【SF小説】 ぷるぷるパンク 第5話 双子
●2036 /06 /08 /17:33 /大船
つきっぱなしのモニターの前で、ウェアラブルヴィジョンゴーグルを装着した荒鹿は、ソファに深く沈み込んで考える。
羽田空港襲撃事件から2日後の6日の午前中、自衛隊の会見で完全制圧が発表された。
それ以来、空港襲撃の報道は落ち着きを見せていた。逆に最近の災害チャンネルはサマージについての報道ばかりになっている。今回の件で、初めて名前を聞く組織だ。
そして実は、これ、かなり重要だと思うんだけど、自衛隊の会見はサマージについては触れていない。SNSを通したア軍からの公式発信にもサマージの文字は現れない。テロ組織っていう呼び方と、治安の悪化ってところに触れただけ。実はサマージという名前は公式には、どこからも出ていないのだ。メディアが勝手に盛り上がっているだけだ。なんだか胡散くさい気配。
しかもサマージにポジティブな印象を植え付けるような報道を控えたのか、かのスケートボードの女の子の映像はぱったりと見かけなくなった。
そのかわり、SNSではめちゃくちゃバズっている。
荒鹿は、ヴィジョンゴーグルの中のディスプレーで、スケートボードの女の子の映像を繰り返し再生する。
ちなみに、大船の事件は報道された。逮捕されたサマージ構成員は、警察官4名を殺害した容疑で横浜の拘置所に移送。勾留中に閃光による自爆で死亡するも、他に死傷者は無し。
そして、大きな話題となっているのが、深夜の川崎駅周辺で起こったドラッグストア連続襲撃事件だ。閉店後のドラッグストアを狙って破壊行為を繰り返している。周辺を通りかかった一般人9名が巻き込まれて死亡しているが、犯人はまだ捕まっていない。
この件については、市販薬
どの報道でも人間型のアーマーの件については触れてない。流石に、非現実すぎて報道には向いていないということだろうか。
(正義の味方は出てこない、か・・・。いたんだけどなー、どっちの現場にも。正義の味方がいたんだけどなー)と、荒鹿は薄ら笑いを浮かべる。
『あんた、気をつけてね。双子が動いてるよ。』
荒鹿の脳裏には3番目に戦った女子の言葉と、見えてしまった彼女の裸が思い浮かぶ。そういえば、殺されると言っていた。サマージに殺されるのだろうか。静粛的なことだろうか? 拘置所の自爆も実は静粛だったりするのだろうか。
荒鹿は考える。とにかく、サマージは蛸を持っていて、蛸と閃光は関係がある。そして羽田空港の映像にも閃光が出てくる。でも空港にもテレビにも、あのアーマーは出てこない。
(とは言っても、このアーマー、クオリティすごいよね、未来のテクノロジーだよね絶対。かっこいい。)
(双子と戦うなら二人が相手ってことだ。タコ殴りでいけるだろうか。なんか強そうな必殺技を開発しないと勝てないな。)
(「双子が動いてる」ってことは、双子はサマージの用心棒みたいな感じなんだろうか。なんか、めちゃくちゃ強そうな気がする。そりゃあ、強いんだろう。)
荒鹿は、しみじみと思う。
荒鹿は、NETFLIXで見た海外ドラマの主人公、ミスター・ホワイトとジェシー・ピンクマンに送り込まれたメキシコからの刺客、双子の殺し屋サラマンカ兄弟を脳裏に思い浮かべてため息をつく。
調子に乗って格好をつけた荒鹿が、少年からサマージのアジトの場所を聞き出そうとしたのは昨晩のこと。しかし、報道ではすでにアジトが特定されていた。思いっきりモニターに映し出されている。そして、アジト前には報道関係の人間と車両、YouTuberやただの野次馬が初詣の人だかりのように集まっていた。
羽田空港にも程近い川崎の浮島だ。灯台下暗し、というやつだ。
もし、荒鹿がアーマーを纏って姿を表したら、大騒ぎになるだろう。それならいっそのこと、野次馬に混じった方が近づきやすいのかも知れない。
(あ。)荒鹿は思い直す。(いや、アジトで戦うことになったら、あのアーマーが何体出てくるか分からない。もし、あの弁髪の男みたいなのがわらわらと出てきたら、)
勝てる自信はない・・・。
(やっぱりアジト行きはやめとこう。しばらくは変身もやめておこう。)
荒鹿は、そのための言い訳を考える。正義の味方が、正義を実行しなくてもいい言い訳を。
(あ、そうだ。修行しよう。修行といえば・・・、そう! 坐禅。『健全なる肉体は健全なる精神に宿る』って言うし。)
荒鹿は、楽な方から考える。
(いや、でも、変身すると黒髪のあの子に会える。)
そう思い当たった荒鹿だったが、まだちょっと怖い。
変身してあの子に会えるのなら、それもいい。しかし部屋で変身すると、部屋が壊れそうだし、外だと全裸になってしまう。
「そうだ、とりあえず、大船のルミネの中の眼鏡屋に、この間作った眼鏡を取りに行こう。新しい眼鏡。眼鏡の乱れは心の乱れ、って言うし。」
そう。まずは、眼鏡から。
●2036 /06 /08 /18:08 /大船
引き取ったばかりの黒縁の新しい眼鏡をかけて、ちょっとだけの期待を胸に、ぼくはヒュッテを通り過ぎる。
やばい! あの子がいる。本当にいる!
