【SF小説】 ぷるぷるパンク 第7話 研究者

●2036 /06 /09 /09:22/藤沢


 ぱんぱんぱん。と手が打ち鳴らさる。荒鹿と双子はそれぞれ口をつぐみ、もう一度ソファに深く座り直した。


ー前回までのあらすじ(嶺ノースバージョン)


 ちょっと長いから早口で。


 腰越漁港の戦いの後、降りしきる雨の中、あたしは幻覚に落ちた二人をタコで取りまとめて引っ張って、どろどろに荒れ果てたびちょびちょの漁港から離れた。周辺には既に野次馬が集まり始めていたから、三人がちょうどよく隠れる場所を見つけるのに苦労した。二人が目を覚ますと、腰越のシャッター街を江ノ電の線路沿いに歩いて、大船にある九頭竜の家に行くために江ノ島のモノレールの駅を目指した。大雨が人々の視界を遮っていたから、あたしは少し気が楽だった。さっちゃんはタクシーに乗りたいとごねて、あたしはヒュッテの売上を探したけど、どうしても見つからなかった。

 モノレールの駅に着いたが、腰越の爆発の影響か運転見合わせ中とのことだった。あたしたちはモノレール沿いの道路を歩いて大船を目指すことにした。降り続ける雨の中、ひと山超えてたどり着いた目白山下駅の辺りで、身も心も冷え切って髪がぺったりと顔に張り付いたさっちゃんは、もう変身して飛ぼうとごねたけど、サマージに見つかりたくないからあたしはそれを止めた。

 九頭竜がお姉さんに連絡をすると、車を迎えに出してくれることになった。あたしとさっちゃんは、なんで最初からそうしなかったのかと怒った。こいつ馬鹿だ。さっちゃんがやつの後頭部をひっぱたいた。九頭竜の髪の毛から雨の雫が飛び散った。

 彼の家に着くとあたしたちは順番に暖かいシャワーを浴びて、九頭竜のお姉さんのいい匂いのする柔らかい服に着替えた。災害チャンネルでは、腰越の爆発が流れていた。江ノ島周辺の定点カメラに映っていた映像だ。でも解像度が低く、雨も降っていたから、あたしたちがそこにいるかどうかはわからなくて一安心。あたしとさっちゃんはいい匂いの服を着て「普通の家」みたいな空間にいることにかなり高揚していた。

 11時過ぎに、予定より早く九頭竜のお姉さんが帰宅する。豪雨だし電車が止まっているし災害チャンネルの影響もあって、お客さんがこなかったそうだ。九頭竜の馬鹿があたしたちをサマージのと言って紹介する。さっちゃんがやつの後頭部をひっぱたいた。

 鳴鹿さんはときどきヒュッテに顔を出すお客さんで、いつもチャイラテを頼む人だったから顔は覚えていた。眼鏡をかけたチャーミングなお姉さん。まさかこいつのお姉さんだったなんて。

 打ち解けたさっちゃんが何故か鳴鹿さんに手のひらのタコを見せた。あたしと九頭竜はびっくりして、あたしは鳴鹿さんを、九頭竜はゲーム機を守るために立ち上がった。鳴鹿さんはそっちにびっくりしてたけど、タコは可愛いと言って見入ていった。そして鳴鹿さんは自分の部屋からタコのTシャツを出してきて見せた。SNSでカルト的な人気を誇るアパレルブランド、藤沢にあるそのショップで鳴鹿さんは週一でバイトをしているんだけど、そのオーナーは鳴鹿さんによると空飛ぶタコの研究をしているらしい。

 鳴鹿さんがその女の人に電話をしたけど、繋がらなかった。冷蔵庫にあった物であたしが作った手抜き料理を、みんながおいしいおいしいと言って食べてくれて、就寝。腰越の戦闘の疲れからか、ここ数日の色々が重なったのか、一瞬で寝落ちした。

