第13話
俯いたまま顔を上げられない。三人分の足音が近づいてきているのがわかる。どうしよう……怖くて動けない。
「っ!!」
髪を掴まれ無理矢理顔を上げさせられる。女達の冷たい視線が華恋に突き刺さる。
「はぁ? ……まさか森ちゃんってこんなTHE女子みたいな可愛い系が好きなの? 解釈不一致なんだけど」
「何言ってるの? 違うに決まってるでしょ。森ちゃんには健ちゃんがいるのに」
「そうそう。健ちゃんがカモフラージュとはいえ結婚なんてするからややこしくなったのよ。本命は森ちゃんなのに」
「……そうよね。危なかった~もう少しで変な勘違いしちゃうところだったわ。ここはやっぱり私達が二人の仲を取り持って元の形に戻してあげないとよねっ!」
「「うんうん!」」
勝手な妄想を繰り広げ盛り上がっている三人衆。つっこみたい点は多々あるが今はそんな余裕はない。せめて髪の毛を掴む手を離してほしい。痛いし、禿げそうだ。
しかし、華恋の願いは通じず、むしろ女の手は強くなってしまった。
「はあ。……本当にむかつく顔をしているわね。ねえ、あんた。今後森ちゃんに近づかないって約束するなら逃がしてあげるけど、どうする?」
ぐいっと髪をひっぱられ、顔を覗き込まれる。痛みで目尻に涙がにじんだ。
頷けばこの場からひとまずは逃げる事ができるだろう。そう、頭ではわかっているのに、華恋はどうしても頷くことができなかった。
華恋の頑なな態度に女がしびれを切らしたように舌打ちをする。
「あっそう。じゃあ、もうしらないから」
髪の毛を握っていた手が離れ、突き飛ばされる。背中とお尻に痛みが走った。
「ぐっ」
起き上がろうとした瞬間、今度は肩に痛みが走る。別の女が靴のかかとで踏んできたのだ。
「頷くだけで助かったのに。馬鹿すぎ」
「胸に栄養全部もってかれたんじゃない?」
「たしかに~」
「ちょっと電話してくるからそのままそいつ捕まえててよ」
「OK〜。……あーあ。あんた、森ちゃんどころか今後誰ともつきあえない身体にされちゃうね……可哀相に」
と言いながらも楽しそうに華恋の耳元で囁く女。華恋は目を見開き怯えたような表情を浮かべる。女達はその顔を見て愉しそうに笑った。電話をしていた女がスマホを華恋に向ける。
「そうそうー。ほら、あんた達が好きそうな女でしょ? 見た目だけなら極上よ」
華恋は慌てて顔を隠そうとしたが、肩に乗っている足にさらに体重をかけられ、別の女から見えやすいようにと腕を掴まれてしまった。必死に抵抗する。そのたびに女達が苛立ったように声を荒げた。その時、
「何してんの?」
聞き覚えのある、でもここにはいないはずの低音が路地に響いた。女達の動きが、華恋の動きが止まる。
「な、なんで森ちゃんがっ」
「う、嘘でしょっ」
「ちょ、ど、どうしよう」
女達は慌てて華恋を解放すると、リーダーの女を中心に身を寄せ合った。英治はリーダーの女が持っていたスマホを奪い取り、何か操作をするとそのまま地面に投げ捨てた。そして、力一杯に踏みつぶす。
女達が呆気にとられていると、次の瞬間もっと信じられないことが起きた。
「あんた達、華恋ちゃんに何してくれてんのよおっ!」
別の聞きなれた声がしたかと思ったら、次の瞬間『ぱぁぁあんんんんん!』と平手打ちの音が響き渡った。リーダーの女が地面に倒れ込む。
「え?! ゆ、裕子さん?!」
止める間もなく、残りの二人にも裕子の平手打ちが炸裂する。倒れ込む女達。肩で息をしている裕子の後姿になんと声をかければいいかわからず戸惑っていると裕子がぐるっと勢いよく振り向いた。
「華恋ちゃん大丈夫?!」
「は、はい。そ、それよりどうして裕子さんがここに」
華恋がSOSを送った相手……英治がここにいるのはわかる。でも、まさか裕子さんまで来るとは思わなかった。裕子さんだって危ないのに。
そんな華恋の心配を知ってか知らずか、裕子はむっとした顔で華恋を見た。
「約束したでしょう。それに私だけじゃないから」
「え」
華恋が「まさか」と思ったタイミングでスマホを片手に健太が現れた。
「何気に二人って似た者同士だったんだねぇ。これは俺も英治も気苦労が絶えそうにないなあ。お互いがんばろうね英治。……で、こっちが例のやつらね。うーん、三人とも見覚えあるなあ。……裕子にも嫌がらせしてたやつらか」
スマホを三人に向けながら笑顔を浮かべる健太。その目は少しも笑っていない。それどころか、最後の一言には殺気がこめられていた。女達の顔色が青を通り越して白になる。
「わかりやすいなあ」
嘆息する健太。女達は慌てたように声を張り上げた。
「わ、私達は二人の為を思って動いただけなんです!」
