第11話

 突然の質問に足を止める。


「私にとっての森さんですか?」


 森さんの顔が頭に浮かぶ。同時に心臓がきゅーっと締め付けられた。ここ最近知ったたくさんの感情。そのどれもが森さんに対してのもので……


「私にとって森さんは……」

「まった」

「え?」


 途中で止められて驚く。聞いてきたのは健太さんなのに?と首を傾げた。

 健太は苦笑しながら首を横に振る。


「それを聞いていいのは俺じゃなかった。ごめんね」

「本当にね。命拾いしたわね。もうちょっとで私の拳が飛ぶところだったわよ」

「あ、あっぶない。せーふ!」


 焦り顔を浮かべる健太と呆れた様子の裕子。そんな二人を前に華恋がどう反応していいのかわからずに黙っていると、裕子がおもむろにスマホを取り出した。


「あ、もしもし英治?」


 英治の名前にビクリと身体が反応する。どうして今電話を?と戸惑いの視線を向けると、裕子は安心させるように華恋に微笑みかけた。


「今ねーうちに華恋ちゃんがきていて、今から帰る予定なんだけど一人で帰らせるのは不安だから一緒に帰ってあげてくれない? は? あんたの事情なんて知らないわよ。無理なら健太に送らせるけど……本当にいいのね? 最初っからそう言いなさいよ。ふんっ」


 電話を切った裕子が華恋に向かって手招きをする。


「華恋ちゃん。英治が迎えにくるまで私とお話しましょう」

「は、はい」


 声が裏返りながらも返事をして裕子の隣に座る華恋。それから英治がくるまでの間、二人でたわいない話をした。


「華恋ちゃん何かあったら遠慮なく私に連絡してきてね?」

「はい。裕子さん

「ええ」


 微笑む裕子に華恋も微笑み返す。あ、と裕子が声を漏らした。


「英治関連での悩みも聞くからね? もちろん英治には内緒で」

「あ、は、はい」


 自分の気持ちがすっかり見透かされているようで顔に熱が集まる。華恋はもごもごしながら頷いた。そんな華恋を裕子と健太が微笑ましそうな顔で見守る。


 なごやかな空気の中、インターホンが鳴った。

 健太がインターホンの液晶を確認し、華恋の名を呼んだ。


「英治きたよー」

「え、あ、はい」


 英治が迎えにきてくれたことにも驚きだが、何より到着が早いことに驚いた。

 もう一度インターホンの音が鳴った。リビングで健太がインターホン越しに英治と何かを話しているのが聞こえる。内容まではわからなかったが、裕子に促され華恋は玄関へと向かった。


「開けていいよー」


 という健太の声に合わせて、裕子が玄関の扉に手をかけた。


「森さん……」


 扉の前にいた英治はいつものような余裕は一切なく、急いできたのか少し息が上がっていた。まさか、何かあったのかと心配になる。


「あのっ」

「送っていく」

「あ……はい。よろしくお願いします」

「それじゃあまたね華恋ちゃん」

「は、はい! お邪魔しました」


 パタンと扉が閉じ、華恋は英治を見上げた。さっと英治の視線がそらされる。ツキンと胸が痛んだ。何か言わなければと口を開こうとしたが、


「エレベーター」

「え? あ、すみません」


 エレベーターの扉がいつのまにか開いていて慌てて乗る。

 エレベーターのような狭い空間に二人キリで無言というのはなかなか辛い。英治と会ったらすぐにでも誤解を解こうと考えていたのに、いざ目の前にすると言葉が喉元でつっかえて喋れない。


 そうこうしている間にエレベーターが到着した。


「少し、我慢して」

「えっ」


 何を?と問う前に手が握られる。いきなりだったけれど、相手が英治だからか不快感は一切なかった。

 英治の不可解な言動の理由はマンションを出たらすぐにわかった。


「気づかないフリ、して」

「はい」


 英治が微笑みを浮かべながら華恋の顔を覗き込むようにして囁く。はたから見ればただいちゃついてるだけに見えるだろう。華恋は強張りそうになる顔に力をいれて、無理矢理笑顔を浮かべた。


「あれって……」

「え、でも……」

「……じゃない?」

「なら……」


 複数の視線と何かを言っている声が聞こえるが気付かないフリをして足を進める。一瞬だけ視線を向ければ何となく見覚えのある集団が目に入った。おそらく、健ちゃんのファンだ。家バレまでしているのかと眉間に皺がよる。――――とにかく今はこの場から離れるのが優先だ。


 繋がっていた手は電車に乗ったタイミングで離れた。少し寂しく思ったが、これが当たり前だ。電車が揺れる。華恋の身体も揺れた。いつもなら揺れに耐えれるような場所を選ぶのだがすっかり忘れていた。

 英治が慌てて華恋の身体を抱きとめる。


「す、すみません」

「いや……危ないから着くまではこのままでいいか?」


 一瞬迷ったが華恋はコクリと頷いた。密着する身体。不可抗力だとわかっているのに心臓がドキドキ鳴っている。――――心臓の音……森さんに聞こえてないよね?