 ベッドに差す強い日差しで目を覚ます。雨季なのによく晴れる。和食な朝ごはんを用意してくれた鳴鹿さんがスマホで見せてくれた空飛ぶタコの研究家のメッセージは「すぐに来い」とのこと。昨夜、酔っ払った鳴鹿さんが情報量多めでメッセージをしてくれいてたらしい。まったくこの姉弟は。どこまで言ったんだか。

 あたしたちは朝食の後、鳴鹿さんに車で送ってもらい研究家の家へ向かった。さっちゃんの直感によると、その人になら何でも話してもいいらしい。さっちゃんの直感はよく当たる。遊行寺の坂の下のアパレルショップの前で車が止まり、あたしたちは鳴鹿さんに手を振って別れた。背の低い年上の女の人の先導でショップの中を通り過ぎる。さっちゃんはTシャツを物色したそうだったけど、女の人が止まらないからあきらめてついて行く。奥の階段を上がってその部屋に入ると、さっちゃんを中心に、あたしたちはこれまでのできごとを、背の低いその空飛ぶタコの研究家の頭上で一斉にまくし立てた。


 一人暮らしなのに大きなコの字型のソファ。昼間なのに締め切られた遮光のカーテンの隙間から差す、白檀のお香の香りがする柔らかい光。物が多くて雑然としているのに、なぜか散らかって見えない本の山や見た事がない標本みたいなもの。ちょっと不思議でなんだか快適な空間だな、と思った。

 ぶかぶかのTシャツを着た背の低い彼女が、大きくて柔らかいソファに沈み込んだら、見えなくなっちゃいそうだな、とも思った。


●2036 /06 /09 /09:22/藤沢(芦原あわら邸)


 ぱんぱんぱん。と手が打ち鳴らさる。荒鹿と双子はそれぞれ口をつぐみ、もう一度ソファに深く座り直した。


「一斉に喋らないでー。はーい、喋らない。一回整理するよー。」芦原あわらは抑揚のない少し掠れたような声で言いながら、自分もソファに沈み込んだ。


「ここにいる三人はみんなアートマンになれる。そうね?」三人が一斉に頷く。

「双子はサマージ所属。RTA経由でアートマンの技術提供を受け、現在は、というか昨日の夜から逃亡中。運が良ければ公安のアートマンに返り討ちにされたことになっている、と。」肯定を言葉にしたくてたまらないサウスは、強く頷くことでそれを我慢している。


「九頭竜君はニート。」三人が無言で頷く。

「え?」荒鹿は双子を睨む。そのくだりに二人は同意しなくてよくない? だって、言ってないじゃん、学校に行ってないこと。ああ、きっと姉ちゃんだ。

「サマージと関係なくタコを手に入れた。」芦原さんが付け足すと、無表情の双子は興味なさそうに目を瞑って無言で頷く。


「でも、アートマンの技術を持っているのはATMAエーティーエムエーっていう会社だけ。」荒鹿は驚きの目を芦原に向ける。

「え? ATMAって、あのATMA?」。ゆっくり頷くと、芦原は思わせぶりに立ち上がった。


「そう。ATMA。RTAの表の姿だね」

「そうなの??」

 ATMAと言えば、現代の経済システムの礎と言われるかつてGAAAFと呼ばれた企業群の一角 - Google, Apple, Amazon, Atma, Facebook。


 ぱっと思い浮かべるのはSNSのXと、PUNK燃料の自動車だ。2030年代の車のデザインは、だいたいATMAが23年に正式販売を開始したサイバートラックがベースになっているといっても過言ではない。

 あとは、民間企業での宇宙開発のはしりだったり、その延長の地球環軌道上での太陽エネルギー発電とマイクロウェーブ送信システムの実用化とか、災害や戦争が起こると突然現れて使わせてもらえる衛星ネットワークシステムのスターリンクとか。

