【SF小説】 ぷるぷるパンク 第8話 遊行寺の合宿

●2036 /06 /09 /10:48/藤沢・遊行寺付近(芦原邸)


「ちょっと待ってアワラ!」立ち上がったノースが芦原に詰め寄った。

「何よ、そのPFCスーツっていうのは!」


 芦原は肩をすくめた。「あんたたち、話聞いてた? ポイントそこ?」


 ーアートマンが精神に及ぼす影響なんて言葉で説明されてもわかりっこない。この子達は、いつかその身をもって知るしかないのだ・・・。


「PFCスーツはアートマンとは別の技術なの。」

「さっちゃん、それ欲しい! 裸にならないってことでしょ?」


 芦原は双子を無視して話し始めた。

「とにかく。理論では証明されているにもかかわらず、未だぷるぷるパンクは調和しない。」三人は深く、そしてとりあえず、だけどなんとなく、頷いた。


「だから、アートマンじゃないのに同じことができるセーラー服は、君たちみたいにタコ、要するにぷるぷるパンクの力じゃなくて、ZEN由来の力を持ってるって線で考えてみてもいいかもしれない。」

 だから・・・、といわれても、三人は事態がうまく飲み込めていなかった。


「で、その数式は、その後どうなったんですか?」荒鹿は気になっていた部分を聞いた。

「ミクニさんはノースちゃんにその数式とZENの採掘地の話をした。」荒鹿の質問には答えずに芦原はノースを見て話を続けた。ノースが頷く。

「彼は、ノースちゃんに託したのね。」ノースは顔を上げて芦原を見つめる。ノースと見つめあった芦原は次に荒鹿に視線を移した。


「式は存在する。表舞台からは消えてしまったけど、研究者には平泉寺みたいなストーカー気質みたいなのがいっぱいいるからね。式は残った。ただ、そのおかげで調和が成ったかというと、知っての通りそうじゃない。」


 荒鹿は静かに続きを待つ。

「それは、考え方によっては、答えになり得る。」芦原が荒鹿をじっと見つめたまま言った。

「答え?」と荒鹿。

「この世界の成り立ちのね。」そして、芦原は部屋の中を歩き出した。


 ー成り立ち。荒鹿は頭の中で繰り返す。


「ZENや調和を信仰するトゥルクはその式の出現を『預言』と捉えた。宗教にとって答えが提示されちゃうって、それはそれは、大変なことなわけ。」

 どうしたら、この子達にもわかりやすいように伝えられるか。芦原は考えながら一呼吸を置き話を続けた。


「それをきっかけにトゥルクの一部は過激派になって、研究ではなくて信仰で調和を実現させようとしはじめた。ちょっと暴力的にね。そして、それがサマージ。」

 わかるような、わからないような。荒鹿は芦原の話を噛み砕きあぐねていた。目を丸くしてお互いを見つめ合う双子は、どちらかというと、フリーズしていた。自分たちが所属したサマージの、知らなかった成り立ちを知ることになったからだ。


「じゃあ、とりあえず、みんなのアートマン見てみよっか」


●2036 /06 /09 /10:56 /藤沢・遊行寺付近(芦原邸)


 今朝ここに来た時に通った芦原さんのアパレルショップを抜け、表通りに出た。太陽の光が随分と久しぶりのように感じる。信号待ちに並ぶ車の列には、様々な人たちが様々な理由でここに居合わせ、この場所を通り過ぎていく。

 雨季の晴れ間のもわっとした空気。今年の雨季はよく晴れる。昨日の大雨が嘘みたいだ。


 さっちゃんこと嶺サウスが空を見上げて何かを言おうとして口を開いたけど、結局何も言わなかった。地球環がぼんやりと浮かんでいる。彼女だけではない。誰も何も言わなかった。

