【SF小説】 ぷるぷるパンク 第4話 幼馴染み

●2036 /06 /08 /18:48 /鎌倉女学院


「ちゃんとストレッチしてねー。」

 200メートルを泳ぎ終えて水面に顔を出した少女に向かって、ジャージの女性が声をかける。遠い天井の照明が波のおさまらない水面に繰り返し跳ね返る。少女がゴーグルを外しながら振り向いて壁にかかった時計を見ると、もう7時になるところだった。


「コーチ、もう一本だけいい?」彼女は水から上がらずにジャージの女性に声をかける。

「だめー、早く帰る。」


 プールサイドを歩く何人かの少女たちのグループがタオルで体を拭きながらきゃっきゃ、きゃっきゃと、にぎやかにはしゃぐ声が室内プールに響く。


「災チャ(緊急災害チャンネル)発動してるから、先生たち厳しくてね。」

 コーチの声を聴きながら少女は水面に仰向けに浮かんだ。

小舟こふね」ジャージの女性が手を伸ばして、少女を促す。少女はざぶんと水に潜ると勢いをつけて水面から飛び出しコーチの手を握ると、プールから這い上がった。


 小舟と呼ばれた少女は、タオルで顔を拭いながら暗くなった夜の廊下を歩く。何かがレールに引っ掛かっているように重い引き戸を開け、冷たい蛍光灯が照らす無機質に明るい更衣室に入ると、誰かの誕生日パーティーにでも迷い込んでしまったように、女子たちのにぎやかな会話の群れにぶつかった。着替えたばかりのセーラー服の少女たちが放課後の計画を練っている最中だった。


「小舟、これから鵠沼くげぬまのスケパ行く?バーチャルサーフィン」

 ロッカーを開けると、硬く錆びた蝶番が嫌な音を出したが、少女たちには届かない。

「古文の宿題、ヴィジョンゴーグルでGTPにやらせようとしたら、ばれたよ。」

「土曜日海入るから、練習しないと。」

「いや、学校のジムにバチャサ導入してほしいよね。」

 小舟は首を傾けて、タオルに髪の水分を移しながら答えた。

「私は今日は、用事あるから、また今度」

「学校のヴィジョン使ったらそりゃばれる。」

「生徒会にお願いしようよ、バチャサ。」

「急にシャットダウンして、」

「いと怖し。」


 肌に残った水滴にタオルを当てて、それを吸い取る。ぽんぽんと、丁寧に。

「残念、土曜の海は行く?朝からだよ。」

「生徒会の子、空港事件の日から学校に来てないらしい。」

「学校のヴィジョンゴーグル、可愛くないよね、Appleのがいい。」

「うん、予定わかったら、メッセするね。」

「だよね、かっこいいよねApple。」

仏御前ほとけごぜんでしょ。」

「うん。」

 一人の少女が肩に斜め掛けした鞄からグラノーラのバーを取り出し、「はいカロリー」と言ってそれを小舟に手渡した。小舟は「ありがと」と言ってそれを受け取り、ロッカーの中に畳んだ乾いた方のタオルにのせた。


「思い出した。宿題やらなきゃ。」

「なにそれ?」

「サマージだったりして。」

「生徒会の子の渾名あだな。」

「小舟、また明日。」

「渾名っていうか、悪口じゃん。」


 少女たちは、ドアを閉め忘れたまま、更衣室から次々に暗い廊下に飛び出していった。

「うん。またね。」小舟は彼女たちに手を振る。

「なんで今ヴィジョンしてるし。」


 ヴィジョンゴーグルを装着した少女が脳波スキャンのために、ドアの前で一瞬立ち止まってから、暗闇に吸い込まれた。

「いや、御前ってめちゃ褒めてるでしょ。」

「宿題やっちゃう。」

「そういうこと?」

「まじめか。」

「いとやばし。」にぎやかな少女たちの会話は途切れることなく、彼女たちが廊下を曲がってしまうまでずっと聞こえていた。小舟は彼女たちの声が聞こえなくなると、重たいドアを力を込めて閉めた。