 あ、あと、学校のウェアラブルヴィジョンゴーグルとかは、だいたいATMA。みんな子どもの頃から知っているあのピザの一切れみたいなロゴ。誰でも知ってるメジャーなテクノロジー・コングロマリットだ

 イーライなんとかという十字プラス中毒って噂の超経営者が「僕が考える最強の〇〇まるまる」を実現し続けながら築き上げた企業体だ。人工知能チャットGPTのテクノロジーでシンギュラリティの到来を早めたと言われているオープンAI社とか、脳チップで実現する医療的人体機能拡張のニューラリンク社とか、テクノロジーベンチャーに出資しまくったって話はネットで見て知ってるけど、アートマンの話は初めてだ。


「そういうわけだから、九頭竜君。あとでアートマンをチェックしよう。年式を確認したい。できれば出どころも。」双子が頷く。

「え? 二人のロボット・・・、アートマンと、ぼくのアートマン? は何か違うの?」荒鹿が双子に問うと、双子は揃って口を開いた。

「弱い。」正論の暴力にダメージを受けてへこたれる荒鹿。


「さて、サマージ時代、嶺姉妹は二人で力を合わせると金色の閃光を出せた。」双子が頷く。

「しかし、サウスちゃんが九頭竜君と反応してその金色を出した。」ノースが頷く。

「そして、その光からセーラー服の女子が現れた。」三人の頷きが少し小さくなる。サウスが唾を飲み込む音が皆にも聞こえた。


「セーラー服はサウスちゃんの技業わざをすぐに取り入れた。」サウスが強く頷いた。

「あれは、さっちゃんの・・・」

「はい、喋らない」すぐに芦原に遮られる。


「そして、ついに、サウスちゃんは必殺技を出した!」サウスが大きく頷く。ほとんど、ぶんぶんという音がしそうなくらいだった。


ぜんことわり成劫じょうこう。」サウスも芦原に合わせてつぶやく。

「ポーズは?」

「こう」サウスが両手を胸の前に平行に合わせる。サウスのその真剣で不器用な仕草と表情が、あまりに可愛らしかったから、芦原は止まらないにやけ顔を我慢しなければならなかった。


「なんで、その名前にしたの?」

「勝手に。勝手に、口から出た。」サウスは困ったような表情でぶつぶつと呟く。

「さっちゃんは、殴らなきゃ、殴らなきゃって、思ってたんだけど体が勝手に止まって、勝手に喋ったの。」

「なんて?」

 サウスはもう一度真剣な表情と仕草で、必殺技を見せる。

「ゼンのコトワリ・ジョウコウ。」サウス以外の三人は笑いを堪えることができずに吹き出してしまった。三人の意外な反応に驚くサウス。さあ、気を取り直して。


「誰もその女子と面識はないが、サウスちゃんと九頭竜君はアートマン解除後の幻覚マーヤー状態で会話をしている。」マーヤーという言葉は初耳だったが、二人はとりあえず頷いた。


「彼女が現実に現れたのは、九頭竜君がいるとき。そして彼女は九頭竜君の味方。」サウスの表情が不機嫌になり、不機嫌な唇を突き出す。荒鹿は腕を組んだまま黙っている。

「彼女はゼン?」三人が首を傾げる。


 芦原は手元にあった紙に、蛸の絵を描いた。

「このタコはプラークリットっていう、言ってみれば変身装置だね。」三人はその絵から目を上げると、黙ったままそれぞれの目を見合わせた。

「私が研究してたタコがこれ。アートマンはぷるぷるパンクの擬似調和状態を応用した兵器で、どちらかというと主にエネルギー変換による反物質の顕在化と、脳波スキャンによる人体機能拡張の組み合わせだね。」当たり前のように話す芦原に、ノースが恐怖の表情で芦原に目を向けたが、彼女はお構いなしに先を続ける。

「そして、セーラー服に至ってはアートマンですらない。PUNK《パンク》との関係性も不明瞭。」ため息をつく芦原。

「意味がわかんないわね。」首を横にふる芦原。わからないのは芦原以外も同じだった。

「アワラ。」ノースが挙手する。

「はい、ノース。」ノースに指を向ける芦原。

「どういうこと? ぷるぷるパンクの応用って、アートマンは安全じゃないってこと? PUNK爆弾とか?」全員がなんていうか、言葉を失ってしまった。ぷるぷるパンク。核? やばい?

