第6話 私を誰だと思ってるの?
連れて行かれたのはアスターの部屋。王城の敷地内にある騎士の宿舎だという。
意外に広くてきちんと片付けられているのは、アスターが隊長だからだ。頼めば洗濯や掃除が入るらしい。
「すごく待遇がいいのね。あなたって、もしかしてとても偉い人?」
まじまじと聞いたカイエに、アスターが呆れたような視線を寄越す。
「バルディア聖騎士団の第一隊長です。最初にそう名乗りましたが」
「……そうだったかしら。神殿の護衛責任者というのは覚えているんだけど」
「そうですか。まあ、あなたが俺に関心がないのは、今に始まったことではありませんでしたね」
言いながらアスターが奥の部屋からシャツを持ってきて、ふわりとカイエの肩にかける。
「薄着は目に毒ですので」
きょとんとしていると、そんな声が飛んできた。
「私は姉さんほどスタイルよくないから、それほど毒になるとは思えないけど」
「姉さん?」
「あ」
あわてて口を押さえたが時すでに遅し×2回目。
――私って、どうしてこう……。
「さて、東の魔女カイエ殿。話をお聞かせ願えますか?」
アスターがにっこり笑って居間にある椅子をすすめてくる。
「そ、それならあなたの話が先よ、騎士アスター。どうしてあなたは、上位の魔物しか使えない転移魔法が使えたの? それに鼻がきくって」
「本当に俺のことはまるで覚えていないんですね。心当たりもまったくありませんか?」
正面に立たれ、見下ろされる。
眼差しが冷たい。目の色が氷色なだけに、なんだか急にまわりの温度が低くなったように感じる。カイエは肩にかけたアスターのシャツをぎゅっと抱き寄せた。
「犬に変えられた男の子のことなら覚えているわ。あれがあなたなの? でもそれと、魔法が使えることの因果関係は?」
「呪いをかけられた後遺症というのでしょうか。俺に魔法をかけたのは相当力が強い魔物だったようですね。あなたは俺の呪いを解くのは無理だと言った」
「覚えているの? それとも誰かに聞いたの?」
「覚えています。あなたと初めて会った日のことも、あなたのもとにいた日々も、あなたと別れた日のことも、すべて」
「ええ、そんなことってあるの? おかしいわね、あの時、あなたは犬になっている間のことは覚えていないと言っていたわよ?」
アスターにかけられた呪いは相当強く、アスターの魂も体もすべて蝕んでいた。呪いにかけられていた間の記憶なんて残っているはずがない。
「話は最後まで聞くものですよ。……呪いの後遺症だと言ったでしょう。あの時覚えていないと言ったのは、嘘じゃない。あとから思い出したんです。あなたのことも……あなたのにおいも」
「におい?」
「犬にされていたせいか、あれ以来、鼻がきくようになったんです。それに魔力も強くなった」
こんなふうにね。そう言いながら、アスターが手をサッと振ると、目の前に神殿の様子が浮かび上がった。魔女はどこだと捜し続ける神官長に、女官長。魔女が聖女を連れ去ったのでは。あるいは殺したのでは。けれど結界は無事だ。どういうことだ……。
――こんな魔法、上位の魔物だって使えない。
まるで自分たち、魔王の一族と同等ではないか。
どうしてそんなことが。
「実は私の身内とか?」
「違います」
うっかり口にしてしまった疑問を、アスターがきっぱりと否定する。
「俺の魔力が強くなったのは、あなたが俺の呪いを解くために、俺に呪いをかけた魔物を創世の力を使って退治したからです。呪いを通じて俺と魔物はつながっていた。魔物が受けた創世の力が俺に流れ込んだんです。ほんの一部ですが、それはとてつもない力でした」
「……確かにあいつはめんどくさくてうざくてなかなか殺せなかったから、私は創世の竜のうろこを使ったわ。でも呪いを通じてあいつに使った魔力があなたに宿るなんてことがあるの? 初耳」
「そうでなければ、俺がこれほどの魔法が扱える理由の説明ができません」
アスターがパチンと指を鳴らすと、目の前の幻影がフッと消える。
「おかけで俺は聖騎士の中でも抜群に力が強いから、トントン拍子に出世できました。創世の力は俺を魔物には変えなかった。この体は人間のままです」
「よかったじゃない」
「そのかわり、あなたは魔力を失いましたね、東の魔女」
「いや別に失ってないし。弱くなっただけよ……ほんのちょっと」
