第10話 犬食いと犬舌。

四月最初の土曜日、全国優勝を何度も経験した野村先生から初めて指導を受けた。


基本練習を主に技術的なレクチャーでなく、心と体の限界を知りそれを超えていく、精神修行の様な過酷さに自分自身の弱さを知ることも出来た。


体の何処がどうとかじゃなくて、全身の筋肉が悲鳴を上げたまま半日の練習が終わり帰宅した。

何でも良いから早く食べたい、頭も体もエネルギーを猛烈に求めている。

ベーカリー自営業の父母が留守宅のキッチンで冷蔵庫を点検して、鳥胸ミンチ二百gと鶏卵二個を母に無断で拝借して、僕にとって『お袋の味』的な『包丁を使わない親子丼』を真似て作る。

母が言うには、

『商売屋の昼ごはんは手早く』らしいが、用意された物を食べるだけの僕は決して『手抜き料理』と言ってはなら無い、と父が言う。

もっと言うなら『食事の後片付けも手間、洗物は一つでも少なく』が母の教えで、僕一人で食事を済ました時は自分が使った食器は自分で洗い、布巾で水気を拭ってから食器籠に戻す、までが我が家のルールだった。


少し小さい24cmの深型フライパンにサラダ油を熱して、鳥胸ミンチを色が変わるまで炒め、市販の白出汁を四倍に薄めたタレと言うか、割下を投入から一煮立ちさせて解いた鶏卵をフライパンのふちから流し入れる。


此処までが母の手料理を見よう見真似で再現した僕は、幼い頃から茶碗蒸しを白ご飯に掛けて食べる事が好きだったと思い出した。


どうせなら白飯の丼に自作した親子丼の具材を掛けるより、このフライパンへ直接白飯を投入した方が食器一つでも洗物を減らせるはずの自画自賛で、ダイニングテーブルに耐熱の鍋敷きを置いてその上に親子丼風の雑炊、もしくは親子リゾットを置いてスプーンを握った。

しかし全身疲労の僕は細いスプーンの柄を上手く握れなく、余りの空腹に頭の思考より先に命を繋げる為の捕食本能が湧き出て、未だ熱いフライパンの縁から直接自分の口へ親子丼もどきを食べ始めた。


「ふ~ふ~、アチチ、でも美味い、ふ~ふ~、未だ熱いけど、お腹が空いた」

誰も居ない自宅のキッチンで気兼ねない独り飯、食べる事に夢中で周りの気配に気付けなかった。


「裕人君、何を犬食いしているの?」

そこには明日の日曜まで帰ってこないと電話が有った、同居人の天野サヤカさんが僕の様子を見ていた。

「見ての通り僕のランチは親子丼だよ」

今の状況を的確に伝えた僕へ、

「そうじゃなくて、直接顔を付ける犬食いが宜しくないと私は言っているのよ」

僕が知る限り、日本一の美少女の可愛い顔は怒りで不機嫌なのか、自己弁護させて貰えれば、今日の練習で細いスプーンの柄を握れず、仕方なく犬食いで食欲を満たしていました、と伝えた。


「そう言う事ならしょうがないわね、じゃあ私が食べさせてあげるから『ア~ン』して」

例え家の中で僕と天野サヤカさんの二人だけも『ア~ン』は恥かしい。


「それはちょっと恥かしい」

そんな許しを請う僕へ、

「え、私は全然恥かしく無いわよ、それとも裕人君は私の『ア~ン』じゃ嫌なの?」


「嫌じゃないです、『ア~ン』をお願いします」

些細な事で女性を怒らせるのは得策では無い、素直に従うのがベストな選択だ、それも父からの教えで有った。


天野サヤカさんは僕が握れなかったスプーンを手にして、フライパンから白飯と親子丼の具材を大盛りに掬い、

「はい裕人君、私から愛を込めてア~ン」

そのままの状態で僕の口元へ迫る。

口角を広げた僕は天野さんが差し出すスプーンから一口で収めるけど、

「熱ィ~、優しくフウフウして欲しい」

息を掛けて冷まして食していた僕へ、

「犬食いの裕人君は熱いのが駄目な猫舌ならぬ犬舌なの、やっぱり犬派なのね」

天野さんが笑って言うけど、僕の舌先はジンジンしている。


そうさ僕は猫より犬が好きな犬派の男子だよ・・・

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将来を約束した幼馴染は小悪魔な新人女優。 鮎川 晴 @hotetu99370662

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