 じーっという蛍光灯の振動が静寂をわざとらしく際立たせた。まるでずっと前から静かだった、みたいな主張をする。不自然な静寂が辺りを覆っている。


 湿った水着を身体から剥がすように脱いで、乾いた柔らかいタオルで体を拭いて下着を履く。気持ちいい。


 小学生の頃は、成長すれば各サイズは自動的に大きくなるものだと思っていた。靴や、胸や、身長のこと。いや、むしろ成長ってそういうことでしょうが。

 荒鹿くんは小学校の頃から考えるとずいぶん身長が伸びた。あそこはご両親もお姉さんも大きいから、納得だけど、なんかずるい。


 着替えを終えて校舎の外に出ると、ぬるい風がプールで冷えた肌にひんやりして気持ちいい。

 地球の環にかかる海側からの雲の流れが、雨の気配を感じさせる。


 地球ちきゅうは雨季の晴れ間にいつも通りの場所で光っているけど、いつも観光客でごった返す若宮わかみや大路おおじの歩道は人もまばら。空港の件以降観光客が急に減った。それはそう、国際空港が瓦礫の山になったんだから。


 さっきの子たちの話にもちらっと出てたけど、やっぱりサマージが気になる。本人は違うって言ってたけど、荒鹿くん、実はサマージなんじゃないかって考えが頭から拭えない。そんなことをぐるぐる考えてるうちに、いつのまにか江ノ電の鎌倉駅に着いていた。


 中間テストが終わり、事件のこともあって学校が任意登校になったこともあって電車がいつもより空いている。だから、ここ何日かは座って登下校できる。

 私はカバンから取り出したウェアラブルヴィジョンゴーグルを両手で装着してからこめかみ辺りの物理ボタンを押してバンドの締まり具合を少し調整する。きゅっきゅってちょうどいいところで止まる。脳波スキャンのために私は一瞬体を止める。


 古文の宿題の続きを始めるために視線で授業の宿題フォルダーを探した。開きっぱなしのウェザーアプリはきっかり1時間26分後に雨。その後ろに荒鹿くんとのチャトボがちらっと見えたけど、私は集中を切らさない。集中。


 大船のあのカフェがサマージなんじゃないかって噂も聞いた。


 あなどれない、女子高生の、情報網。


 あ、なんか五七五。災チャ以来SNSでバズってるスケートボードの女の子が、あそこで働いてるらしい。荒鹿くん、ああいう子好きそうだもんな。


 小学校の頃、家がお隣だったから九頭竜家とは家族ぐるみでお付き合いがあった。

 私が私立の中学に入ったり、中三の時に荒鹿くんが鳴鹿ちゃんについて実家を出ていってしまったりで、あまり会えなくなって、高校生になって荒鹿くんのこと思い出すことも少なくなった。でも最近、鳴鹿ちゃんに不登校の話を聞いてから、時々大船のカフェを覗いている。まあまあ結構な確率で彼はいる。ただただ暇そうな感じ。進路とか、ちゃんと考えてるのかなあ。


 腰越こしごえの駅を出たばかりの江ノ電の路面電車が甲高い音で急ブレーキをかけて止まった時、車両がガクンと揺れて、私は勢いよく手すりの棒に頭をぶつけ、そのせいでヴィジョンにデジタルノイズが走った。ヴィジョンのスクリーン越しに、私の手のひらにもノイズが走ったような気がした。

 咄嗟にヴィジョンを外しながら話題のあの閃光のことを思い出して窓の外を見たけど、すごい大きいエンジン音の車が信号を無視してものすごいスピードで電車の先頭車両を避けながら、交差点に突っ込んでくるのが見えただけだった。