「そう、怖いよね。でも、冷蔵庫とかお家で使う電気は怖くないでしょ? それと一緒。PUNKは私たちの暮らしのためにエネルギーを生み出すための、エネルギー。」

 ノースは分かったような分からないような表情で芦原を見る。


「私はね、昔、ATMAに所属していたアートマン技術者だったんだ。」突然ソファに沈み込んだ芦原が、ゆっくりと語り始めた。



●2024 /10 /03 /13:03 /CALTECHカルテック(カリフォルニア工科大)

 

 2020年以降、非活性状態に入った従来の発電エネルギー源であったPUNK《パンク》(Power Unit of New Karma)に変わるエネルギー源として再び注目されたのが、太平洋のマーシャル諸島で1952年に発見され、その融合をめぐって半世紀以上にわたり研究が続けられている「ぷるぷるパンク」と、1974年に発表された未だ未完成の理論「大統一理論(GUTーGrand Unified Theory)」だった。

 GUTは宇宙に存在する4つの力のうちの3つを統一させるという理論である。加速器を使って宇宙の時間を擬似的に遡ることで実証できると考えられている。ぷるぷるパンクにその統一された力を加えることで、分裂でも融合でもなく、調和させてしまおうという考え方は科学的・物理的に革新的だった。

 扱いが何かと難しい「分裂」でも、大掛かりなシステムが必要な「融合」でもなく、「調和」だから理論上安全で、取り出せるエネルギーも既存のPUNKの分裂の何十倍、何百倍。放射線は少しでるけど現代の技術でコントロールできる範囲内。既存のプラントを改造し既存のインフラで使用できる。まさに夢のエネルギーになるだろうと言われていた。

 しかし、周知の通りぷるぷるパンクの調和や、そこからエネルギーを取り出すことは未だに実現していない、現状では漏出エネルギーをどうにか使っているだけ。


 しかし、ある時ある研究グループが大統一理論の実証実験に成功したとの噂が広まった。その噂によると新興組織の研究期間ということだった。

 その論文が出ると言われた号のネイチャー誌を研究者の皆が心待ちにしていたが、その号のATMA-NEURA社の脳波スキャンについての記事を皮切りに、ネイチャーはどうもATMAの広報誌に成り下がってしまった。

 結局いまだに調和は実現していないが、論文の噂と前後して2024年にぷるぷるパンクに変化が起きる。

 世界中のぷるぷるパンクが一斉に臨界、擬似調和状態に入り、内向きのエネルギー消失が確認されたのである。そして周知の通り、それをきっかけに、その漏出エネルギーに限っては抽出管理が始まり、微小ながらもエネルギー源として実用化された。

 その後も調和の研究は続くが、未だに誰も突破口を見つけていない。研究者たちはぷるぷるパンクの変化以降、それぞれの研究に戻り、それぞれが調和実験を成功させようとする日常を繰り返している。


 そんな中、シリアとの紛争でア軍がATMAのアートマンを非公式に投入、ア軍は秘密裏に実績を積み重ね始めた。


 CALTECH-カリフォルニア工科大学で地球環軌道上発・送電の研究していた芦原は、マイクロ波送電器アレイ「MAPLE(Microwave Array for Power-transfer Low-orbit Experiment)」実用化の目処がつくと、以前上司に紹介されていたATMA研究組織の研究員新規募集に何気なく応募した。



