第7話 お湯って、いやらしい。


 お湯はいやらしかった。


 俺は、あの日の凛の言葉が正しかったことを思い知らされた。


 その日は夕食を終え、俺が成瀬とバカ話をしているとドアがノックされた。


 凛だ。


 「お風呂。あんたの番。ってか、あんたの部屋隣だから、話とか丸聞こえなんだけど。男子ってほんとIQ低いよね」


 なんなんだよ。こいつ。

 いつもムカつくやつだけれど、今日も絶好調だな。


 俺も負けてはいられない。

 

 「了解。別に誰と話したって俺の勝手だろ。風呂入るから向こう行けよ。しっしっ」


 すると、ドンっとすごい音がする。

 凛がドアを蹴ったらしい。


 人のIQとかいう前に、まずはお前が人間社会のマナーを学んでくれ。


 「それと、わたしの入ったお湯だからって、いやらしい目で見ないでよね」


 だーかーらー。

 お湯には性別ないから、エロスは皆無なんだって。本当にわかんないやつだな。


 だが、この数分後。


 正しいのは凛で、間違っているのは俺だったことを思い知らされた。




 俺は浴槽に浸かっている。

 そして、目の前には毛が一本漂っている。


 俺は、顔を鼻の上まで水面に沈め、ぶくぶくと水平方向からそれを眺めている。

 うちの風呂の順番は大体ルーティンになっていて、凛、俺、親父の順番だ。


 俺の前には凛しか入っていない。

 だから、この毛は凛の物としか考えられない。


 俺は、毛をよく観察してみる。

 長さは1.5センチほど。


 毛質からすると、凛の物と思われる。


 この短い毛。


 凛はストレートに近いロングヘアだ。

 この毛は、ほぼ確実に頭髪ではないと思われる。



 脇の毛?

 いや、夏だし普通に処理しているよね。


 ってことは、残る選択肢はひとつ。

 そう。あの毛だ。



 年頃の童貞男子高校生と。

 美人女子高生の「毛」の遭遇。


 これだけで、一本の映画が作れそうだ。


 俺は我慢できず、それを人差し指と親指でつまみ、光にかざしてみた。


 すると、それは少し細く、少しウェーブがかっている気がした。

 俺の推理は、確信に変わった。


 絶対にそうだ。


 そして俺の葛藤が始まった。

 善と悪の壮絶なる戦い。


 相手はたかが「毛」だぞ。

 捨ててしまえ。そして、手桶でザザーッと水を流すんだ。


 すれば、俺は二度とこの「毛」を目にすることはないだろう。


 

 ……。


 お嬢様学校の美少女産の「毛」だぞ?


 できないっ。

 どうしても、できないっ。


 ……よし。


 これはご神体として、どこかに保管しておくことにしよう。俺は、それを大切に洗面台に置き、そそくさと着替えて脱衣所を出る。


 少しでも良好な状態で保管するために、ご神体は外気に晒して空気乾燥しながら部屋に戻ろう。


 すると、悪いことってできないものらしい。

 いつもはそんなことないのに、今日に限ってタイミング悪く、凛が出てきた。


 凛は俺の方に来て、話しかけてくる。


 「ねぇ。れん。お父さんに頼まれてたアンタに勉強教える件なんだけどさ……」


 凛が俺の方を見る。


 俺と凛は、指先で摘んだ「毛」越しに目が合った。


 凛は何回か瞬きをする。

 そして、俺の顔から「毛」の方に瞳のピントを合わせた。


 直後、凛の目つきが、ジト目から、まんまるお目目に変わった。そして、やがてその表情は、雷神風神のそれのような怒髪天になった。


 『すごくやばい気がする』


 「んじゃあ、そういうことで……」


 俺は、凛に背をむけると最短ルートで自分の部屋を目指す。


 すると、背後から声をかけられた。

 俺はビクッとして振り返る。


 「おい。待てよ。その手に持ってるの置いていけ」


 そして、俺の返事を待つことなく、横腹に蹴りが飛んできた。本気で蹴られて、俺は息が止まりそうになる。


 凛は顔を真っ赤にして、涙目で俺をポカポカ殴る。


 「この変態っ。死ね! 死ね! しね!! そして二度と蘇るな!!」


 仕上げにビンタをされ、俺は床に倒れ込んだ。

 凛は、俺からご神体を略奪すると、涙目で頬を膨らませて部屋に帰っていった。


 その晩は、凛の部屋から何度も「わぁぁ」という奇声が聞こえてきた。


 神様。隣の住人、怖いよ。


 そして、それから一週間、凛は口を聞いてくれず。お風呂の順番は、必ず凛は、俺の後に入るようになった。


 神様。俺が間違ってました。

 お湯はいやらしかったです。

 

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