 多分みんな、それぞれが頭の中で芦原さんの話を思い返していた。知らない国の知らない戦争の話。そして昨晩の雨の戦闘、空港の残骸。

 大雨の中を歩いて龍口寺の裏の山を越えた事、ここ最近身に降りかかったいろいろな事。

 ぼくにとってはアートマンやセーラー服の彼女が現れた事、双子にとってはきっと空港の事件やサマージの事。

 そんないろいろな事がごちゃ混ぜになって、想像もつかないこれからの事も、その全てがぐちゃぐちゃに混じり合って、結局誰も口を開けなかったんだと思う。


 ぼくらは黙ったまま、芦原さんの後から暗くてじめじめした建物の裏路地に回ると、真っ黒で重たそうな金属のプレートが不自然に壁面を覆っていた。

 芦原さんが背伸びをして、その横にあるセンサーのような機器に顔を近づけると、電子音と共に現れた赤い光の点が芦原さんの瞳孔を読み取った。

 真っ黒なプレートが音もなく、真ん中から地面と平行に上下に開き、どこかに吸い込まれるように消えた。

 扉の中に現れたのは、同じような質感の冷たく黒い小さな空間で、どうやらこれはエレベーターらしい。ぼくらは芦原さんについてその空間に入った。全員が中に入ると扉が地面と天井から競り出すようにして閉じる。

 なんていうか、鯨に食べられたような、そんな気分だ。扉が真ん中で締まり切ると、床と天井のふちの線がほんのりと白く発光し、その箱はふわりと降下を始めた。


 エレベーターが静かに止まると、さっき開いたのとは反対側の金属がゆっくりと上がる。そこは天井が高くてだだっ広い、暗い倉庫のような空間だった。

 エレベーターと同じように壁一面の黒い金属のふちがほんのり発光する照明スタイル。奥の壁は一面がモニターのようになっていて、世界地図や数字やチャートとか、ワイヤーフレームの動く図形とか、いろいろなものが雑然と表示されている。右の奥には歯医者のシートのようなシルエットがいくつか並んでいる。


「あの何年かあとにATMAを辞めたけど、ATMAの動きとか追手を監視するためのモニタリング装置が必要だったんだ。それがこの部屋。」誰に説明するでもなく、芦原さんが独り言のように話し始めた。

「だけどやっぱり、いらないマシーンとかコンピューターとか、いろいろ集めちゃってね。今はATMAとは関係なくフリーランスで大学とかで研究を手伝ったりしてるよ。それで、九頭竜君のお姉さんとは出会ってね。」芦原さんは僕たちの前を歩きながら喋った。姉の登場に双子の表情が少し柔らかくなったような気がする。

 ようやくノースこと、嶺ノースが口を開いた。


「辞めたのに追われてるんだ。」

「普通は、辞めれないんだよ。」芦原が普通のことのように答える。

「どういうこと?」サウスが聞く。その後ろではノースが深く頷いている。


「逃げた、的な?」

 てへぺろ、みたいな軽いノリで芦原さんがお茶目に言っているけど、そういう軽い話じゃないよね? とぼくは思う。

 追われてるとか、殺されるとか、そういう話でしょ? なんだろう、この感じ。

 そういえば、女子ばかりだからなのか、昨日からずっと落ち着かない。緊張がずっと持続してるような感じだ。昨日からずっと。

 そして、双子にはなんだか嫌われている。目が合わないし、会話もない。姉ちゃんとはすぐに打ち解けていたのに。


 確かに上から目線で救うなんて言っちゃって悪かったけど、もう、今は仲間じゃん。こんなぼくですが、そろそろ受け入れて欲しいです・・・。


「サマージもこんな感じでアートマン運用してるのかな?」きょろきょろ辺りを見回す双子を背中で察した芦原が、歩きながら聞いた。

「いや、もっと雑。」芦原の後ろで、辺りを見回しながら歩くノースが答える。

「なんか、倉庫だし、道場っぽい感じだよ。」サウスは金属の壁に指先でラインを描くようにして触れながら歩いている。

 芦原さんが左奥の壁を手で触れると埋め込まれていたドアが上下に開いた。サウスが驚いて壁から指を離す。

「ちょっと待ってて。」と言って芦原さんはその中に消えてしまった。

 その間双子は空間を歩き回って、金属の壁にある基盤模様のような切り替えラインや、歯医者にあるようなシート(これが接続ユニットというらしい)や、スクリーンの前にある操作ボードみたいなものを興味深そうに見ていた。ぼくは、なんていうか、そんなSF映画みたいな世界観に圧倒されていた。


●2036 /06 /09 /11:26/藤沢・遊行寺付近(芦原邸)


