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胡桃沢椿。夕也も名前だけは知っている。おれが話すからではなく、保護者側にも有名だからだ。
小学生と中学生の頃はキッズモデルをやっていたらしい。確かにこいつは、見た目だけの話をするなら誰よりも映える。振袖もその時の知り合いに着付けてもらったのだろう。未だに雑誌に載っていてもおかしくない雰囲気だ。
でも今現在の胡桃沢が有名なのはモデルが理由ではない。
高校の中ではおれと揃って不良の枠で、しかし本物の、たとえば髪を金髪にして授業を妨害して複数でたむろしてという昔ながらの典型ではなく、まったく違う理由でおれと胡桃沢は浮いている。
おれは典型的な不良を一度椅子で殴り付けたのが原因だが、胡桃沢はいつの間にか流布していた噂が原因だ。
主な噂は売春で、中年の男と都市部を歩いていたとか、ラブホテルから出てくるところを見たとか、持ち物にブランドが多いとか、中学のモデル時代にはクラスメイトの男全員と関係があったとか、そっちの方面だ。そしてこれらはすべて嘘だった。胡桃沢の見た目の良さに嫉妬した誰かが流したか、単純な素行の悪さから想像されただけかは不明で、胡桃沢はなんにせよ特に撤回する気はないと笑いながら言っていた。
同時におれたちは契約を交わした。胡桃沢はおれの放火犯探しを手伝うがその代わりにおれは、噂を真に受けた間抜けに胡桃沢が襲われにくいよう、校内や帰り道などで常に横にいる。それでも襲われた時には返り討ちにする。
持ちつ持たれつの関係だ。椅子で殴り付けてくる生徒の彼女に手を出そうとする奴は幸いおらず、胡桃沢はその点について感謝してはいるらしい。
おれたちのこの利害関係を知る人間は一人もいない。
お互いの身内を含めて。
夕也はしばらく呆然としていた。そのうちにハッとして、おれを振り返り見た。
「胡桃沢……というのは、保護者会で話題になる、問題児の?」
「本人目の前で聞くのヤバくね?」
胡桃沢は明らかに面白がっている。相変わらず常軌を逸した女だ。噂が事実無根でも否定しないのはこいつの性格によるもので、単純に見ていて面白いから好きに噂させているらしかった。だから問題児というレッテル自体はかなり正しい。
困惑しきりの夕也に、問題児で有名な胡桃沢で間違いないと告げる。それから胡桃沢を立たせて、初詣でも福袋探しでもさっさと行こうと部屋を出た。微妙な空気の中で夕也と二人きりよりはよほどましだし、人混みに行くのなら隣を埋める警備員になるのも約束事の範疇になる。
鼻緒が歩きにくいと文句を漏らす胡桃沢を尻目に靴を履く。スニーカーでもいいだろと適当に返したところで、慌てた様子の夕也が玄関先にやってきた。
「俺も行く、ちょっと待て」
と言い始めるのでおれはげんなりしたが、胡桃沢は笑いを堪えながら二つ返事でオーケーした。
もう面倒になった。好きにしろよと言い捨てて、派手な振袖の胡桃沢と共に、夕也の着替えを十分ほど待った。
裾の長いコートにマフラーをぐるぐる巻いた姿で現れた夕也は、迷った顔をしてから胡桃沢の隣を選び、おれたちはその並びのまま歩き出した。
全国的に有名な神社などは近場にないが、地元民にはそれなりに有名な神社はあった。境内近くには出店がぽつぽつ並んで賑わっている。りんご飴という字面を久々に見た。中々の混雑に胡桃沢は楽しそうだったが、夕也の無表情には若干の疲労が乗っていた。
それもそうだろう。胡桃沢を挟む形で歩いている間に、夕也は質問攻めにされていた。詳しい仕事内容に加えて恋人はいないのか実家を出て都会に行ったりしないのかどの高校出身なのか趣味や特技や好みのタイプは何かと聞かれ続けていた。何度か助けを求めるような目を寄越されたが無視した。胡桃沢の相手は面倒だから夕也が担ってくれて助かった。
「正月! って雰囲気」
胡桃沢が賽銭箱までの列に並びながら言った。
「私は家族で出掛けるとかあんまないし、すげー新鮮。こんなに混むんだ? 地元のしょぼい神社なのに」
「おれもまともに来たことないからよくわからないけど、こんなもんじゃないのか」
「ふーん、あーでもそうかー、凪の家ってそんな感じだもんな」
そんな感じ、の間におれと夕也が交互に見比べられる。返す言葉は特にない。道中散々質問攻めにあっていた夕也も無言だ。凪っていつからお兄さんのこと殴ってんの? と聞かれた時と同じ様子で視線もずらした。
胡桃沢はやはり面白いらしくにやにやと笑みを浮かべている。この女の怖いところは、そういう意味で笑っていても見た目が整ったままなところだ。おれにはどうでもいいが、夕也は微妙な態度を崩さない。
列がじわじわと進んでいく。完全に黙った夕也の代わりに胡桃沢が色々話し、おれは慣れているため適当に相槌を打つ。
「西蓮寺兄弟、意味わかんなさすぎてウケる」
胡桃沢が悪気のない笑顔で言った。
同意だったから、おれは黙って頷いた。
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