ぼくは、歩きながら咄嗟に、でも、できるだけ自然な流れを装ってポケットの中で手を動かし、誰にも伝わらないかもしれないけど、(あ、何か、スマートフォン的なものを忘れてきたから戻らないと)的な仕草と表情をしてから方向転換、極自然な流れで店のドアを開ける。からーんと竹細工の乾いた音が響く。
「あ、あの、ここいい、ですか?」返事を聞く前に、極々自然を装ってカウンターに座る。
ぼくの隣には派手なバケットハットを被ったストリートスタイルの若い女性客が一人いるが、緊張で彼女を見る事はできない。店の中には三人だけ。
「どうぞ。」
あの子が、無表情で麻のようなラフな生地のソーサーを、ぼくの目の前のカウンターに置いた。
「あ、あ、ありがと・・・う。」
(あの子が目の前にいる!)
何を話しかけたらいいのだろう。ただ、ただ、綺麗だ。
眉の上で揃った深緑色の前髪、その下には今にも吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ深緑の瞳。しっかりと上を向く長いカールのまつ毛。髪の毛の隙間から耳の下に時折見えるのは、瞳と同じ色の石とビーズがぶら下がっているきらきらした長いピアス。
家を聞く? SNSを聞く? 学校を聞く? サマージの子だったら学校は行ってないだろうな、ニート? いやいや、働いてたらニートではないな、どうすればいい。まずは名前を聞く? あ、ぼくが名乗る? どうすればいい?
パニック状態に入りかけたぼくを察してくれたのか、彼女がゆっくりと口を開いた。
ああ。ぼくなんかに、声をかけてくれる。優しい。天使なのだろうか。そうに違いない。思った通り・・・。
「ご注文は?」
あ、はい。そうですよね。ああ、優しさ・・・、とはなんとなく、違う。店員さんとしての、お仕事・・・。
「あ、あ、あいすコーヒー。」ぼくは少しどもり気味になってしまった。
「6ドルです。」
「あ、はい。」
ぎこちなく立ち上がってポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃのドル札を取り出して6枚を数え、それを揃える。しかしこれは、あまりにもくしゃくしゃすぎる。彼女に釣り合う6ドルではない。ぼくは、6枚の札をカウンターで揃え、手のひらでアイロンをかけるように、強く撫でつける。ぼくは、札の皺が無くなるまで、それを繰り返した。
差し出された彼女の手のひらは、ぼくの作業を待つ間に力が抜け、華奢な指先で時間を持て余している。ちらっと見えた爪の先には、少し欠けてはいるけれど、深緑の繊細なネイルアートが施されていた。あの映像とは違うネイルだった。
「あの、そのままでいいんで、6ドル・・・。」
コーヒーを一口啜ると、心が少し落ち着いた。コーヒーカップをソーサーに戻す音が狭い店内にぎこちなく響く。
やっぱり似ている。きっと最近はみんなから言われるに違いない。もう聞き飽きているだろうか、聞いたら失礼になるだろうか。
「空港の、テレビ・・・。ずっと、このカフェ」
言いたいことがちゃんと纏まらない。
あ、やっぱり。彼女の表情が少し曇った気がした。やっぱり、もう聞き飽きているのだ。
「あ、暑いですね、外。外の。そう、外の。今日の最高気温は38度らしい、です。38。あの、」
「あ、そうですか。」彼女は自分のスマートフォンから目を上げずに答えた。
(勇気を出せ荒鹿。おれは正義の味方なんだ。ただ、言えばいい、会いたかったって!)