よく調べてるアスターが怖くなり、カイエは話を盛った。……だいぶ。
アスターは相変わらず怖い顔をして見下ろしてくる。
だいたい身長差があるのに、こっちは座って向こうは立って、視線の高さがおそろしく離れているせいで見下ろされ度がものすごく高い。威圧的! これはいったいなんというハラスメントか。
「俺の話はしました。次はあなたの番です、東の魔女カイエ。なぜあなたは聖女のふりをしていたのですか。先ほど聖女を姉と呼んだ理由はなんですか?」
淡々と尋問は続く。
アスターという男、人のにおいを嗅ぎまわる変態性を持っているが、若くして騎士団の隊長を任されるだけあって、仕事はできるらしい。
「……ほかの人に黙っていてくれるのなら」
姉は長年正体を隠している。
バレたらバルディアに居られないことがわかっているからだ。
「ことによります」
氷の瞳がスッと細められる。あかん、これはあかんやつや。
アスターの良識に賭けよう。
アスターもバルディアの民なら、聖女の重要性を理解しているはず。
「聖女セレスは私の実の姉なの、騎士アスター。生まれつきの魔女、魔王の娘よ。バルディアの王様と恋に落ちて結婚する時、魔女だと体裁が悪いから聖女ということにしたのよ。私が聖女のふりをしているのは、その姉に留守番を頼まれたからよ」
カイエはアスターの前に手のひらを突き出し、竜のうろこを呼び出した。虹色に輝くそれは光を放ち、アスターの居間を明るく照らす。
「これは姉の竜のうろこ。私のうろこがすでに失われていることは知ってるでしょ? 姉のうろこを使って私が王都の結界を維持しているのよ」
「本物の聖女様はどこへ?」
「知らないわ。推しのライブに出かけるって言ってた。明日あたりに帰ってくるそうだから、本人に聞いたらいいじゃない」
カイエはうろこをしまい、アスターを睨んだ。
「私は何も悪いことはしていないわ。姉に言われた通り姉の代理人をしているだけよ」
「……あなたの姉上は、聖女で、魔女、なんですよね。」
アスターが確認するように聞く。
「そうよ。魔女のくせに聖女のふりをしているの。もう何百年も。恋した人はとっくに死んでいるのに律儀よね」
「魔女は……いや、聖女様は、ご自分の伴侶を魔物にはしなかったのですか。いや、そういうことはできないのですか、もしかして」
「人間を魔物にすることはできないわね。私の使い魔にすることはできるけれど。……姉さんは、旦那さんに人間でいてほしかったんじゃない?」
「人間で?」
「姉さんは人間であるその人に恋をしたのよ。私たちみたいな化け物の仲間になってほしくなかったのだと思うわ」
亡き夫との約束を律儀に守り続けるセレスに思いを馳せながら、カイエが呟く。
「……魔女は人間と結婚できるんですね。聖女様にはお子様がいらっしゃったはずだ……そのお子さまたちが現在のバルディア王家の人々なのですから。……魔女は人との間に子もなせる」
「そうね。子どもは半妖だけど、生まれてすぐ魔力を封じてしまえば、人間の子として生き、死ぬことは、姉さんの子どもたちで証明されているし」
「なんという僥倖」
カイエの言葉に、アスターの頬が緩む。
笑うシーンではないだろう。
いきなり喜色を浮かべた美男子にカイエは思わずひきつった。
この人、何を考えているのかさっぱりわからないから本当に怖い。
「ねえ、もういいかしら。姉さんが帰ってくるまで隠れているから、私を見逃してちょうだい。私を捕縛すると姉さん……聖女様に迷惑がかかるわよ。バルディアから聖女がいなくなったら、あなたたちだって困るでしょ?」
「ええ、そうしましょう。この部屋に隠れているといいですよ」
「えっ、ほんと? やったあ」
アスターのセリフに喜んだ次の瞬間、アスターがカイエの前にいきなり跪いた。
なんなのっ、と身構えたカイエの手を取ってそっと口づける。
なんなのマジでっ、と固まったカイエにアスターが微笑む。
「カイエ、俺はあなたを捜していました。ずっと、探していました。俺を助けてくれた魔女……美しく、強い、そして優しい魔女を、ずっと捜していました。しかし俺を助けてくれたあと、あなたは忽然と姿を消した。あなたが住んでいた小屋はもぬけの殻だった」
「……魔力が弱まってしまったから、あの場に留まれなかったのよ」