 しばらくすると芦原さんはウェットスーツのようなものを着て戻ってきた。芦原さんの子どもみたいな体の線が浮き上がって見えるので、ぼくはなんとなく申し訳ない気持ちになって、彼女から目を逸らした。


「ほら、これがPFCスーツ」と言うと、彼女は手に持っていたスーツをぼくらに渡した。

「やったー!」双子が声合わせる。


 芦原さんから受け取った黒いスーツは、しっかりした厚みから想像していたのとは違ってかなり軽く、ほぼ重さを感じなかった。マットな質感で気持ちのいい手触りだったから、ぼくはそれを撫でながら、着替えられるような壁やらついたてやらをキョロキョロと探した。


 突然双子が服を脱ぎ始めた。

 ぼくの存在を無視するように、その場でぼくの姉ちゃんの服を脱いで、簡単に畳んで足元にちょこんと置くと、あたりまえのように全裸になった。


 ぼくは驚いて、部屋の仄暗い照明をやんわりと跳ね返すその美しく張りのある身体の曲線を、ただただ見つめていた。


ノース「見ないでよ。」

サウス「変態。」

 二人が思い出したように、腕で自らの体の前を隠す。

「あ、いや、だって、いきなり」ぼくは急いで双子から視線を逸らし、こそこそと部屋の隅に移動して、こそこそと着替えた。「だって・・・。」

 もう、なんなんだよ。ぼくが存在してないみたいに扱っておいて、身体を見たら変態扱い。全く、なんなんだよ・・・。

 気を取り直して、ぼくはPFCスーツに顔を埋めた。部屋を構成する冷たい金属と比べると、この継ぎ目のないこのスーツは微妙にあたたかくて、干したばかりの羽毛布団に潜り込んでお日様の匂いに包まれたように気持ちがいい。微かに懐かしいような金木犀の香りもする。


 そしてスーツを足や腕に通して、へその上あたりにあるファスナーを首元まで上げる。

 ぼくや双子が着ている物に限っては、サイズに余裕があるのかもしくはストリートスタイルなのか体の線がそのまま出ることはなかったので少し安心した。


 三人がスーツを着て、芦原さんの指示通りに部屋の中央に集まると芦原さんが左手を上げた。

「左手首の内側の質感変わってるとこ、ここ、右手の親指で触ってー。」

 言われた通りに、質感の違うツルッとした部分に触れると、突然しゅっという音がして、一瞬締め付けられるような圧を全身に感じた後、その感覚が消えて元に戻った。

「おお、これこれ!」サウスが嬉しそうにしている。双子を見るとスーツが体にピタッと張り付き、綺麗な身体の線が黒くくっきりと浮き上がっていた。ぼくは咄嗟に視線を下げた。なんか、おっぱ・・・。ぼくは咳き込む。なんか、なんか、これ、裸よりいやらしくない? いいの? なに? なんなの・・・?


 動揺をかくせずに狼狽えてしまったが、自分に置き換えてみると急に恥ずかしくなって、両手を体の前に出して後ずさった。


「よきですなあ。」サウスが正面からノースの両肩を掴む。ほとんど跳ね上がりそうに喜んでいて微笑ましい。と少しの現実逃避を挟んでみる。さもないと、双子の身体の線にぼくの精神がやられてしまいそうだ。


「これ、めっちゃかっこいい! 写真撮って!」テンションマックスのサウスに対して、ノースはいたって普通のテンション。

「ほんとね。」


 ぼくらが着替えている間、忙しそうに部屋の中を歩き回っていた芦原さんが立ち止まると、金属の床に規則的に並んでいたPUNKのハザードマークが黄色く発光し、その周りの半径一メートルづつの円が光で区切られた。

 そのうちの一つの中心に芦原さんが立つと、しゅうっという減圧音がして、彼女が立っている円の区域が10センチくらい下がった。

 ぼくらもそれぞれが指示された円の中央に立つと、それぞれの円が同じ音をたてて少し下がった。


「いいかな。」ワクワク感をまったく隠しきれていない芦原さんがそう言うと、床に円状に埋め込まれた照明の光量があがった。それがすぐに天井まで届くと、それぞれが円柱の光るカプセルの中に入ったようになった。見上げた天井には、床と同じような素材の金属が同じように円状になって凹んでいた。