「サマージの・・・。」
ぼくがそれを口にした瞬間、ピンクの影がぶわっと動き、体の右側にすごい圧が生まれた。
あ、あれ、なんだろう。状況が理解できないうちに、カチャっという音がして、ぼくの首元には冷たい金属の塊が突き付けられた。ぼくは恐る恐る、ゆっくりと右側を見ようと首を動かそうとした。
「動かないで。」
圧がぐっと上がった。右側の女性客が立ち上がりぼくの右側を塞ぐ。氷のように冷たい圧力だ。額に冷や汗が流れる、とめ処なく流れ落ちる。
首元では冷たい金属がさらに強く押し付けられ、首の肉にめり込んでいる。カウンターの中のあの子が、右の客に向かって見覚えのある動きで頷いた。
あ、ああこれって・・・。サマージの合図だ。この子は本当にあのSNSの子だったんだ。
●2036 /06 /08 /18:10/大船
「誰?」
眼鏡をかけた男は、まだ子どもだ。あたしはさっちゃんに首で合図を送る。さっちゃんが銃をおろす。
男は固まったまま。少し震えている。冷やかしだろうか。入ってきた時から挙動が普通ではない。動画がSNSでバズってから、通りを歩いていても、たまに変な視線を感じることはある。
「なんでしたっけ、サマージ? ここじゃないと思いますよ。」
ぼぐあ。さっちゃんが男をグーで殴った。男がスツールから崩れ落ちる。立ち上がった男は両手をあげてさっちゃんを見て、あたしを見て、さっちゃんに視線を戻した。
◯
双子?
(気をつけてね。双子が動いてるよ。)という言葉が頭の中に響く。その双子がここにいる。ここに、サマージの双子がいる。
痛ってー。双子の片割れがすっげー殴ってくる。
ぼくはとっさに左の手のひらを出した。身を守る方法はこれしかない。
◯
「ちょっと待って!」
男が突然左手のひらをだした。光が手のひらの中央に集まり始める。やめて、店の中で!
「分かった。いいから、一回落ち着いて。タコ出したらあたしのタコに食わせるよ」
ぼぐあ。さっちゃんが男をグーで殴った。
「さっちゃん! いいから!」
男はスツールから転げ落ち、もう一度両手を上げてうな垂れたままゆっくりと立ち上がり、スツールに座り直した。
◯
「あんたが公安のアートマンってこと?」
さっちゃんって人は、いつでもぼくを殴れる体制で立っている。ボクシングみたいな構えだ。
あの子はずっと落ち着いて腕を組んだままだ。
こーあん? アートマン? この人たちは何を言っているのだろう。
◯
「あんたが、ミクニを殺したんだ」
そう言ったさっちゃんは、ずっと男を殴れる体制をキープしている。
「なんで? めがね。仲間なのかと思ってたよ」
男は恐る恐るさっちゃんを見る。さっちゃんが振り上げている拳は、ぷるぷる震えて、とても悲しそう。
◯
「あたしたちはね、あんたを捕縛しろって言われてる。」
ノースはタオルで手を拭いながら、落ち着いた口調で言った。
「いや、ぼくは公安のアートマン? ではないです。」
荒鹿の首はサウスの拳を警戒して縮こまっている。
「タコ。」
いつでも彼を殴れるよう、サウスの拳には力が込められぷるぷると震えている。
「・・・蛸は、はい。蛸・・・。」
荒鹿の両手はカウンターの上でぶるぶると震えている。核心が近づいている。
「大船、駅の向こう側。」
ノースはそう言ってからタオルを丁寧に畳んでキッチンカウンターに戻した。
「・・・はい。」
荒鹿は下を向いて、駅の向こうの閃光事件を思い出す。調子に乗って余計なことをしてしまったのだろうか。一抹の後悔が荒鹿をどこかの深い闇に引きずり込もうとする。一抹どころではない。百抹くらいだ。どうにか、状況を理解しようと、下を向いたまま視線を目まぐるしく動かす。
「川崎、ドラッグストア。」
ノースはゆっくりと腕を組みながら、荒鹿を詰めるように言葉を繋いだ。
「・・・・・・はい。」
荒鹿の肩から力が抜ける。サマージで確定だ・・・。
「正義の味方気取りかよ。」