「そ、そうです! 私達はちゃんとわかっていますからお二人の本当の気持ち!」
「言わなくてもわかります。古参なので!」
自分達の主張があたかも当然だというような発言に、英治も健太も眉をしかめる。
「きもちわるっ」
思わず本音をこぼした英治に三人が固まった。
「き、きもちわるい?」
震え声で呟くリーダーの女。否定してほしかったのだろうが英治は黙って冷たい視線を向けるだけだ。
「君達ってさぁー」
健太の間延びした声に女達は救いを求めるように顔を向ける。
「俺達のことわかっているって言っていたけど、何をわかっているの?」
健太の質問に女達の目が輝く。まるで起死回生の一手を得たとでもいうように。
「それはもちろん、二人が相思相愛だということです!」
「健ちゃんの結婚は、これからの二人の関係を進める為に必要なカモフラージュだったんですよね?!」
「それを説明する前に森ちゃんが誤解しちゃって……あ、でも二人一緒に現れたってことはもう仲直りしたんですね!」
よかった!と騒ぎ立てる女達に健太と英治の冷ややかな視線が注がれる。
しかし、自分達の妄想に囚われている三人は気づかない。
「君達ってさぁ、普段はどんな推し活をしてるの?」
健太はわざわざ英治の横に立ち、女達に問いかける。すると、女達は頬を染めうっとりと二人を見つめ、まるで催眠術にかけられたかのように喋り始めた。
「ふ、二人の手作りグッズを作ったり……」
「うんうん」
「毎日二人のことをSNSで布教したり……」
「うんうん」
「二人の関係に水を差すようなやつらには制裁を加えたり……」
「うんうん」
スマホで撮られていることも忘れてベラベラと自慢げに語る女達。
ひとしきり聞きたいことを聞き終えると健太の笑顔が抜け落ちた。声もワンオクターブ下がる。
「ありがとうね。よくわかったよ」
我に返った女達は再び青ざめた。先程までとは打って変わって健太は無表情で女達を見据えている。
「君達が僕達のことを何も理解せずに、勝手な妄想を押し付けてくる迷惑な存在ってことが。百歩譲って、アイドルをしていた僕にそういう妄想を押し付けてくるのは……正直いい気はしないけど仕方ないと思う。でもさ、マネージャーだった英治に押し付けるのは違うじゃん。しかも、普段やってる推し活の内容もさ……アウトでしょ。古参ファンどころか悪質なストーカーじゃん」
心から軽蔑した様子の健太に今度こそ言葉を失う女達。それでも諦めきれないのか今度は英治に視線を向ける。けれど、英治の目にはすでに彼女達は映っていない。
華恋の元に行き、心配そうに全身の確認をしている英治。傍目からみても英治が華恋を大切に思っていることが伝わってくる。
そんな英治を見て呆然としている女達に健太がトドメを刺す。
「もし、君達が本物のファンだって言い張るならあの二人を応援してあげてよ。俺と奥さんのこともね。ああ、でも今の俺も英治達もただの一般人だから推し方には気をつけてね」
笑顔を浮かべながらスマホの画面を三人に見せつける英治。その画面を見て女達は「ひっ」と声を上げた。
「さ、もう行っていいよ。二度と俺達の前に現れないでね」
女達は不格好なクラウチングスタートを決めると、こけながら必死に逃げて行った。姿が見えなくなったところで、英治が健太に声をかける。
「逃がしてよかったのか?」
「うん。知り合いの警察と弁護士には連絡しといたから。証拠の映像も送信済」
「ならいいか。全員健太のファンクラブに入ってたやつらだから特定もすぐに終わるだろうしな」
「ね。まあ、震えて待てばいいさ。さ、行こっか」
健太が裕子に手を差し出す。裕子はその手をとり歩き出そうとして振り返った。
「華恋ちゃんは大丈夫? 歩ける?」
「俺がおぶろうか?」
英治の提案に、華恋は慌てて首を横に振る。
「だ、大丈夫。ゆっくりなら歩けるから」
「あ。俺の経験上その大丈夫は怪しいよ~。裕ちゃんもそうだもん。英治お姫様だっこしてあげたら?」
健太の発言に、華恋の顔が真っ赤に染まる。
「いや、それはいいです! 恥ずかしいのでっ!」
「え~」
何故か残念そうな健太に、呆れたように英治が呟く。
「というか、それだと肩が痛むだろ」
「あ、そっかー。じゃあ二人はゆっくり帰ってきなよ。俺達は先に帰って色々準備しとくからさ。俺んち集合ねー」
「わかった」
「また後でね華恋ちゃん」
「え、あ、はい」
颯爽と帰って行った二人。残された華恋と英治。二人の間には何とも言えない空気が流れていた。
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