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「冬休みの課題もちゃんとやるんだぞ」

 話が一区切りついたからか、夕也は急に兄の面をして話し出す。そっちの問題はない、自分の素行が悪くとも退学にならないのは成績が低くないからだとうんざりしつつ口に出す。実際に問題はなかった。問題集をやって課題図書のレポートのようなものを書くだけで終わる。

 何せ冬休みはそう長くない。

「晩飯、食うか」

 夕也は卓上を片付けながら聞いてくる。時計を見ると十七時過ぎだった。晩飯には多少早いと思ったが食うと返事し、台所に向かう夕也の背中を目で追った。

 親が帰宅するまでに二階に上がってしまいたい。そういう無言の張り付いた背中だった。おれもその点についてはこいつの味方だ。

 おれも夕也も、親とはろくに会話をしない。それはおれが夕也を初めて殴った日よりも前からだった。

 

 眠る前、起きた直後、そういう脳みそが油断している時間帯におれは、朧げな過去の中をどうにか掻き分ける。すべてが平和だった時期。透兄さんは優しくて、時々夕也を連れてきて、おれの面倒を見てくれる。父親は基本的に無口だけど、別に怖いわけでもなくて休みの日は近場の公園に連れて行ってくれる時もある。

 母親のことは、何の理由もなく好きだった。いわゆる極一般的な主婦だった、と、記憶の中だけを見ていれば思う。家事を担い、まだ園児のおれの送り迎えをしてくれる。おやつの時間がしっかりあって、お昼寝の時間もとってくれて、夜はおれが寝付くまで隣にいてくれる。

 そういう記憶ばかりある。しかし今、西蓮寺家にいる今は、記憶の母親と現実の母親が一致しない。顔だけ同じだ。他は違う。火事を境にすべて変わった。

 母親はおれと夕也に一切の興味を持っていなくて、義父である西蓮寺孝介との生活だけを守るような態度になった。

 義父は義父で、おれと夕也には干渉しない。父親が存命の頃から不貞をしていたという話に信憑性を持たせるには充分だ。

 でも、親のことはひとまずどうでもいい。

 鈴谷の連絡先は夕也が簡単に調べ上げ、会う日程も滞りなく決まった。年末年始を挟むためすぐに行けるわけではなかったが、それでも少しずつ前進している。

 家に火をつけた奴が必ずいる。透兄さんの残した言葉を証明するためにもおれは、余計なことを考えない方がいい。


 蒼姉さんからメッセージが来たのはクリスマスが終わった後だ。年末年始までの中弛みのような期間に差し掛かり、おれは鈴谷に会うまでにと課題を適当に済ませている最中だった。

 明日時間があるか、少し会って話したいという内容で、当然了承したが予想外の返事が来た。

 夕也さんも連れて来てほしい。私は子供を両親に預けていくから、二人とも気兼ねせずにどこでも好きなところで落ち合いたい。

 そういった内容だった。当然、悩んだ。唯一血の繋がった人だと思える姉さんと会うのであれば、夕也を連れて行きたくはない。水入らずの会話の方が嬉しいに決まっている。

 そう思ったが、続けて来たメッセージを見て改めた。

 おれはわかったと返し、隣の部屋にいる夕也にその場でメッセージを転送した。

 夕也は余程暇なのか数秒で了解した。おれはスマートフォンをベッドに投げ、蒼姉さんの複雑な立場について考えた。

 

 翌日は晴れていた。かなり寒かったが、案の定というべきか、夕也は特に何でもなさそうな顔をしていた。絞めた痕は消えただろうに、首には赤いマフラーをぐるぐると巻き付けていた。

 こいつと二人で家を出るのは本当に久し振りだ。むしろ、初めてかもしれない。まったく会話をする気にはならず道を進んだ。夕也は車を出そうかと一度言ったが、おれが拒否するとそれ以上は食い下がらなかった。

 蒼姉さんとは人の少ないところで落ち合いたかった。夕也も同じだったらしく、入り組んだ路地の途中にある、個人経営の小さな喫茶店を集合場所に選んだ。一応の最寄り駅からは十五分ほど歩く。その間もおれたちはほとんど会話をしなかった。すれ違った学生らしい集団に、不思議そうな目を向けられた。

 おれと夕也は当然似ていない。血のつながりはないし、どういう関係か一目でわかりはしないだろう。妥当なところは友人だろうが年齢が十歳は開いているためそうも見えにくい。

 兄弟とは何だろうなと思う。夕也は元々一人っ子だから、余計にわからないだろう。こいつはおれの義理の兄だと誰かに言っても、それ以上も以下も生まれはしないし実態は更に複雑だ。

 殴っても絞めても夕也の真意はわからないし、おれの苛立ちはずっと冷めない。

 

 喫茶店は空いていた。先についていた蒼姉さんは立ち上がり、おれたちを迎えるように手を上げた。暖かい店内でストールも上着も身につけたままで、凛とした笑みを浮かべている。

 おれは息を吐き、初めてまともに隣の夕也をすっと見上げた。赤いマフラーが目に入る。

 昨日、蒼姉さんから来たメッセージはシンプルだった。

 暴力を振るう旦那から逃げることにした、最後に二人と会って話がしたい。

 このメッセージの中には強い意志が燃えていた。

 おれは蒼姉さんの目が見られなかった。

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