 突然、頭の上から声が降ってきた。


「この後だけど……話す時間ある?」

「あります」


 即答した華恋にホッとしたように硬かった表情を緩める英治。


「どこで話そうか……」

「それなら……うちに来ますか?」

「え?」

「お店とかの方がいいですか?」


 英治の話の内容がどういうものかはわからないが、華恋が英治に話したい内容を考えるとできれば二人きりの方がいい。


「いや、というか……いいのか?」

「もちろんです」

「なら……お邪魔する」

「はい」


 こくこくと華恋が頷くと英治も一度頷き返し、視線を戻した。その反応がどこかぎこちなく感じて、華恋も緊張し始める。

 けれど、今更自分の言葉は覆せない。というか、覆すつもりもない。


 ――――そういえば……。


 ふとあることに気づき、華恋は顔を上げた。視線を感じたのか英治が華恋を見る。


「どうした?」

「なんで」


 ――――なんで今日は眼鏡をしていないの?


 そう聞こうとしたタイミングで電車が到着した。身体を離し、電車を降りる。



 ◇ 



「お邪魔します」

「どうぞ」


 英治を家に招くのは初めてではない。が、前回よりも緊張している。お酒を飲んでいないせいというのもあるかもしれない。


 今更だけど……男の人を寝室に連れ込むというのはどうなんだろうか。

 と気にはなったが、あんなリビングではまともに話せる自信もない。

 いつかのように英治がベッドの端に腰かける。華恋はベッド下のカーペットにお気に入りのクッションをしいて座る。自ずと英治を見上げる形になった。目が合う。


「あの、話って」

「ああ……」


 華恋が英治に先に話すように促す。

 英治は一瞬ためらいを見せた後、覚悟を決めたかのようにじっと華恋を見つめた。


「俺は、渡辺さんが好きだ」

「……え?」


 予想していなかった言葉に思考が止まる。てっきり健太さんとの記事について聞かれるだろうと思っていた。固まる華恋を置いて英治の吐露は止まない。


「ここ数日渡辺さんと距離を置いてずっと考えていたけど……結局、渡辺さんが他の誰を思っていても俺が渡辺さんを想う気持ちは変わらないってわかった。だから」

「ちょ、ちょっとまってください?!」


 慌てて両手を前に突き出してストップをかける。英治は素直に口を閉じた。

 頭が混乱している。


「え、と、そ、その前にというか……あの記事について、というか私の気持ちをちゃんと説明させてくださいっ」

「あ、ああ」


 森さんは別にことの全容に興味はないかもしれないが、それでもきちんと自分の口から説明をしたかった。誤解されているのなら尚更。


「……というわけで、私と健太さんの間には特になにもありません。さらにつけ加えると、私は今までも今もこれからも健太さんに対して恋愛感情を持つことはありません。その点を森さんには誤解しないでもらいたいです」


 英治は数回瞬きをした後コクリと頷いた。ムッと華恋の顔が歪む。


「森さん……まだ信じてないでしょう?」

「いや……だって俺は渡辺さんが長い間健太を応援していたことを知っているし」

「それは……確かに私にとって渡辺さんは心の支えでしたし今も尊敬はしていますよ! でも恋愛とは違います! 全く! こんな胸がきゅーっと締め付けられたりするのは森さんにだけなんですから!」


 己の胸に手をあてて力説する華恋。夢中になりすぎていつのまにか英治の顔を覗き込む形になっていた。慌てて元の位置までもどる。しかし、英治は目をかっぴらいたまま固まっていた。


「森さん?」


 英治の目の前でひらひらと手を振る。はっと英治が我に返った。


「俺だけ?」


 今度は華恋が固まる。自分が告白まがいのことを言った自覚がなかった。自覚した途端、顔が熱くなる。思わず誤魔化したくなったが、余計な言葉は呑み込んで頷いた。


「私も、森さんが好きです」


 華恋は英治の目を真っすぐに見つめて言い切った。

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