第22話 凛と弟。


 リビングに移動すると、雫さんはお茶を淹れてくれた。湯呑みからは湯気が立ち昇っている。


 湯呑みを持つと、じんわりと手が温かくなって少しだけ心が落ち着く。俺がお茶を一口すすると、雫さんは話し始めた。


 「あの子に弟がいたって聞いてる? あの子、最初に、あなたに会った時、強く拒否したんじゃない?」


 たしかあの時、『あなたに期待していない』、『弟なんていらない』みないなことを言われたっけ。その言葉で突き放された感じがして、すごく腹が立って傷ついたんだよな。


 俺は頷く。

 すると、雫さんはため息をついた。


 「やっぱりね。レン君。気を悪くしないでね。昔、凛には学年が一つ下の弟がいたの。実は、その子の名前も、礼音(れん)と言うんだ」


 「えっ……」


 「わたしも今でも毎日のように思い出すし、悲しいよ。でも、どこかで気持ちを整理して、前を向かないと、と思ってる。でもね、凛の中では、まだ消化できてなくて、その悲しみがずっと続いているんだよ」


 雫さんは、俺の目をじっと見つめて続ける。


 「だから、最初、似た名前の君を、余計に拒んだんだと思う。もちろん、君は何も悪くないし、これはただの偶然」


 弟がいたとは聞いてたけれど、俺と同じ名前だったなんて、ぜんぜん知らなかった。


 でも、レンなんて名付けランキング常連の名前だ。同じだったとしても、あり得ない話ではない。


 「……再婚の話がでたとき、あの子は、わたしの幸せを喜んでくれて、祝福してくれたの。でも、弟のポジションに他の人が入るのは、凛には受け入れ難かったと思う。それが似た名前の人ならなおさらね。これ、蓮君には、ひどいこと言ってるよね。ごめん」


 俺は首を横に振った。


 俺には凛の気持ちがよく分かる。だって俺も、雫さんと仲良くしていると、時々、母さんを除け者にしているような、申し訳ない気持ちになるのだ。


 雫さんは続ける。


 「だから、あの子が君を受け入れてくれて嬉しかったんだ。凛もようやく一歩進めるのかなって。でも、同時に怖くなったんだと思う」


 「どういうことですか?」


 「あの子、前に、弟が死んだのは自分が悪いって言ってたんだ。きっと、今でもそう思ってる。だから、自分が誰かを大切に思うと、その相手はいなくなっちゃうかも知れないって、不安なんだと思う」


 それで、あんな顔をしたのかな。失うことへの恐怖。それは凛の深いところに刻まれて、彼女の心をすくませている。俺は凛の気持ちを少しは分かったつもりになっていたけれど、まだまだだったみたいだ。


 「だから、もう少しだけあの子に付き合ってあげて欲しいの。凛を見捨てないであげてください。お願いします」


 俺は頷いた。

 席を立とうとすると、雫さんが言葉を続けた。


 「蓮君。ちょっと顔を見せて。……君はもしかしてあの時の……、ごめん、やっぱりなんでもない。ねぇ。一瞬だけ、わたしにママにならせて」


 雫さんは俺の手を包み込むように握った。


 「……蓮。好きな子を簡単に諦めないこと。カッコつけないで本音で話すこと。って、必要ないアドバイスかな?」


 俺は雫さんの顔を見る。

 すると、口元をわずかに綻ばせ、優しい顔で俺を見つめていた。


 俺は鼻を掻いて照れ笑いをした。

 雫ママは、色々とお見通しみたいだ。


 凛のこと。もちろん。

 そんなに簡単に諦めるつもりはない。



 ……さっき、雫さんも泣いていたな。きっと、礼音れんくんのことを思い出すたびに、涙が出てしまうのだろう。


 雫さんはああは言っていたけれど、母が実の子への想いを整理や消化なんてできるはずがない。きっと、その傷口はまだ生々しくて、ことあるごとにえぐられるように痛むはずだ。

 

 人は亡くなっても、いやがおうにも誰かの心の中に生き続けるんだな。

 


 

 土曜の朝。

 まだ、凛は俺と顔を合わせてくれない。


 意図的に避けられている。

 もちろん、俺も傷付くし悲しい。


 でも、それよりも。

 心配でたまらない。


 凛のことを考えると、胸が苦しくなる。


 雫さんは、ああいってたけれど。

 もしかしたら、俺と凛は、このままになっちゃうんじゃないだろうか。




 今日はバイトか。

 そろそろいかないと。



 今日のバイトの相棒は、残念なことに楓だ。

 案の定、顔を合わせて最初の一言は、ニヤニヤしながら「弟に聞いたんだけど、凛ちゃんと喧嘩したの?」だった。


 女子のくせにデリカシーなさすぎだろ。


 そして、傷ついてる時はコレが一番と何冊かの本を渡してくる。表紙のメモをみると、『楓チョイス元気のでるBL♡』と書いてあった。


 ……やっぱ、コイツはダメだ。


 俺はパラパラとページをめくってみる。すると、メモ紙が挟まっていた。


 メモを開くと、横で見ていた楓は、急に恥ずかしそうな顔をする。って、あんなに照れるのは、楓のキャラじゃないだろう。


 俺はメモを見てみた。


 「がんばれ!! 本気でフラれてしまったら、お姉さんがテクニシャンなイケメンを紹介してあげよう。楓」


 テクニシャンなイケメンて……。楓の交友関係大丈夫か? ってか、なぜここで頬を赤らめるのか理解不能だ。


 ……ちゃんと軽口で返さないとね。


 「イケメンはいらない(笑)。楓が慰めてくれた方が嬉しいかな」


 すると、楓は真っ赤になった。姫毛をしきりに触ると「……この女ったらし」と言って、逃げるようにどこかにいってしまった。


 コア腐女子は攻撃特化型の紙装甲らしい。ちょっとからかっただけなんだけど、打たれ弱いにも程がある。


 実はツンデレなのかな。


 でも、まぁ。

 どうやら彼女なりに俺を心配してくれているみたいだ。 


 ありがとう。


 

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