そう言ったサウスは拳を挙げたまま、荒鹿の座ったスツールの足元を蹴る。スツールの金属の足が鈍い音を立て、荒鹿がスツールごとぐらりと揺れる。殺伐とした空気に満たされているこのカフェで、その動きはあまりにも間抜けだった。しかし、誰もそれを笑ったりはしない。
「公安じゃないなら、あんたを殺す」
そう言い捨てたノースは、カウンターの中で腕を組んだまま微動だにしない。
「ミクニはね、さっちゃんに殺してって頼んだんだよ」
もう一度、サウスはスツールを蹴った。荒鹿はもう一度、ぐらりと揺れた。
「・・え、あの、殺す?」
荒鹿は揺れながらサウスを見上げた。こっちはピンクだ。同じ人の色違いだ。
え? 待って。双子は殺人を請け負っている? サマージ・・・。
やばいことに巻き込まれているような気がする。気がするどころではない。スツールに座って揺れながら、荒鹿は絶望した。
双子は何故か、荒鹿の変身のことを知っている。しかし、それは「何故か」ではない、蛸を出そうとしたからだった。荒鹿はそれにも思い当たらないほど、動揺していた。
ノースが首で合図を送るとサウスが荒鹿のTシャツの襟を掴んで引っ張り上げ、無理矢理立たせた。
ノースがカウンターに向けて手を伸ばし、左の手のひらに力を入れて開くとその表面が緩やかに光り出す。光の粒をぱらぱらと弾きながら、彼女の手のひらからぷるんっと可愛らしく出てきたタコは瞬く間にひゅるひゅると何本もある黒い足を伸ばして、たちどころに荒鹿を縛り上げた。荒鹿はバランスを失って勢いよく倒れ、顔面から地面に激突した。
「痛ってえええええ。」
視界から突然消えた荒鹿を気にかけることもなく、ノースがスマートフォンに何かを指示する。それからさっとエプロンを外すと、通りに面した窓のブラインドを下ろし、ため息と共に入り口のドアにかかった『HUTTE OPEN』のサインを外す。レジスターからまとまった札の束を胸元にしまい込み、手際よく一連の閉店の作業を終わらせると、ちょうど店の表に車が止まる音がした。
ほんの数分間だったが、片足で荒鹿の背中を押さえつけ、ぷるぷる震える悲しい拳をずっと荒鹿に向けて上げ続けていたサウスにとっては、それが永遠のようにも感じられた。
ノースが店のドアを開けると乾いた竹細工の音が静かに響いた。
左右に首を振り、通りに人がいないことを確認すると、サウスは荒鹿の首根っこを掴んで店から引きずりだし、到着した車のトランクの中に投げるようにして押し込んだ。
閉じ込められた暗闇の中で、双子の会話が聞こえた。
ノース「もしもしサカイ、公安のアートマンが・・・。」
サウス「見つかっちゃったよ、ヒュッテ。」
ノース「
ばたんとドアが閉まる音が二度続き、乾いた起動音が鳴り、いくつかの低い電子音の後にゆっくりと車が動き出す。
サウス「さっちゃんは、あのめがねが、ママとノースとさっちゃんを逃がしてくれると思ったんだよ」
ノース「どうしてそう思ったの?」
サウス「だってあいつ、空港の後の夢にでてきたから。いつも夢にはママとノースしか出てこないのに。だって家族がでてくるのが夢だもん。」
ノース「えー、あいつが家族だったら嫌じゃない?」
サウス「嫌だ! きもい。」
ノース「じゃあ、見間違いかもよ、夢の眼鏡はお父さんかも、見つかるかも知れないね。あれ、この感じだとちょっと一雨きそうね。」
車が急加速する。
サウス「でもママとノースはだいじょうぶ。さっちゃんがいるから」
ノース「そうだね。」
荒鹿は闇の中で目を閉じて、微かに聞こえる二人の会話に聞き耳を立てていた。
●2036 /06 /08 /19:18 /腰越漁港
ノースの運転する車は、大船から県道304大船腰越線を、急停止や急発進を繰り返しながら危なっかしく南下した。江ノ電腰越駅近くの神戸橋では交差点を渡る2両編成の路面電車に突っ込みそうになったりしながら、信号を無視して海沿いの国道134に入り、スピードを落とさずに後輪をすべらせ突然右折した。
