第6話 とんぼ玉。


 俺はそれからもしばらく、とんぼ玉を探し続けた。

 

 空は茜色から深青色になり、暗幕のような漆黒に近づいていく。仄暗くなるにつれ、どんどん望みがなくなっていくのを感じた。

 

 凛は暑さで体調が悪くなってしまい、隣で見ている。1時間くらいたった頃だうか。凛が言った。

 

 「もう、いいよ」


 だけれど、地面に突っ伏してしまいそうなほど落ち込んでいて。ずっと、手元に残ったブレスレットの革紐を握っていて。


 見ていられなかった。

 

 

 2人で肩を落として、家まで帰った。

 会話は一言もなかった。


 玄関に入ると、凛はそのまま部屋に直行してしまった。あんなに汚れているのに、お風呂も入らないし、ご飯も食べない。

 

 部屋に入ってしばらく経つと、枕に顔を押し付けているのだろう。凛のくぐもった泣き声が聞こえてきた。


 今は雫さんもいないし、余計に辛いよな。

 


 俺が冷蔵庫の前で、飲み物を飲んでいると、親父が話しかけてきた。

 

 「凛ちゃん、なんか様子が変だけど、何かあったのか?」


 俺は事情を説明した。

 とんぼ玉がなくなってしまったこと。俺が悪いこと。


 すると、親父は、少しためらった様子で、ぽつりぽつりと口をひらいた。

 

 「これは雫さんに聞いた話なんだがな。凛ちゃんには昔、弟がいて。あれはその子から貰ったものらしい」


 そうか。

 俺は、自分がとんでもないことをしてしまったと思った。


 俺も母さんにもらったキーホルダーをまだ持っている。なんてことないキーホルダーだが、俺にとってはかけがえの無いものだ。


 

 だから、兄弟はいないけれど、それがどんなに大事なものであったかは想像がつく。



 皆んなが寝静まった頃、俺は家を抜け出してさっきの場所に向かった。懐中電灯で側溝を照らしながら、流れの先をずっと追っていく。


 側溝が曲がっているところなら引っかかっているかもしれない。あたりをつけては、泥水の中をすくい、無さそうならまた次のポイントを探す。


 2時間くらい経った頃、心配した親父がやってきた。


 「俺も手伝うよ。1人で探すよりはいいだろ。見つからなかったら俺も一緒に謝ってやるからさ」


 親父なりの慰めなのだろう。

 気遣いは有り難い。


 だけれど、俺としては、俺が恨まれることなどどうでもよかった。とんぼ玉がないことが問題なのだ。


 夜が明ける頃まで続け、側溝すくいは数百メートルに及んだ。やがて、川の支流に落ちる水門まで到達してしまった。


 もうここで見つからなかったら、無理だろう。


 水門の手前側にはゴミ止めの柵があり、そこのゴミを引き上げては、地面に広げてとんぼ玉を探す。


 だが、見つからなかった。

 俺は、勝手に流れ出る涙を二の腕で拭いながら、ポケットに入っているキーホルダーを握る。



 凛。ごめん。

 見つけられなかった。


 その時、親父が声をあげた。


 「おい。レン。あそこの端にあるのそうじゃないか?」


 すると、側溝から支流に水が流れ落ちるギリギリのところに、ビー玉のようなものがあった。朝焼けに照らされてキラキラしている。


 とんぼ玉だった。


 ……よかった。



 家に帰ると、凛の部屋をノックする。

 すると、しばらくして凛が出てきた。


 きっと一睡もしていないのだろう。

 髪はぐしゃぐしゃで目も腫れあがって。

 美人が台無しのひどい顔をしていた。


 俺はとんぼ玉を差し出した。


 「……これ」


 凛の視界にとんぼ玉が入る。

 すると、くすんでいた瞳に、どんどん輝きが戻るのがわかった。


 俺も凛も。

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、とんぼ玉が戻ってきたことを喜んだ。


 しばらくして、気分が落ち着いた頃。

 今度は必死だったお互いが滑稽になって、2人で笑った。


 凛は、とんぼ玉を両手で大切そうに持って言った。


 「れん、あんた臭いよ」


 え。自分のお腹のあたりを見てみる。

 確かに汚水まみれの汗まみれで、ひどい状況になっている。そして、臭い。


 俺が挙動不審になっていると、凛はいつもの冷ややかな目で言った。


 「お風呂入ってきなよ。それと出たら、わたしの部屋に寄って」


 

