第58話 その後。

 

 今日はバイトだ。

 俺は脱力感に苛まれながらも、バイトには行くことにした。


 正直、やる気は底辺だが、バイトしている方がまだ気がまぎれるし、家に帰るのが怖い。


 凛のあの顔。

 あんな顔を見るのは初めてだった。


 怒りや嫉妬を通り過ぎた先にある『無』とでもいうべき感情。人は、失望すると感情が無になるらしい。相手に何の期待もしていないということだろう。

 

 初対面の時ですら、あんな顔はされなかった。


 きっと、もう凛とはダメだ。

 あの顔をみたら、そう思うしかない。


 今日のバイトは琴音とだった。

 琴音は、俺のことを心配そうに見ている。


 「凛も元気ないんだけど、何かあったん?」


 俺は少しでも楽になりたくて、琴音に洗いざらい話した。


 すると、琴音は大きなため息をつく。


 「れん。脇甘すぎ。凛が可哀想じゃん。それにウチも。こんなんなら、観覧車で強引にしとけばよかったよ」


 「……ごめん」


 「楓さん可愛らしいもんね。ウチ、男の子のそういう好奇心とか欲求みたいなの分かるし。あんな可愛らしい子にせまられたら、仕方ないとも思う。でも、それはウチが男の子の色々と見てるからで、凛は違うよ」


 「あぁ。もう、凛とは無理かな?」


 「そんなことはないでしょ。ウチ、蓮と凛の絆を見てたつもりだし。嫌いになんて、なりたくてもなれないよ。でも、すぐには難しいかも」


 バイトの終わりが近づき、どんどん憂鬱な気分になる。店のシャッターをしめ、とうとう、終わりの時間がきてしまった。


 店の裏口からでると、琴音が待っていてくれた。


 「少し、話さない?」


 公園のベンチに腰をかけ、琴音とならんで話す。琴音がコーヒーを買ってくれた。


 缶の熱で両手を温める。


 すると、琴音が頬を膨らませた。


 「あのね。ウチもイヤなんだよ? 蓮が他の人とキスとか。レンのばか」


 「ごめん。おれ、どうしたらいいのかな」


 「うーん。すぐには仲直り難しいかもね。まぁ、当たって砕けろだよ?」


 琴音はバンッと俺の背中を叩く。


 「ダメだったら、ウチがレンをお嫁にもらってあげる! ウチ、絶対にレンを嫌いにならないから」


 「あはは。それは頼もしいな。って、婿じゃないんかい」


 おれは作り笑いする。

 そうだよな。まずは、傷つけてしまったことを、ちゃんも謝ろう、


 仲直りとかは、その後の話だ。



 「ただいま」


 家に帰ると、もうみんな自室にいるようだった。凛の部屋のドアの隙間から光が漏れていない。もう寝てるのだろう。


 俺も寝ようとベッドに入っていると、ドアがノックされた。


 「レンくん。少し話せる?」


 雫さんだった。

 雫さんはココアを入れてくれて、リビングで2人で話す。


 凛がすごく落ち込んで帰ってきたので、心配していたらしい。


 俺は、事の次第を話した。

 楓とキスをしてしまったこと。

 それが凛に知られてしまったこと。


 これで雫さんにも幻滅されてしまうのだろうか。


 「レンくん。凛の母親としては、あなたを許せないという気持ちはある。だけれど、あなたのお母さんから、あなたを預っているから。同時にアナタを無条件に許してあげたいとも思うの」


 俺は頷く。


 「それはきっと凛も同じ。いまは怒りや嫉妬で、レンくんを許せないという気持ちでいっぱいだと思う。でもね、あの子が一番怖いのは、弟を……あなたを失うことなの。だから、あなたが離れることが、あの子を一番傷つけることになるの。冷静になって、あの子がそのことに気づくまで、凛を見捨てないでね」


 「いえ、見捨てられるのは俺の方なので……」


 「男の子だからね。仕方ないのよ。そうやって、失敗して大人になっていくの。大人になったとき、いま泣かせてしまった分も、凛を大切にしてくれればいい」


 雫さんは俺の横に来て頭を撫でてくれる。


 「かあさん……」


 無意識に漏れ出た言葉に、俺自身が驚いた。

 そうか。おれはこの人を母さんと同じ様に信頼しているらしい。


 雫さんはただ無言で。

 俺を温かい腕で抱きしめてくれた。



 次の日、朝起きる。

 凛に謝らないと。


 凛の部屋をノックするが、反応がない。

 寝ているのかな?


 玄関にいくと、リンの靴がなかった。


 嫌な予感がして、凛の部屋を開けると、凛はいなかった。よく使う物が持ち出されていて、服もほとんどない。


 凛が出ていってしまった。

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