第27話 旅行。
雫さんと凛と俺で目を見合わせる。
「親父、旅行って。どこに?」
「ん? まだ考えてないけれど、車で行ける場所にしよう。伊豆はどうかな?」
雫さんはすぐにスケジュールを確認すると、ピースサインを出した。ということで、来週末の旅行が決定したのだった。
旅行当日の朝。
俺と親父は、先に車の前の席に乗って車内を冷やして待つ。
今日の目的地は、雲見温泉という場所だ。西伊豆にある小さな漁村だが、関東から近い割には海が綺麗で海産物が美味しいということだった。
なんでも、親父が子供の頃によく行ってきた思い出スポットらしい。きっと、雫さんを連れて行きたいのであろう。
車内で待つと10分ほどで凛と雫さんがきた。
雫さんは小さい扇風機を首に下げている。
「ごめん、またせちゃったね」
……女性は準備が多くて大変だ。
うちの車はワンボックスだ。なので、4人ならかなりスペースに余裕がある。雫さんは疲れているようで、早々に眠ってしまった。
凛が前のめりになって話しかけてくる。
「ママの仕事忙しくて、わたし、あまり旅行とかいったことなくて。すごく楽しみなんです」
凛が雫さんを「お母さん」と呼んでいたのは、最初の数日だけで、すぐに「ママ」になった。きっと2人の時はママだったのだろう。
親父は運転しながら答える。
「楽しみにしてもらえたなら良かったよ。でも、せっかくの旅行なのに、漁村みたいなところでごめんな。もっと、おしゃれなところにすれば良かった」
「ううん、わたしお魚大好きだし、嬉しいです。ありがとうございます」
凛が初めて家に来た時、親父に対してあまりに人懐っこくて演技かと思ったのだが、これはこれで凛の素らしい。
雲見までは、東名高速から伊豆縦貫道に乗り継ぎ、うちからは4、5時間かかる。途中でお昼時になってしまい、親父がどこかに寄ろうかと言うと、凛がごそごそとおにぎりを出してきた。
早起きして準備してくれたらしい。
凛は俺と親父におにぎりを渡してくれる。
シャケおにぎりと、明太子と卵焼きのオニギリだ。おにぎりを頬張りながら、車窓から流れる景色をみると、陸橋からは三島の街並みを見下ろすことができた。
もし、母さんが生きていたら、この助手席には母さんが座って、凛の場所には俺が座っていたんだろうか。父さんは母さんも雲見に連れて行きたかったのかな。
ふと、そんなことを考えてしまう。
って、雫さんに失礼か。
感傷に浸るのは後回しにして、いまは、この旅行を楽しもうと思った。
車は修善寺の先から西に舵をとり、山の間を右へ左へと走る。道は林道のようにどんどん細くなり、不安がピークに達した頃に、急に視界がひらけた。
下り斜面のずっと先には、海が波で煌めいている。
雲見の市街地に入り、坂道を下りると、今夜の宿があった。
旅館は『翡翠館』という。
正面には数寄屋造の瓦門があり、しっかりした旅館だ。敷地の中には、食堂や温泉といった各施設が母屋を中心として配置されており、漁村とはイメージが違う立派な門構えだった。
旅館に入ると、女将さんがお出迎えしてくれた。
さっそくチェックインして部屋に案内してもらう。今回、親父は2部屋とっていて、最初は男部屋、女部屋にしようとしたらしい。
だけれど、凛の「ライお父さんとママを2人にしてあげたい」という希望で、親父と雫さん、俺と凛という部屋割りになった。
たしかに、きっと俺とか凛がいたから、親父と雫さんは、旅行には行けていないはずだ。だから、凛の言う通りだと思った。
ということで、俺と凛は同じ部屋になった。
部屋に入ると、3階ということもあり、目の前に海と松の木が見えていて、部屋は居室1部屋とドレッシングルーム(お召し替え部屋)、バストイレという間取りだった。部屋は12畳くらいあり、凛と2人なら十分な広ささだと思った。ドレッシングルームには様々な絵柄の女性の浴衣がおいてあり、選べるようになっていた。
ちなみに、男性の浴衣は矢尻みたいな柄のがS,M,Lの三種類あるだけだった。
俺は、逆差別という言葉の意味を知った気がした。
部屋に荷物を置き、親父たちの部屋に顔を出しすと、既に2人でビールを飲んでいた。なんだか楽しそうにしていて、凛の言うような部屋割りにしてよかったと思った。
食事までまだ時間があるので、少し周囲を散策することにした。
凛が着替えるというので、居間で待つ。
すると、フックを外すような音や、スルスルという下着を脱ぐような音が聞こえてくる。凛は今頃、全裸なのかな。
正直、かなり覗きたい。
っていうか、最近、凛に対する欲求が強くなってしまって困る。気持ちの大きさに比例しているのだろうか。
どのかの寺に修行に行こうかな。叶うことのない煩悩は邪魔なだけだ。
……楽しい旅行が台無しになってしまいそうなので、覗きたい気持ちは我慢だ。
しばらくすると、凛がぴょこっと柱の陰から顔を出した。
「うまく着れたかなぁ……」
姿を表した凛は。
紫地に朝顔のような柄の浴衣を着ていた。
白とピンクがかった朝顔が咲き誇っていて、赤紫の帯が、凛のウエストとバストの抑揚を強調しているようだった。
髪はアップしてまとめていて、下顎のあたりに垂れる後れ毛が、なんとも言えなく大人びて見える。
凛は不安そう顔をする。
「ど、どうかな?」
正直、世界一可愛いと思うのだが、そのまんま伝えるのもなんだか悔しい。
「ま、似合ってるんじゃない?」
「そっかぁ……」
凛は嬉しそうな顔をして、少し照れくさそうに俯いた。
俺も着替えて、浴衣でロビーのあたりを並んで歩く。女性には紫の花緒の下駄と小さな巾着を貸してくれた。
男性は、草履ともスリッパともつかない履き物だった。
ほんと、逆差別……。
翡翠館は、町の奥側にあるので、山から流れ込む小川沿いを海に向かって歩く。
すると、小川の両側には10軒ほどのレトロな商店が並んでいて、干物や花火、またキラキラした貝殻のような地元のお土産が置いてあった。
小川の流れは穏やかで、メダカが、つがいで泳いでいた。
それらを見ながら、凛と並んで歩く。
足を前に出す度に、カランカランと、下駄を引きずるような音が聞こえる。
なんだかタイムスリップしたような気分になる。他の観光客がいないことも相まって、この世界に凛と2人だけになったように感じた。
俺は凛の右手首に手を添えた。
そして、引っ張る。
凛は「ちょっと」といいながら、笑った。
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