第14話

 薄暗い路地裏に男女が一組、無言で向き合っている。

 ――――気まずい。気まずすぎる。森さん呆れてる……よね? それとも、怒っている?


 どちらにしても自業自得だ。

 あれだけ裕子さんのことは任してと言っておいてこのざまなのだから。

 正直、自分がこんな形で狙われるとは思っていなかったけど……油断したのは完全に自分の落ち度だ。


「すみませんでした。迷惑をかけてしまって」


 華恋の言葉に英治の片眉がピクリと上がった。


「迷惑?」

「はい。私のせいで森さんだけじゃなくて健太さん達にも迷惑をかけてしまって……もっと私が上手くやれていたら……」

「何言ってんの?」


 英治の低い声に華恋の身体がビクリと震える。怯えた様子の華恋を見て英治が我に返る。英治は己の前髪をぐしゃりと掴むと、はーっと深く息を吐いた。


「なんで渡辺さんが謝るの。謝るなら俺の方だろ……ていうか、悪いのはどう考えてもあの女達だ」

「それは……まあ、そう、なんですけど」


 苦笑した華恋に、英治が手を伸ばす。痛む肩に触れるか触れないかの位置で止まった。


「こんな怪我させてごめんな。俺がもっと早く駆けつけていれば」

 そんなことはないと華恋は首を横に振る。――――この怪我はいわば勲章のようなもの!

 そう言うつもりだったのに、何故か言葉が出てこなかった。英治の目に後悔の色が色濃く宿っているのを見てしまったから。


「怖かっただろう」


 そう言った英治の手が震えている。

「大丈夫」と言って安心させたいのに口を開いたら嗚咽が漏れてしまいそうでぎゅっと口を閉じた。とうとう耐え切れず目から涙が零れ始める。

 華恋は慌てて涙を拭いて笑みを浮かべた。


「ちょ、ちょっとだけ怖かったけど……でも森さん達が助けに来てくれたから大丈夫だよ!」

「っ」


 やっと言えた! と思っていると、英治の腕が伸びてきて避ける間も無く抱きしめられた。すっぽりと英治の腕の中に収まった華恋。心臓が早鐘を打つ。何だか呼吸するのもままならない。息苦しい。


「も、森さんちょっと腕を緩めていただけると……」

「! ご、ごめん」


 英治が慌てて腕を解く。


「痛かったよな?」

「う、ううん。大丈夫……正直、ドキドキしすぎて痛みとかよくわかんなかったから」

「なんだそれ……可愛すぎるだろ」

「え?」

「いや、なんでもない」

「そ、そっか」


 お互いに顔を真っ赤にして無言になる。先に口を開いたのは英治。


「あー。健太の家行くか」

「う、うん」

「それじゃあ、はい」

「?」


 腕を差し出してきた英治に、首を傾げる華恋。


コレ杖代わり」

「あ……ありがとうございます」


 英治の腕を借りて歩き始める。先程と同じく二人の間に会話は無いが、先程とは違い甘い空気が漂っていた。



 ◇



 あの日以降、特に問題は起きていない。健太と英治のおかげだ。いいのか悪いのか、二人ともああいう輩の対応には慣れているらしい。

「覚えておいて。ああいうやつらは大抵反省しない。高確率で忘れた頃に再び現れるんだ。第二第三のやつらが現れる可能性もある。だから、何か異変を感じたら一人でなんとかしようとせずに絶対に俺達に言うんだよ!」と裕子と華恋は男達からしっかりと注意を受けた。


 他に何か変わったことといえば……最近になって健太が自分のSNSアカウントに裕子とのツーショットを載せるようになったことだろうか。というのも、裕子が『いい加減うざい! どっちにしろつきまとわれるなら堂々としてやる。炎上上等!』とブチ切れたからだ。


 健太も裕子がいいならと止めることはせず、むしろ今までできなかった分を埋めるように変装無しの外デートを楽しんでいる。二人のこの対応は健ちゃんファンの間でも賛否両論分かれたらしいが、世論としてはおおむね受け入れられているらしい。