荒鹿はトランクの中で縛られたまま、遠心力の外側のトランクの壁に勢いをつけて何度もぶつかった。その度に体のあちこちに感じる鈍い痛みの連続の中で荒鹿は思う。(あの双子は接客だけじゃなくて運転までも。機械がするようなことをなんでも自分でやるんだ。自立してるって言うか、なんだか偉い、ちゃんとしている。)
曲がり切ってスピードを落とした車はゆっくりとなだらかで短い坂を下りると、しばらくゆっくりと直進して乱暴に止まった。
ぷしゅうと空気の抜けるような間のぬけた音がしてトランクが開く。突然開かれた視界に、逆光で表情が見えないサウスが荒鹿に向けて銃を構えていた。彼女のシルエットの淵で淡く光るピンクの髪越しに、さらさら流れる天の川のような
闇の中の緊張で、ずっと固くなっていた体中の筋肉がほぐれて力が抜ける。
深緑色の髪を揺らしたノースがサウスに並び、首で何かの合図をすると、荒鹿は自分の体を絡め取っている彼女のタコに引き上げられトランクの外に放り出された。どさっと乾いた音がして、荒鹿は地面に転がった。
海側から吹き付ける強い海風に逆らって双子が砂利道を歩く間、荒鹿はタコに足を持ち上げられて箒のように後頭部を地面に引き擦りながら、夜の始まりを孕んだ空と海を見ていた。
腰越漁港、海風と防波堤に打ち寄せる波が轟音を立てている。ざらざらの水面に映る逆さまの江ノ島越しにきらきら揺れる逆さまの
サウスはノースに銃を渡すと、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「あんたが誰かはどうでもいい。公安も、RTAもどうでもいい。でも、知らないアートマンは危険。悪いけど・・・。」脱いだバケットハットやTシャツ、ショートパンツや靴下なんかを軽く畳んでバッグにしまいながら、サウスが荒鹿に宣告した。
その間、ノースは無言で荒鹿を睨みつけながら、ゴミのように地面に捨てられた彼に銃を向けている。
ほとんど下着のような姿になってしまうと、サウスが左手を胸の前に伸ばした。地球環の影響で明るいとは言ってもまあまあ仄暗い夜の始まりに、凪の風を受ける彼女の洗練されたシルエットが浮かび上がる。
傘みたいにぴんと開いた彼女の手のひらには、さらさらとした小さい銀河のような光の粒が集まり始め、ぷるんっとタコが現れた。それを素早く握りつぶすと白い光が一瞬で彼女を覆い、かしゃんかしゃんと乾いたドミノみたいな連続音と共に、白く光るアーマーが彼女の体を覆い尽くした。ところどころプレートの継ぎ目のような部分から水蒸気のような煙が出るが、すぐに風で消えてしまう。サウスがアートマンに変身した。
「さっちゃん一人でいけるから。任せて。」
サウスが拳を構えて戦闘体制に入ると、荒鹿を拘束していたタコの足が、彼の体のあちこちからするりと抜けて、タコはふわふわとノースに向けてゆっくりと飛び始めた。
突然解放された荒鹿は、この好機に体を動かすことができず、緊張感のないタコがゆらゆらと浮かぶその可愛らしい動きを目で追った。
虚を突かれた双子も、同じように視線でタコを追った。
「ノース?」戦闘体制に入ろうとしていたサウスが、拳をだらりと下ろして肩をすくめノースを振り返った。「なにしてるの?」
「ごめんさっちゃん。拘束解けちゃった。」ノースは銃を構えたまま、サウスに向けてわざとらしく目を瞑り、唇の端にちょろりと舌をだして見せた。
「もう!」
やっと解放された荒鹿は、体中の筋をどうにか伸ばしたものの、未だに動けないでいた。
視界の中には双子がいる。ノースが、つい先ほどサウスがやっていたのと同じように銃や服をバッグに詰めはじめた。
下着姿のまま肩にかかった柔らかい髪を片手で背中に流し戻してから、足を肩幅ほどに開いて直立する姿。
やんわりと浮かぶ砂のような光の粒々で銀河を生み出すその手のひら。
そして、タコを迎え入れるそのやさしい眼差し。
その全てに目を奪われてしまったからだ。
もう、釘付けである。