 そういうわけで、俺は今、浴槽に浸かっている。とんぼ玉は見つかったけれど、そもそも、なくなった原因は俺だ。


 凛の部屋に行ったら、どんな誹謗中傷を受けるのだろう。殴る蹴るもあるかもしれない。


 でも、仕方ないよな。俺が悪いんだし。



 俺は風呂を出て、凛の部屋をノックする。

 

 「ちょっと待って」


 何か部屋の中でゴソゴソしている。

 ドアが開いた瞬間に殴られるのかもしれない。

 

 ドアが開いた。

 俺は肩をすくめる。


 すると、凛は言った。


 「あんた、何ビクビクしてるの。ださっ。いいから部屋に入って」


 凛の部屋に入る。

 すると、ぬいぐるみや本などが綺麗に並んでいた。


 凛の服は部屋着だが、さっきと替わっていて、髪の毛も整っていたし、少しメイクしているように見えた。


 そして、いつものいい匂いがする。

 そこは俺の部屋の隣にあるとは思えない、格別の女子空間だった。


 俺がキョロキョロしていることに気づいたらしい。凛が眉間に皺を寄せていう。


 「あまりジロジロ見るなよ。変態」


 いつものようにあたりがきつい。

 だけれど、いつもの毒がないような気がした。


 凛はテーブルの前で正座をする。

 そして、太もものあたりをパンパンと手のひらで叩いた。


 「ここに寝て」


 えっ。膝枕??

 あの凛が?


 もしかして、これから、俺の初体験的な?


 「あの、俺。まだ心の準備が……」


 凛はいつもの見下すような目になって言った。


 「ナニ勘違いしてるの? しね。変態」


 いつもの凛だ。

 俺は、何故かほっとする。


 凛は続けた。


 「あんた、首もと怪我してるじゃん。気づいてないの? 薬塗ってあげるから、ここに寝て」


 なんだ。そういうことか。

 でも、自分が怪我していることに気づかなかったよ。


 俺は凛に膝枕してもらう。

 すると、凛の髪の毛が顔にかかった。


 凛の髪は、ツルツルしていて軽やかで。シャンプーの匂いがした。


 そして、膝から見上げる凛は、やっぱり可愛かった。


 前に成瀬が、真の美人は下から見ても美しいって言ってたけれど。その意味が今初めて、わかった気がした。


 俺と目があったことに気づいたのか、凛は俺の顔を、ぐいっと強引に横に向けた。


 「こっち見るな。目を瞑る」


 ちょっと、こっちは怪我人なんだけれど。

 もうちょっと優しくしてくれよ。


 すると、凛は無言で。

 だけれど、優しく、首元に薬を塗ってくれる。

 

 誰かに膝枕なんてしてもらったの何年ぶりだろう。俺は目を瞑ると、母さんの膝枕を思い出していた。


 温かくて。柔らかくて。優しくて。

 気づくと俺は寝てしまったらしい。

 


 ……。


 『ごめん、寝ちゃった』そう言おうとすると。


 頬のあたりにポタポタと水滴が落ちてきた。

 それは、温かくて、ちょっとしょっぱかった。


 凛、もしかして、泣いているのか?

 きっと、俺が起きていることに気づいていないのだろう。


 俺の頭を撫でながら、凛は呟く。

 

 「……ありがとね」



 礼なら起きてる時に言ってくれよ。


 ……でも、よかったな。




 


 (後日談)


 次の日、朝食で呼ばれて階段を下りると、凛と目が合った。昨日、あんなに優しくしてくれたんだ。


 きっと、少しは仲良くなれたよね?


 俺が凛の言葉を待っていると、凛が口を開いた。


 「邪魔」

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