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 家にあった透兄さんの写真類は火事ですっかり燃え去った。でもたとえば親戚の携帯に偶然残っていた画像だとか、通っていた高校で何かの賞をもらった時の校内新聞だとか、拾おうと思えばいくらでも当時を手元に置けた。

 夕也もだ。あいつは兄さんとどこかに出掛けた時の写真を持っている。義理の兄弟になった時に一度だけおれに見せてきたものだ。透兄さんと夕也が並んで映っている写真は二人とも屈託なく笑っていた。何の問題もない高校生の、何の問題もない思い出だった。

 家に帰って風呂に入る前にその写真を思い返した。

 脱衣所の鏡の前に立つ。暗い顔の自分が映り込むが、顔だけ見れば、蒼姉さんの言う通りだ。透兄さんとおれはかなり似ている。瓜二つほどではなくても、目鼻立ちの系統が同じだ。

 自分でも思うのだから、夕也も当然そう感じているだろう。

 舌打ちを寸前で止める。服を脱いでから再び鏡を覗き込み、現れた赤黒い火傷痕に目を向ける。上半身の半分を覆うそれは疑いようもなく醜い。無意識に出た息は安堵を多く含んでいた。この状態であれば、透兄さんには似ていない。思い出の中にいる兄さんは綺麗なままだ。おれとは、おれなんかとは違う。

 その日はもう夕也と顔を合わせなかった。あっちも特になにも言ってこず、おれはベッドの中で蒼姉さんが無事に離婚して逃げられるように望みながら眠りについた。


 三が日は静かだった。親は二人で旅行に出掛けたらしいと、特に面白くもない正月特番を観ながら夕也が言った。鈴谷と顔を合わせるのは二日後だから、今は待機期間のように手持ち無沙汰だった。

 二人で過ごしてはいたが、妙な膠着状態だった。

 いつも通りに苛立ちはするのだが手を出す気にはならず、夕也もそういう素振りは見せてこない。蒼姉さんの話が、少なからず起因だった。おれが透兄さんに似ているという話ももちろんだけどそれだけではない。旦那が暴力を振るっていたという話がおれと夕也の間に横たわっている。

 自分たちだって似たようなものだと、おれも夕也も感じている。

 無言が続いた。わざとらしい笑い声と今見るにはまったく適さない新春漫才が、おれたちの上を虚しく滑っていった。

 この居心地の悪さに穴を開けたのは突然鳴った呼び鈴だった。

 夕也の近くにいても仕方がないため先におれが席を立った。来客の姿を確認しないまま玄関を開けると、まず真っ赤な振袖が目に入ってギョッとした。

「遊びに行こうぜ、凪!」

 胡桃沢だった。桜か桃か、とにかく春の花があしらわれた着物は異様に似合っていたが、なにから言えばいいかわからず黙ってしまった。

 その間に、夕也が玄関先にやってきた。

「あ、おにーさん、こんちは!」

 胡桃沢の勢いに夕也も戸惑っていたが、

「凪、彼女と遊ぶ約束があったのか?」

 困惑を滲ませたままおれに聞いてきた。否定したのは胡桃沢だった。

「せっかく着付けてもらったけど私見せびらかす相手が凪くらいしかいなくてさー、神社でも寺でもなんでもいいから行こうぜ! 別におにーさんも一緒でいいし」

「はっ? なんで夕也まで連れて行かなきゃいけないんだよ」

「いやいや、私はどっちでもいいって。暇ならどうっすかー、くらいの誘い」

 出掛けることは決定済みのようだった。正直面倒だったが、胡桃沢には色々と協力してもらっていたし、まだ探して欲しい記事やこいつの特殊な環境で探って欲しいこともある。無碍にはできない。

「おれは行くけど、夕也は置いていく。っていうか連れて行く意味ないだろ」

「それは……そうだな」

 同意したのは夕也だった。部屋着用のパーカーを整えつつ、出掛けるなら防寒していけと相変わらずの兄面で言った。胡桃沢は喜び、とりあえずおれが準備するまで待つと言いながら勝手に家の中へと入ってきた。

 異様に華やかな着物はやっぱりおれと夕也の間では浮いている。胡桃沢の性格自体もそうだが、こうやって入って来られると明確に異物だ。こいつとの付き合いは一年ほどになるがいつまでも掴みどころがない。こたつに戻った夕也の近くに座り、あれこれと話し掛けている様子を横目に見つつなんとなく溜め息が出た。

 耳を澄ませていたわけではないが、近くで着替えている間に二人の会話は聞こえてきた。

「夕也お兄さんって何歳?」

「今年で二十六……だと思う」

「へえ! 凪と十歳差なんだ。仕事はー? いつまで休み?」

「明確に休みなわけじゃない。デザイン系だから、今は単純に手が空いてる」

「在宅ワークってやつ? あーだから前来た時も家の中にいたんだ。ニートなのかなこいつとか思ってた」

「……おま……君は、凪の恋人か?」

 お前って言いかけたな、と思ってから、あれもしかしてこいつ、と気がついた。

 急いで二人のところに行った。きょとんとする胡桃沢の顔を見て口を出しかけたが、胡桃沢の方が早かった。

「胡桃沢だよ。胡桃沢椿。凪からなんも聞いてねえの、お兄さん」

 夕也は固まった。おれはやっぱりか、と溜め息をついた。

 夕也は噂で知っている胡桃沢と以前に家に連れて来た胡桃沢を、別人だと思っていたようだった。

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