荒鹿は思う。この双子は、お綺麗で、お背が高くいらっしゃって、お色香があって、なんていうかとても慎み深い。素敵なお嬢様方のお出かけの準備みたいに、華麗にご変身あそばされる。
その瞬間はっとして、荒鹿は理解した。変身前のこの一連の儀式(脱衣)が、全裸対策であることに。
光のアーマーを纏うと、ノースはすでにアートマンに変身しているサウスを守るように彼女の前に立った。
なるほど。
荒鹿も咄嗟にTシャツとスウェットパンツとスニーカーを脱ぎ捨て、ボクサーブリーフ一枚の下着姿になった。そしてレンズにヒビが入った新しい眼鏡を、脱ぎ捨てた服の上にちょこんと置いた。
荒鹿、変身。
「ちょっとまって」戦闘体制に入っている双子のアートマンに向けて片手の手のひらを向け、もう片方の手で首元の物理スイッチを押す荒鹿。フェイスマスクがぷしゅっと上がり、彼の表情が露わになった。
「アートマンか何か知らないけど、ぼくは二人の敵じゃない。」そう言って、荒鹿は手のひらを双子に向けて、双子を牽制しながら屈みこんだ。
「ちょっと待って・・・。」
双子は、首だけ動かして、ヘルメットのフェイスマスク越しに荒鹿の動作を見下ろしている。
「ぼくは、どちらかというと、君たちの、仲間?」
荒鹿は双子から視線を離さずに、脱ぎ捨てた服の山においた眼鏡を伸ばした片手でどうにか拾い上げて、それを掛ける。
「やっぱり!」
自分の立てた仮説が正しいことがわかり、荒鹿は思わず叫んだ。
仮説ー全裸になるのは変身が解ける時ではないのでは? 全裸になるのはアーマーではなく、光に覆われている時である。ということは、アーマーの下はすでに全裸。だから、変身後だったら眼鏡も消えないはずである。
眼鏡をかけた荒鹿をみて、突然サウスがフェイスマスクを上げた。ぷしゅー。強い海風にサウスのピンクの髪が靡く。
サウスをよそ目に、荒鹿は拳を強く握りしめる。拳のまわりに白いオーラが水蒸気のように揺らめいて戦闘の構えに入った。
よく見える。双子を覆うアーマーもそのプレートの境目も、サウスが訝しがっている表情も、防波堤の内側に並んだ小さい漁船の群れも、江ノ島の灯台も、夜になって輝きを増す地球環を構成する岩石の一つ一つも。
今までと違ってよく見える。眼鏡があるとよく見える!
クリアな視界に存在する双子を見つめながら、荒鹿はふと思う。想像していたのとは全く違って、双子は女の子だった。可憐で、華奢で、背が高くて、おっぱ、いや、胸の大きな女の子たち。
荒鹿がSNSで焦がれたカフェのあの子が今は二人に増えている。
(さあ、ぼくが君たちを救い出してみせる。)
荒鹿が改めて拳を握りしめると、白いオーラが強さを増した。
(そう、おれは正義の味方なんだ!)
「あっ! ちょっと待って! さっちゃんもタイムアウト!」
モチベーションが最高潮に達した荒鹿に手のひらを向けるサウス。変身後に眼鏡をかけた荒鹿を見て彼女もあることを思い付いたのだった。
「ちょっとまってね!」すでにしばらく戦闘体制に入っているノースの後ろに回り込んだ彼女は、ヘルメットバッグのファスナーを開けると、がさごそと小さなピアスをとりだして、手鏡を確かめながら、そのフックを耳たぶの穴に挿し込む。
子どもの頃に母からもらった姉妹でお揃いの色違いのピアスだ。二人が生まれたベネズエラの伝統工芸品である。
「ほら、ノース。見て!」
荒鹿を警戒しながらサウスに向き直ろうとして、一瞬戸惑うノース。サウスは荒鹿に背を向けてノースの前に立ち、満面の笑みで両耳のピアスを交互に指して見せる。
「え? あ。なるほど」
しゅっとフェイスマスクを閉めたサウスが、荒鹿に向き直る。彼女の拳からはすでに強いオーラが立ち上っていた。
「ノース。いいよ。」マスク越しに荒鹿を睨みつけながらサウスが言った。
「うん。」ノースは屈み込んで、バッグから深緑の石が入ったピアスを取り出しながら頷いた。手鏡で確かめながら耳たぶに挿す。ついでに風で崩れた前髪をちょちょっと直して手鏡をバッグにしまう。