 私は座席に座ったまま海側の窓に振り返って、その車が交差点をよろけながら抜けて、次の信号も無視して曲がっていくのを目で追った。曲がりきれずに、ガードレールを突き破り砂浜に落ちるかと思ってどきどきしたけど、なんとか曲がり切った。今どき車を自分で運転するなんて、どんな人なんだろう。テロの会見で言ってたみたいに、治安が悪くなってる感じは、実際にしている。



●2036 /06 /06 /06:19 /川崎(サマージアジト)


 湾岸工業地帯の古い倉庫を改造したアジト内の小部屋には、その両端に向かい合わせの狭いベッドが置いてある。それだけしかない無機質な空間だ。

 焦点の定まらない弱々しい朝の木漏れ日のかけらが、薄暗い部屋の壁と床を飾りつける小さい模様のようにいくつも散らばっている。

 ぐるううう。自分のお腹が鳴る音がサウスの眼を覚ました。

「うう。お腹すいた。」


 空港襲撃から戻った後、裸の身体にブランケットを巻いただけの双子は、それぞれのベッドで24時間以上も寝ていたことになる。

「ほあーーーーー。」ピンクの髪をかきあげて、妹のサウスが伸びをすると、ブランケットがずり落ちて、汗ばんだ上半身があらわになった。

「さっちゃん。」胸の前でブランケットを押さえたまま、ゆっくりとベッドに上半身を起こしたノースは、表情を隠してしまうほど顔にかかった緑の髪の隙間から、サウスを睨みつける。

「あ。」手元で慌ててブランケットを巻き直して胸を隠したサウスは「暑いからね」と支離滅裂な言い訳をして、再びベッドに突っ伏した。

「ねえ、いつもと違う夢だった。ノースは?」

 髪をかきあげながら頭をひねるノース。「そんな気もする。」


 錆びた鉄の階段を降りる二人の足音と、それを監視するように追うドローンの蜂の羽音みたいなプロペラの音が、空気を震わせ、だだっ広い倉庫内の空間に響き渡る、サウスが煩わしそうにドローンを手で払いのける仕草をしながら、ぶつぶつと独り言を言っている。

 テーブルとパイプ椅子が雑に並んだ食堂におりると、二人を待っていたであろうサカイがすっと立ち上がり階段の下まで歩いた。

 サカイは口元に手を置いて口の動きが見えないようにしながら、武装班の火力部隊が、自衛隊とア軍の介入前に脱出できなかったことを伝えた。


「どうしよう。助けに・・・。」ノースは、サカイがしているように、自然な仕草を意識して手を口元に運びながら言った。サカイが首を横に振る。

「さっちゃんも。」サカイはそれを無視して、被せるような早口で話し出した。

「火力部隊が全滅した。地下の物流トンネルに自衛隊の部隊が突入たらしい。計画は失敗した。」

「そんな・・・。」ノースが絶句する。サカイが頷く。無念を噛み締めるようにして。

「え? 店長も?」サウスがノースを見つめた。

 彼の説明によるとこうだ。


日本政府からZENを強奪するあたしたちのこの計画は、成功していれば、極左なんかの謎のテロ組織による謎の空港襲撃と、日本領土内でア軍とそれに関わるRTAが自衛隊と共同でそれを合法的に制圧しただけという事件になるはずだった。


 しかし、サマージの火力部隊発見・殲滅の一連の流れにより、事情を知らないはずの自衛隊の現場にテロ組織がサマージであるとばれた。しかも事前にトンネルの逃走経路までリークされていた。

 サカイの見立てでは、日本政府側と通じたア軍内のスパイがいて、そこから自衛隊に情報が流れたのだろう、ということ。そして、サマージの名前が表に出ることで、RTAが隠れて行っている国内での工作活動に注目が集まってしまった。


 加熱する空港襲撃事件の報道に紛れて、日本はア国の影響の外でZENの採掘を公式声明を発表した。国内での単独採掘権を守るためだそうだ。これはあたしたちの狙い通りだった。


「残った武装班は武装解除され、ここに軟禁中だ。アートマンは再編成されて、実質RTAのコントロール下に入った。」そう言ったサカイの言葉には、その一つ一つに嫌な重みがあった。