「じゃあ、いってみよう」

 三人はそれぞれ左の手のひらからタコープラークリットを発生させ、それを握り潰す。全身が白い光で覆われる。そしてぼくらはアートマンに変身した。


「いいねー。そのままー。」

 いつのまにかヴィジョンゴーグルをしている芦原さんが変身した三人の間をゆっくりと歩き回りながら、何かを確認している。

「嶺ちゃんたちは1秒以内に変身したね。正確には0.74444秒。すごい。」少し背伸びをしてノースのうなじ部分を確かめた。

「おお、去年のモデルだ。サウスちゃんも同じ。さすが、速くなってるねえ」

「さっちゃんのもサマージの中では最新だよ」

「そうだね、今年出た最新と比べてもほとんど遜色はないよ。ほら、これ、見える?」


 芦原さんが指でなにやら空間を操作しているけど、そこには何も見えない。

「ほんとだ。」ノースが答える? え? 何か見えた?


「芦原さん、何も見えないです」

 自信なくそれを声にすると、芦原さんが口元に不思議そうな表情を浮かべ、ぼくの後ろに回り込む。

「これは、すごい。」

「え?」

「このロゴ。」


 芦原さんがぼくだけマスクを上げるように言うと、彼女の視界がヴィジョンを通して壁のスクリーンにミラーリングされた。


「ちょっと見てて」

 ぼくはマスクをあげて部屋の奥のスクリーンを見ると、そこには芦原さんの視界が共有されていて、まずは嶺ノースのうなじ部分についている、ピザの一切れみたいな扇形の中に同心円のアーチが入ったロゴが映し出された。

「これ、みんなが知ってるATMAロゴでしょ、そして、」芦原さんが歩いてぼくに近づく。


 ATMAロゴはよく知っている。それが全く知らないロボットについている、なんいていうか、すごく違和感を感じる。例えるなら、高級車に光るドラえもんのエンブレム、そんな感じ。


 スクリーンにぼくのアートマンのうなじ部分が映し出される。

「これはちがうロゴだねえ。」

 正三角形の中に正三角形が三つある、三つ鱗のロゴだ。

「なるほどー。RTAか。」考え込む芦原さん。

「え? RTA?」双子が顔を見合わせる。

「サマージの?」


「そうだね、サマージに裏で資金や物資、兵器や情報を流しているRTAだね。2024年に設立されたアメリカの情報機関」


 芦原さんは操作ボードに戻ると、タッチペンを使って、ものすごいスピードで何かを書き散らかし始めた。それがひと段落すると、スクリーンには年表のようなものが映し出された。


2025年 | ファーストモデル

シリア戦線 | ア軍援護・データ収集及び動作確認


2027年 | セカンドモデル

台湾解放戦線| ア軍アートマン部隊正式編入・前線で活動


2028年 | サードモデル

中央アジア諸国間紛争 | (以下省略)

「これ、ATMAのアートマン開発史。アートマンは近年医療の現場では実用化され始めた義手や義足といった思考エネルギー、言ってみれば感情のエネルギーを変換させる反物質の実体化という面では夢の技術なんだけど、最初は兵器として生まれたんだ。」


 芦原さんは、後ろで腕を組んで部屋の中を歩き始めた。意味のない部屋のあちこちがスクリーンに共有されて酔いそうになる。


「2025年にファーストモデルをリリース、シリア戦線へ投入。そのあと、研究者たちがそれはもう一生懸命改善を重ねて今に至る訳だけど、実際ファーストモデルありきなんだよね。研究プロセスなんかはなにもなくて、突然存在したファーストモデルから全てが始まっている。」


 部屋の左奥にある存在感のなかった台のようなものが静かに起動し、ホログラフィで立ち上がったファーストモデルから最新モデルまで3Dのモデリングがスクリーンの年表の前をくるりくるりと移り変わる。


