いているのが聞こえる。鳴き方が下手な鶯が一生懸命に言葉を練習している。もしかしたら下手なわけではなくて、この地方の方言なの? 鳥にも方言ってあるの?


 太陽は既に見上げる高さまで登っていて、もう寒くはなかった。日差しが強くなってきたから、あたしはクズリュウに薄いブランケットをかけた。ズレてしまっている眼鏡を外して、そばにあったキャンプテーブルの上に置いた。


 男の子なのに、スベスベで女の子みたいな肌をしている。あたしは試しにクズリュウの頬を指先ですっとなぞって確かめると、さっちゃんを起こしてテントを畳む準備を始めた。


 出発の準備が整うと、あたしたちは川沿いの岩場や茂みを歩き始めた。


 今日の夕方にはAG-0がある山の麓の辺りに到着するはずだ。その辺りに今夜の野営地点を決める。そこが、しばらくの間あたしたちが潜伏するキャンプになる。そして、明日からは平泉寺さんの通り道になりそうなルート上やCCTV周辺に何ヶ所かポイントを決めて、手分けをしながら彼女を探す計画になっている。


 楽しいことばかりではないけれど、星空や大自然が気持ちを穏やかにしてくれている。そんな感じがする。

 そして、さらに恐竜川に流れる水はなんとエメラルドグリーン!

 空を映しているみたいでとても綺麗。あたしたちが進む川沿いは、その稜線に一本いっぽんの木々の形が分かるくらい近くにある丘陵に挟まれている。連なっているそのなだらかな嶺が昼寝をする恐竜の背骨みたいに見えた。恐竜の群がお昼寝をしているみたいでかわいい。


 さっちゃんは今朝も元気に先頭を歩いている。クズリュウは遅れて後ろを歩いている。もう少ししたら休憩をしようと思う。頑張りましょう。



●2036 /06 /19 /12:23 /福井北ターミナル・渡小舟


 いくら傷心旅行だって言ったって、お腹は空く。

 あ。自分で、旅行って言っちゃった。


 正直にいうと、実際のところ何も知らないけれど、荒鹿君や大野さんが巻き込まれている「冒険」みたいなことに全く興味がないわけではない。もちろん、私がここにいるのは荒鹿君が心配だから。


 でも、荒鹿君や大野さんが羨ましいって気持ちも自分の中に少しあるって、気が付いたりもした。

 学校よりも、家族よりも、友達よりも、そして幼馴染みよりも大切なことがあって、それに向けてしか動けない不器用な人たち。


 遠くから白米が炊きあがるいい匂いがした。

 この二日間くらい、胸の病い(重症)でほとんど何も食べていなかったのが、今、急に空腹感に変わった。お腹が空くことが、嬉しい。生きてるって感じがする。


 荒鹿君、ちゃんとグラノーラ食べたかな。荒鹿君なんかにあげなければよかった。食べ物の恨みは怖いんだからね。なんて思いながら歩いていると、木の板に「おにぎり」という筆文字で書かれた看板がぶら下がっている露店があって、小学生くらいの少年が裏側から一生懸命大きな鍋のようなものを運んでいた。

 彼は露店のカウンターの内側の台によいしょ、と言って鍋を乗せると、顔の上にかかったふわふわの長い髪をかき上げた。


 少年は私の気配を感じたのか、少し疲れたような大きな目でこっちを向いたから、ふいに目が合ってしまった。私は、ニコリと会釈をしてすぐに目を逸らす。屋台裏の廃墟の前に、崩れたブロック塀を組みあげたような石窯があって、白い煙が上がっているから、そこでお米を炊いていたのだろう。


 値札もメニューもないけれど、カウンターにはちょっと形が崩れてそれでもなお美味しそうな白いおにぎりが4つほど並んでいた。

「ねえ、お店の人はいる?」

「うらやで。」うら? 地元のイントネーションだろうか、少年はぶっきらぼうに答えた。

 裏にいるの? そうか、自分だよってことに違いない。


 小学生が働かなければいけない世界線。日本といってもみんな同じ暮らしをしているわけではないんだ。同じ地球ちきゅうの元で暮らす私たちだけど、誰一人同じなんてことはないんだ。