 ノースは、顎に手のひらを当てて考え込む。

「さっちゃんは?」サウスが心配そうな顔でノースを見る。

「・・・さっちゃんもあたしといっしょだよ」サウスが安堵の笑みを浮かべる。


「今は待機命令が出ているけど、何かやばい作戦に駆り出されそうだ。」彼はそう言い終えると口元にあった手を下ろし、腕を組んでため息をついた。


「やばい作戦って?」ノースがサカイを睨むように聞いた。彼女が口元に手を当てたのは、CCTVで見張っているRTAの読唇術を避けるためではなく、純粋に不安からだった。

「内容はわからないが、おそらく、スケープゴートだな。犬死にさせる気だろ。」

「スケートボード?」彼女にも、ちゃんと不安は伝わっている。知らない言葉があっただけだ。


「それから、僧侶のアートマンたちが失踪した。」サカイから次々と発せられる事実は、とても嫌なものばかりだった。

「あのジャンキー軍団が?」ノースはひたいを手で囲うように抑えた。

「その下っ端が、昨日大船で事故を起こして公安に捕まった。謎のアートマンが公安側にいたらしい。」

「なんて? アートマンが警察に? RTAが警察側にもアートマンを?」

 

 もう、嫌だ。ノースは自分の体から力が抜けていくのが分かった。彼女は、近くにあったパイプ椅子に手をかけ、がらがらと音をさせて地面を引き擦り手元に寄せると、そこにへたりこんだ。サウスがその後ろに立って、彼女の肩に両手を置いた。


「それはわからない」サカイは下を向いたまま呟いた。

「アートマンの遠隔起爆装置は? 遠隔で起爆させれば、仲間かどうかわかるんじゃない?」彼女は、肩にあるサウスの手を片手で触れて、項垂れたまま口だけを動かす。


「あれは嘘だ。というかものの言いようだ。実は遠隔起爆じゃなくて自爆装置なんだ。外からはコントロールできない。若いアートマンを見張っておくためのサマージの嘘だ。」

 突如、サウスが目を見開いて、サカイを見て、ノースの肩に抱きついた。


「え、まじ? ノース、逃げよう! 殺されないって!」

「待て、サウス」サウスがノースの腕を引っ張り上げて、椅子から立たせる。

「はやく!」サウスは待ちきれない。

「待て、サウス」なだめるように両手を広げるサカイ。

「お前たちには、そのアートマンを捕縛して欲しい。」それはサカイにとっても、嫌な指示だった。しかしRTAのコントロール化に入り、どうすることもできないのだ。

 沈黙がドローンの羽音を増長させるようだった。サウスは、ノースの言葉を待つように、屈みこんで椅子に座り直したノースの顔を覗きこむ。


「もし、あたしたちが途中で逃げたら?」ノースが重い口を開いた。


 サカイは後ろを向いて、うなじに貼ってある菱形のシート状の起爆装置を見せた。

 2センチ四方くらいの大きさで小さな緑のLEDライトがいくつか点滅している。双子はつられて首の後ろを確かめる。


「遠隔起爆シートだ。」サカイも、正直泣きそうな顔をしている。

「最悪。それって信じられるの?」表情に諦めを漂わせてノースが言った。

「捕まったトゥルクが、拘置所で自爆した。」しばらくの間、誰も何も言わない。

 沈黙を破るようにノースが口を開いた。

「でも、どういうことなの? こんがらがってきた。アートマンに変身したら外から殺せないけど、人間だったら外から殺せるってこと?」サカイは目を閉じて、ただ、軽く何度か頷いた。

「最悪。信じられない」彼女はうなじのシートを剥がそうとするが、皮膚と一体化しているかのように、剥がすことができなかった。



●2036 /06 /06 /16:38 /大船


 大船の事件現場にも程近いヒュッテ。公安のアートマンの情報が手に入るかもしれない。というわけで、あたしは今日もバイト。雨季の晴れ間は、空気が重くて、ぬるくて、息苦しいくらい。通りに人はほとんどいない。老人たちは出不精なのだ。