「ファーストモデルが突然現れたわけだから、宇宙人や未来人からの技術提供なんじゃないかっていうトンデモ系の研究者たちもいたりする。」


「ちょっとスキャンするよー。」芦原さんがそう言うと、ぼくのいる円柱の中に天井から青い光の筋が降り注ぎ、その強弱を変えながら動きまわる。

 おそらく、その光がぼくの全身をスキャンしているのだろう。スクリーンの一部のウィンドウにプログラム言語? そんな感じの意味のわからない文字列が高速で羅列された。


「やっぱり。ほら、ファーストとほとんど同じ。存在が謎とされてきたプロトタイプ。」

 次に芦原さんは、操作ボードのバーチャルキーボードを叩くとんとんという音を鳴らしながら話している。スクリーン上に何か別のフォルダを開き、そこに現れた別の文字列をドラッグしてスキャンのウィンドウに入れると、何百もある文字列のうちの数行が点滅し始めた。

「ほお、年式的にまだヴィジョンが連動してない感じね。」


「Appleがヴィジョンゴーグルをリリースしたのが2024年。当時のヴィジョンには脳波スキャンがなかったんだけど、2025年にATMA-NEURA社が脳波スキャンを導入したゴーグルをリリースしたんだ。まだまだおもちゃみたいなレベルだったけどね。ファーストモデルからそれが連動されるようになった。ってね」

 てねって。普通の会話みたいに聞こえるけど、話にうまく追いつけないのはぼくだけだろうか、と双子を振り返ると二人は必殺技の構えをして遊んでいた。


「はい、マスクかぶっていいよ。」首元のボタンを押すと、ぷしゅっといって後頭部からマスクが現れ顔を覆った。壁面モニターに映し出されていたいろいろな情報が、ヴィジョンゴーグルをつけている時みたいに視界の中に見えていた。

「ビジョンが連動したよ。」骨電動ではっきり聞こえるようになった芦原さんの声にも感動した。


 試しに必殺技の構えをして遊んでいる双子のアートマンに目をやる。

 ぼくの視界にはそれまでの情報に加えてさらに、二人それぞれの体に重ねて現れるターゲットマークや、動作予測ライン、そしてゲームみたいな体力ゲージまで現れた。

 ビューを切り替えると、今度はサーモグラフィのようなグラデーションのオーラが二人の体の周りに表れた。サウスのピンクのオーラは、サウスの呼吸にあわせて元気に動き、ノースの黄緑色のオーラはほとんど動いていない。


「おおすごい!  って二人はこれでいろいろ見ながら戦ってたわけ?」

 双子のアートマンがぼくの方を見ているけど、表情まではわからない。そりゃあ、強いよ。


「なくてもさっちゃん勝てるよ」必殺技の構えをしているサウスのオーラがヴィジョンの中で急に膨らんだから、慌てて視線を逸らした。

「そ、そうだね。ガンバルます。」語尾がカタコトになってしまい、研究室が静寂に包まれる。


「クズリュウくん。」


 その静寂を破るようにノースが首元の物理ボタンを指で触れると、彼女のマスクが上がるぷしゅっという乾いた音がした。それまで落ち着いていたノースのオーラが、ヴィジョンの視界の中で急に不安定に動き始めると、素顔のノースがぼくに向けてゆっくりと話し始めた。


「あたしとさっちゃんはね、子どもの頃から裏って言われる方の社会で生き伸びてきた。暴力も盗みも当たり前の社会。」

 ノースの言葉は、彼女の視線のように真っ直ぐと響く。

「あたしはね、あんたが言うように普通の子たちみたいに暮らしたいって、ずっと思ってきた。どこか遠くの国に行って、さっちゃんを学校に行かせたり、学校帰りにママのお見舞いに行ったり。空港が終わったら、そうするつもりだったんだ。」


 再びの沈黙が研究室を覆う。


「でもね、クズリュウくん。裏側から逃げ出したところで、どこに行けると思う? どこにも行けないし、表側になんて行きたくったって行けないんだよ。」

 ノースの眼差しは、悲しみと強さを同梱していた。

「でもね、クズリュウくん。」ノースは繰り返した。


「あのセーラー服のあの子を見て、考えが変わった。常識が通用しないってことは、そこには違う常識があって、あたしたちが行きたい世界は、多分そっち側なんじゃないかって。」彼女は言葉の終わりで視線を逸らすと、別のどこかを、いや、そのどこかよりもずっと遠くを見つめている。