「ごめんね。おにぎりを下さい。」少し丁寧に言い直した。

「えぇけどぉ、なんおにぎりしよ?」

 難題きたー。なんおにぎりって・・・。メニューもないのにわからないよ。どうすれば、なんて考えていると少年がカウンターから身を乗り出して、その大きな目で私の目を覗いた。私は後ずさって心の中で身構える。あ、それって身構えじゃなくて 心構えか。


「お姉ちゃん、ここでなぁしとん?」

「なぁって? なんで?」なんで、そんなことを聞くんだろう。

「お姉ちゃんみたいな、あやな子ども一人は、ここいら、あんまえんでぇ。」

 私みたいな、子ども一人はいないって? 私だって怒ります。

「子どもじゃないでしょ。子どもに言われたくない。」

 少年は、腕を組んで背筋を伸ばしてふふッと優しく笑った。もう、なんなの? 大人ぶってきやがった。


「人を探しているの。」子どもだったら、人を探して一人旅なんてしないでしょ。すると少年はちょっと真面目な顔になってから言った。

「昨日、知らん人ら、おったんやて。あっこらへん。」彼はマーケットの先を指差した。

「え? 見たの? その三人」少年は眉毛を下げて、困り顔になった。

「うらぁ見てえんけど、聞いたで。なんでお姉ちゃん、その人ら三人て分かるん?」

「画像があるの。見たいー?」少年は大きな目をきらきらと輝かせた。

「じゃあ、おすすめのおにぎりを教えて?」少年がちゃんと笑った。ちょっとだけ少年に近づけた。

「おすすめ? ほや、そばやの。おろしそば。」少年は誇らしげに言った。

「ここいら、水がええでな。」

 なんやねん! もう、なんなの、この少年は・・・。

「私、おにぎりが食べたいの。」

「えぇけどぉ、なんおにぎりしよ?」

 なんやねん! 少年! なんなのこのループは? なんか別の世界線?

 そういうところだよ、男どもよ!


「ちょ、待ってな」と言って少年は白いおにぎりを一つ笹の葉に包んで渡してくれた。

「あ、ありがと」私は感謝よりも疑問のこもった目を少年に送った。

「どうぞ。うらら露店、梅のおにぎりだけやでの。美浜の梅。」

「あら、ありがと」少年は屋台のカウンターからから出てきて、私の隣に並んだ。横に並ぶと身長が10センチくらいしか違わないことに気がついてショックを受けた。


「画像。」純粋な期待だけが込められた目で、少年は私を見上げた。私はドキッとしてしまった。小学生の時の荒鹿君みたい。


 私は「ちょっと待ってね」と言っておにぎりを包む笹を開く。私を子ども扱いした仕返しにちょっと焦らす作戦だ。おにぎりを食べ終わるまで、待たせちゃうよね。

「お姉ちゃん?」ほら、ちょっと不機嫌になった。


 ぱくっ。突然少年が私の手の上のおにぎりに、首を伸ばしてかぶりついた。ぐぐっ、こいつ。やり手か。

「あー! 私のおにぎり!」

「画像。」少年は、残りのおにぎりを私の手から奪い去ると、口をもぐもぐさせて、一個丸ごと食べてしまった。

「約束、だから。」と言いながら、ふっと力が抜けて、私は屋台に寄りかかるようにして崩れてしまった。目眩。

「あ、ごめんて。」と言って少年は私を支えて、近くにあったパイプ椅子に座らせた。


 少年が困った顔で私を覗き込んでいる。心配させてはいけないって思うんだけど、体に力が入らない。私はなんとか肩掛けのサコッシュからスマートフォンを取り出して少年に画像を見せてあげたいのだけれど、やっぱり力が入らない。


「すこやか!」少年の母親だろうか、女の人が私に向かって駆けてきた。彼女は私の手首を押さえて脈拍を計り、私の首元に手の甲を入れる。冷たくて気持ちいい。

「すこやか、お水持ってきて。」その人がどこかを指さすと、少年がマーケットを駆け抜けていった。


「あなた、お名前は?」女の人は、とっても綺麗で、大人っぽくて、ああ、あの画像とおんなじだ、と思った瞬間、私の意識は飛んでしまった。



●2036 /06 /19 /12:23 /観音ゲート前マーケット・渡小舟


 蚊取り線香の匂いで満たされた暗い部屋の冷たい畳の上で気がつくと、すこやか少年がお盆で何かを運んで私の横に歩いてきたところだった。蝉の声がする。ときおり風鈴が鳴る繊細な音が遠くから聞こえる。