 さっちゃんとふざけて撮ったスケートの映像が、サマージの関連映像としてテレビに映った結果ものすごいバズってしまった。逃げるようにSNSアカウントを削除するまでは、ずうっとスマートフォンが通知で振動し続けていたから、あたしとさっちゃんはずっとドキドキしっぱなしだった。

 せっかく生まれて初めてバズったポストなのに、消しちゃうのはちょっと寂しかった。さっちゃんとの思い出も、知らない人の温かいコメントも、全部なくなってしまった。バレないように対応してはいるけど実は、通報されて捕まった方が逆に安全かもしれないという考えも捨てきれない。RTAに監視されたサマージのアジトなんて刑務所とそんなに変わらないだろうし。


 スポンジボブが大きくバックプリントされたオーバーサイズのTシャツと、相棒のパトリックがリピートパターンでプリントされたカラフルなバケットハットを深くかぶりティアドロップのサングラスをしたバカンスなさっちゃんは、カフェのカウンターでスマホから顔を上げずに、ずっとビットコインのチャートを見つめている。


 店のドアが開き、気配がないまま恰幅のいい男がカウンターの前に立っていた。サングラスをしてニットキャップを深く被っているけど、ぴちぴちのTシャツからはみ出した太い腕に、地球の環を模したこのトゥルクのタトゥーはあいつしかいない。模擬戦闘訓練でこいつの裸は何回も見ているから分かる。


 あたしはコーヒーマシーンを点検しているふりをして屈み込み、カウンターの陰に隠れた。さっちゃんはまだ男に気がついていない。


「さっちゃん」彼女の隣のスツールに腰をかけながらそいつは彼女の名前を呼んだ。さっちゃんはひどく驚いて、スツールから転げ落ちてしまった。

「ミクニ!」彼女は何故かまずスマホの画面を隠して、背筋を伸ばして直立した。

「ミ、ミクニ、し、失踪したって・・・。」あたふたしているさっちゃん。ミクニがニットキャップを脱ぐと、わけのわからない弁髪とか言う三つ編みが、今日はぼさぼさだった。

「そうなんだけどさ。十字プラス(麻薬108ワンオーエイトプラスのことモルヒネと同等の効果がある)がないから大変で。ノースちゃん、コーヒー、ホットで。」

「あ、あ。はい」カウンターの裏の、あたしもバレバレだった。


 サマージでの僧侶たちは、ほとんどが団体のブレーンである伝道班に所属していたけれど、肉体派のミクニはあたし達と同じ武装班だから、よく模擬戦闘訓練で世話になっていたのだ。


「RTAも、ひどいな。」

 さっちゃんがぶんぶんと首を縦に振ってうなずく。

「みて、これ、首の」といって、うなじを見せるさっちゃん。

「そうか、僕にも、あるよ。」

「あれ? じゃあ、逃げられないじゃん。」首を傾げるさっちゃん。


 あたしはソーサーにカップを乗せて、コーヒーを出しながらミクニに尋ねた。

「これからどうするの?」


「僕はね、あと何時間かで、最後の十字がきれるんだ。そうなったらアートマンを纏って、自分をコントロールできずに暴れるだろうね。その時は君たちに殺してほしいな。」

「なに言ってるのミクニ。」あたしは彼の悲しそうな瞳を見た。

「さっちゃんに?」さっちゃんも、彼の悲しみを捉えている。

「そうだよ、さっちゃんにだよ」ミクニは、にっこりと笑った。


 RTAはこうやって、薬漬やくづけにしたり、未来の技術を使わせたり、移民を煽ったり、都合のいい宗教的な理想を信じさせたりすることで、サマージに人を増やしたり、その人たちを飼い慣らしたりしていたんだ・・・。サマージにいる大勢の身寄りのない子どもたちだって・・・。