「さっちゃんも、そう思った。」サウスが口を挟む。サウスのオーラはいつの間にか落ち着いて、ゆったりとした平和な波長に変わっていた。


「サマージから逃げたあたしたちと、公安のアートマンだと思われているあんたは、サマージとRTAに追われている。

 あの子はあんたの味方。だから、あの子の力を手に入れて・・・、そうすれば、あたしたちはきっと、サマージもRTAもぶっ倒して自由になれる、はず・・・。」

 ノースの表情から、不意に強さが消えた。自信が失われた。しおらしい。彼女のこんな表情は、なんだか意外だった。


 そして、そう・・・。

 自由・・・。自由か。そうか、そうなんだ。

 ぼくは・・・、ぼくは何か大きな勘違いしていたのかもしれない。

 おそらく双子もぼくも、お互い全く違う境遇だけど、その中で自由を求めていたのだ。

 これは救うとか救われるとかではなく、自由を手にするかしないか、そんな話なのかもしれない、きっと。


 ノースが続ける。

 「だから、君にはほんとに強くなってもらわないと困るんだよね。」

 双子の妹サウスと比べると普段から物静かな彼女のスピーチは、空間にも、ぼくの心にも響いて優しく突き刺さった。


「なんか、ごめん。」

 胸が急に苦しくなって、なんだか泣きそうになってしまったぼくは、自然に謝っていた。


 ぼくは二人のことを何も知らない。

 二人は強くて、綺麗で、たくましくて、お互いを想う大きな気持ちがあって、そんな人たちだ。

 そして、この二人には「生きていく意味」みたいな何か感覚のような物があって、今やそれでいっぱいに満たされて、今にも溢れ出しそうだ。

 彼女たちの身体を形作る表面の、肌とか髪の毛とか、そんな人間の境界線の外側から、「生きていく意味」が今にも溢れ出そうになっている。


 それに比べて、ぼくは、ただ、何も考えずに生きて、勝手にヒーローを気取ったりなんかして、ただ、ただ、恥ずかしい。ぼくはマスクを上げて顔を出して二人を見た。


「アラシカ。」サウスがマスクを上げてぼくの方に向き直る。強く真っ直ぐな視線とたくましい表情がマスクの下から現れた。

 突然の名前呼びは、姉ちゃんのおかげなんだろうけど、なんだか、すっごい嬉しい。なんだか、ぼくは、赦されたような、そんな、気分。裏とか表ではなく、ぼくらは自由を求める同志なのだ。


「強くなってね。」そう言うと、サウスはすぐにマスクを下げ恥ずかしそうに表情を隠して横を向いた。


 ぼくは次にノースに向き直った。彼女と目が合うと、その一呼吸後にノースは静かに頷いてマスクを下げたから、彼女の表情は隠れてしまった。

 ノースの目は、気のせいか少し潤んでいるようで、それを隠すためにマスクを下げたようにも見えた。


 心拍数の急上昇がモニターされていない事を祈りながらも、今、ぼくは安らぎを感じている。

 昨日の大船のカフェから突然始まったこのドタバタ劇の、この人たちと共有している時間の中で、ようやく、そして初めて安らぎを感じている。


「そうと決まれば、サウスちゃんの必殺技を解析していこう!」芦原さんがぱんぱんと手を打ち鳴らして、湿った空気を吹き飛ばすと、何の前触れもなくアートマンに変身した。



●2036 /06 /17 /12:11/藤沢・遊行寺付近(芦原邸)


 それから何日間かの間、双子は芦原さんの家に寝泊まりし、ぼくは大船から通うスタイルで、芦原さんによるアートマン合宿が開催された。


 午前中はPFCスーツだけを着て芦原さんからアートマンを使いこなすための操作方法や、関連する物理法則、原理となっている擬似調和エネルギーによる反物質の実体化、そして背景となる歴史や主要組織についての詳細や構成なんかの講義を受け、午後はアートマンに変身。サウスと芦原さんが必殺技の研究と練習、ぼくはノースと彼女がサマージでやっていたという模擬戦闘の対人戦訓練(言ってしまえば総合格闘技)の日々を繰り返した。ぼくらは思い出すだけでも吐きそうになる程の量の訓練をこなした。