●2025 /03 /10 /04:58 /ATMA社C130輸送機内


 地上約一万メートルの降下高度に周辺に到達したC130輸送機内は、エンジンと強風の轟音に支配され薄暗くて冷たくて金属的。特殊部隊の若い軍人たちの興奮が入り混じって昂った空気が緊張に張り詰めている。最低限の照明の元、剥き出しの機体の冷たい骨組みや壁際に並ぶ彼らの感情が、暗視ヴィジョン越しには緑色に見える。

 高高度降下低高度傘開こうこうどこうかていこうどさんかい(HALO)による潜入降下のため、ほとんど宇宙服のような装備に酸素マスクを着け、機体の左右のシートから立ち上がり後部ハッチの周辺に集まり出した彼らは、長いベルトで機体に繋がれた整備兵の一挙手一投足を見つめている。

 エアポケットに入る時の一瞬の無重力みたいな落下感が芦原の緊張を高め、重たいカーボンのボックスがごつんごつんとぶつかる鈍い音が恐怖感を募らせた。


「アワラさん、共有オンにしてください」

 ヴィジョンゴーグルのローカル通信を通じて声をかけてきたのは平泉寺へいせんじ。外の轟音よりも内側に直接聞こえる囁くような声に背中がぞくっとして、それが平泉寺とわかると一気に緊張が和らぐ。軍人たちに囲まれたこの物騒な作戦の中でも、無口が取り柄の大和撫子やまとなでしこ、MITで学生として地球物理学を専攻しZENの研究をしている過程で、この作戦に参加した芦原の若いバディだ。


 平泉寺が共有ヴィジョンのスクリーンに開いたウィンドウは、飾り気のないシンプルなブラウザページで、なんの説明もなくただ単調な式が並んでいた。輸送機内の雑然とした暗い緑の中に浮かび上がる異質な安らぎのようだ。

「これは・・・。」ゴーグル越しに平泉寺の目を見つめる。彼女は真剣な眼差しでウィンドウを操作している。

「そう、それで、こっち」

 それはZENの化学反応式とパンクの調和反応の仮想式が同じってことを証明する長い式だった。

「美しい・・・。」芦原は言葉を失った。

「パンクとZENか。考えたこともなかったわね。」芦原は素直に感心した。

「私もです。」

 機体に固定された長いベルトの先の整備兵が操作をすると、ゆっくりと輸送機の後部ハッチが上下に動き、白み始めたピンク色の空が大きな口を開いた。バランスを崩して転んでしまった芦原に手を差し伸べる平泉寺。

「多分、すぐ消されちゃうから、ローカルに保存しておきます。」


 それから降下までの間に少しだけできた時間に、芦原はリビングウィルの送信設定ウィンドウを開いた。それは生前遺言のことで、内容は出発前の休暇にあらかじめ書いてある。受取人は平泉寺だ。どうせ死ぬ時は一緒だ。

 財産分与関連のチェックを外し、これがただのプライベートメッセージであることを選択してあらかじめ書いていたメッセージを添付した。送信タイミングは死亡確認6時間後をチェック。有効期限は適当に100年をチェックした。ATMAは人が100年以上生きる未来を見越しているのか。長生きができるなら、不老もお願いしたいですな、と芦原は思う。


 最初に整備兵がカーボンボックスのデバイスを操作すると、それをぐっと押して空に落とした。それを合図に二人は酸素マスクを外し、ヴィジョンゴーグルをカーボンケースにしまうと待機していた別の隊員にそれを渡す。彼女はカーボンケースを太ももの後ろのアタッチメントに装着すると、二人に親指を立てて見せた。


 次に整備兵が合図を送ると完全装備の隊員たちが透明な空にぽろぽろと飛び出していく。肌に張り付くPFCスーツが口と鼻も覆っていることを確かめると、芦原と平泉寺も乾いた轟音の中に飛び出した。ごおおおおおと叩きつけるような強風が芦原を襲う。二人は木枯らしに舞う枯葉のように柔らかいピンクの大空で無力だった。


