第10話
朝日に照らされた青々とした山々を、小鳥のさえずりを聴きながら自室のベッドでぼんやりと眺めている。
今日は各学級対抗の模擬戦が校庭で行われているらしいが、アナザークラスだけは休日となっていた。具体的な理由は聞かされていないものの、先日目の前で見たウェリカの魔法なんかのことを考えると除外もやむなしといったところだった。いつかこういう行事に参加するためにも、ウェリカにしっかり魔力制御を教えてやらないとなと改めて思う。
にしても。
「休みの日って……暇なんだな」
今になって思えば冒険者だった頃は毎日のように各地を歩き回ってクエストをこなしていたし、完全に何も予定が無くて部屋でのんびり過ごす日というのはほとんど無かった気がする。それでも毎日充実していたし辛さとかは全く無かったが、いざ今日は休みですゆっくりしてくださいと言われてもどうすればいいのかがいまいちわからなくなっていた。
「参考書でも読むか……」
と思ってベッドから降りて本棚まで向かおうとしたところで、ドアがノックされたのでそっちへと向かう。
「……」
ドアを開けると、オルシナスが透き通った清流のような青い瞳でこちらをじっと見て立っていた。服装もいつもと同じ制服姿だった。
「今日俺たちは休みだぞ」
「……知ってる」
「じゃあなんでここに?」
「……アルに会いに来た」
「なんで?」
「……会いたかったから」
「マジ!?」
オルシナスは表情を変えることなくこくりと頷いた。
待て。なんだこの子は!? 休みの日も俺に会いたくなって来るだと!? ライラだって俺の方から会いに行ってたのに!?
いやいや勘違いするな俺。多分この子に恋愛感情とかは無い。本当にただ純粋に俺に会いたくなったから来てくれたのだろう。そもそもこんな小柄で童顔な子に欲情してはロリコン認定間違いなしだ。
俺は咳払いをしてから再び彼女の顔を見る。変わらずじっと俺を見続けていた。
「じゃあ……ま……」
教師らしく魔法の使い方とか色々教えてあげようかと思ったが、この子はほぼ確実に俺より強いだろうという事実を思い出して直前で言い淀む。どうしよう。このまま帰すのもなんだか申し訳ないし。
「…………散歩でも行くか?」
オルシナスは俺の言葉にこくりと頷いた。
*
「お、本当にやってる」
俺とオルシナスは校庭にある客席らしきベンチに座り、現在進行形で行われている模擬戦を観戦していた。詠唱をする女の子の可愛らしい声が際限なく響き渡り、目の前ではいくつもの魔法と魔法が激しくぶつかりあっていた。
「懐かしいな。学生の頃を思い出すよ」
「アルも、やってたの?」
「ああ。クインテッサ……理事長と同じクラスだったんだけど、何が何でも最前線にきたがる困ったちゃんでな。クラス全員で行くんじゃないって必死に抑えてたな。それでも止まらなくて仕方なく俺が補助魔法をたくさん掛けてやってた」
毎回毎回「前に行かなきゃ何も始まらないよ!」と言って一人で突っ込んでいたっけ。
「……それで、理事長はどうなったの?」
「ボコボコにされつつも相手を全員撤退させてた」
「……強かったんだ」
「あれは強かったというか……いや実際強かったんだろうけど……なんて言うかな……猪突猛進?」
「……猪突猛進」
「だーれが猪突猛進だってー? あ、オルシナスちゃん。こんにちはー」
と、話をしていたらちょうどクインテッサがこっちに気づいてやって来た。笑顔だが何だが目が笑っていない気がする。
「実際そうだったろ。俺がいなけりゃあんなのすぐ返り討ちだぞ」
「違う違ーう。アルドリノールくんがいたから、ああいうことが出来たのー」
「そんなに頼りにしてたのかよ!」
「そりゃ学年首席なんだし頼りにしない方がおかしいでしょー。あ、今も頼りにしてるんだからね!」
「……頑張ります」
「頑張ってよ! 本当にー!」
「はい……」
後ろから肩をボンボンされまくったのでそう言わざるを得なかった。
「もしさ、ここにウェリカちゃんがいたらどうなると思う?」
しばらく模擬戦の様子を見た後、クインテッサが尋ねてきた。
「敵も味方も吹き飛ばされて終わり……で済むならまだマシって感じだ」
「だよね……」
やはりクインテッサも、あのことについては知ってたのか。
「でも、どうにか制御くらいは出来るようにしてやりたい。あいつの才能は紛れもなく天才のそれだからな」
「いいこと言うじゃん! 天才なのよあの子は! ちょっと才能がありすぎるだけで!」
才能がありすぎる、か。確かにあれは持て余すどころか配ってもまだ余るくらいの能力だからな。そう言ってもいいかもしれない。
「アルドリノールくん!」
「何だよ」
「あの子が魔神になるか、女神になるかは君に掛かってるんだからね!」
力強くそう言うと、クインテッサは俺たちの前から去っていった。魔神か女神か、か。
どっちにしろ、神になることは確定なんだな……。
……ぐいぐい。