 最初の何日かは、ノースからただ一方的に痛ぶられるだけのぼくだったが、なんていうか、コツみたいなものがちょっとずつ見えてきたような気がする。


 最初は偶然かとも思ったんだけど、攻撃を何らかの理由で一瞬躊躇する、例えば「このパンチが決まったら勝てるかも、でもその後ノースの機嫌が悪くなりそう」とか、「勝てるかも、だけど、どっちも痛そう」とか。

 一瞬の躊躇を挟むことで、両腕に光が走り、力がみなぎることがわかってきた。意図して躊躇するっていうのはなかなかコントロールが難しい。そして時折必殺技を試みるも何も起こらず、すぐにノースに張り倒された。


 あとは、ぼくとサウスが激突して、セーラー服の彼女を召喚しようと試みたりもしたけど、腰越漁港の一件以来、彼女はぼくの幻覚の中にしか現れていない。


 報道では、ぼくらがこの研究室に来るようになってすぐに川崎の浮島にあるサマージのアジトは神奈川県警によって事実上閉鎖されたとのことだった。県警の特殊部隊がアジト周辺の警護をしているらしい。

 そして、芦原さんの別情報によると、RTAと残されたサマージが川崎のアジトとHQ機能の移転計画を進めているらしい。サマージは川崎だけにある訳ではではないのだ。


 双子がセーラー服の少女を追う理由である「自由」のためのサマージ及びRTAの殲滅作戦だけど、芦原さんによるとセーラー服の力があれば表面上カワサキ・サマージの親RTA派とそこに関連しているRTA個々人の殲滅は可能だろうとのこと。

 しかし、ア国の国家的な情報機関を相手に立ち回っての勝利や、目的達成は無理らしい。無計画に戦いを挑んでも双子が求める自由にはつながらないのだ。


 しかし方法がないわけではない。それがRTAやATMAが表沙汰にしないアートマンのプロトタイプ。その開発初期の情報が価値を持つだろうということだ。

 それは双子だけではなく芦原さんや平泉寺さんなんかのATMA脱獄犯(芦原さんがそう呼ぶ)達さえも自由にできる交渉カードになるだろうという事だ。


 ぼくにその理由はわからない。しかし芦原さんの見立てによると、それは平泉寺さんが見つけた「式」、そして未だ実現していないぷるぷるパンクの調和の秘密ともイコールであり、痩せ続けるこの世界の常識さえ覆すだろうとの事だ。

 ぼくのアートマンについている三鱗のロゴや、サウスの必殺技が、ぼくらをそこに導くらしい。

 必殺技を磨き続けるサウスは、芦原さんにけしかけられて、

「さっちゃんたちが世界を救う」とうそぶき始めた。


 合宿の間、姉ちゃんが何故か芦原さんのショップでのバイトを増やし、毎日ぼくらを冷やかしに来ては昼ごはんを作ってくれた。双子は何故か姉によく懐いていて、そのおこぼれでぼくにも少しずつ慣れてきてくれたので嬉しかった。


 1日何時間も取っ組み合いをし、殴り合いをしているノースとは特に仲良くなれているような気がする。二人で並んで接続ユニットに並んで意識を失う直前なんかには、大船や鎌倉周辺の季節の花スポットと花ごとに集まる蝶の種類のちがいや、スケートの乗り方のこつー体重移動の考え方なんかを教えてくれるようになったりした。これは、アートマンで飛翔する時に役立っていると言う。


 サウスの必殺技が安定しその威力を増し始め、ぼくがノースに10本中一本くらい勝てるようになってきた頃、芦原さんがぼくらにこれからの計画を共有した。


 ぼくらはまず、芦原さんの昔のバディである平泉寺さんを探す。芦原さんの考えでは、ミクニがノースに言ったようにやはりZEN方面から攻めるべきということで、まずはZENを研究していたという平泉寺さんを探すことになった。

 ATMAの脱獄犯である彼女も芦原さんのように自分の情報を全てのオンラインから遮断し、芦原さんの言葉によると「裏に沈んでいる」はずだった。


 芦原さんはこの何日間かの間に、彼女の足跡を追うために可能な限り世界中のCCTVにハッキングをかけた。ATMA時代のデータを引っ張り出してきた平泉寺さんの生体データの照合を続け、ついに彼女らしき人物が奥越おくえつ地方のとある施設近くで引っかかった。


