第21話
社内イベント当日。
出勤早々、華恋は社内全体がどことなく浮ついているのを感じた。皆の顔に浮かんでいるのは少しの緊張感とワクワク感。かくいう華恋自身も珍しくそわそわしていた。
華恋の出番は午後から。担当場所の準備は前日までに終わらせたので午前中は特にすることがない。一応、社内連絡には『手が空いた時間は通常通り仕事をしてもいいし、イベント会場を回ってもいい。ただし、他者の邪魔になるような行動は慎むこと』と記載されていた。
普段の華恋なら迷うことなく総務部に引きこもるという選択を取っていたのだが……今回に限っては迷っていた。
――――確か今の時間、英治さんは会社説明会に顔を出しているはず。
会社説明会の担当メンバーの一人は八木だ。例の件が総務部メンバーにバレて以降借りてきた猫のように大人しくなった八木。
さすがに何もしないとは思うが……どうしても一抹の不安が拭えない。もし、八木が英治の足を引っ張る為にわざと問題を起こしたら……そんな想像が浮かんでは消える。
迷った末、華恋は『少し覗くだけ覗いてみて特に問題なさそうならすぐに出よう。杞憂で済めばそれはそれでよし! ここでグダグダ考えて時間をただ潰すよりはマシ!』と自分に言い聞かせて、会社説明会が行われている大会議室へと向かった。
大会議室に近づくと、中からよく通る爽やかな声が聞こえてきた。八木だ。次いで、複数の笑い声も聞こえてくる。おそらく八木が会社説明の途中で小ネタを挟んでそれがウケたのだろう。わりとよく見る光景なので容易に想像できる。
華恋は後ろ側の扉を静かに開くと、身体を滑り込ませた。できるだけ気配を消したつもりだったが数人にはバレてしまったらしい。チラチラ視線を感じる。が、素知らぬ顔で見学を続ける。
――――あ、英治さんだ。
英治は前方の端に立っていた。会社説明会の進行を見守りながらも、時折手に持ったファイルで口元を隠している。
おそらくワイヤレスイヤホンマイクで各部と連絡を取り合っているのだろう。朝から忙しそうにしている。
今更だが、補佐役をつけるべきだったのではと思わずにはいられない。なんやかんや英治は一人でも上手い具合に対応しているが、他の人だったら途中で匙を投げてもおかしくない忙しさだ。部長も「森君て実はかなり仕事ができる人だったんだね!」と改めて英治の対応力を評価していた。ちなみに、それに対して華恋は深く頷き返した。
普段の回された仕事を淡々とこなす英治も仕事人ぽくていいが、今日の英治はいつも以上にかっこいい。格好は普段と変わらないのに。
――――そういえば、英治さんって『健ちゃん』のマネージャーをやっていたんだった。それで、こういうのに慣れてるのかな。
売れっ子アイドルのマネージャーなんて忙しいに決まっている。イレギュラー対応なんてあって当たり前のレベルだっただろう。素人考えだが、そんなに外れていないと思う。
今までマネージャーをしていた頃の英治を想像したことはなかったが、解像度が上がっている状態で想像してみると――――え……めちゃめちゃかっこよくない?! しかも、『健ちゃん』のマネージャーをしていた頃って今とは恰好も違っていたらしいし。
今のもさっとした英治も嫌いではないが、あの夜の時のようにスーツに身を包み髪型もビシッと決めた英治はまた違った魅力がある。それこそ、
――――まず、あの日本人離れした体格にスーツっていうのがズルイ……くっ。思い出しただけで胸が苦しい。
華恋が己の
例年通りの会社説明会なら、お堅い雰囲気に圧されてなのか質問も無く終わることが多かったのだが、今回は次々に手が上がっている。その質問を卒なくさばいていく八木。ほぼ八木の独壇場だ。
八木のこういうところは純粋にすごいと思う。コミュニケーションが苦手な華恋には到底真似できない。