それなりに多方面で恨みを買っているから、弱っていると知られたくなくて、うろこを失ったあとのカイエは棲み処を転々としていたのだ。
「ええ。あなたの魔力が弱くなったことも感じていました。俺のせいです」
「違うってば。負い目とか責任とかそういうものは感じなくていいから! 私が好きで勝手にやったことなんだから」
だから手を離してくれるかなぁぁ、とカイエはアスターにつかまれたままの腕を引っ張った。
抜けそうにない。なぜだ。
「俺が犬になった時も、あなたは献身的に俺の面倒をみてくれました。覚えています。あなたはとても優しかった」
「一般的な子犬の世話しかしてないと思うけど」
「そんなあなたに、俺は恋をしました」
「そっかあ……恋かあ……って、は!? 恋!? 私に!?」
素っ頓狂な声をあげたカイエに、アスターが微笑む。それはとても魅惑的な微笑で。
けれどなぜかその微笑に感じるのはときめきではなく悪寒。
「魔女と人間でも結婚できると知ってほっとしました。ずっと、好きになってはいけない人を好きになってしまったのだと思っていたから」
しみじみとアスターが呟く。
まあ、そうだろう。
聖騎士は魔物を狩る者。
カイエは魔女。狩られる側だ。
「魔女カイエ。私、アスター・ヴェンデールはあなたに結婚を申し込む」
跪いたままアスターがまっすぐな視線で告げる。
さっきまでは冷たいと思っていた氷色の瞳が今はどこか熱っぽくて、視線に妙に力があって、目が逸らせない。
じわじわと喉元にせりあがってくるのは、恐怖だ。
いけない。このままここにいたら食べられる。直感的にそう思う。
冷静に考えたら、人間であるアスターがカイエを食べるわけがないのだけれど、カイエを見つめるアスターの視線はどう考えても獲物を狙う獣。
この場合、文字通り「獲物」として狙っているわけではないだろう。色恋沙汰に疎いカイエだってそれくらいはわかる。
アスターから感じた恐怖の正体はこれだったのだ。
狙われている。私の貞操が。
冗談じゃない。
「待って……アスター。私、ぜんぜんあなたのことを知らないんだけど?」
「これから知っていただければ十分です」
「あなただって私のことを知らないでしょうが」
「よく存じあげておりますよ。あなたは優しくて情に篤い。俺のことも見捨てなかったし、姉上の頼みもこうして聞いている」
「あなたを見捨てなかったのはたまたまよ! うぬぼれないで。姉さんは身内だから当たり前でしょ」
「あなたの気の強さも織り込み済みです。これは口説き甲斐がありそうだ」
「勝手にロックオンしないでよ! 人間のくせに! 私は魔女よ!? あなたとは違うの、化け物なの! 姉さんみたいに割り切れないから、人間とは一緒に生きられないのよ!」
「俺もたいがい化け物だと思いますよ。あなたに心の内を見せられなくて残念だ」
「あっ、なんかそれは見たくないかも」
焦ったカイエににっこりと笑って、アスターが立ち上がる。
「騒動を収めてきますので、ここにいてください。部屋は自由に使ってくださってけっこうですが、外出はなさらないように。……たとえ逃げても、俺は逃す気はありませんけどね」
そう言って転移の魔法陣を輝かせて、アスターの姿が消える。
カイエはほっと息をついた。
アスターを前にしている間、ずっと身構えて体に力を入れていたので、どっと疲れが出る。
――なんか、すっごくめんどくさそう……。
アスターという存在が。
関わるとろくな目に遭いそうにない。
逃げよう。
カイエもまた立ち上がると、玄関に向かった。
が。
「なんっで、あかないのよっ」
玄関のノブを掴んだ瞬間、弾き飛ばされてしまった。
よくよく見たら淡く封印の魔法陣が玄関に浮かび上がっている。
これはもしかして、と窓に向かう。
窓は開いた。
が、外に出ることはできなかった。
幕のような結界が張られており、その先に行くことができないのだ。
普通の人間に作ることができないほどの、強固な「檻」に閉じ込められているようだ。
「ふううん……?」
きれいな顔をしてなかなかゲスい、あの聖騎士。
「いい度胸じゃないの、人間のくせに。私を誰だと思ってるの?」
姉の持ち物だけど拝借してもいいだろう。
カイエは縦長の瞳孔を開くと、手のひらに虹色のうろこを呼び出した。
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