「こんなの研究員の仕事じゃねえええええ!」

 絶叫する芦原の手のひらには、対照的に静かに光が集まりタコがぷるんと出現。それを握りしめると芦原は光に包まれてアートマンに変身した。重力が急に消失したかのようにふわっと空中に浮かび、仰向けに止まった。地上で見るよりもくっきりとして壮大に見える地球環ちきゅうかん、ゆっくりと落ちてくる平泉寺のアートマンが地平線に顔を出した真っ赤な太陽の光を反射して上空できらきらと光る。



●2025 /03 /10 /05:20 /シリア北東部・シンジャル山脈山岳地帯 /ア軍前線軍事拠点


 低高度でパラシュートを開き出した特殊部隊の隊員たちを追い抜き地表までそのスピードのまま降下、地面スレスレを這う稲妻のように目的地を目指す。

 乾燥地帯の山岳に設営された軍事拠点に二人がたどり着くと、夜間の戦闘で負傷した兵士たちが前線から担架で運び込まれているところだった。ここは、山肌に沿って建てられたかつて寺院だった建築群の廃墟だ。その周りに繭みたいなカーボンネットの簡易テントがいくつも並んで有機的に広がり、遠い昔の知らない文明の知らない街のようだ。

「アワラさん。」

「うん。」

 二人のアートマンの前に、低いエンジン音を響かせ装甲車が止まる。二人が装甲車の後ろ側に設置されたアームを掴んでボルダリング・ホールドのような出っ張りに足をかけると、装甲車はゆっくりと動き始めた。収容される負傷した兵士たちの列を横目で見ながら拠点を抜ける。

 芦原は凸凹道の振動をダイレクトに感じながら作戦を頭の中で反芻していた。今回の作戦はロ国の支援を受ける反体制派の軍事拠点の殲滅だ。

 かつて村だった廃墟群を抜け、丘陵地帯をすぎると作戦ポイントの岩場が現れた。そこで装甲車とそれを運転していた兵士に敬礼で別れを告げ、顔を上げる。その場所からは、すり鉢状の谷を挟んで悠長で平和な丘陵地帯の景色が開けていた。

 ア軍の拠点があるこちら側の山岳と、それにゆるやかに連なって向かい合うもう一つの山岳。そして、もちろん地球環もある。


 芦原は、送電システムの設置のために地球環を構成する岩石塊の一つに降り立った日のことを思い出した。

 地球は実在している。地球は宇宙の暗闇の中に実在して光っている。青く神々しく光っている。そして、その地球のどこかにある、小さな小さな山岳に、シリアの反体制派は軍事拠点を構えていた。


 この山岳にはこれまで何度か経験した市街地のように身を隠す場所があまりない。大小の岩場がランダムに分散しているだけ。低木の茂みなんかは身を隠すには向いていなさそう。

 このようなケースは誘導ミサイルや無人機の爆撃でいわば簡単に済ませるような作戦になりそうなものだが、今回はデータの収集を兼ねていた。現場の兵士たちには新兵器との連動の詳細は知らされずに、山岳に溶け込む見えない敵との「戦闘」を強いられ、想定を超える被害を出していた。

 時折隠れている兵士がどさっと倒れ、遅れて風を切るシュッという乾いた音がする。音速を超える音もない被弾に大きな声で叫ぶ者もいれば、死んだことにも気が付かないくらいちゃんと死んでいる者もいた。


 心拍数があがり、息が苦しい。

「集中。」自分にそう言い聞かせながら、芦原は倒れた兵士たちの合間を縫って山岳を駆け降りる。これは自分にとっては仕事、そして研究の一環だ。地球環軌道の時でさえ、危険や恐怖でいっぱいだった。

 それに、これは世界や人々の未来を創る立派な仕事。


 芦原にとって、未知のテクノロジーであるこのアートマンの研究は、ぷるぷるパンクを調和に導き、世界からエネルギー問題を消し去り、今の世界を平和で平等な世界に変える研究なのだ。