だからこそ、思う。自分の特技を活かす方向で頑張れば順当に出世できたはずなのに、なぜ卑怯な手を使ってしまったのか、と。
八木のやらかしについてはすでに社長の耳にも届いている。ただ、関わっている人数が多い上に、皆上役。事実確認に時間がかかることもあり、一旦八木の件は社内イベントが終わった後に持ち越しになった。
そういう意味では今日のイベントは八木にとって名誉挽回のチャンスなのかもしれない。そして、それは八木だけでなく一部の上役達にとっても同じことだ。普段部下に仕事を押し付けて偉ぶっている人達が今日に限って率先して動いているのを見ると何とも言えない気持ちになる。おそらく、そう感じているのは華恋だけではないだろう。
――――あれだけ英治さんの提案について文句を言っていたのに。
と、ついつい冷たい視線を向けてしまった。
ひとまず大丈夫そうだと判断した華恋は静かに大会議室を抜け出した。総務部に戻ろうとして足を止める。誰かに名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと振り向く。
大会議室から出てきた英治と目と目が合った。
お互い無言で示し合い、話し声が聞こえないところまで移動する。先に華恋が口を開いた。
「どうしたの?」
英治が眉をピクリと動かす。
「それはこっちのセリフだ。……何かあったのか?」
そうでなければわざわざ見に来るはずがないという確信めいた反応に、華恋は思わず視線を逸らした。
「いや、その……ちょっと気になって……ちゃんとやってるみたいだね」
誰がとは言わなかったがそれだけでも伝わったらしい。英治が「ああ」と頷き返す。
「まあ、さすがにな。次やらかしたらクビだっていうのはさすがにわかっているだろうし」
「そっか。そうだよ、ね」
「ああ」
二人の間に沈黙が流れる。微妙な空気感を壊すように、キャーという黄色い歓声が聞こえてきた。
二人して大会議室へ視線を向ける。会社説明会で黄色い歓声……何となく何があったのか予想できた。大方、八木が気障な台詞を吐いたのだろう。
華恋の眉間に皺が寄る。八木のあのノリは女性社員達の間でも人気らしいのだが、華恋にはどうしてもあの良さがわからなかった。むしろ、生理的に無理なレベル。目の前でやられたら鳥肌が立つ。いったいアレのどこに興奮する要素があるのか……。
しばらくして、説明会を終えた八木がご機嫌な様子で大会議室から出てきた。
二人が一緒にいるのを見た瞬間、八木の表情が不快に歪む。わざわざ二人の前で足を止め、ちらりと横目で英治を見た。
「途中で抜けたから何かあったのかと思えば……。まあ、おまえがいてもいなくても変わらなかったからいいけどな」
軽く鼻で笑うと、八木は英治の返事を待つことなくその場を立ち去った。ちなみに、華恋に視線を向けることは一度もなかった。八木の後姿が見えなくなり、ようやく華恋は口を開いた。
「何今の……。英治さん、大丈夫?」
「ん? ああ。特に問題はない」
森は何でもないことのような顔で頷く。でも、華恋は納得できなかった。
口を挟んでいいなら挟みたかったくらいだ。まあ、仮に華恋が間に入ったとしてもこじれるだけなのでしないが……気持ちとしては英治の分まで八木に罵り返したかった。
その気持ちが顔にも出ていたのだろう。英治が華恋の顔を見て苦笑した。
「あんなのまだまだ可愛いもんだぞ」
そのしみじみとした口調から過去の闇を感じ取って、思わず華恋は口を閉じた。
一般人の華恋にだって、芸能界が煌びやかなだけの世界じゃないことくらいはわかる。何と声をかけていいのか迷っていると、英治のスマホが鳴った。
「あ」
「?」
英治がおもむろにスマホの画面を華恋に見せる。その画面に表示されている名前を見て華恋は目を輝かせた。
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