「では、改めまして、こんばんわ。」とでも言わんばかりだ。
ノースのマスクがすっと下がり、二人が再び拳を構えて荒鹿の前に並び立つ。
強風さえも避けて通るような強いオーラを、拳だけではなく身体中に纏った二人が荒鹿の前に立ちはだかる。それは、まるで切り立つ崖のようだった。
後ろには小動神社の崖、前には双子の崖。荒鹿にとって、これはいわゆる絶体絶命のピンチだ。
「あたしたちには仲間なんて必要ない。」
「これまでも、これからも」
ぶおんと空気を揺らす振動が発生した瞬間、サウスの身体が半透明にぶれて空気の中に消えた。
いや、消えたのではない。空気を切り裂く瞬速で、彼女は荒鹿のすぐ目の前に出現した。そのスピードが起こした衝撃波に拳を乗せて荒鹿の顔面を思いっきり殴りつける。
ぐへえ。勢いよく吹っ飛ぶ荒鹿。コンクリートで舗装された地面にめり込み、穴が空いた場所から地面にひびが広がる。
一瞬白く飛んだ荒鹿の視界が元にもどり、よろけながら何とか立ち上がった顔面ににサウスの拳が再びめり込む。
「嫌い!」荒鹿の右頬にクリーンヒット。ぼぐあ。
まただ。
サウスはよろける荒鹿が倒れないうちに逆の頬を殴りつける。彼女はそれを交互に何度も何度も続けた。
「嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い!」拳に被せて強烈にまくし立てられる言葉の暴力。
そして顎に一発、仕上げのアッパーがクリティカルヒット。吹っ飛ばされた荒鹿が、遥か後方の崖に激突した。乾いた岩石がぼろぼろと崩れ落ち、数メートル下の地面に突き刺さる。
弾けるように跳びあがったサウスは、ノースの傍に戻った。
すっと地面に降り立ったサウスの前に一歩を踏み出したノースは、間髪を入れずに荒鹿がめり込んだ崖に向かって両方の手のひらを向けた。肩のあたりから流れる電流のような光の線が手のひらに集まり塊となって膨らむ。その中から小さな閃光の弾丸が次々に生まれ、荒鹿に向けて連射された。
光の弾丸は荒鹿のみぞおちあたりに連続で当たり続け、ちゃんと呼吸ができない荒鹿は、打たれる杭のようにどんどんと背面の崖にめり込んでいく。
ひびが入り出したアーマーの中で歯を食いしばる荒鹿。
「あの二人を救い出すんだ。」という勝手なヒーロー観だけが、荒鹿をどうにか持ち堪えさせている。
その時、崖が大きく崩れ、ノースの連弾を吸収して荒鹿を守った。
「ぼくは、二人を」息も絶え絶えに呟く荒鹿。しかし双子の耳に彼の声は届かない。
ふらふらとよろけながらも、どうにか立ち上がり、荒鹿は洞窟のように深く窪んだ崖の穴から這い出した。
「ぼくが、二人を・・・」そう言って、荒鹿は言葉に詰まってしまった。
救い出す? 何から?
サマージから?
サマージに入らざるを得なかったこんな世の中から?
サマージに入らざるを得なかった二人の生い立ちから?
いったい何から? ぼくは、いったい何から二人を救い出そうというのだ?
「さっちゃん」ノースがサウスに向き直る。
ヒュッテのカウンターでミクニが言った最後の言葉の断片がノースの頭をよぎる。(あたしたちが双子だから起こるわけじゃないじゃない。トゥルクの調和が、偶然じゃなく自発的に起こる。)
「ひとりで行けるよ、こんな雑魚。」荒鹿にトドメを刺すために、サウスは夜空に大きく跳躍した。
腰越漁港の30メートルほどの上空で、サウスがその両方の拳に気を込めている。崖の麓で力無くそれを見上げる荒鹿。江ノ島の灯台が時折思い出したように光を送り込む。江ノ島にかかる橋のオレンジの街路灯が、海の方からぼんやりと垂れ込め始めた雲に空に映って天の川のように広がる。
スローモーションのように優雅なサウスのシルエットは、そのさらに上空できらきらと輝く地球環に重なった。荒鹿にはそんな彼女が、大きく翼を広げた天使のように見えていた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます