第12話
「とは言っても、どうしたものか……」
ウェリカに任せろと言った数日後、俺は学校の図書室を訪れていた。
水と光の魔法についてはちゃんと上級レベルまで教えてやれる自信はあるが、それ以外の属性の魔法に関しては正直微妙だ。しかし魔法学校の教師になった以上、ウェリカに関係なくとも他の属性魔法についてもある程度は扱えるようにしなければならないだろう。
なので棚にある各属性の魔導書を色々手に取り読んでいたのだが、結局のところ、知識として様々な魔法を知っているのと実際にどんな魔法が使えるのかは全く別の話だ。果たして
「俺も日々勉強だな」
読み終えた魔導書を返却棚に戻して図書室から出て行こうとした瞬間、遠くの本棚に見慣れた姿が見えた。どうやら棚の上段にある本を取ろうとしているが、身長が足りなくて取ることが出来ないようだった。
「これでいいか?」
「あ……ありがとうございます……先生」
俺はそっちへと向かい、上段の本を取ってレイノに手渡した。赤髪の少女が描かれた表紙とタイトルからして「マゼンタ姫物語」の一冊のようだ。
「好きなのか? 『マゼンタ姫物語』」
「はい……。先生も……好きですか?」
「俺はあんまり読んだことは……」
母が好きだったので実家にも本があった記憶はあるが、俺が知っているのはブーゲンビリア王国の王女だった女の子、マゼンタ姫が屋敷を飛び出して遠く離れた雪国まで行き、そこで出会った少年と恋をして――ってあらすじぐらいだ。あと、史実のマゼンタ姫は人知れず亡くなったとされているのを知ったとき子供ながらに悲しくなったのを覚えている。
「先生もぜひ読んでみて下さい。特に雪国の食べ物がどれも魅力的で! あとあと、たくさんの動物が飼育されている場所が出てくるんですけどそこにいる動物が想像力を膨らませてくれて――あ」
「じゃあ、俺も読んでみようかな」
俺は棚から第一巻を抜き取った。と同時にレイノが急に静かになり、本で口を隠した。
「ごめんなさい……私ばかり話しちゃって……」
「いいよ。話したいならどんどん話してくれ」
楽しそうに話をしている人の顔を見るのは好きだ。それに母も好きだったこの本は一体どんなものなのかも気になったし。
「いいんですか……? 話しても……」
「ああ。でも話すなら場所は変えた方がいいな」
「それなら……私の部屋に……!」
*
「ちょっと狭いですけど……」
「お邪魔します」
受付で本を借りた後、レイノに誘導されて彼女の部屋へと足を踏み入れた。ウェリカの部屋とは間取りこそ同じではあるが、置かれているものや雰囲気が全く違った。ウェリカの部屋が優雅な室内庭園なら、レイノの部屋は厳かな書斎って感じで大きな本棚があって、そこには色々なタイトルの小説や魔導書が綺麗に入れられていた。
「これでもここに来るとき、結構減らしたんですけどね……。でも、どうしても捨てられないのもあって、こうなっちゃいました」
本棚に目を奪われていると、レイノが困ったように笑いながら言った。
「読んだことないのばっかりだな」
冒険者になってからは、魔導書はともかく小説なんて全く読んでこなかったから当然っちゃ当然だが。
「どれも面白くておすすめですよ。先生はどんな本を読むんですか?」
「そもそもあんまり読んだことないんだよな。冒険者やってるとのんびり本を読むってことも中々出来なかったから」
「そう……ですか……」
「あ、読む機会が無かったってだけで嫌いって訳じゃないぞ」
レイノが若干落ち込んでしまったので、咄嗟にフォローする。
「良かった……。でも先生になった今なら、たくさん読めますね」
「まあ……当面読むのは魔導書ばっかりになりそうだけど」
「あはは……そうですよね……」
レイノは苦笑いのまま棚からカップを二つ手に取り机に置くと、白いポットでゆっくりとお茶を注いでいった。明るい色で爽やかな香りの紅茶だ。
「ウェリカちゃんほど上手には淹れられないですけど……」
「ありがとう。レイノもウェリカのお茶会に参加したことがあるのか?」
「はい。『他のクラスの子には断られちゃうから! お願い!』って言われてよく……楽しいからいいんですけどね」
やっぱりそうだったのかよ。オルシナスの言ってた通りじゃねえか! とウェリカのドヤ顔を思い浮かべながら紅茶を頂く。優しい舌触りで、すごく飲みやすい味だった。
「ちゃんと美味しいよ」
「あ、ありがとうございます……」
俺が素直に言うと、レイノもおどおどしつつ紅茶を口にした。
「小説を読むと、物語の世界に行ったような気持ちになれるんです」
しばらくして、レイノが穏やかな声色で語り始める。
「遠い雪国、海の見える街、たくさんの人が行き交う大都会、毎日賑やかなお屋敷。私が行きたくても行けない場所に、小説は連れて行ってくれるんです。でもやっぱり実際に行ってみたくもなって転移魔法も勉強してるんですけど……難しいんですね……」
「そうだな……」
転移魔法は脳内で明確に移動する場所のイメージが出来なければ発動不可能な魔法だとされている。仮に発動することが出来ても思考が乱れれば上空だったり水の底だったりに転移してしまってそのまま死んでしまう可能性も高い危険な魔法でもある。どちらにせよ、行ったことも無い場所に転移するのはかなり厳しいだろう。
「だから……この前迷宮に行ったとき、頭の中で思い描くしかなかった場所が、実際に目の前に広がっているような気がしてすごく胸がわくわくしたんです」
「わくわく……か。俺も、最初はそうだったのかもな」
冒険者を始めたばかりの頃は見るもの全てが新鮮で、よく心を躍らせていたっけ。いつからかその景色も日常になって、何も感じなくなってしまっていたけど。
「その分……傷だらけになって戻ってきた人とか、魔物と対面したときの怖さとかの現実も知りましたけどね……」
「ホーンラビットを一撃で殴り倒したのは驚いたな」
「あはは……今でも信じられません……」
「身体強化魔法を極めたら凄いことになるんじゃないかってちょっと思ったぞ」
「さ、さすがに拳で戦うのは……」
「そりゃそうだよな……」
拳で魔物と殴り合うパワーファイター系文学少女も見てみたいなと思いつつも、全力で手を振っている彼女に俺は渋々頷いたのだった。
とりあえず今夜は、マゼンタ姫の第一巻を読んでみるとしよう。
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