第5話 やっぱりそうだ

 身代わりの引きこもり聖女を始めて六日たった。


「カイエちゃん! 留守番ありがとうね。明日には帰れそうだわっ」


 夜明け前、ぐっすり寝ていたカイエのすぐそばで大音声が響く。

 なにごとっ、と顔を上げると、枕元に置いていた水晶玉に姉の姿が映っている。


「あらあらその姿、ちゃんとお薬飲んでいるわね。えらーい。でも気を付けてね、薬効は飲んできっちり二十四時間で切れるから、少しでも飲み遅れると元に戻っちゃうのよね~~~。私の能力の限界だわー」


 べらべらとよくしゃべる姉だ。


「……いま何時だと思ってるのよ」


 寝ぼけ眼で水晶玉を睨みつけたら、姉はケタケタと笑った。手にはジョッキを持っている。嘘でしょ、もう明け方なんだけど。窓の外、白み始めた空を確認してカイエは呆れた。


「うまくごまかしてくれてる?」

「知らない。あんまりうまくいってないと思う。姉さんがあとでフォローしておいて。いっぱいやらかしているから大変だと思うけど」

「大丈夫、私も普段からいっぱいやらかしてる!」


 はっはっは、と酔っ払いが大きな声で笑う。


「カイエちゃんにお土産いーっぱい買ったからね。明日をお楽しみに!」

「そんなお土産だけじゃ全然足りない! お小遣いちょうだい!」

「いいわよう~~~~。お姉様に払える金額ならね」


 唐突にプツンと通信が切れる。

 あの酔っ払いがー、と思いながらカイエは再び布団をかぶった。

 安眠妨害もいいところだ。もう少し寝よう。


 ――明日には姉さんが帰ってくるのかぁ……。


 そうなればアスターともお別れだ。

 アスターとはあれからもたまに顔を合わせるが、カイエが意識して避けているので言葉を交わしてはいなかった。

 アスターと会うと、彼はもの言いたげにこちらを見つめる。

 その視線がなんだかいたたまれないのだ。


 ――アスターが仮にあのワンコ少年だったとしても、過ぎた話だし。


 別に関わりたいとは思わない。彼が元の体に戻って問題なく過ごせているのならそれでいい。

 眠気はすぐにやってきて、カイエを夢の中に連れ去ってくれた。




「セレス様、おはようございます!」


 耳元で大きな声がする。

 うるさい。まだもう少し寝ていたい。


「セレス様! 今日は国王陛下との謁見が……セレス様!?」


 いつもの世話係の女官が焦ったような声を上げる。

 何……と思って布団から顔を出すと、女官の顔があり得ないほど青くなっていた。


「どうしたの……」

「だ……だれか! セレス様が!」

「私ならここに」


 いる、と言おうとして、頬にかかる髪の毛を払いのけた時に気が付いた。

 髪の毛が黒い。

 はっとなって飛び起き、枕元の水晶玉を見つめる。

 黒髪、赤い瞳。縦長の瞳孔に、とんがった耳。

 いつもの自分が、なめらかな水晶玉に映っていた。


『薬効は飲んできっちり二十四時間で切れるから、少しでも飲み遅れると元に戻っちゃうのよね~~~』


 陽気な姉の声が蘇る。

 そういえばいつもは朝食後に飲む薬を、昨日はなんだか目がさえて早起きしたから、忘れないうちにとちょっと早めに飲んだ気がする。初日に昼過ぎに飲んだから作用は半日ぶん繰り越されていると思っていたが、そんなことはなかったのか。


 ――なんて適当な薬を作るの!


 姉を呪っても時すでに遅し。


「誰か――――! 魔物が入り込んでいるわ!」


 女官の叫びにカイエは布団をはねのけると、寝間着裸足のまま窓から外に飛び出した。

 ここから逃げ出すことは簡単だ。でも自分がいなくなったら、王都の結界が消えてしまう。カイエはここにいなくてはならない。


 では自分がセレスの身代わりだと正直に言う? それはできない。セレスは聖女だ。魔物が身内にいるはずがない。

 魔力でみんなぶっ飛ばす?

 いくら魔力が減ってしまったとはいえ、そこは魔王の娘である。それくらいはできる。


 ――さすがにそれはやりすぎよね。


 騒動が大きくなりすぎて姉が収集できない事態になったら大変だ。

 この王都は、この国は、姉がその生涯をかけて守ると決めた場所なのだ。

 事実、聖女がいるからこの王都はもちろん、バルディアという国は魔物の活動がだいぶ抑制されている。セレスは文字通りこの国にとってなくてはならない聖女。セレスの居場所を奪ってはいけない。


 ――どこかに隠れて姉さんが帰るまで持ちこたえなければ……。


 この際、王都の中ならどこでもいい。むしろ神殿じゃないほうがいい。

 外に出よう、と思ったその時、神殿を守る護衛騎士たちがぞろぞろと神殿の中に入ってくるのが見えた。いつもより数が多い。非番も呼び出されたのだろう。


 ――うわっ、無理!