 この手で人類の未来を切り開く。そう、このちっぽけな手で。

 そうやって自分に言い聞かせないと、やっぱり意味がわからない。シリア軍のレーザー兵器が直撃し、目の前で大きな岩が崩れた。岩の手前に隠れていたスナイパーが一瞬で岩に押しつぶされて死んだ。崩れた岩の隙間から、温度のある暖かい血が流れ出していた。


「平泉寺。」

「レーザー発射地点計算中です。でました。座標送ります。」

 芦原は大きくジャンプをすると、両方の手のひらを体の前に突き出し、何キロか先の向き合った斜面にあるその座標をモニター上に目視で照準を合わせる。

 研究目的だとしても戦争に加担している、人を殺すという思いが拭い去れない。敵も味方も死ぬ。そして本当は、改めて考えるまでもなく、芦原にとっては彼らのどちらも敵でもなければ味方でもない。芦原は一介の研究者なのだ。

 芦原は混乱する、後悔する、躊躇する、そして動揺する。

 書類にサインしたその日を、ペンを握るその手を思い出す。まさにこの手だ。その瞬間、芦原の体の表面に沿って電流のように閃光が走り、芦原の両腕にみなぎるようにして集まった。芦原は座標めがけて両方の手のひらからその閃光を放った。

「畜生め!」

 この手が、この手が・・・。

 芦原は光が収まっていく自分の手のひらを見つめる。何だろうこの気持ちは。平安?

 この手が誰かを強制的に輪廻の輪に押し込むのだ。戦争だろうと、戦争じゃなかろうと、人はいつか死ぬ。

 レーザーの出どころと思われる斜面に閃光が直撃すると、斜面があった場所が爆煙と共に直径100メートルほどのクレーターに変わった。


●2025 /03 /10 /05:20 /シリア北東部・シンジャル山脈山岳地帯 /ア軍前線軍事拠点


 その日の夕暮れごろには、反体制派の拠点だった丘陵は山岳ごと跡形もなく消え去り、夕日が地平線から直接ア軍の拠点に差し込んでいた。無になったその場所を大きく超えて遠くの地平線に続く地球環がはっきりと見えている。

 朝には見えなかった乾燥しきった平原が、地平線まで続いているのも見えた。

 平原には疲弊した村々が点在し、難民キャンプのような軍事拠点があった。後から聞いた話では、ターゲットだった反体制派幹部を含む二千人の反体制派兵士と、子どもを含む数百の民間人が犠牲になったそうだ。

 何千年もの間、生活や信仰を共にした山が一つ消え去り、逃げも隠れもできないこの地域の人々に始まる新しい歴史には、もはや悲壮感しか残っていなかった。


「山ごと逝っちまったな。」ヴィジョンゴーグルを外しながら生き残った兵士の一人がつぶやいた。何人かが並んで岩場に腰をかけ、静かに夕日を見ていた。


 憔悴しきった二人のアートマンは輸送用の小型ドローンにカーボンネットで引っ張られながら互いを支え合うようにして歩き、引きずられるようにどうにか拠点に戻った。ほとんど倒れ込むように薄暗いテントに入ると、よじ登るようにして、リクライニングを深く倒した接続ユニットのシートに沈み込んだ。

 小さな電子音がしてアートマンがユニットに接続され、サーバーとの同期が完了する。すぐにアートマンが身体から剥がれて消えた。芦原はPFCスーツの首元を緩め、深呼吸をして、ヴィジョンゴーグルを装着すると幻覚マーヤー状態に備えて目を瞑った。


 乾燥地帯の山岳の夜は寒かった。アートマンから人間に戻って、はじめて土地の匂いや空気の音や温度の感覚が物理情報として体の中に流れ込んだ。涙の粒が目からこぼれ、暖かい筋となってつうっとこめかみをすぎて髪の毛に溶け込んだ。


 目を閉じていても、隣に横たわる平泉寺が泣いているのがわかった。     



 つづく



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