 ぼくらは、その場所ー表向きは奥越地方の国立公園内で地質古生物学の研究施設となっているAG-0エージーゼロー別名『銀の卵』とよばれるその施設を目指すことになった。


 追われている身では公共の交通機関が使えない。ぼくらは奥越まで、サマージの定期輸送トラックのコンテナを拝借して移動する。飛んで火に入る夏の虫にしか思えないが、灯台下暗しという事なんだろう。


 しかし、その前に双子が計画したサマージ襲撃大作戦、もといサマージアジトからIDを盗む計画を成功させなければならない。コンテナに忍び込むためにIDカードが必要なのだ。


 明日の夜の決行に備えて、今日の午前中で合宿は終わった。


●2036 /06 /17 /13:58/国道134号線・材木座付近


「双子ちゃんと会えなくなるの寂しいな」遠回りをして134号の海沿いを運転中の姉ちゃんがつぶやいた。珍しく自動運転ではなく自分で運転している。

 合宿の間にはちゃんと雨が降っていたから、久しぶり晴れ間。地球環が相模湾からぼんやりと浮かんでいる。


「そこ? もっと心配とかないの? ぼく、死ぬかもよ?」ぼんやりと運転している姉が逆に事故らないか心配だ。


「えー、死なないでしょ。双子ちゃん強いもん」

「まあ、それは。」きらきらと日差しを跳ね返す波間にゆらゆら浮かぶ波待ちのサーファーたちが小さな粒のように小さく見える。


「何を弱気になってるのよ。」


 ぼくが弱気なことには、実はちゃんとした理由がある。

 確かに最近強くなってきたという自負もある。ノースとの戦いも様になってきたような気もしている。勝てていなくても、ノースが初心者相手の舐めプをしなくなったのがその証拠だ。それにノースはぼくに負けないために必死な時すらある。しかし、問題は強いとか弱いとかではなくてあの夢だ。

 この合宿の間中、決まって自分が死んでいる幻覚を見ていた。


 接続ユニットに横たわって意識を失うと、いつもの光の空間でも、ぼくは横たわったままだった。それまでの幻覚ではだいたい、普通に突っ立っていたり宙に浮いていたりしたから、幻覚の中で横たわっていることには、何かしら違和感があった。


 横たわったまま少し時間が経つと、金木犀の匂いがその空間に突風のように押し寄せて、あの女の子がセーラー服ではなく特殊部隊みたいなアサルトスーツを着て、横たわるぼくに駆け寄る。彼女はぼくの側にかがみ込むと、ぼくの首元に手を置いて脈を確かめる。


「九頭竜くん! 九頭竜くん!」ほとんど叫ぶように、彼女はぼくの両肩を掴んで揺さぶる。


「ねえ、君。」と声を出そうとしても、ぼくの言葉は声にならない。口が開かないのだ。


 金縛りのようで起き上がることもできない。彼女がぼくの両手を掴んだまま目を閉じると、その白い陶器のような頬に、涙の筋が光る。繊細で、華奢で、なんて綺麗なんだろう、と思う。

 ぼくが彼女の頬を触ろうとすると、ぼくの手はすっと、彼女の体を抜けてしまう。はっと気がついて見下ろすと、横たわるぼくの名前を呟きながら、その傍で泣いている彼女が足元に見える。


 幽体離脱というやつだ。自分のことを鏡や画像以外で見ることはあまりないけど、なんか、こんな感じか、なんて冷静に考えたりする。横たわっているぼくは、PFCスーツしか着ていないから、なんかちょっと恥ずかしさもある。


 彼女に気がついてもらえる方法をいろいろと考えていたその刹那、横たわるぼくに覆い被さるように泣いている彼女の唇が、横たわっている方のぼくの唇にそっと触れる。


 やっぱり。


 ぼくは、この感触を知っている。


 ぼくは彼女を知っているし、彼女もぼくを知っている。確信が形になりそうなその少し前の瞬間に、彼女の唇の柔らかさや、ほんのり暖かくて少し湿ったその感触がだんだんと光になって視界を覆い、右耳の後ろが熱くなって・・・、夢は、いつもここで終わってしまう。


 つづく


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