「昨日もこの辺で、逃げた仲間が捕まったって・・・。僕も例の公安のアートマンに殺される。そうじゃないなら、あいつみたいに自爆に見せかけて殺される。RTAは僕たちをわざと逃がして、薬切れにして厄介払いさ」ミクニはカウンターに肘をついて、すでに諦めたように喋った。


 そういうことだ。

 空港の計画が失敗して襲撃とサマージの関係が公表された以上、裏で暗躍しているRTAに批判が向くのだろう。


「ミクニ、あたしね、ずっとサマージを離れたかった・・・。空港の件を頑張って、さっちゃんと次に行こうって・・・、外国とか・・・。だけど、ミクニが、サマージに十字で繋がれていたなんて知らなかった。」

「そら、自分の責任だけどね。」

「首のこれ。あたしたちはもう、どこにも行けない・・・」

「そう、剥がれないの、絶対。」

 さっちゃんはシートを無理矢理剥がそうとしていて、あたしはキッチンシンクに溜まったコーヒーカップをぼんやり見つめていて、ミクニは黙ってコーヒーを啜った。


「ノース」ミクニが姿勢を正してあたしに向き直った。

「双子のパワーあるだろ? あれは、双子だからじゃない」

「え?」あたしたちとさっちゃんは目を見合わせた。

「君たちの力は、トゥルク教の教義にある調和だと思う。僕たちが空港で盗んだZEN、あるだろ」

 あたしたちは黙って頷く。


「ZENはぷるぷるパンクと同じ調和の物質なんだ。理論的に。」ミクニの声は少し明るくなった。

「パンクって、PUNK発電の? 保管用のPFC溶液とZENは互換性があるってサカイに聞いたけど」


 あたしは首を傾げる。さっちゃんは理解の許容量を超えたのか、急に興味を失ってさっとスマホに戻った。


「うん。10年くらい前に。ある関係式がwikiリークスにアップされた。ZENとパンクのそれぞれの調和がイコールで結ばれた式だ。トゥルクにはそれ以来、調和を待つのではなく起こそうとする勢力が生まれた。過激派だ。」

 ミクニはそこまで言うと、はにかむように笑顔を隠し、首を傾け苦い顔をした。


「そしてちなみにアートマンのタコと、発電所に保管されているぷるぷるパンクって形が同じらしい。とにかく、君たちのアートマンは偶然じゃなく、自発的に調和状態を作ってるんじゃないかって思ったんだ。」

「はあ・・・。」あたしは話に追いつけない。さっちゃんは現実逃避中。


「次を考えてるなら、ZENの採掘地を探すといい。」ミクニは狭いカウンターの向こう側、どこかとても遠く、どこか見えない世界を見ていた。数時間後、薬切れと共ににたどり着く涅槃だったりするんだろうか。


「まって、あのタコと、ぷるぷるパンクが同じなの? PUNKかく爆弾ばくだんの?」恐怖心100%を隠せないさっちゃん。確かにそれって、かなり怖い。


「じゃあな」

「ミクニ、サマージに戻ろう。一緒にサマージを立て直そう?」あたしの声に頷いたのかそうじゃないのか、分からないくらいの微かな反応を残してミクニは店を後にした。

 同時に外から入り込んだ、温くて重たい空気の匂いと、ドアにかかった竹細工の乾いた音と、ほとんど口をつけていないコーヒーカップだけが後に残った。


 ZENの採掘地/パンクの調和/エネルギー/関係式

 いや・・・、なんか、情報量、多すぎ!

 その後あたしとさっちゃんは、別段会話を交わすこともなく、それぞれの場所でぼうっとしながら時間を潰し、6時前には店をでた。夏休みが近づく最近の夕方は、なぜか年の近い子たちが街に出てくるから苦手。ミクニのことは気になるけど、どうすることもできないあたしたちは、電車に乗ってアジトへ戻った。


 つづく



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