「お姉ちゃん、お粥、食べ」すこやか少年は、私の背中を押して私が起き上がるのを手伝ってくれた。

 私はだいじょうぶだから、と言ったのだけど、彼はスプーンで掬ったお粥を一口づつ私の口に運んでくれた。ちょっと熱いくらいのお粥には梅干しが崩してああって、少しの塩みと少しの酸みが優しい。優しいな、少年。


 私は横に置いてあったサコッシュからスマートフォンを取り出すと、その画面を少年に見せた。薄暗い部屋の中で、画面からぼうっと浮かび上がる光を顔に受けて、少年の目が輝いている。


「暗いね、もう夕方?」私は部屋を見回しながら言った。

「くろぉなってんけどぉ、1時間ちょぉしか経ってえんよ。」少年の目はスマートフォンから離れない。

 私は指で一枚一枚の画像をゆっくりとスライドさせる。

「これが荒鹿くん。私の幼馴染み。(かっこいいでしょ)」少年はうんうんと二度頷く。よしよし。

「これは、双子のお姉さんなんだって。私は会ったことないの。」少年の目が少し輝いた気がする。

「そしてこれは、その妹さん」少年は不意に視線を私に移した。

「そうだね。髪の色が違わなかったら、同じ人かと思うよね。」少年はスマホに目を戻しながら頷いた。


「ここまでが、私が探している三人なの。」私は胸にちくりと痛みを感じながら、次の画像をスライドさせる。


「これは、大野さんの捜索ポスター。私の同級生なの。今の三人が探している人」少年は画面の中の小さい文字を読もうとして顔を近づけたけど、さすがに文字が小さすぎる。諦めて、元の姿勢に直った。

 次だよ、すこやか君。集中を切らさないで。そして、これには私も、かなり驚いている。


「そして、はい。」最後の画像を見せる。少年は予想通りに大変驚いた。私の手からスマホを取り上げて、色々な角度から画像を覗き込もうとした。

「マホロぉ。あやいのぉ。」少年は立ち上がった。

「私は写真よりもきれいだと思ったよ。」彼に手渡されたスマートフォンの画像をもう一度見てから画面をオフにする。

「マホロ、呼ばってくる。」少年は立ち上がった。


 え、「ちょっと待って。」私はどうしていいかわからなかったけど、ちゃんと何かいい作戦を考えてからお話しした方がいいと思うの。

「お姉ちゃん、立てるけ?」少年が私に向けて手を差し出す。小さくて、きめの細かいすべすべの子どもの手だ。私は彼の手を握って立ち上がった。

「うん。行ける」

「おばさまが、もうちぃとで帰ってくるでぇ、その前に行かんと」


 すこやか少年は私のバックパックをかついで暗い廊下を早足で歩き始めた。廃墟かと思っていた一軒家の内部は、実は丁寧に手入れされていて、割れたガラス窓はベニヤ板で補修され、機密性がちゃんと保たれていたり、割れていない部分の窓や玄関の扉なんかは新しいものに変えられていた。


「マホロぉ。お姉ちゃん、かたいて。もう帰るでぇ、うらぁ、ほこいらまで送ってくるで。」ドアを開けて大きな声を出しながら、少年はサンダルを引っ掛けると眩しく光るマーケットへと駆け出した。私も彼に続いて外にでると、マホロさんが心配そうに私を見た。しっとりとして優しいけど強い眼差しに、心臓がどくんと鳴った。胸の病いが再発しかける。少年は勢いよく彼女の脇を走ってすり抜けようとしたが、マホロさんは私を見つめたまま腕を伸ばして簡単に少年を確保した。


「なんか隠してるんでしょ、すこやか。」マホロさんは、私に微笑みを送りながらすこやか少年をじわりじわりと締め付けている。顎を締めるマホロさんの腕をぺしぺしと叩くすこやか少年。


