第13話
晴れた日の昼休みの校庭の隅っこで俺は水の球を数個、周囲に浮かび上がらせた。
「穿て」
一言だけ詠唱し、水球を前方に一気に放つ。水球は瞬く間に校庭を横断し、反対側の地面を色濃く染めた。飛距離や速度も我ながら申し分ない。
「これが初級水魔法――ウォーターショットだ」
俺は首だけを動かし、近くで眺めていたウェリカに言った。
「ウォーターショット……これが使えれば水も滴るいい女になれるかもしれないわね!」
「いい女ね……最初は一個だけでもいいから、お前もやってみろ」
「ええ! やってみるわ!」
ウェリカは意気揚々と頷くと、両手を前に構え、目を閉じて集中し始めた。
「泡をイメージしろ」
「泡……」
ウェリカは小声で呟くと、手元にリンゴくらいの大きさの泡を一つ、手元に出した。
「出せたわ!」
ウェリカが俺の方を向き、露骨に嬉しそうな声を出しながら泡を見せつけてくる。俺の水球と比べればサイズも小さく密度も低くて触れればすぐに崩壊しそうな脆いものだが、最初の一歩としては上出来だろう。
「その中に水を注入しろ」
「注入!? これじゃダメなの!?」
「このまま撃っても威力は出ないし速度も遅い」
「そうなのね……わかったわ」
ウェリカはそう言うと泡に水を流し込んでみるみるうちに塊を巨大化させていきリンゴからスイカに、スイカから円盾に、円盾から円卓にって――おい待て一体どこまで大きくさせるつもりだ。
「もういい止めろ!」
「で、でももうとめきゃあああああああ!!」
刹那、ちょっとした小惑星サイズの巨大な水の塊が俺の眼前で爆裂した。
*
「あれはウォーターショットというよりは……ウォータービッグバンって感じだな……はぁ」
びしょ濡れになった服を着替え、髪を拭いた俺は職員室にある自分の机の上に突っ伏していた。方向性自体は間違ってないと思うんだが、こういうことばっかり起こると九百倍の魔力量というのはやはり桁違いな力なのだと再認識させられる。ちなみにウェリカも当然びしょびしょになったので寮の部屋に戻っている。
顔を上げると多くの教職員が各々事務作業をこなしていたり、訪ねてきた生徒の相談に乗っていたりしているのが目に映る。生徒は女子しかいないが、教職員に関しては幸い男性も少なからずいたので俺以外男がいなくてどこにも居場所が無いなどという状況にはなっていない。赴任当初から普通に受け入れられてもらえてはいるものの、クインテッサ以外特段話す人もいない、というのが現実ではあるが。
「アルドリノール先生っ!」
トラブルは無いとはいえ若干寂しくもあるなぁなどと天井の木目を見ながら逡巡していると、後ろから可愛らしい高い声で名前を呼ばれたので姿勢を元に戻してから振り返る。
見ると、座っている状態の俺よりも頭一つ分だけ大きいくらいの身長で、側頭部に羊のように渦巻いた二本の角を生やしているくりくりとした瞳の生徒――ではなく先生が立っていた。
「えっと……」
「メーデルです。メーデル・メドリン!」
「そうでしたね。すみません」
「なるべく早く覚えて下さいね!」
メーデル先生は現代では非常に数が少なくなっている「亜人」の一人だ。亜人はほとんど人間と変わらない外見を持つが、身体の一部が異なっていたり人間には無い特殊能力を持っている種族であるとされている。冒険者だった頃もあまり会うことは無かったので詳しくは知らないが、普通の人間よりも身体能力が優れているので屋敷の使用人だったり肉体労働者として生活している人が多いらしい。
「俺に何か話ですか?」
「なんか頭濡れてるけどどうしたんですか?」
「うちのクラスの暴発お嬢様にやられました」
「お嬢様……もしかして、ウェリカ・クラウディアさん?」
「もしかしなくても、ウェリカです」
「並の魔術師の九百倍の魔力量でしたっけ。大変そうですね……」
「知ってるんですか?」
「入学時の検査でイーヴィス先生を木の葉のように吹き飛ばしたので……恐らくこの学校の全員が知っていると思いますよ」
「えぇ……」
ちなみにイーヴィス先生は爽やかな笑顔が素敵なイケメン先生だ。俺も少しだけ話したことがあるけど、ああいう先生が女子校ではめちゃくちゃモテるんだろうなって感じだった。
「元々辺境伯令嬢で平民の子からは距離を置かれていたのに、その件でますますウェリカさんを怖がるようになってしまって……そういうのも『アナザークラス』設立の遠因になったんです」
「そうだったんですね……」
「だからアルドリノール先生と、アナザークラスにいる子だけでも、ウェリカさんの味方でいてあげて下さいね」
「元からそのつもりですよ」
あんな未来の魔王候補みたいなの敵に回したくない。
なにより貴族であることをよく鼻にかけてるくせに、俺が傷つくたび罪悪感を感じて涙を流すくらい本質は優しい女の子であるあいつを、放ってはおけないから。
「なんて頼もしい! あ、そうそう……」
メーデル先生が俺の言葉に感銘を受けたような顔をした後、ややあって自分の机に戻ると、身長と同じくらいの杖を持ってこちらに戻ってきた。
「この杖、アルドリノール先生にってアーレットさんが!」
「アーレットさん? ……ああ」
迷宮に入る前に会った怪我した男の彼女で、この学校の卒業生だった子か。
「ナモフーではお世話になったから、そのお礼にって!」
「どうしてメーデル先生が?」
「私、あの子の担任だったんです。それでこの前会ったとき、これを先生にって!」
メーデル先生は杖とともに赤い蜜蝋で封がされた封筒を差し出してきた。俺はひとまずそれらを受け取ると、開封して中身を確かめた。
『拝啓 アルドリノール先生
ナモフーの迷宮の出入口前ではオービンの傷を回復魔法で治癒して下さり、本当にありがとうございました。メーデル先生からも話は聞いていると思いますが、この杖はそのお礼です。いらなければ売って生活費の足しにでもして下さい。今後のアルドリノール先生のご活躍をお祈りしています。追伸、オービンと婚姻いたしましたので先生もぜひ結婚式に参列して頂けると嬉しいです。日程と場所の予定は――』
なんだこの手紙は……。貴族だった頃はともかく「メルクネメシア」のメンバーもきっちりとした手紙を書く方ではあったので何と言うか……衝撃的すぎた。でも気持ちは伝わってくるしこれはこれでありなのだろうか。
「別にお礼をされるような事じゃなかったと思うんだけどな……」
冒険者だった頃もああいう怪我人を治癒した経験はあったが、ほとんどその場でお礼を言われて終わりで、あったとしてもせいぜい小銭を手渡されるくらいだったし。母校の先生だったからってこともあるのかもしれないが、別に面識があった訳でもなかったからな……。
「アーレットさんは本当に感謝してましたよ!」
「そうですか……」
単純に彼女はそういう人だから、という話なのかもな。それはともかく。
「ついでに結婚式に誘われてるんですけど……」
「私は行くつもりですけど、先生もどうですか?」
結婚式か。そういや貴族の結婚式に参列した事はあるが、平民の結婚式は無いな。カイリとリリサも近いうちに挙げるだろうし、その前の練習にもなっていいのかもしれないな。
「せっかくですし、俺も行ってみようかなと」
「そうですか! 私教え子の結婚式に行くの初めてで! 今から楽しみです!」
メーデル先生が心底嬉しそうに言う。教え子の結婚式、か。
あいつもいつか、どこかの貴族と結婚する日が来るのかもな。
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