 ただ、思わぬ副産物もあった。裕子のモデル並の体型と美貌、彼女の職業が歯科衛生士という情報が広まると、今度は『美人過ぎる歯科衛生士』として裕子自身が注目されるようになったのだ。加えて、本人の気取らない性格や姉御肌に憧れる女性達が現れ、非公認ファンクラブまでできたらしい。こうなってくると今度は違う意味で健太が気が気ではなくなり、今では裕子の番犬のようになっているという。


 健太と裕子を取り巻く環境に多少変化があった一方、華恋は華恋で悩みを抱えていた。


「ね。行こうよ華恋ちゃん」

「無理です」


 爽やかな笑顔を浮かべ華恋の顔を覗き込む八木。距離が近い。華恋が後ずさるとその分八木が距離を詰めた。

 何がきっかけになったのかはわからないが、ここ最近八木からのアピールが今まで以上に激しくなってきている。毎回断ってるにも関わらず。


「そんなこと言わず。この前助けてあげたお礼にさ。ね? 一度だけでいいから。この通り」


 華恋は眉根を寄せ、口を閉じた。

 八木が両手を合わせ、わざとらしく眉を下げてお願いしてくる。――――本当、自分の顔の使いどころをよくわかっているなこの男。

 周りにいた女性社員達が八木と華恋を見て囁き合っているのがわかる。内心舌打ちをした。


 先日、仕事のミスを八木にカバーしてもらったのは確かだ。でも、だからといって八木の誘いにのるつもりはない。――――これで私が断ったら悪者扱いされるパターンだ。


 人目がある場所でわざわざ大声で話すのは……もうわざととしか思えない。その証拠に八木のパフォーマンスにまんまとのせられた人達が八木の援護するようにヤジをとばし始めている。


「あの……ここではなんですから場所を変えませんか?」


 そっちがそのつもりなら……と、華恋も八木と同じように困ったような表情を浮かべ提案した。八木を含め男達の勢いが少しおさまる。悪手だとわかってはいるが、この場にとどまるのは避けたい。


「じゃ、じゃあ移動しようか」


 そう言って八木が華恋の背に手を回そうとした。その瞬間、名前を呼ばれた。


「渡辺さん」

「森さん」

「部長が呼んでましたよ。急いだほうがいいかと」

「あ、はい! それじゃあ、失礼します」

「あ、ちょっと」


 華恋は慌てて八木に頭を下げるとその場から逃げ出した。何か言っていた気がするが気のせいだきっと。

 さて、部長はどこにいるのかな~と探していると肩を叩かれて振り返る。英治だった。


「あれ? もしかして」

「あーうん。アレは嘘」

「そうだったんだ。ありがとう。助かったよ~」

「いや……」


 歯切れが悪そうな英治に首を傾げる。


「どうかした?」

「俺が代わりに断ろうか?」

「え?」

「渡辺さんが困ってるなら……俺が八木課長に話をつけるけど」

「いや、でもそれは……なんで? ってなりそうだし……」

「……俺達の関係って秘密にした方がいいの?」

「え。いや、っていうか……私達の関係って……どういう?」


 華恋のつぶやきに英治の眉間に皺がよった。


「もしかして……俺勘違いしてた?」

「いや、あの勘違いっていうか」

「そういえば、好きとは言われたけど未だに森さん呼びだし……」

「それは、でもそんなこと言ったら森さんだって」

「それはっ」


 英治のスマホが鳴り、二人とも口を閉じる。英治はスマホを確認すると踵を返した。


「先に戻ってる。渡辺さんは後できなよ……誤解されたら困るだろうし」

「えっちょっと待って」


 止めようとしたが、英治はそのまま行ってしまった。残された華恋はモヤモヤして俯く。

 隠したかったわけじゃない。ただ、英治との関係性についてはっきりしていない状態で勝手に言っていいのか迷っていただけだ。


 ――――後でちゃんと話さなくちゃ。


 そう思っていたのに仕事が終わると英治はさっさと退勤してしまった。話しかけることもできなかった。


「華恋ちゃん何か落ち込んでる? どうしたの? ……え、聞こえてない? もしもし華恋ちゃーん?」


 八木に何か話しかけられたような気がするが、今の華恋には八木に取り合っている余裕はなかった。

 夜道を一人でとぼとぼ歩きながらスマホをいじる。英治からの連絡はない。でも自分から連絡する勇気もない。


 自分から行動しなければいけないとわかっているのに……。

 迷った末、華恋はスマホの通話ボタンを押した。

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