 マホロさんはその腕を解くと、屋台のカウンターに残っていたおにぎりを笹で包みながら。

「二人は先に車に行ってて。すこやか。連れて行ってあげて。」すこやか少年は私のバックパックを背負い直しながらおにぎりを一つとった。


「はなから、ほうするはずやってん。こっぺなぁ!」

 そう叫んで走り去るすこやかを見ながら平泉寺は思った。お前の方がこっぺ(生意気)だ、と。



●2036/ 06/ 19/ 16:34/ 管理区域内・嶺ノース


 あたしたちはお昼過ぎに川沿いを離れ、しばらくは山を登っていた。数十メートルごとに種類の違うお地蔵様が獣道を見守っていて、少し奇妙な感じがしたけど不思議と怖くはなかった。きっと、この地域に人が住んでいた頃の名残なのだ。


 まっすぐで背の高い杉の木が、立体的なグリッドのように切り出す山の景色にもそろそろ見慣れてきた。1時間くらいは登り続けている。意外と息がきれる。標高が上がり背の高い木が減って空が広くなると、体温がぐっと上がるのがわかる。


 ときどき道が平坦になると、クズリュウがなぜかスピードを落としてペースを崩す。さっちゃんはペースを考えずに先へ先へと進んでいた。あたしは、さっちゃんについては彼女のペースに任せ、クズリュウにペースを合わせて彼の少し先を歩いた。


 先頭を歩くさっちゃんが突然歩みを止めた。さっちゃんは空に向かって大きく両手を広げていた。あたしとクズリュウはさっちゃんに続いてつづいてその場所に立った。


 高台のその場所からは、地球そらを背にして遠くに霞んで見える山々の稜線に囲まれたた勝山盆地の全体像を見渡すことができた。マップによると右の奥に見える特に大きい山々が白山なのだろう。

 川沿いを歩いている間は、可愛い恐竜みたいに見えていた緑の山々も、高台から見下ろすと谷間に迫る凶暴な恐竜みたい。狭い平地部分に暮らしていた人々や、きらきら光るエメラルドグリーンの川を食べてしまおうと集まる、大きな肉食恐竜の群れ。


 とにかく。あたしたちは、ついにたどり着いたのだ。

 視界の中心には太陽の光を眩しく反射する銀の卵、AG-0が遠くの山の中腹に燦然と輝いている。まだ、ほんとの卵みたいに小さいけれど、ついにAG-0を目視で確認する事ができた。

 銀の卵は真緑の丘陵の中で、肉食恐竜の中でも特に大きくて強い恐竜たちに守られているみたいに、堂々と鎮座していた。


 さっちゃんが振り向いて倒れるようにあたしに抱きついた。

「疲れたー!」そうだね、さっちゃん。あたしはさっちゃんを抱きしめる。クズリュウは深呼吸をして、岩場に腰をかけて水筒の水を飲み干している。

 あたしはさっちゃんを抱きしめたまま、二人で草むらに倒れ込んだ。

 仰向けになって腕を広げる。あたしの視界には空がいっぱいに広がっていた。


 頭上にはくっきりと地球そらが見えていて、今日はその細い溝までがいっぱい見える。神奈川で見る地球そらよりも、解像度が高いみたい。空気が綺麗だからだろうか。なんだか心が落ち着く。あたしは深呼吸をして、目を瞑った。


 まずは、テントを広げてキャンプを設営し、暗くなるまで休んだら、夜遅くにはルート作成と偵察拠点の選定のためにここを降りよう。ついでに集落の様子も見てみよう。明日以降の食糧の調達も考えなければいけない。

 二人にそれを伝えるとクズリュウはすでにうとうとしていた。驚いて寝ぼけたような声でうんと言って顔を上げようとしたけど、またすぐにうとうとし始めた。さっちゃんは空を見たまま「お腹すいた」と言った。昨日の朝からカロリーブロックばかり食べていたから、そろそろちゃんとしたものが食べたい。


「さっちゃんはおにぎりが食べたい」

 おにぎりを思い浮かべると、二人ともぐるるるうとお腹がなったから、あたしたちは笑ってしまった。


 つづく

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