と白衣を引っ張られたので隣を見ると、オルシナスがまた俺をじっと見つめていた。
「…………理事長と、すごく仲が良い」
「まあ、元クラスメイトだし、教室でもよく話してたからな」
「わたしも、アルと仲良くなりたい」
「おっふふぇ?!」
「大丈夫……?」
突然投げられた超音速の発言に思わずむせてしまった。それで発言者に心配される。なんだこれは。
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
「……」
俺が素直にそう言うと、オルシナスは少しだけ目元を細め、口角を上げた。
……どうしよう。この子、めちゃくちゃ可愛い。でも違うぞこれは。可愛いなと思ってもそれ即ち恋愛感情になる訳ではないし、そもそも俺はもう少し大人の色香を感じさせる女性の方が恋愛的には好みでなのである。つまり何が言いたいかというと、俺は決してロリコンではないということだ。
「じゃあ、次は食堂に行って昼飯を一緒に食べよう。貴族も親交を深めるために晩餐会をやったりするからな」
オルシナスは俺の言葉にこくこくと何度も頷いた。
*
こうして俺たちは食堂へとやって来た。当然かもしれないが冒険者ギルドのそれよりも何十倍も清潔感があり、明るい陽光が天窓から射し込み、ゆったりと食事が摂れる広々とした空間が広がっていた。
他のクラスは模擬戦の真っ最中だからか食堂には誰もいなかったので、俺たちは真ん中あたりにある大きなテーブルと長椅子で構成されている席を二人で贅沢に占領できた。
今日のメニューは鮭と野菜の蒸し焼きらしく、皿の上から漂う食欲を誘う匂いが鼻腔をくすぐる。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
俺がそう言った後、オルシナスも小さな声で続いた。
鮭をフォークで刺して食べた瞬間、口の中でほぐれて旨味が口の中にじんわりと溢れた。続けて野菜も口にすると、シャキシャキとした食感でこれもまた美味かった。
「結構美味いな」
俺の正面に座っているオルシナスも、同じように鮭と野菜をもぐもぐと食べている。
「野菜もちゃんと食べてて偉いぞ」
「…………好き嫌いは言っていられなかった」
「そう……だったな……」
お茶会の時、ブーゲンビリアにある研究所で造られたのだと言っていたな。偏食が激しすぎてほとんど決まった食事しか摂らない挙句、嫌いなものは俺に押し付けてきたライラの行動に見慣れていたからつい言ってしまったが、軽率だったなと後悔する。
「……わたしは……本番をしたことがある」
「本番?」
すぐに気づく。さっき校庭で見たような学校行事の模擬戦ではなく、戦場での、本当の戦い。
本当の、殺し合いのことだと。
「ブーゲンビリアで……たくさんの魔物と……人と……何のために……誰のためなのかもわからないまま……戦わされた……」
俺も詳しくは知らないが、ブーゲンビリアでは国王率いる現体制とそれに反旗を翻した先王を筆頭とする反体制派、更にこの二つの争いに嫌気が差して謎の技術を武器に民主化を目指している第三勢力による内戦が断続的に起こっているらしい。恐らくオルシナスも、その戦いに駆り出されていたのだろう。
「この国に来て……ウェリカと会うまで、戦うことしか知らなかった……。だからときどき、どうしたらいいのかわからなくなるときがある……この前のときも……そうだった……でも……」
「でも?」
ウェリカはゆっくりと鮭を口に入れ、飲み込んだ後、続けた。
「アルが……来てくれた……そのことで……ちゃんとお礼を……言いたかった」
まさか迷宮に入る前にあった、無遠慮な冒険者を追い払ったあれを言っているのか。
「あれはそもそも俺がちゃんと君を見てれば起こらなかったことだ。むしろ俺がしっかり謝らないといけない……ごめん」
「……でもわたしは、無事に今もこうしていられてる。ドクター以外にも、わたしを守ってくれる人がいるんだって知って……嬉しかった」
「そんなの……買い被りすぎだよ」
「……ありがとう」
オルシナスは俺を真っすぐに見て、ふんわりとした小さな声で、ゆっくりとそう言った。果たして本当に教師としてふさわしい人間なのかもまだわからない俺に、そう言ってくれた。
「どういたしまして」
ここまで真正面から言われてしまったら、素直に受け取るしかない。しかし今後はもうああいう事が起こらないようにしなければ。きっとそういうのが、教師の責務なのだろう。
「……これからもわたしに……もっと色々なことを教えて。そうしてわたしと…………」
「わたしと?」
「……なんでもない」
オルシナスは薄く微笑んで首を横に振ると、再び食事を再開した。
何はともあれ、こうして俺はオルシナスと一緒に何気ない休日を過ごしたのだった。
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