 聖騎士は魔力探知に優れている。カイエが魔力を使ったら一発で発見される。


 ――見つからないようにコソコソ抜け出せば……


「いたぞ! 魔女だ!」


 そろそろと建物の壁伝いに移動していたら、背後から声が聞こえた。

 ぎくりとして振り返ると、聖騎士の一人がカイエを指さしている。

 もう見つかってしまった。早すぎる。相手が多すぎるのだ。


「であえであえ――――!」

「魔女はここだ!」


 わらわらと神官や女官たちも出てくる。

 魔力が使えたら、こんな雑魚はまったく問題じゃないのに!

 魔力が使えないからコソコソ逃げるしかない。


 ――めんどくさ――――い!!!


 心の中で叫びながら、カイエは発見上等とばかりに神殿の庭を突っ切り始めた。


「あそこだ!」

「魔女だ!」

「御用だ御用だ!」


 ――私が何をしたっていうのよー! あなたたちを守る結界を守ってあげていたのに!


 ヒィン! お姉ちゃん早く帰ってきてー!

 あっちからもこっちからも追っ手がかかる。


 ――むりむりむりむり! もう目立とうがなんだろうが実力行使で神殿の塀を破って外に……


 出てやろうと思った、その時。

 ヌッと、目の前に黒い影が現れた。

 走っているカイエは急には止まれない。慣性の法則である。


「ヒィン!」


 変な声をあげてカイエは黒い影に突っ込んだ。


「声を出すな」


 黒い影がぎゅっとカイエの背中を足元の植え込みの裏に押し込む。


「ヴェンデール隊長! こちらに魔女が来ませんでしたか!?」

「いや、見ていないな」


 植え込みにカイエを隠しながら、アスターはしれっと嘘をついた。


「もう市街地のほうに出ているのかもしれない。魔女は転移魔法を使う」

「転移の痕跡は見られないのですが」

「誰にも知られないように神殿に入り込んだ魔女が、魔力の痕跡なんか残すわけないだろう。とにかくこっちには来ていない、これだけの人数で捜しても見当たらないのなら神殿の中にはいないと見ていい。市街地を捜せ!」


 アスターの声に「はっ」と小気味よく答え、騎士たちが去っていく。


「朝から呼び出されて何事かと思ったら……」


 それを確認したあと、アスターは足元にうずくまる寝間着姿のカイエを見下ろした。


「まったくあなたは……。そんな薄着であいつらの前を走り回ったんですか」

「いきなり追いかけてきたのはあっちだもの、しかたがないわ……って、はっ! 騎士アスター、どうして私を庇ったの。私は聖女に成りすましていた魔女よ?」

「通報内容は、魔女が神殿内に入り込んだ、聖女が見当たらない、だけなんですが……。あなたが成りすましていたのですか」


 アスターに指摘され、カイエはしゃがみこんだまま口を押さえた。

 時すでに遅しである。


「まあ、聖女様がおかしいな、というのは気付いていたので、むしろあなただとわかって俺は腑に落ちましたよ、東の魔女カイエ」

「……どういうこと?」


 体を起こしてアスターを見上げる。


「俺は鼻がきくんですよ。子どもの頃、魔物に犬へ変えられる呪いにかけられたことがあって」


 アスターが手を差し伸べてくる。思わずその手に手を伸ばせば、ぐっと引っ張って立ち上がらせ、そのまま抱き上げられた。俗にいうお姫様抱っこだ。


 なぜ私はアスターにお姫抱っこされているのでしょう?


 まったくわからない。理解が及ばない。事態が把握できない。


「ああ、やっぱりそうだ。このにおいだ……」


 お姫様抱っこされたまま、アスターにすんすんと首元のにおいを嗅がれる。


 ――ひいー、大丈夫なのこの人!?


 魔女のにおいを嗅ぐ美形聖騎士。おかしすぎる。絵がヤバイ。理解の範疇を超えている。対処しきれない。カイエは混乱の極みにいた。

 足元にふわりと転移の魔法陣が浮かぶ。


「待って、あなた魔法が使えるの?」

「聖騎士ですから」

「いやいや待って。そうじゃなくて! 転移なんて高度な魔法、いくら聖騎士だからって、ただの人間が使えるわけないじゃない!」

「暴れると落ちますよ」


 アスターの腕から逃れようとじたばたするものの、普段から鍛えている成人男性の腕から逃れられるわけもなく、カイエは「ひぃぃぃぃ」という情けない声とともに、転移の魔法陣が放つ光の中に消えることになった。

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