第30話 わたしの伊豆旅行。

 (凛の部屋)


 リンリンリン。

 わたしは寝ぼけ眼でスマホのアラームを止める。


 『もう4時半……』


 今日から旅行かぁ。

 れんくんは、今頃、隣の部屋でどうしているかな。


 おにぎり、喜んでくれるかなぁ。

 具はシャケと明太子と玉子焼きにしようと思って、昨日、帰り道に買ってきた。


 おにぎりを作って、水着を荷物につめて、少しだけメイクして。弟の礼音れんの写真に朝の挨拶をする。


 「お姉ちゃん、いってくるね。帰ってきたら、海の話聞かせるから」



 そのあとは、れんくんが待っている車に乗り込む。今日から伊豆に家族旅行なのだ。


 途中、わさびが沢山売ってるドライブインに寄った。そうしたら、レンくんはわさびのソフトクリームを買って、鼻につけて食べている。


 小さな子供みたいで、かわいくて。

 もっともっと、君を甘やかしてあげたいのだけれど、その度に、弟のことを思い出してしまう。わたしが、こうしてレンくんと仲良くなって、頭が彼のことで一杯になってしまったら、礼音は、きっと悲しむ。



 ふと車から外を見ると、大きな交差点が見えた。トラックと乗用車が接触事故を起こしてしまったらしく立ち往生していて、警察官とドライバーが、車の傷を指差して、何か言っている。


 すると、わたしの中に怖い気持ちが蘇ってきて、身体がすくむ。横断歩道に鮮血が敷き詰められてしまったあの日のことが、否応なしに思考に割り込んできて、動悸がして息苦しい。


 だけれど、そんなわたしに気づいたレンくんは、メッセージをくれるのだ。


 「どうしたの? なにか不安なの?」


 ほんと。君はいつもわたしのことを見ていてくれるから、やりづらいよ。きみと出会ってから、1人で怯えてうずくまる暇なんてないもんね。


 あの日、神木の家のインターフォンのボタンを押した時から、わたしのそれまでは、少しだけ変わった。灰色だった世界が、日に日に色づくのが分かった。


 初めて会った君は、優しげで。わたしの顔とか成績しかみていない今までの人たちとは違って、わたしのことを真っ直ぐ見透かしてくる。


 この人は、他の人とは違うんじゃないか。


 その思いは、きみが、とんぼ玉を見つけた日に確信に変わった。


 だから、怖いよ。

 君のことを好きになったら、わたしは弟のことをいつか忘れてしまうかもしれない。



 旅館について、部屋に案内された。浴衣に着替えて、蓮くんと旅館の外に出る。


 川沿いはキラキラとしていて、カラカラと風鈴みたいな貝殻が風に揺られている。そこをれんくんと歩いていると、世界に2人だけになってしまった気がして、もう少しだけ甘えてもいいのかなという気持ちになった。


 すると、れんくんに手を引っ張られた。

 わたしは驚いてしまって「ちょっと」と言った。


 駆けながら、れんくんがわたしに問いかける。


 「さっき、車で不安そうな顔をしていたけど、大丈夫?」


 全然、大丈夫じゃないよ。

 君がわたしのことを大切にしてくれるから、わたしは君を、ひとりの男の子としか見れない。弟として見れない。


 君と初めて会ったときは『新しい弟ができた』現実に、罪悪感と嫌悪感を感じて打ちひしがれていたけれど。


 いまは、君を弟として見たくないんだ。

 だから、わたしの気持ちは、君の家を訪れたあの日よりは、少しだけ楽になった。


 でも、こんな気持ちにさせられるなんて。

 抗議せずにはいられない。


 だから、わたしは海に向かって叫んだ。


 「れんくんの、ばかぁー!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る